太った中年

日本男児たるもの

菅直人の詭弁

2010-06-09 | weblog

財政赤字の原因を官僚から国民の責任にスリカエた菅直人の詭弁

菅直人の総理就任会見では、財政赤字の原因について、税金を上げて来なかったからだと説明された。増税をしないまま、社会保障費が膨らんだため、国の借金が増えたのだと言う。この説明は、半月ほど前に読んだ榊原英資の論理と同じものだ。5/20の記事にも書いたが、この榊原英資の「ドル漂流」の中の増税論を読んだとき、イヤな予感がした。このロジックが参院選の論議で応用される展開を恐れたのである。悪い予感が的中した。これまで、菅直人や民主党だけでなく、他の野党も含めて、財政赤字の原因を、増税を避けていたからという理由で説明した例は一度もいない。そうした議論を聞かされるのは初めてだ。民主党はこれまでずっと、財政赤字は官僚による無駄遣いによって膨らんできたと指弾してきた。昨年のマニフェストでもそう断定していて、「税金は官僚と一部政治家のものではありません」「税金のムダづかいと天下りを根絶します」と宣言している。総予算207兆円を組み替えて、「国民の生活が第一」の政策に充当すると言っている。菅直人は、財政赤字の原因説明を切り換えた。以前の説明は間違いだったとも釈明せず、マスコミの増税論の空気に便乗し、迎合して、巧妙に従来の財政認識を転換させている。この転換は意味が大きい。これまで官僚にあるとされてきた財政赤字の責任が、一夜にして国民にあるという構図に逆転したのである。財政赤字を生み出した主犯は、官僚ではなく国民になった。

言うまでもなく、この詭弁の論理は財務官僚の悪知恵である。半年間の大臣経験で、菅直人はすっかり財務官僚に教育され、霞ヶ関の忠実なスポークスマンになり、官僚に奉仕する政治家に立派に変身を遂げた。変節と転向は菅直人の体質であり、裏切りを続けていないと、菅直人は禁断症状を起こしてしまう。今年の1月、藤井裕久を襲って財務省入りしたとき、菅直人はカメラの前でこう言った。「大臣は役所の代表ではなく、国民が役所に送り込んだ国民の代表だ」。そして、消費税について質問するマスコミに対して、まずは国の総予算207兆円を徹底的に見直す作業から始めなければならないと慎重論で回答した。今回、菅直人は鳩山政権の方針を見直し、従来の「脱・官僚依存」を改め、官僚と連携する協調路線に転換し、その旨を初閣議で指示している。つまり、マスコミは書かないが、政治主導を終焉させたのである。官僚主導に戻したのだ。総予算207兆円が見直された形跡は全くない。衆院選のときから、財政論議は特別会計が焦点だった。一般会計88兆円の2倍に上る169兆円の特別会計の中身を精査し、官僚が隠匿して蓄財している裏資金を解明することが、政権交代後の民主党の急務とされていた。しかし、菅直人が財務相に就任して以降、特別会計の洗い直しは気配が途絶えたままで、その言葉も含めて関心が表面から消されている。官僚の聖域であった特別会計は、政権交代をもってしても阻止される事態となり、あの岩波新書「大臣」の著者の菅直人によって、官僚の利権が温存される結末となった。

この事実は本当に皮肉で面妖だ。昨日(6/8)の会見の中で、菅直人はこう言っている。「官僚の皆さんこそ、政策やいろんな課題に取り組んできたプロフェッショナルだ。プロフェッショナルとしての知識や経験を十分生かす」。これまでずっと脱官僚を唱え続け、霞ヶ関批判の先鋭な論鋒で国民を扇動し、昨年10月には「官僚は大バカだ」と罵った菅直人が、念願の総理大臣に就任するや否や、見事にお行儀よく官僚様に平伏する態度を見せている。呆れて脱力するのは私だけだろうか。それとも、鳩山由紀夫と同じく、学べば学ぶほど財務官僚の言うことが正しく、財政再建のために消費税増税の必要性が理解できたとでも弁解するのだろうか。菅直人がここまで転向したら、もう財務省に対して抵抗する人間は民主党の中に誰もいないし、特別会計の見直しや官僚の無駄の削減など踏み込めるはずがない。これで打ち止めだ。昨年の鳩山マニフェストは根本から哲学が否定された。結果的に、民主党は、野党時代に財政の実情もろくに調べず、国民の人気を取るために官僚を悪者にして叩いていたということになる。国民を騙していたことになる。こうした裏切りが、国民の意識に到達すればいいのだが、マスコミは菅直人の現実路線を翼賛する記事で埋め、増税への期待で興奮して律動している状況にあり、菅直人の裏切りを指摘する声は表面に出ない。国民が菅直人に怒りを覚えるという世論は口封じされている。半年間、鳩山由紀夫が米国と外務・防衛官僚に振り回されるのを見てきたが、次は菅直人が財務官僚にコキ使われる政治が始まる。

