太った中年

日本男児たるもの

政治のプロ

2010-06-14 | weblog

政治を知らない「政治のプロ」たち

シルクロードから帰国して見たこの国の新聞、テレビ、雑誌の政治解説は、私の見方とことごとく異なる。私がこの政局を「民主党が参議院選挙に勝つための仕掛けで、将来の政界再編を睨んだ小沢シナリオだ」と見ているのに対し、新聞やテレビに登場する「政治のプロ」たちは「民主党内で反小沢派が権力を握り、小沢氏の政治力が無力化された」と見ている。

私の見方が当たっているか、「政治のプロ」たちの見方が当たっているかはいずれ分かるが、困るのは「みんなで渡れば怖くない」で書いたように、日本の新聞やテレビは間違いを犯しても「みんなが間違えたのだから仕方がない」と何の反省もせずにそのままにする事である。だから何度も誤報を繰り返して国民を惑わす。私は間違えたら反省するし、なぜ間違えたかを分析して次の判断に役立てる。

ところでここで問題にしたいのは政局の見方の当否ではない。「政治のプロ」を自称する人たちの解説の中に、まるで政治を知らない「素人」の議論が多々ある事である。それだけは訂正しておかないと国民に誤った認識を与える。

「政治のプロ」たちは、「権力の中枢を反小沢派が占めた事で小沢氏は無力化された」と見ている。官房長官も幹事長も反小沢派の急先鋒で、財務委員長も反小沢派だから、小沢氏は金も動かせないと解説している。「建前」はそうかもしれない。素人ならそう思う。しかし多少でも政治を知る者は、それが「建前」に過ぎない事は分かっている。総理、官房長官、幹事長のポストに権力がある訳ではない。本人の資質と政治力がなければただの「操り人形」になる。

アメリカのレーガン大統領はアメリカ国民から「父親のような存在」として敬愛されたが、彼が真の権力者であったと思う「プロ」はいない。見事に大統領を演じてみせただけで、シナリオを書いたのは別の人間である。中曽根康弘氏も総理在任中は権力者であったとは言い難い。ひたすら田中角栄氏の考えを忖度し、それに逆らわぬ範囲でしか政治を動かせなかった。そして田中氏が病に倒れた後も金丸幹事長の意向に左右された。中曽根氏が政治的に力を持つのは総理を辞めてからである。

田中角栄氏も実は総理在任中より辞めてから、しかもロッキード事件で刑事被告人となってからの方が強い権力を握った。と言うと素人はすぐ「金の力で」と下衆な判断をするが、金の力だけで権力は握れない。田中氏の力の源泉は人を束ねる力、すなわち「数の力」である。それも「参議院議員の数の力」であった。

私は再三に渡って日本政治の特殊性を論じてきた。その時にも説明したが、日本政治の特性の第一は参議院にある。日本国憲法では衆議院から総理大臣が選ばれ、衆議院が参議院より優位にあると思われるが、実は参議院の方が力は強い。参議院で法案が否決されると再議決には衆議院の三分の二の賛成を要する。与党が三分の二の議席を持つ事は滅多にない。従って法案の帰趨を握るのは参議院である。参議院が協力しなければ法案は1本たりとも成立しない。総理はすぐクビになる。参議院には総理、官房長官、幹事長のクビを飛ばす力がある。

そのため昔から参議院の実力者は陰で「天皇」と呼ばれた。総理より偉いという意味が込められている。戦後の総理在任最長期間を誇る佐藤栄作氏は「参議院を制する者が日本政治を制する」と言った。角栄氏は参議院の多数を束ねた。つまり参議院選挙は衆議院選挙よりも重要なのだ。民主党は去年衆議院で政権交代を果たしたが参議院で単独過半数を得ていない。実は本当の意味での政権交代はまだ終わっていないのである。だから小沢氏は何よりも参議院選挙に力を入れている。

今回の政変で総理、官房長官、幹事長は代わったが、参議院執行部は誰一人として代わっていない。つまり民主党の権力構造は底流で変わっていない。「プロ」ならそう見る。人事権は総理にあるから菅総理は参議院執行部を自分に都合良く代える事は出来た。しかし参議院選挙直前に参議院の人事をいじるのは常識的でない。このシナリオはそこを読んでいる。小沢氏が敷いた参議院選挙のレールも取り外して敷き直す余裕はない。

もう一つ総理、官房長官、幹事長の「寝首」をかく事が出来る重要ポストがある。国対委員長と議院運営委員長で、国会運営の全てを取り仕切る。菅総理は総裁選挙で対立候補となった樽床伸二氏を国対委員長に就けた。思わず「えっ!」と思った。国対委員長と議院運営委員長には腹心を配するのが当然で、敵側の人間を配するのは異例だからである。議院運営委員長はそのまま、国対委員長に小沢グループの支援を受けた樽床氏が就任した事は、これも民主党が変わっていない事を示している。

日本政治の特性の第二は、こちらの方が重要なのだが、権力が国民に与えられていない事である。権力は霞ヶ関とアメリカにあって国民の代表である政治家にない。つまり政権与党に権力はなかった。かつての自民党は霞ヶ関やアメリカと戦う時には野党の社会党と水面下で手を結んで抵抗した。しかしここ20年は自民党が戦う事をやめて霞ヶ関やアメリカの言いなりになった。それが国民の信頼を失わせ、去年の政権交代となった。国民が初めて権力を発揮した。

国民が選んだ政権を潰しにかかってきたのは霞ヶ関とアメリカである。霞ヶ関を代表するのは検察権力で鳩山・小沢両氏の「政治とカネ」を追及し、アメリカは普天間問題で鳩山政権を窮地に陥れた。しかし国民が選んだ政権を潰すか潰さないかは国民が決めるのが民主主義である。検察や外国に潰されたのでは「国民主権」が泣く。この政権の是非は国民に判断させるべきである。そこで民主党は参議院選挙で勝つための条件整備をした。

野党自民党が今度の選挙で民主党を攻撃する材料は三点あった。「政治とカネ」と普天間と民主党の経済政策である。「政治とカネ」では小沢・鳩山両氏が、普天間では鳩山氏がターゲットになり、経済政策では「バラマキで財政が破綻する」と批判される筈だった。自民党はそのために消費税導入を選挙マニフェストに掲げる予定でいた。

それが今回の政変で鳩山・小沢の両氏が辞任し、「政治とカネ」と普天間が攻撃材料になりにくくなった。次に菅政権は「財政健全化」に政策の力点を置いた。さらに将来の消費税導入に積極的な玄蕃氏が政調会長に就いた。これで三点への防御態勢を固めた。自民党の谷垣総裁は民主党の路線転換を「クリンチ作戦」と批判したが、その通りである。しかしそう言って批判しても始まらない。これから選挙までの短い間に違う攻撃ポイントを見つけなければならない。困っているのは自民党である。

選挙の公示まであと1週間余りしかない。もはや選挙戦は事実上の後半戦である。政治を知らない「政治のプロ」たちが解説をすればするほど、また素人にも分かるように「建前」に終始した話をすればするほど、民主党は「変わった」という話になり、参議院選挙は民主党に有利になる。2人擁立が批判されていた2人区で小沢・反小沢がしのぎを削れば2人当選する可能性もある。そして選挙後に「多くの参議院議員を束ねた者が日本政治を制する」のである。

(以上、The Journal 田中良紹の国会探検より転載)