今行きたい所といえば、インドのガンジス河(ガンガー)源流ゴームク(ゴームカ)です。
以前インド旅行をした折に、ゴームク数キロメートル手前まで行き、時間の関係上断念したことがありました。それ故に、インドの暑さを思い出す夏になると、無性に思いが募るときがあります。
(上の写真は断念した付近からのゴームク方面、名峰シヴァリンガの眺めです!)
(ガンガー源流付近の水は石灰質を多く含み白く濁っています。クリックで大きくなります。)
さて、ガンジス河(以降「ガンガー」と記します)には次のようなお話があります。(参考文献「インド神話伝説辞典」菅沼晃編)
もともとガンガーは、ヴィシュヌ神の足の指先から流れ出る、天界を流れる河でした。
昔、アヨーディヤーという国に、サガラという王様がおりました。かの王様は、アシュヴァメーダ祭という王者の証である犠牲祭を行うことにしました。供犠となる馬は、一年間無事に放牧されなければなりませんでした。そこで、サガラ王は、供犠となる馬を6万人の子供達に守らせておりました。
ところが、その子供達が油断している隙に、馬は下界に連れ去られてしまったのです。慌てた子供達が、巨大な穴を掘って下界をのぞいてみたところ、草を食む馬の傍らには、修行に専念していたカピラ仙が見えました。彼らは、カピラ仙を馬盗人と誤解して、武器を手に取るとカピラ仙に打ちかかりました。修行を邪魔されたカピラ仙は腹を立て、神通力で彼らを焼き払ってしまいました。
その遺灰は地中深くに埋もれたままだったので、亡くなった子供達の霊も下界に閉じ込められたまま、浮かばれることがありませんでした。
カピラ仙は、「彼らを供養するためには、天界を流れる河を地上に導き、その水で遺灰を清めなければならない」と語りました。
長い年月が経ちました。
サガラ王の子孫であるバギーラタ王は、自分の先祖の話を聞き、祖霊たちを救うために数千年にわたる厳しい苦行を行いました。その苦行を嘉したブラフマー神は、ガンガーを地上に降下させる許可をバギーラタ王に与えたのです。
しかし、ガンガーが地上に降下したときの衝撃は計り知れず、かえって地上に混乱をもたらすに違いない、ということで、ガンガーを受け止める者として、シヴァ神がそれを引き受けることになりました。(ここがまた面白いところなのですが)そのとき、女神でもある誇り高きガンガーは、「シヴァ神ごときが、私を受け止められるはずがない。目にものを見せてやろう」と考えました。それを知ったシヴァ神は、天界から流れ落ちるガンガーをいったん頭で受け止めると、髪の房の中に閉じ込めてしまったのです。
それを見たバギーラタ王は、また苦行を続けながらシヴァ神に祈りました。
シヴァ神は、その苦行を喜び、やっとガンガーは地上を流れることになったのです。
言うまでもなく、天上の河、ガンガーの流れに清められた子供達の霊は、天界に上ったということです。
シヴァ神の絵で、シヴァ神の頭から噴出している水はガンガーです。
また、ガンガー上流では、ガンガーは、バギーラタ王にちなんで「バギーラティー河」と呼ばれます。バギーラティー河が、急流を流れ落ちる様は、これこそまさに「踊るシヴァ神ナタラジャのよう」(友人言)で見事でした。
(「バギーラティー河」走るバスからの撮影のため、ベストショットが撮れませんでした。)
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<おまけ画像>
友人がインド土産に持ってきてくれた「ガンガーの聖水入りのつぼ」です。
宝物の一つです。
なんと今は「ガンガーの水の缶詰」があるらしいです。
へー八郎さんのブログ「へー八郎ブログ」で知りました。
――――――――――――――
は~てぃ(jagnnatha)さんのブログ「天竺迦羅倶利庵 御休息処」 には、もう一つの先祖供養のお話、仏教行事「お盆」についてのお話が紹介されています。
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当ブログのメインサイト「Hinduism & Vedanta」にも、ぜひお立ち寄りください。
以前インド旅行をした折に、ゴームク数キロメートル手前まで行き、時間の関係上断念したことがありました。それ故に、インドの暑さを思い出す夏になると、無性に思いが募るときがあります。
(上の写真は断念した付近からのゴームク方面、名峰シヴァリンガの眺めです!)