民主党は、マニフェストは国民との契約だと言い、その遵守を固く誓っていたが、わずか一年足らずで根本から政策転換することになった。三党連立の合意文書には、消費税率の据え置きが明記されているが、これも簡単に方針撤回されることになった。菅直人は、消費税について、「規模においても時間においても、どうあるべきなのか、そのことを党派を超えた議論をする必要が、今この時点である」と言っている。この意味は、税率10%への引き上げを来年4月から実施するという意味で、その内容で自民党と今すぐに合意するという宣告だ。そして、鳩山政権の公約に従って、消費税増税の前に衆院選で民意を得ると言っている。と言うことは、参院選後の早い段階で衆院選を打つという予告である。7月の参院選で勝ち、消費税増税のコンセンサスを取り、8月の概算要求で消費税増税を歳入に前提した予算編成をスタートさせる。9月の代表選で消費税増税に抵抗する小沢派を追い出し、秋に衆院を解散して総選挙を行う。そうした政治日程が見える。このとき、すでに自民党とは増税で合意ができているから、消費税増税は選挙の争点にはならない。どちらが勝っても消費税は増税される。消費税増税の信認選挙と言うか、正統性確保のための形式的な政治儀式となる。主眼は、むしろ小沢派議員の駆逐の方になるだろう。小沢派が離党して、新党で菅民主党に対抗する可能性があるが、菅直人の手法を見ていると、それを挑発して誘き出している意図が窺える。つまり、小沢新党に消費税増税反対を選挙で掲げさせ、それを惨敗させることで消費税増税を固める謀計だ。

そして、玄葉光一郎が言ったとおり、消費税増税の言い訳として、衆院解散前に議員定数の削減を可決し、比例ブロックの定数を半減した後で選挙を行うのである。もともと、民主党の公約では、官僚の無駄を削減した後で消費税を上げるという話だった。しかし、菅直人と玄葉光一郎は、その話を巧妙にスリ替え、官僚の無駄ではなくて議員の定数を削減し、それをもって消費税増税の代償にするのである。マスコミは、この措置を「議員が身を削る行為」だとして全面支持している。この動きを見ながら、早速、辻元清美が消費税増税容認論を言い始めた。醜く毒々しいアジサイの花を咲かせている。議員定数の削減で社民党は党壊滅に追い詰められる。その前に、消費税増税に賛成し、玄葉光一郎に媚を売り、民主党に鞍替えして国会議員の安住を手に入れるのである。民主党に入党した際は、所属は前原・野田派だろうか。菅直人は、例によって「増税して経済成長」の持論を会見でも論じた。この主張について、これまでエコノミストの側からの本格的な論評を聞いたことがない。賛同や反論を見た記憶が特にないが、これから専門家の批判が上がるのだろうか。あまりに荒唐無稽な詭弁に過ぎて、拍子抜けして言葉を失っているのだろうか。菅直人の話を聞いていると、消費税で国民から巻き上げた資金を、大企業の新規事業や輸出開発の原資に政府が回そうとしているように見える。この「成長戦略」は、自民党の中川秀直の上げ潮政策とどこが違うのだろう。それによって企業が儲かっても、内部留保を溜め込むだけで、国民生活が豊かになる図はないのである。竹中平蔵の時代の「実感なき成長」と同じ。

菅直人は、赤字国債発行の代わりに、消費税増税で企業にカネを回そうとしている。負担を増やせばどうなるか。小泉・竹中のときも国民の負担を増やした。年収は減っているのに、住民税を上げ、医療費の負担を上げた。その結果、消費が冷え込み、景気は低迷し、デフレスパイラルが続き、勤労者の生活と中小零細企業の経営を苦境に立たせた。一方の官僚は、使い切れない経費を使うため、居酒屋タクシーで遊んでいた。年収が200万円とか300万円しかない労働者にとって、あるいは年金生活の高齢者にとって、5%の消費税が10%に引き上げられることは死活問題だろう。今よりも生活を切り詰める必要に迫られる。そうした現実が、マスコミの消費税論議には全く登場しない。大越健介や古舘伊知郎が嬉しそうに増税の事実上決定を祝い、与良正男や一色清が勝利の凱歌を上げ、長年のプロパガンダの奏功を寿いでいる。やっと財政再建の目途が立ったと破顔している。テレビで増税論の旗を振る彼らは、年収2千万とか、年収1億円の身分の富裕身分であり、消費税が上がっても生活に痛みを感じる立場ではない。増税論一点張りの官僚やシンクタンクは、消費税増税が景気に与えるインパクトを正視していない。知っていてもそれは言わない。責任は菅直人に取らせればいいだけだ。中小企業は、消費税の値上げ分を製品価格に転嫁できず、コスト削減あるいは利益縮減に追い詰められ、現在でも瀕死の経営に深刻な打撃を受けるだろう。経済的には、そちらのマイナス影響の方が、消費者の買い控えより大きいと予想する。13年間、消費税が上げられなかったのには理由がある。単なる政治の怠慢や怯懦の結果ではない。

官僚の無駄づかいを一掃するまでは、消費税は上げないというのが政治の約束であり、国民とのコンセンサスだった。その合意を官僚の代理人である菅直人が破ろうとしている。

(以上、世に倦む日日より転載)


