ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ

レバノンを拠点に、アラブ諸国を股にかけた過去を持つベリーダンサーASYA(アシア)の今と昔の奮闘日記

世界難民の日

2014-06-20 14:26:05 | Weblog

今日、6月20日は、世界難民の日だそう。

それより何より、こんな日があること自体が悲しい。

 

難民(refugee)とは、

対外戦争民族紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害飢餓伝染病などの理由によって居住区域(自国)を逃れた、あるいは強制的に追われた人々を指す

(wikipediaより抜粋)

 

世界中には自国を追われて生活しなければいけない難民(refugee)の人が沢山いて、国を出ているか出ていないかで名称が変わるらしいのだけど、(国内)避難民(internally displaced persons)も合わせると、一体何百万人もしくはもっと沢山の人たちが、故郷から離れたところでの生活を強いられているであろうか、考えるだけで胸が痛い。(もちろん幸せな人もいるだろうけど、それでもね。。。)

 

そんな人たちを今一度思おう、そしてそんな人たちが国に戻れるよう、幸せに暮らせるよう世界中で考える日ってことだろうね。

 

もっと詳しく書きたいけど、時間がないのでまた!

今からリハーサルに行ってきます。

 

UNHCR(世界難民高等弁務官事務所)のサイト

http://www.unhcr.or.jp/event/info/

 

wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B0%91


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23 コメント

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【補足:世界難民の日:再#07】 (ルテナン)
2014-11-27 23:59:17
今度は補足・訂正の類はない、と思っていましたが ...。
思わぬところで、「再#07」/【エクソダス】の『Rudaw』の記事について補足です。
読めない!と書いたこの↓記事。

http://rudaw.net/kurmanci/kurdistan/210420136

文字化けするのでここに引用できませんが、このページに不具合が起きていました。
タイトルと本文の間に写真があったのですが ...。
先週末に見たらそれがなくなっていて、ぽっかりブランクになっていました。
いつ頃からなくなっていたのかは分かりません。
少なくとも、10月中は見えていました。

ここにあった写真は、この地点をシリア側から撮ったものです。
対岸の岸辺に積み上げられた、「浮橋」の部材と思われるものが写っていました。
この写真、ご覧になりましたか?

唯一の証拠写真が消えたと思っていましたが、なんと昨夜、写真が復活していました。
現在も見えています。
消えたらそれっきりが多いのに、珍しいこともあるものです。
写真がなかったら、この記事が件の「浮橋」だとは、知りようもなかったところです。

ちょっと分かりにくいのですが、茶色の船体のボートが、中央に写っています。
これは以前からある渡し舟です。
農業用ビニールハウスの骨組みのようなものが、船上に見えます。
悪天候のとき、これに幌を掛けるのか、あるいは単に乗客の転落防止か。
たぶんそんなところでしょう。
大袈裟に「補足」といっても、以上です。(^。^;
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【世界難民の日:再#08】 (ルテナン)
2014-11-17 02:31:28
あとひと息というところで、再び挫折。
ようやく最後の一文です。

【その後】
CNN のワトソン君、なかなか良い仕事をしていると思います。
シンジャール山、及びドゥホーク県内の難民のレポートは数々ありますが、意図して連続性を
持たせたレポートは、知る限りではこれ↓だけです。

『After the rescue: A Yazidi family's harrowing flight to escape ISIS』
http://edition.cnn.com/2014/08/13/world/meast/iraq-after-isis-escape/index.html

この取材地、ザホー(Zakho)は最北の国境の町。
ここはとても寒いです。
というか、寒かった記憶ばかり。
スキー場がやれるほどの積雪はなく、それが却って殺風景で、寒々とします。
濡れるので、霙が雪より冷たく感じられ、路面が凍結することもしばしば。
夏、酷暑の地へ行き、冬、最北の町へ行く。
往々にしてプロジェクトのスケジュールなんぞ、そんなもの。
どうして冬は南部、夏は北部と考えないのか?
いったい何を考えていたんだか ...。(´_`)