(ガンガー源流付近の水は石灰質を多く含み白く濁っています。クリックで大きくなります。)
さて、ガンジス河(以降「ガンガー」と記します)には次のようなお話があります。(参考文献「インド神話伝説辞典」菅沼晃編)
もともとガンガーは、ヴィシュヌ神の足の指先から流れ出る、天界を流れる河でした。
昔、アヨーディヤーという国に、サガラという王様がおりました。かの王様は、アシュヴァメーダ祭という王者の証である犠牲祭を行うことにしました。供犠となる馬は、一年間無事に放牧されなければなりませんでした。そこで、サガラ王は、供犠となる馬を6万人の子供達に守らせておりました。
ところが、その子供達が油断している隙に、馬は下界に連れ去られてしまったのです。慌てた子供達が、巨大な穴を掘って下界をのぞいてみたところ、草を食む馬の傍らには、修行に専念していたカピラ仙が見えました。彼らは、カピラ仙を馬盗人と誤解して、武器を手に取るとカピラ仙に打ちかかりました。修行を邪魔されたカピラ仙は腹を立て、神通力で彼らを焼き払ってしまいました。
その遺灰は地中深くに埋もれたままだったので、亡くなった子供達の霊も下界に閉じ込められたまま、浮かばれることがありませんでした。
カピラ仙は、「彼らを供養するためには、天界を流れる河を地上に導き、その水で遺灰を清めなければならない」と語りました。
長い年月が経ちました。
サガラ王の子孫であるバギーラタ王は、自分の先祖の話を聞き、祖霊たちを救うために数千年にわたる厳しい苦行を行いました。その苦行を嘉したブラフマー神は、ガンガーを地上に降下させる許可をバギーラタ王に与えたのです。
しかし、ガンガーが地上に降下したときの衝撃は計り知れず、かえって地上に混乱をもたらすに違いない、ということで、ガンガーを受け止める者として、シヴァ神がそれを引き受けることになりました。(ここがまた面白いところなのですが)そのとき、女神でもある誇り高きガンガーは、「シヴァ神ごときが、私を受け止められるはずがない。目にものを見せてやろう」と考えました。それを知ったシヴァ神は、天界から流れ落ちるガンガーをいったん頭で受け止めると、髪の房の中に閉じ込めてしまったのです。
それを見たバギーラタ王は、また苦行を続けながらシヴァ神に祈りました。
シヴァ神は、その苦行を喜び、やっとガンガーは地上を流れることになったのです。
言うまでもなく、天上の河、ガンガーの流れに清められた子供達の霊は、天界に上ったということです。
シヴァ神の絵で、シヴァ神の頭から噴出している水はガンガーです。
また、ガンガー上流では、ガンガーは、バギーラタ王にちなんで「バギーラティー河」と呼ばれます。バギーラティー河が、急流を流れ落ちる様は、これこそまさに「踊るシヴァ神ナタラジャのよう」(友人言)で見事でした。
(「バギーラティー河」走るバスからの撮影のため、ベストショットが撮れませんでした。)
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<おまけ画像>
友人がインド土産に持ってきてくれた「ガンガーの聖水入りのつぼ」です。
宝物の一つです。
なんと今は「ガンガーの水の缶詰」があるらしいです。
へー八郎さんのブログ「へー八郎ブログ」で知りました。
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は~てぃ(jagnnatha)さんのブログ「天竺迦羅倶利庵 御休息処」 には、もう一つの先祖供養のお話、仏教行事「お盆」についてのお話が紹介されています。
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当ブログのメインサイト「Hinduism & Vedanta」にも、ぜひお立ち寄りください。
ガンガーが地上に降下したきっかけは、
地上の水がなくなって人々が困って神様に助け求めた
(おおはしょりの説明ですみません)と神話の本で読んだ記憶があるのですが、それもありですか?
出典が他の話なのでしょうか?
コメントをありがとうございます。
記事本文の「ガンガー降下」のお話は、『ラーマーヤナ』に描かれているもので、『マハーバーラタ』では、同じ内容が微妙に異なって描かれているようです。
「ガンガー降下」等の有名なお話は、様々に描かれていると思うので、は~てぃさんがおっしゃるようなお話もあるのかもしれません。もし、その神話の本に出典が明記されていれば確実ではないでしょうか。
ちなみに『マハーバーラタ』における「ガンガー降下」は、筑摩文庫本(上村勝彦訳)では、3巻目の294ページ以降に訳されています。
また、『ラーマーヤナ』での「ガンガー降下」は、東洋文庫の「ラーマーヤナ1」(岩本裕訳)の117ページ以降に訳されていました。
インドの神話は、整合性に拘らなければ、とても豊かで魅力に満ちた世界ですね。
荘厳ですね~。
ますます行ってみたくなりました。
またおじゃまさせてください。
インドは広いので、いろんな顔を見せてくれると思います。あの写真の場所はインドでもかなり北の方になります。
機会があればインド旅行にぜひチャレンジしてくださいね。