クリーンな政治

2010-06-08 | weblog

「クリーン」で「国民主権」は守れない

マキャベリの「君主論」を読みながらシルクロードを旅していたら鳩山総理が辞任した。砂漠のホテルで見たBBCニュースはアメリカのクリントン国務長官と握手する鳩山総理の映像を流しながら、「沖縄の米軍基地の問題で国民の支持を失った総理が参議院選挙を前に辞任した」と繰り返し伝えていた。

その前日までのBBCは沖縄の米軍基地の映像と社民党の連立離脱を伝えていたので、日本国民には米軍基地に対する反発があり、それが総理を辞任させたと世界は受け止めたに違いない。ところがインターネットで日本の新聞を検索すると、そこでは米軍基地よりも「政治とカネ」に焦点が当てられていた。

小沢幹事長に辞任を迫られた鳩山総理が「意趣返し」で小沢幹事長を道連れにするため、「政治とカネ」を持ち出したと日本の新聞は伝えている。すると「政治とカネ」に焦点を当てさせたのは鳩山由紀夫氏である。そしてこれから民主党は「クリーン」を看板に掲げると報道されていた。

総理の辞任を「政治とカネ」に絡められても世界は恐らく理解できない。外国のニュースが伝える通り辞任の本質はあくまでも普天間問題にある。ところが日本では「政治とカネ」が前面に出て問題の本質が隠れてしまう。そこに日本政治の未熟さ、「病理」と言っても良い特殊性がある。国民は早くこのズレに気付かなければならない。

「ニューズウイーク国際版」の5月24・31日号に「スキャンダルマニア」と題する特集記事が掲載されている。鳩山総理が射撃の標的になっている漫画が描かれ、先進国ではありえない日本政治の「スキャンダル病」について書かれている。書き出しは「リッチな国々では政治家のスキャンダルは珍しくないが、ほとんどの政治家はダメージを受けずに生き残る」とある。

例えばアメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター」と呼ばれる不動産取引疑惑や数々の女性スキャンダルがあったが内閣支持率は高かった。フランスのサルコジ大統領もパキスタンに潜水艦を売却して裏金を環流させた疑惑や見苦しい離婚スキャンダルがあるが支持されている。イタリアのベルルスコーニ首相にはカネと女性スキャンダルが絶えないが、支持率には少ししか影響しない。

それはアメリカやフランスやイタリアの国民が愚かで不道徳だからではない。政治家の仕事を正しく理解しているからである。政治家は国民生活を劣化させないように経済を舵取りし、他国との交渉で見くびられずに国益を守る。それが仕事である。その仕事が出来ていれば多少のスキャンダルは問題にしない。勿論、スキャンダルはない方が良いが、清廉潔白な人間には謀略や恫喝に太刀打ち出来ない者が多い。マキャベリは「善を行うことしか考えない者は、悪しき者の中にあって破滅せざるを得なくなる」と言っているが、成熟した国家ではそれが理解されているのである。

ところが日本は大違いである。スキャンダルが命取りになる。これまで何人の政治家が自殺や議員辞職に追い込まれてきた事か。総理がコロコロ変わる背景にも常に「政治とカネ」の問題があった。しかも「政治とカネ」の問題が起きると必ず国会は機能不全となり、国家として不可欠の議論が先送りされる。

世界最先端の高齢化社会に備えた税制を議論すべき時に「リクルート事件」で国会は空転した。ソ連の崩壊で冷戦が終わり、世界各国が自国の先行きを徹底議論している時に「金丸事件」で国会は政治改革しか議論しなかった。国家の制度設計を議論しなければならない時に、何故かこの国には「政治とカネ」の問題が起き、国民はそれに目を奪われてしまうのである。

「政治とカネ」の問題がことさら大きくなったのは、田中角栄氏が逮捕された「ロッキード事件」からである。ベトナム戦争に敗れたアメリカが軍需産業と世界の反共人脈との関係を断ち切ろうとした事件が、日本では「田中金脈」問題にすり替り、三木政権と官僚機構にとって目の上のたんこぶだった角栄氏を排除するための事件となった。

検察の恣意的な捜査を見抜けずに「総理大臣の犯罪」と騒ぎ立てたバカがいて、それを信じた国民がいる。そして時の権力者は「クリーン」を標榜し、それが民主主義であるという珍妙な政治論を国民の脳裏に刷り込んだ。政治資金規正法が改正され、世界ではありえない「金額の規制」が導入された。検察が政治家を摘発する事が容易になり、政治資金はますます闇に潜るようになった。

政治資金規正法の改正は官僚権力にとって大きな武器となる。角栄氏のように政治家が自分で資金を集めると「不浄なカネ」と判断され、官僚に集めて貰うと「濾過器」を通って洗浄されたカネになる。資金集めで官僚の世話になる政治家は官僚に頭が上がらない。こうして官僚の手先となる族議員が増殖する。「クリーン」は官僚支配を強めるのである。

政治家にとって最も必要なのは情報だが、「情報収集」にはカネがかかる。しかし官僚からの情報提供は無料である。カネのない政治家は官僚情報に頼るようになる。官僚は自分たちに都合良くデフォルメした情報を政治家に提供し、政治家は官僚に洗脳される。こうして「クリーン」は「民主主義」とは対極の「官主主義」を生み出すのである。

