ガラパゴス通信リターンズ

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トイレット博士

2009-11-04 00:00:00 | Weblog
よく言われるようにマリー・アントワネットの時代のヴェルサイユ宮殿にはトイレらしいトイレがなく、貴婦人たちが平気でそこらの茂みで用を足していた。下層階級の家庭ではバケツで用を足して、それを二階の窓からぶちまけたりしていたようである。アンシャンレジュームのパリは不潔で臭くて、公衆衛生という面で危険極まりない街であった。

 他方、当時世界最大の都市であった江戸の清潔さは、幕末にこの地を訪れた外国人たちの賞賛の的となっていた。人糞を主要な肥料とする日本農業のスタイルが、巨大都市の抱えるし尿処理問題を楽々とクリアさせていったからである。し尿はやっかいものではなく、売り物になったから、明治になっても一部屋に3人住むと部屋代がただになっていたという。

 欧米人と違って日本人は、し尿と歴史的にフレンドリーな関係を結んでいた。日本のお母さんは、子どもがものを食べてから排泄するまでのすべてを見守ってくれている。このことと日本人の情緒的安定との関係を重視する外国人研究者もいる。「うんち」や「おしっこ」は、日本の家庭のなかでは、いまでもさほど忌むべきものとはされていない。

 排泄物、とくに「うんち」への忌避感をもたらしたのは学校制度だろう。学校は、日本人の身体と頭を西欧風に改造する装置として明治の初年に創設された。西欧の排泄物に対して敵対的な観念がここで根を張っていった。学校では「うんち」ができなかったという方はマイミクのなかにも多いのではないだろうか。それには深い歴史的ないわれがある。