太った中年

日本男児たるもの

小沢派掃討戦

2010-06-06 | weblog

みんなの党と組む連立組み替え - 小沢派に対する掃討戦が始まる

今日(6/6)のフジテレビの政治番組を見ていると、玄葉光一郎が出てきて、「舛添さんとなら一緒にやって行ける」と言い、改革新党と積極的に連立する意向を表明した。菅新政権の政策は舛添要一の主張する方向と同じだと言う。さらに、参院選のマニフェストでは、自民党も踏み込まなかった規制緩和の具体的メニューを並べると胸を張った。玄葉光一郎は、民主党の中でも最も毒々しい狂信的な新自由主義者で、2年前の「小泉勉強会」に前原誠司とともに出席し、小泉純一郎と小池百合子の前で、「自分は今でも小泉・竹中の構造改革路線が正しいと思っている」と信仰告白した男である。反新自由主義に舵を切った小沢執行部に対して、確信犯的に抵抗と造反を続けてきた。昨年の衆院選では、毎日新聞が実施したアンケート調査の中で、「製造業への労働者派遣禁止に賛成か反対か」の質問に、「反対」と回答を返している。この立場は自民党候補者の中には多かったが、民主党候補者ではきわめて例外的で、長島昭久などごく少数だった記憶がある。すなわち、喩えて言えば、嘗ての安保政策における西村真悟と同じほど、社会政策において極端で過激な立ち位置を党内で貫いていたアウトサイダーに他ならない。その新自由主義者の鬼神のような玄葉光一郎が、民主党の政策を取り纏める政調会長の要職に就き、早速、週末のテレビ番組で顔見せ興行を行っている。脱力感と敗北感に襲われ、政治を報じているテレビを見るのが憂鬱でたまらない。

昔、得意満面の小泉純一郎と竹中平蔵をテレビで見るのは、本当に気が滅入って苦痛で辛かった。だから、耐えきれずにSTKの運動まで起こした。そういう時代は終わったと思っていたのに、また元に戻って、テレビの前で神経衰弱になる毎日を送らなければならない。クーデターとはこういうものだ。国民が油断している隙を衝き、一瞬の早業で政治の舞台が転換され、関心の空気が入れ換えられ、新自由主義が政治のメインストリームに定置された。わずか一週間前まで、政治の関心は普天間であり、沖縄問題だったのである。それが今は、「小沢一郎の影響力排除」が主役になり、「新政権の改革政治への期待」が関心の前面に押し出されている。普天間問題は背後に押しのけられ、脇役の一つになってしまった。この政局は普天間問題が原因で始まっている。鳩山由紀夫が辞任を迫られたのは、普天間問題の「5月末決着」が失敗したからだった。国民に嘘をつき、沖縄を裏切り、辺野古移設の日米合意と政府決定を断行したからだった。「政治とカネ」の問題は副菜に過ぎない。しかし、マスコミは、「政治とカネ」の方をクローズアップし、小沢一郎に悪魔表象を被せて袋叩きにし、鳩山由紀夫が普天間の責任をとって辞任した政局を、巧妙に小沢一郎を失墜させ滅殺する政局にスリカエた。同時に、小沢一郎が掲げてきた政策そのものまで全否定するイデオロギー戦に出て、4年前からの民主党の基本政策を覆し、新自由主義を復権させるクーデターを成功させた。

民主党は4年前に戻り、前原体制の政策と人事に復古してしまった。新自由主義の王政復古である。週末から人事のリークと発表があり、内閣は11閣僚が残留する「居抜き人事」となった。外相と防衛相もそのまま留任する。普天間の政治については、辺野古移設の決着へと政治をドライブした責任は、首相の鳩山由紀夫以上に外相の岡田克也と防衛相の北澤俊美と沖縄担当相の前原誠司にあるはずだが、この3人の責任は問われず免責される結果となった。結局、鳩山由紀夫だけが責任をとらされ、内閣と閣僚の責任は放免とされた。果たして、沖縄の人々は、この政治責任の結末に対して納得することができるだろうか。一週間ほど前のテレビ報道で、街を歩く沖縄の市民がテレビのインタビューを受け、「沖縄をバカにして」と吐き捨てるように言う映像を幾度も見たが、これだけ沖縄をバカにした政治というのがあるだろうか。実行力はなかったが、最低限の良心を沖縄に示そうとした鳩山由紀夫が、責めを負わされて厳罰を受け、最初から米国の言いなりで、冷酷非情に沖縄を裏切り続けた岡田克也と前原誠司が、何の咎めも受けないのである。鳩山由紀夫の辞任の理由は、「普天間問題」と「政治とカネ」の二つのはずだった。この一週間の政変は、よく見ると、「政治とカネ」については、小沢一郎から権力を剥奪して責任をとらせる処断になっているが、「普天間問題」については、責任のある者が責任をとらされていない。ここには、「鳩山辞任」の政変劇における巧妙な責任スリカエの詐術がある。