「クリーン」とか「金権批判」を叫ぶのはロッキード事件以来の風潮である。叫んでいる者は、ロッキード事件を起こしたアメリカの意図を知ろうともせず、自分でカネを作ったが故に糾弾された「田中金脈」の延長と捉え、「総理大臣の犯罪」という「でっち上げ」を盲目的に信じた「おめでたい」連中である。今回の行動でその一人が鳩山由紀夫前総理である事が分かった。

戦後の日本で国民の主権を侵してきたのは一に官僚、二にアメリカだと私は思っている。国民が選び出した政治家をコントロールし、国民の要求よりも官僚やアメリカの要求を優先させてきたからである。しかし冷戦が終わるまでの自民党は時には社会党を利用しながら官僚機構やアメリカと水面下では戦ってきた。それがズルズルと言いなりになったのは90年代以降の事である。

そのズルズルが次第に自民党に対する国民の反発を強め去年の政権交代となった。初めて国民の主権が行使された。ところが普天間問題で見せた鳩山政権の対応に国民は「主権在民」ならぬ「主権在米」を実感した。いずれ「主権在民」を実現するための戦略的な撤退であると言うのなら理解の仕様もある。しかしあの「お詫び」では「裏切り」としか映らない。

そして「政治とカネ」が持ち出され、「クリーン」が登場してきた。国民主権の発揮がいつの間にか「官主主義」の復権に道を開いた。「政治とカネ」の問題でも鳩山氏は「お詫び」をしたが、「お詫び」をする位なら自らの正義を主張して司法の場で戦っている人間を道連れにせずに一人黙って責任を取れば良い。

「ニューズウィーク」の「スキャンダルマニア」は最後にこう締めくくっている。「『政治とカネ』のすべてのケースを追放することが本当に価値ある事かどうか、日本は再考する時を迎えている」。しかし今の日本はそれとは逆の方を向き、国民もそれを喜んでいるようだ。「大衆は表面上の利益に幻惑され、自分たちの破滅につながる事でさえ望むものである」とはマキャベリの言葉だが、日本に必要なのはマキャベリの言う「ライオンのような強さと狐のような狡猾さ」を持ち合わせた政治指導者ではないか。

(以上、田中良紹の国会探検より転載)


鳩山無血クーデター

2010-06-07 | weblog

「鳩山首相の無血クーデター/親指の意味」

政治評論家の鈴木棟一氏が興味深いことをいっています。鳩山・小沢ダブル辞任は「鳩山の無血クーデター」であるというのです。民主党の創立者である鳩山氏と菅氏は、自民党との二大政党の一つという地位を確立しましたが、政権交代には自民党との間に絶望的ともいえる差があったのです。

そこで選挙に勝って政権交代を達成するため、鳩山氏と菅氏は小沢氏率いる自由党と民主党の民由合併を図り、小沢グループに民主党のひさしを貸したのです。おそらくこの時点では、本当に政権交代が実現できるとは思っていなかったはずです。

しかし、小沢氏の政治力は抜群であり、メール問題で前原代表(当時)が辞任してガタガタになっていた民主党を、党代表に就任して立て直し、その勢いを止めようとした検察によって代表を辞任したものの、2007年の参院選を勝ち抜き、2009年の衆院選で圧勝して、遂に政権交代が実現したのです。もし、小沢氏がいなければとても実現しなかったといっても過言ではないと思います。ところがせっかくの鳩山政権は、首相の政権運営があまりにも稚拙であり、加えて首相自身と小沢幹事長の政治とカネの問題があって、支持率が急落したのです。

しかし、小沢幹事長の政治とカネの問題については謀略の疑いが濃厚であり、EJではそのことを多くの情報を提示して説明してきたつもりです。小沢事件に関しては、仙谷国家戦略相に近い郷原信郎弁護士など、限りなく「シロ」であると主張している人が多く、それを示す資料は誰でも容易に入手できるのです。

しかるに、いわゆる反小沢派といわれる人々は、そのほとんどが弁護士であるにもかかわらず、それが実質的には民主党への卑劣な攻撃であるのに何の手助けもせず、繰り返し説明責任と辞任を迫るという権力闘争に終始したのです。明らかにこの事件の責任をとって小沢氏に辞めて欲しいという意図は明らかです。用事は済んだので、辞めてくれとは実に身勝手な話です。

しかし、何といっても民主党の支持率低下に拍車をかけたのは首相の普天間問題の迷走なのです。今ある情報を総合すると、昨年末には代替基地は普天間しかないとわかっていたにもかかわらず、「最低でも県外」と主張して沖縄の人の心を弄んだ挙句、結局普天間で日米共同宣言をしたのです。これに反発して社民党が政権離脱して支持率がさらにダウンすると、今度は小沢幹事長を道連れにして辞任し、政権を放り出したのです。小沢氏もこれほどひどいとは考えてもいなかったと思います。
 
確証はありませんが、さまざまな情報を分析した結果、鳩山首相(当時)の小沢氏道連れ辞任については、事前に菅副総理と相談していたものと思われます。時期は小沢幹事長と輿石参院幹事長が鳩山氏を尋ねた前後であると思われます。その前から鳩山氏と小沢氏は電話で次のようなやり取りをしていたのです。

 