ニュータウンのような、大規模難民キャンプが造成されているようですが、
きっと足りていないでしょう。
それに、テントでここの冬を越すというのは、ちょっと厳しいものがあります。
それでも、ワトソン君の言うとおり、アジーザの一家はきわめて幸運なのでしょう。
生きて逃れることができたのは自分だけ、という例も少なくないようですから。

いったい、誰が、いつ、どこで、どうなったのか?
誰に責任があるのか?
すべて明らかにされる日は来るのでしょうか?
見通しは暗いと言わざるを得ません。
明らかにはなっていない惨事は、すでに多数この地域に積み重なっています。
そして今後も降り積もっていく気配です。

それでも変化は確実にあって、希望もなくはないのだと思います。
「歴史は繰り返す」とはよく聞く言葉ですが、まったく同じことは起きないのだと思います。
メディアはどうしても、センセーショナルな内容に偏りがちです。
しかし、似ていても何かが違っていて、悪くなるばかりではなく、進歩もある。
大きな代償を伴ったとしても ...。
いつか行けなかった場所に観光に行く、というのはあり得ないことではないと思っています。
ぜひそうなって欲しいものです。
返信する
【世界難民の日:再#07】 (ルテナン)
2014-11-07 02:31:13
【エクソダス】
やはり欧米のメディアは、こういう光景を「出エジプト記」に例えたくなるようです。

『Neighbors joined ISIS slaughter, Yazidi says』
http://edition.cnn.com/2014/08/13/world/meast/iraq-mountain-yazidi-refugees/index.html

8月17日付け、場所はシリア、イラク、トルコ、3国の国境が交わる地点の近く。
Faysh Khabur, Iraq (CNN) とありますが、「Faysh Khabur」はビデオに映っている渡河点の、
イラク側にあるチグリス河畔の小さな町。
そこに、ワトソン君再び登場です。

この渡河点に、避難民が本格的に到着し始めたのは、14日の午後からとのこと。
12日に下山が可能になったとして、足掛け3日。
入山時に車は捨てているでしょうから、ほとんどが徒歩なわけで、聖書文学に例えて
いられるような状況ではなかったでしょう。
ビデオは見てのとおり、記事は読んでのとおりなので、付け加えることはありません。
が、一点だけ。

記事の中に、
「One flight crashed Tuesday, killing the pilot and injuring some others on board.」
とあります。
ここでいう火曜日は、8月12日のこと。
シンジャール山で補給と救出に当たっていたヘリコプターの離陸時に、事故が起きました。
パイロット1名死亡、何人か負傷、で終わっていますが、この機体には New York Times
の記者が同乗しており、やはり負傷しています。
なので、New York Times は、もう少し詳しく伝えています。
それによると、この機体にはあの Vian Dakhil 議員も乗っていて、脚を骨折したとのこと。
例の Actu Kurde がYouTube に上げている動画の中に、事故直後の様子もあります。
文字化けするので、動画URLのみ貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=Z2RCQ3xhMdk

墜落事故としては小さかったのが、不幸中の幸いです。
議員の仕事は議会に出ていること。
数少ない代表者の身の上で、「危険を冒すことないじゃないか」と思うのですが、
どうしても行きたかったということでしょうか。
それにしても、悪いときには悪いことが重なるものです。
でも、心配は無用のようです。
約一ヵ月後、彼女はブリュッセルで会議に出席、万雷の拍手で迎えられていました。

再びトレビア。(^_^)
ビデオの中で、「You know ?」と問われて、ワトソン君が若干頼りな気に「Yes」と
応えています。
試験に出るわけではないけど ...、と以前書いたDAIISH(ダァイッシュ)です。
DAAESH(ダァエッシュ)と書かれることもあり、「I」を当てるか、「E」を当てるかは、
Erbil と Irbil のように、微妙なところなのでしょう。
どちらも当たっているように思えます。