一週間前まで、参院選の争点は普天間問題だった。辺野古移設の是非を問う選挙に持ち込み、日米安保の本質を国民が問い直し、それに審判を与える選挙にできるはずだった。しかし、この政変(クーデター)により、選挙の争点すなわち関心は一気に切り換えられる事態となった。今度の選挙では、「小沢一郎の影響力排除」が争点となり、「消費税の増税」が争点となる。「辺野古移設の是非」は三番目以下の争点となった。来週以降も、玄葉光一郎と枝野幸男がテレビに出て、「小沢一郎の影響力排除」の話を吐きまくる。本当は、「政治とカネ」と言うのなら、企業団体献金の禁止について各党が議論すればいい話だが、それはせず、絶対悪である小沢一郎を攻撃するプロパガンダを延々とテレビで放送するのである。現在、小沢一郎は国民の仇敵であり、北朝鮮の金正日と同じ存在である。マスコミと菅政権の狙いは、小沢一郎個人を悪魔に仕立てて攻撃し、小沢一郎の政治生命を抹殺することだが、それ以上に、小沢一郎が掲げてきた政策全般に対して悪性のレッテルを貼って否定することであり、反新自由主義の政策をも悪だと決めつけることである。反新自由主義の政策を小沢一郎のパッケージで包装して廃棄処分にし、小沢一郎への不支持と菅政権への支持を丸ごと新自由主義政策への支持だとする世論を醸成して既成事実化することである。参院選は小沢一郎を否定するかどうかを問う選挙となる。民主党が勝ち、菅政権が信任された場合は、民意が小沢一郎が掲げてきた政策を否定したという結果だと定義されるだろう。

昨日(6/5)の朝日の1面記事には、新政権が連立の組み替えに出て、みんなの党と連立を組むという予想が載っていた。この記事は、朝日が独自に世論操作のために書いているとも考えられるが、私の推測では、仙谷由人が朝日の記者にそう書けと指示している可能性が高い。これまで、朝日が「民主党幹部によると」とか、「政府閣僚によると」と情報の出所を匿名で示した場合、仙谷由人のリークを撒いた場合が多かった。朝日新聞と仙谷由人の政治路線が同じで、意図と目的が両者一致する仲間だからである。仙谷由人と菅直人は、かなり本腰でみんなの党との連立を構想しているはずで、そのときは国民新党との連立を解消する挙に出るだろう。舛添要一の改革新党との連立を明言するほどだから、みんなの党との連立はさらにハードルが低い。昨年9月の三党合意の中には、「消費税率の据え置き」が第2項目に明文で入っている。この合意文書を破棄すれば、「消費税率の据え置き」の政策拘束から菅政権は自由になれる。すなわち、消費税増税に踏み切るためには、国民新党との連立を解消し、昨年9月の合意文書をご破算にしなくてはいけない。深読みかも知れないが、菅直人が国会会期を延長して、郵政民営化見直し法案の審議の時間を確保したのは、ひょっとしたら、この法案を成立させるためではなく、委員会審議で紛糾させ、そこでマスコミに「郵政民営化見直し」を袋叩きにする宣伝をさせ、悪性表象を押し固め、継続審議にした上で、これをまた参院選の争点にする魂胆かも知れない。つまり選挙前に連立解消に出て、政策転換を宣告するのである。