「社民党を切ってはならない。選挙協力をどうするの」』と小沢氏は強く言っていた。普天間の決着は、もう少し、選挙後まで延ばせばいいじゃないか、と。──「鈴木棟一の風雲永田町」4日発行「夕刊フジ」

 

さて、4日に菅首相が確定すると、直ちに仙谷官房長官、枝野幹事長という情報が駆け巡り、ちょっとした騒ぎになって首相の記者会見が大幅に遅れたのです。これは菅首相サイドが作成した執行部の主要人事と主要閣僚リストが流れたからです。わざと流したのか、漏れたのかはわかりませんが、そういうものが既にできていたことは確かなのです。したがって、菅氏は、かなり前から準備していたフシがあります。
 
もし、今回の民主党内の政権交代が、鳩山・菅の連携プレイであったとすると、このさい徹底的に「小沢外し」をやってくると思います。今回は「小沢色を消す」という大義名分があるので、菅首相にとっては絶好のチャンスといえます。ポイントになるのは「枝野幹事長」があるかどうかです。この原稿を執筆している5日正午の時点では、菅氏のグループ内から反対意見が相次いだということで、ペンディングになっていますが、この人事は変わらないと思います。逆にこれが変わるようであれば、菅氏2のリーダーシップに疑問符が付きます。

この人事があると、枝野氏は小沢氏がこれまで組み立ててきたシステムをすべて壊してくると思われます。会期を延長したのは郵政法案を通すためだけでなく、政調会の復活や参院選の戦い方まで干渉してくる可能性があります。もっと露骨にやると、小沢氏に政倫審での説明が証人喚問を求めることもあると思います。国対が変わると、それは十分あり得ることです。

しかし、これは危険な賭けであると思います。小沢グループは一斉に反発し、党内は混乱します。現在、国対幹部は小沢グループで占められ、選挙は小沢氏が一手に握っています。もし、枝野氏がこれに手を突っ込んでくると、小沢グループは選挙から一斉に手を引くでしょう。それで選挙が戦えるのでしょうか。

かつて小沢氏が辞めるといったとき、それを思いとどまるよう。説得したのは、誰だったでしょうか。鳩山氏と菅氏ではありませんか。―──[ジャーナリズム論/32]

 

・岩手総決起大会での小沢一郎氏のビデオ演説

菅直人新首相が誕生した6月4日、「小沢王国」といわれる岩手では、盛岡市で参院選に向けた民主党県連主催の「総決起集会」が行われた。当初は出席の見通しだった小沢一郎氏は欠席したものの、ビデオで心境を語った。小沢氏は今回の幹事長辞任について「ご迷惑をかけて申し訳ない」と謝罪。「いったんは幹事長から身を引いたが、本当の意味で私の理想を実現するため頑張っていく」と思いを語ると約1500人の民主党支持者が埋め尽くした会場から拍手がわいた。ただ、小沢氏は「理想」の具体的中身は語らなかった。

(以上、Electronic Journalより転載)


小沢派掃討戦

2010-06-06 | weblog

みんなの党と組む連立組み替え - 小沢派に対する掃討戦が始まる

今日(6/6)のフジテレビの政治番組を見ていると、玄葉光一郎が出てきて、「舛添さんとなら一緒にやって行ける」と言い、改革新党と積極的に連立する意向を表明した。菅新政権の政策は舛添要一の主張する方向と同じだと言う。さらに、参院選のマニフェストでは、自民党も踏み込まなかった規制緩和の具体的メニューを並べると胸を張った。玄葉光一郎は、民主党の中でも最も毒々しい狂信的な新自由主義者で、2年前の「小泉勉強会」に前原誠司とともに出席し、小泉純一郎と小池百合子の前で、「自分は今でも小泉・竹中の構造改革路線が正しいと思っている」と信仰告白した男である。反新自由主義に舵を切った小沢執行部に対して、確信犯的に抵抗と造反を続けてきた。昨年の衆院選では、毎日新聞が実施したアンケート調査の中で、「製造業への労働者派遣禁止に賛成か反対か」の質問に、「反対」と回答を返している。この立場は自民党候補者の中には多かったが、民主党候補者ではきわめて例外的で、長島昭久などごく少数だった記憶がある。すなわち、喩えて言えば、嘗ての安保政策における西村真悟と同じほど、社会政策において極端で過激な立ち位置を党内で貫いていたアウトサイダーに他ならない。その新自由主義者の鬼神のような玄葉光一郎が、民主党の政策を取り纏める政調会長の要職に就き、早速、週末のテレビ番組で顔見せ興行を行っている。脱力感と敗北感に襲われ、政治を報じているテレビを見るのが憂鬱でたまらない。