トレビア、その2。
ここに映っている橋。
川の中にしっかり脚を下ろした、見慣れた橋とは異なります。
筏などの“浮き”を連結して板を渡した「浮橋」、あるいは舟を並べて同様に板を渡した
「舟橋」の、現代版のように見えます。
同方式の恒久的な橋がないわけではないようですが、水量の変化が大きければ、
永続的な使用は難しいのではないかと思われます。
一方で、構造が簡単なので、短期間で設置できそうです。

橋の発祥の地はどこか?というのは、おそらく愚問です。
伐り倒した木を渡しただけの丸木橋から、峡谷を渡る吊橋まで、天然の障壁を
越える工夫は、古来より世界各地で行われ、発展してきたと思われるので、
「この種の橋はこの地方特有」などということは言えないと思います。
ですが、このビデオを見ていて、ユーフラテス河畔で見た珍しいものを思い出しました。

遡って、シリアとの国境まで50kmほどの地点。
このあたりまで来ると、平坦だった地形も起伏が多くなり、標高も上がってきて、
川が大地を切り込んで流れる場所も増えてきます。
車が走る道には、狭いとはいえ現代の橋が架けられています。
その橋と平行して「浮橋」が架けられていました。
膨らませた革袋を大量に連結して、その上に板を敷き詰めた浮橋は、
ほぼ水面と同じ高さにあるので、車からは全体が見渡せます。
見るだけなら、一種牧歌的で鄙びた風景ですが、「浮橋」という言葉から連想する、
日本の中世文学の典雅な雰囲気とは、まるで違う代物であることはたしかです。
ちなみに、翌年同じ場所を通ったときには、PETボトルのお化けのような樹脂製の
フロートが、革袋に取って代わっていました。(^。^)

この浮橋の使われ方、あるいは現代の橋があるのに、どうしてこれが使われるのか?
などについて書けば、面白いかもしれません。
しかし、書くとそれで終わってしまう、というより終わり切れない気がします。
残念ですが、またの機会にして、再びビデオに登場した「浮橋」の話。

この国境を跨ぐ橋は、いつ架けられたのでしょう?
今回の事態を受けて、急遽クルド自治政府が架橋したのでしょうか?
であれば、たいした機動力です。
それをもって、自治政府の対応能力も推し量れようというものです。
なので、この橋がいつ、どういう理由で架けられたのかは気になります。
気になるものの、これがなかなか分かりませんでした。
ようやくそれらしい記事↓に辿り着きましたが、今度はそれが読めません。

http://rudaw.net/kurmanci/kurdistan/210420136

でも、じっと見ていると、時期と金額だけは分かりました。
2013年の4月~5月、自治政府によって架橋され、費用は$200万だったようです。
本格的な橋梁なら、2億円程度ではとても無理だったでしょう。

昨年の夏、シリアからクルディスタンに入る難民が、突発的に急増したことがあります。
UNHCRが、「人が川の流れのように」とコメントしていました。
きっとこの橋も渡ったのではないでしょうか。
難民の役に立ったこの橋ですが、それが本来の目的だったのでしょうか?
この突発的急増が予想されていたとは思えません。
難民の需要も、経済的な需要も、日常的に存在していたからでしょうか?
相変わらず読めないままなので、架橋された理由も分からないままです。(^_^;
返信する
【世界難民の日:再#06】 (ルテナン)
2014-11-03 23:06:42
トレビアは続くよ ...、ってことで、手早く。(^_^)
私も年の瀬が気になりますもので。

【議会中継】
前出の、
CNN 8/6 『Iraqi Yazidi lawmaker: 'Hundreds of my people are being slaughtered'』と、
CNN 8/8 『Who are the Yazidis?』に登場した女性議員の演説。
ニュースなので、当然のことながら一部しか流れません。
自前の記事よりは、他のメディアの素材を引っ張ってきて記事を構成するのが主流の
ニュースサイトがあります。
そのページのビデオは、YouTube の動画をまるまる埋め込んだものでした。
元の動画は、アカウント名『Eretz Zen』の、
『Iraqi Yazidi MP Breaks Down in Parliament: ISIL is Exterminating my People』、
2014/08/05、再生時間 02:23 です。
演説の最後まで収録されていますが、冒頭が欠けていました。
この動画、いち早く上がったと見えて、同種の動画ではダントツの再生回数。
大手メディアにも引用され、検索しても常に上位に出てきます。
しかし、欠けている部分が気になりませんか?