選挙前に「郵政民営化見直し」に反対の立場に回り、選挙で民意を問い、選挙に勝ったら、民意は「郵政民営化見直し」に反対だと確定するのではないか。無論、そのときは、選挙期間中にみんなの党との政権構想ができている。国民新党は野党の立場で選挙を戦う羽目になる。そういうクーデター第2幕の謀略と奸計が、菅直人と政権幹部の間で策されていても不思議はない。さて、小沢一郎と菅直人の関係だが、私はもはや修復不可能だと考えるし、現在も裏で繋がっているという見方は採らない。「鳩山辞任」までは2人は阿吽の呼吸で繋がっていた。小沢一郎にとって、鳩山由紀夫を引きずり降ろした後に、すぐに菅直人が立候補の声を上げたのは、計算どおりだっただろうし、予定の計画の進行だっただろう。菅直人の裏切りと不意打ちは想定外のハプニングで、小沢一郎の油断と不覚による蹉跌だったとしか言いようがない。この辺りの解説は、また稿をあらためて論じることにする。今日(6/6)のTBSの番組で、田中秀征が、「小沢一郎は猜疑心は強いが人を裏切らない」と分析を示し、今回の小沢叩き一色に染まったファッショ(束)的なマスコミ報道の中で、唯一、小沢一郎に対して好意的と言うか、公平公正な視点で論じるコメントを披露した。この田中秀征の指摘が正鵠を射ているかどうかは判断が難しいが、私も少し共感を覚えるところがあり、菅直人や鳩山由紀夫の方が小沢一郎よりも人が悪い。と言うか、この若い2人は簡単に人を裏切る。田中秀征は、この2人がさきがけの武村正義を裏切った96年9月の「排除の論理」の政変を思い出していたのだろう。さきがけの老幹部は、2人の裏切りで煮え湯を飲まされた。

今、報道で言われている「政調の廃止」の件は、マスコミが言うように小沢一郎の専横と独断で決まったものではない。そこには経緯がある。そもそも、菅直人がロンドンに飛び、英国流の「政策の内閣一元化」を強調したところから問題は始まった。この制度の導入が当を得たものなのか、一般論として簡単に評価はできないが、当時、山口二郎を筆頭とする政治学者や評論家は、菅直人の英国土産の「内閣一元化」の方針を絶賛したはずで、要するに、党政調廃止の理論的根拠を作った責任者は菅直人なのである。そして、実際に小沢一郎が政調廃止に動くに当たっては、何より、先に鳩山由紀夫による菅直人への裏切りと追い落としの事実があり、鳩山由紀夫の裏切りが発端となったトロイカ体制の崩壊があった。トロイカを崩した張本人は鳩山由紀夫で、そこで権力の均衡が不安定になり、ポスト・トロイカの権力闘争が始まったのである。小沢一郎は、ポスト・トロイカをツートップ(二極体制)に移行させて安定させるべく、権力を政府と党の二つに分ける行動に出た。その経過の中で政調の廃止がある。政調を廃止され、身の置きどころを奪われた菅直人は惨めで気の毒だったが、恨むべきは小沢一郎ではなく、官房長官から菅直人を外してトロイカ体制を崩した鳩山由紀夫なのである。さて、ネットの中では、小沢一郎の9月までの雌伏論と再起期待論が盛り上がり、菅直人と小沢一郎は世間の目を騙して、水面下で手を握って権力を操縦していると観測する者が少なくない。6/4夜の小沢一郎の雪辱宣言も、世間を欺くフェイクだとする見方を小沢教徒はしている。私の見方は少し違って、菅直人はこれから小沢一郎の息の根を止めに出ると予想する。

政界引退に追い込む魂胆だろう。具体的に言えば、今度の役員人事と参院選を通じて、小沢派に対する熾烈で凄惨な掃討作戦が敢行される。小沢派に襲いかかり、小沢派の若手議員を寝返らせ、小沢派から離脱させようと動くだろう。枝野幸男を幹事長に据えたのは、小沢派の金庫を押さえ、小沢派を解体し、壊滅させるためだ。菅直人は、小沢一郎を第二の武村正義にする腹だ。

(以上、ブログ世に倦む日日より転載)