昔、得意満面の小泉純一郎と竹中平蔵をテレビで見るのは、本当に気が滅入って苦痛で辛かった。だから、耐えきれずにSTKの運動まで起こした。そういう時代は終わったと思っていたのに、また元に戻って、テレビの前で神経衰弱になる毎日を送らなければならない。クーデターとはこういうものだ。国民が油断している隙を衝き、一瞬の早業で政治の舞台が転換され、関心の空気が入れ換えられ、新自由主義が政治のメインストリームに定置された。わずか一週間前まで、政治の関心は普天間であり、沖縄問題だったのである。それが今は、「小沢一郎の影響力排除」が主役になり、「新政権の改革政治への期待」が関心の前面に押し出されている。普天間問題は背後に押しのけられ、脇役の一つになってしまった。この政局は普天間問題が原因で始まっている。鳩山由紀夫が辞任を迫られたのは、普天間問題の「5月末決着」が失敗したからだった。国民に嘘をつき、沖縄を裏切り、辺野古移設の日米合意と政府決定を断行したからだった。「政治とカネ」の問題は副菜に過ぎない。しかし、マスコミは、「政治とカネ」の方をクローズアップし、小沢一郎に悪魔表象を被せて袋叩きにし、鳩山由紀夫が普天間の責任をとって辞任した政局を、巧妙に小沢一郎を失墜させ滅殺する政局にスリカエた。同時に、小沢一郎が掲げてきた政策そのものまで全否定するイデオロギー戦に出て、4年前からの民主党の基本政策を覆し、新自由主義を復権させるクーデターを成功させた。

民主党は4年前に戻り、前原体制の政策と人事に復古してしまった。新自由主義の王政復古である。週末から人事のリークと発表があり、内閣は11閣僚が残留する「居抜き人事」となった。外相と防衛相もそのまま留任する。普天間の政治については、辺野古移設の決着へと政治をドライブした責任は、首相の鳩山由紀夫以上に外相の岡田克也と防衛相の北澤俊美と沖縄担当相の前原誠司にあるはずだが、この3人の責任は問われず免責される結果となった。結局、鳩山由紀夫だけが責任をとらされ、内閣と閣僚の責任は放免とされた。果たして、沖縄の人々は、この政治責任の結末に対して納得することができるだろうか。一週間ほど前のテレビ報道で、街を歩く沖縄の市民がテレビのインタビューを受け、「沖縄をバカにして」と吐き捨てるように言う映像を幾度も見たが、これだけ沖縄をバカにした政治というのがあるだろうか。実行力はなかったが、最低限の良心を沖縄に示そうとした鳩山由紀夫が、責めを負わされて厳罰を受け、最初から米国の言いなりで、冷酷非情に沖縄を裏切り続けた岡田克也と前原誠司が、何の咎めも受けないのである。鳩山由紀夫の辞任の理由は、「普天間問題」と「政治とカネ」の二つのはずだった。この一週間の政変は、よく見ると、「政治とカネ」については、小沢一郎から権力を剥奪して責任をとらせる処断になっているが、「普天間問題」については、責任のある者が責任をとらされていない。ここには、「鳩山辞任」の政変劇における巧妙な責任スリカエの詐術がある。

一週間前まで、参院選の争点は普天間問題だった。辺野古移設の是非を問う選挙に持ち込み、日米安保の本質を国民が問い直し、それに審判を与える選挙にできるはずだった。しかし、この政変(クーデター)により、選挙の争点すなわち関心は一気に切り換えられる事態となった。今度の選挙では、「小沢一郎の影響力排除」が争点となり、「消費税の増税」が争点となる。「辺野古移設の是非」は三番目以下の争点となった。来週以降も、玄葉光一郎と枝野幸男がテレビに出て、「小沢一郎の影響力排除」の話を吐きまくる。本当は、「政治とカネ」と言うのなら、企業団体献金の禁止について各党が議論すればいい話だが、それはせず、絶対悪である小沢一郎を攻撃するプロパガンダを延々とテレビで放送するのである。現在、小沢一郎は国民の仇敵であり、北朝鮮の金正日と同じ存在である。マスコミと菅政権の狙いは、小沢一郎個人を悪魔に仕立てて攻撃し、小沢一郎の政治生命を抹殺することだが、それ以上に、小沢一郎が掲げてきた政策全般に対して悪性のレッテルを貼って否定することであり、反新自由主義の政策をも悪だと決めつけることである。反新自由主義の政策を小沢一郎のパッケージで包装して廃棄処分にし、小沢一郎への不支持と菅政権への支持を丸ごと新自由主義政策への支持だとする世論を醸成して既成事実化することである。参院選は小沢一郎を否定するかどうかを問う選挙となる。民主党が勝ち、菅政権が信任された場合は、民意が小沢一郎が掲げてきた政策を否定したという結果だと定義されるだろう。

昨日(6/5)の朝日の1面記事には、新政権が連立の組み替えに出て、みんなの党と連立を組むという予想が載っていた。この記事は、朝日が独自に世論操作のために書いているとも考えられるが、私の推測では、仙谷由人が朝日の記者にそう書けと指示している可能性が高い。これまで、朝日が「民主党幹部によると」とか、「政府閣僚によると」と情報の出所を匿名で示した場合、仙谷由人のリークを撒いた場合が多かった。朝日新聞と仙谷由人の政治路線が同じで、意図と目的が両者一致する仲間だからである。仙谷由人と菅直人は、かなり本腰でみんなの党との連立を構想しているはずで、そのときは国民新党との連立を解消する挙に出るだろう。舛添要一の改革新党との連立を明言するほどだから、みんなの党との連立はさらにハードルが低い。昨年9月の三党合意の中には、「消費税率の据え置き」が第2項目に明文で入っている。この合意文書を破棄すれば、「消費税率の据え置き」の政策拘束から菅政権は自由になれる。すなわち、消費税増税に踏み切るためには、国民新党との連立を解消し、昨年9月の合意文書をご破算にしなくてはいけない。深読みかも知れないが、菅直人が国会会期を延長して、郵政民営化見直し法案の審議の時間を確保したのは、ひょっとしたら、この法案を成立させるためではなく、委員会審議で紛糾させ、そこでマスコミに「郵政民営化見直し」を袋叩きにする宣伝をさせ、悪性表象を押し固め、継続審議にした上で、これをまた参院選の争点にする魂胆かも知れない。つまり選挙前に連立解消に出て、政策転換を宣告するのである。