しばらく探し回って、全部を収録している動画↓を見つけました。

『Iraqi MP Breaks Down in Tears Pleading Parliament to Save Yazidis from Genocide』
http://www.youtube.com/watch?v=2Qvqezt7jiY
アカウント名『MEMRITVVideos』、2014/08/07、再生時間 03:05。

まさに声、涙とともに落ちる、名演説。
いまだに貰い泣きしそうになります。
これを見聞きして、平静でいられる人は少ないでしょう。
欠けていた部分が、たとえ決まり文句の挨拶だったとしても、全部聞けるほうがいいですよね。

MEMRI は「Middle East Media Research Institute(中東報道研究機関)」の略。
ユダヤ(イスラエル)系の機関ということで、アラブやイスラムに関する扱い方に論議のある
組織ですが、これについては偏向の余地はないのではないかと思います。
この動画から、女性議員の名が Vian Dakhil であること、演説当日が8月5日であることが
分かります。
ビアン・ダヒール、順当にはそう読むべきでしょう。
でも、Fiyan Dakheel という表記も見かけます。
フィアンでしょうか?
Vian Dakhil という名を、西欧風に姓と名で解釈するのは、おそらく誤りでしょう。
ですが、インタビュー動画などを見ても、「Mes. Dakhil」と呼び掛けているものしかなく、
本人が自ら名乗っている動画も見当たらないので、真相は不明です。
「Fiyan」という表記が現れる理由に、「ひょっとしたら」と思うものがあるのですが、
当て推量の域を出ませんので、書くのは止めておきます。

この演説。
今日、日本のみならず、議会制民主主義の先進国を標榜する国で、このようなものに
出会うことがあるでしょうか?
たいていは落としどころの決まっている、儀礼的なやりとり。
でなければ、重箱の隅を突くような不毛な論議。
ですが、わが国の国政の場で、このような演説が想像もできないことを、
私は喜ばしく思います。
国の力が弱い、統治力が弱い、国民を守る力がない、というのは悲惨なことです。
暴君の独裁者を戴くことも悲劇なら、国の形が崩れてしまうこともまた悲劇です。
平和ボケと揶揄されようと、退屈極まりない議会中継が続くのは、幸せなことです。
でも、平和ボケは結果であって、平和ボケだから安寧が守れているのではありません。
我々はそんなふうに、この演説から教訓を汲み取るべきだと思います。

この演説は、翌日には世界中に伝播していました。
そしてその翌日、8月7日には「アメリカが助けに行く!」と、合衆国大統領がカッコよく
空爆開始を宣言しました。
決断する大統領の背中の最後の一押しは、この演説だったのではないか。
私はそんなふうに感じます。
大統領も助かったのではないでしょうか?
空爆が開始されても、ロシアも中国もほとんど何も言いませんでした。
世界のどこからも、クレームはないに等しかったのです。
Vian はこれで歴史に名を残したと思います。
8月8日には、早くも英語版ウィキペディアに彼女のページが作られました。
10月上旬には、アンナ・ポリトコフスカヤ賞を受賞したとのことです。
アンナ・ステパノーフナ・ポリトコフスカヤ(Anna Stepanovna Politkovskaya)は、
2006年に暗殺されたロシアの女性ジャーナリスト。
暗殺事件は記憶にありますが、そんな賞があったとは、私は今回初めて知りました。