選挙前に「郵政民営化見直し」に反対の立場に回り、選挙で民意を問い、選挙に勝ったら、民意は「郵政民営化見直し」に反対だと確定するのではないか。無論、そのときは、選挙期間中にみんなの党との政権構想ができている。国民新党は野党の立場で選挙を戦う羽目になる。そういうクーデター第2幕の謀略と奸計が、菅直人と政権幹部の間で策されていても不思議はない。さて、小沢一郎と菅直人の関係だが、私はもはや修復不可能だと考えるし、現在も裏で繋がっているという見方は採らない。「鳩山辞任」までは2人は阿吽の呼吸で繋がっていた。小沢一郎にとって、鳩山由紀夫を引きずり降ろした後に、すぐに菅直人が立候補の声を上げたのは、計算どおりだっただろうし、予定の計画の進行だっただろう。菅直人の裏切りと不意打ちは想定外のハプニングで、小沢一郎の油断と不覚による蹉跌だったとしか言いようがない。この辺りの解説は、また稿をあらためて論じることにする。今日(6/6)のTBSの番組で、田中秀征が、「小沢一郎は猜疑心は強いが人を裏切らない」と分析を示し、今回の小沢叩き一色に染まったファッショ(束)的なマスコミ報道の中で、唯一、小沢一郎に対して好意的と言うか、公平公正な視点で論じるコメントを披露した。この田中秀征の指摘が正鵠を射ているかどうかは判断が難しいが、私も少し共感を覚えるところがあり、菅直人や鳩山由紀夫の方が小沢一郎よりも人が悪い。と言うか、この若い2人は簡単に人を裏切る。田中秀征は、この2人がさきがけの武村正義を裏切った96年9月の「排除の論理」の政変を思い出していたのだろう。さきがけの老幹部は、2人の裏切りで煮え湯を飲まされた。

今、報道で言われている「政調の廃止」の件は、マスコミが言うように小沢一郎の専横と独断で決まったものではない。そこには経緯がある。そもそも、菅直人がロンドンに飛び、英国流の「政策の内閣一元化」を強調したところから問題は始まった。この制度の導入が当を得たものなのか、一般論として簡単に評価はできないが、当時、山口二郎を筆頭とする政治学者や評論家は、菅直人の英国土産の「内閣一元化」の方針を絶賛したはずで、要するに、党政調廃止の理論的根拠を作った責任者は菅直人なのである。そして、実際に小沢一郎が政調廃止に動くに当たっては、何より、先に鳩山由紀夫による菅直人への裏切りと追い落としの事実があり、鳩山由紀夫の裏切りが発端となったトロイカ体制の崩壊があった。トロイカを崩した張本人は鳩山由紀夫で、そこで権力の均衡が不安定になり、ポスト・トロイカの権力闘争が始まったのである。小沢一郎は、ポスト・トロイカをツートップ(二極体制)に移行させて安定させるべく、権力を政府と党の二つに分ける行動に出た。その経過の中で政調の廃止がある。政調を廃止され、身の置きどころを奪われた菅直人は惨めで気の毒だったが、恨むべきは小沢一郎ではなく、官房長官から菅直人を外してトロイカ体制を崩した鳩山由紀夫なのである。さて、ネットの中では、小沢一郎の9月までの雌伏論と再起期待論が盛り上がり、菅直人と小沢一郎は世間の目を騙して、水面下で手を握って権力を操縦していると観測する者が少なくない。6/4夜の小沢一郎の雪辱宣言も、世間を欺くフェイクだとする見方を小沢教徒はしている。私の見方は少し違って、菅直人はこれから小沢一郎の息の根を止めに出ると予想する。

政界引退に追い込む魂胆だろう。具体的に言えば、今度の役員人事と参院選を通じて、小沢派に対する熾烈で凄惨な掃討作戦が敢行される。小沢派に襲いかかり、小沢派の若手議員を寝返らせ、小沢派から離脱させようと動くだろう。枝野幸男を幹事長に据えたのは、小沢派の金庫を押さえ、小沢派を解体し、壊滅させるためだ。菅直人は、小沢一郎を第二の武村正義にする腹だ。

(以上、ブログ世に倦む日日より転載)


窮ポッポが猫を噛む

2010-06-03 | weblog

鳩山首相が最後に仕掛けた「小沢一郎へのクーデター」

鳩山由紀夫首相が6月2日、退陣を表明した。突然だった。しかも小沢一郎民主党幹事長を道連れに。いったい、いつ決断したのだろうか。

鳩山は退陣表明した両院議員総会で、「訪問していた韓国のホテル滞在中に自宅で飼っているのと同じヒヨドリを見て、『もう自宅に戻ってこい』と呼びかけているように思えた」と心境を語っている。いかにもロマンチックな鳩山らしい。こんなエピソードにまず嘘はない。ということは、5月末から退陣の腹を固めつつあったとみていい。

そうだとすると、前夜まで流れていた「続投に意欲満々」という多くのメディアの見立ては、まったく違っていたことになる。

鳩山は表向きの言葉とは裏腹に自らの退陣を前提にして、その後の政局をにらんでいた。最後にして最初の大仕事に挑んだ格好である。

思えば、1日夕方に小沢との会談を終えた後、親指を立て笑顔でグッドサインをした鳩山と、苦虫をつぶしたような小沢の渋い表情が事態を象徴していた。

続投を狙った鳩山が「小沢の支持を勝ち取った」と思われたが、実際は話が逆だった。鳩山は自らの退陣とセットで小沢を辞めさせるのに成功したのだ。

ずばり言えば、今回の退陣劇は鳩山が政治生命を賭けて仕掛けた「小沢に対するクーデター」という側面がある。

小沢にしてみれば、誤算だったに違いない。

小沢は自らの政治資金問題で検察審査会から「起訴相当」の議決を受けたが、その後、東京地検は再び不起訴処分を決め「当面は逃げ切った」と思われていた。

それまで、ガソリン税暫定税率廃止の先送りや高速道路料金見直しなど主要政策課題で小沢の言いなりだった鳩山が突然、自分に辞任を迫ってくるとは思いもよらなかったはず、とみるのが自然だ。

捨て身で反乱した鳩山に追い込まれた小沢。これが今回の基本構図である。

小沢はこれからどう立て直すのか。

4日の両院議員総会がヤマ場になるが、後継代表・首相は菅直人副総理兼財務相が最有力であることに変わりはない。菅はこれまで小沢との対立を注意深く避けてきた。小沢の新年会にも顔を出している。

加えて財務相に就任してから増税路線に大きく舵を切って、財務省・霞が関も味方につけている。水面下で政治資金問題がくすぶり続けている小沢に、「財務・国税を敵に回したくない」と考える動機がある。財務省との友好的関係をてこにして、菅は小沢に切り札を握った形である。

小沢にすれば、菅はもっとも無難な選択といえる。

だれが首相になるとしても、民主党内は従来にも増して小沢と反小沢の対立が激しくなるに違いない。鳩山退陣によって突然生じた「政治空白」が、必然的に勢力拡大を目指す主要なアクターたちのパワーゲームを余儀なくさせるからだ。

小沢グループはこれまでも強固な団結を誇ってきたが、ここで一段と結束を強めていくだろう。苦境がかえってバネになる。

反小沢の筆頭格だった渡部恒三元最高顧問らのグループも正念場だ。渡部は岡田克也外相や前原誠司国土交通相兼沖縄・北方対策担当相、仙谷由人国家戦略相、枝野幸男行政刷新相ら「七人衆」を率いている。

そのうち有力な岡田と前原はともに閣僚として米軍普天間飛行場移設問題にかかわってきた。普天間迷走の責任をとって辞任する鳩山の後を襲うには、政治的正統性がない。

仙谷、枝野も有力候補になりうるが、菅と比べると政治経歴の実績で劣る。そもそも小沢と真正面から戦って、権力を目指すガッツがあるだろうか。原口一博総務相や細野豪志副幹事長ら小沢に近い中堅たちの動向も焦点になる。

野に解き放たれた小沢一郎の「逆襲」

見逃せないのは、亀井静香金融相兼郵政改革相の立ち位置だ。

亀井は鳩山辞任直前まで鳩山を支える姿勢を鮮明にする一方、小沢とも近かった。社民党が連立政権を離脱したいま、亀井が率いる国民新党は連立政権が参院で過半数を維持するうえで、これまで以上に存在に重みを増している。

あるいは亀井を官房長官に起用する選択肢さえあるかもしれない。そうなれば事実上、民主党と国民新党は一体になる。言い換えれば、小鳩政権に変わって「小沢・亀井・菅政権の誕生」である。

今回は幹事長辞任に追い込まれた小沢だが、逆にいえば野に解き放たれたともいえる。水面下に潜った小沢は民主党分裂の可能性も含めて、あらゆる展開を視野に入れ、グループの純化を急ぐだろう。

次の政権は鳩山政権に比べて、社民党を失った分だけ弱体化するのは避けられない。それもまた純化を急ぐ促進剤になる。加えて「政権のたらい回し」批判からも逃れられない。かつての自民党政権に対する批判がブーメランになって戻ってくる。

いずれにせよ7月には参院選を迎える。

鳩山と小沢のダブル辞任によっても、普天間迷走と「政治とカネ」問題のつけは大きく、連立与党が受けたダメージはそう簡単に回復しないだろう。幹事長を辞任する小沢が舞台奥深くに引っ込んで実権を握り続けるなら、二重権力構造が一段とひどくなるだけだ。

鳩山と小沢の辞任で一件落着とはいかない。大政局の幕は開いたばかりである。

(以上、現代ビジネスより転載)