それにしても、集団的自衛権で大きな声を上げていた人達から、ほとんど発言が
なかったのはどうしたことでしょう。
すぐにでも、「戦争が始まる」「アメリカの戦争に駆り出される」、と言っていたのに。
閣議決定以来、初めてアメリカが武力行使したというのに。
所詮は他人事、遠い国の話で、ほとんど実感が湧かないから?
いかに現実から遊離した前提で語っていたか、が顕わになるから?
あるいは、集団的自衛権の条件からして、日本が関与する余地なし、と高をくくっていた?
たしかにそのとおり。
日本の領土にも、日本人の生命、財産にも、差し迫った危険はありませんから、日本が
軍事的行動を取らねばならない理由は、何もありません。
しかし、こういうときに「もっと事態が拡大したら?」とか、「こういう方向へ進んだら?」とか、
「そのときどうする?」を議論しておかなければならないと思います。
中東やウクライナで起きていることは、本質的には日本の周辺でも起き得ることです。

...と、ここまで。
政治的な要素に言及するのはこのくらいにして、以下は再びトレビアです。

この動画を見ていると、議場に意外にも多くの女性議員が見えます。
長く戦乱が続いて、男が減ってしまった結果でしょうか?

彼女が演説の中で、イラクという国を構成する社会的集団を、列挙しています。
全部を網羅するのが目的ではないので、もれている集団もありますが、興味深いです。
「シーア」「スンナ」はいいとして、「トゥルクマーン」「シャバック」とは何でしょう?
現地で過ごした間に、私はこれらの名称を耳にしたことがありません。
仕事に追われていたので、機会がなければそれっきり。
それだけのことなんですが、それと知らずに接触したことがあったかもしれません。
今となっては知りようもありませんが ...。

この演説に対し、抗議を表明すると思われる声や、ヤジが聞こえています。
自分達が非難されていると感じる、スンナ派の議員でしょうか?
この国が内部に抱える深刻な対立が、こんなところに現れているように思います。
「挙国一致」と、いくらアメリカに説教されても、そうなれない現実が。
返信する
【補足:世界難民の日:再#05】 (ルテナン)
2014-11-03 16:02:45
度々の文字化け訂正です。(^_^;
アップする前に気が付くべきでした。
CNN が借用した元の YouTube 動画を記述した部分。
動画タイトルとアカウントが分かっていれば、興味のある人は簡単に検索できると思ったのですが、
トルコ語とよく似た字を使った、タイトルの文字列(たぶんクルド語)が化けました。
せっかくですから、動画URLに置き換えて書いておきます。

CNN 8/8『Who are the Yazidis?』の元は、
https://www.youtube.com/watch?v=Lg1eguC_Pvw
2014/08/06、再生時間 10:56。

CNN 8/12『Dehydration or massacre: ・・・・・・・』の元は、
https://www.youtube.com/watch?v=LJLlOugS9kM
2014/08/06、再生時間 09:47。

この Actu Kurde がアップしている ANF の動画、Rudaw のような英語字幕はありません。
レポーターが登場する動画も、聞こえてくるのは理解できない言語ばかり。
あらかじめ概要が分かっていて見ないと、何のことやら分かりませんよね。(´_`)

もう一点補足。
CNN のビデオは本編前が始まる前に、ちょくちょくCMが入ります。
リンクで跳んだ直後に、およそ見当違いのモノが始まっても、しばらくご辛抱を。(^。^)
返信する
世界難民の日:再#05 (ルテナン)
2014-11-02 17:28:41
不覚にも3週連続で挫折してしまいました。
10月も終ってしまって面目ない限り。
年の瀬、慌しくなる前になんとか ...。(´_`)

【レスキュー】
シンジャール山上の難民救出目的の空爆は、8月9日から開始されましたが、
それに先立って、救援物資の投下が始まりました。
イラク軍はヘリコプターで、米・英は大型輸送機を使って夜間にも投下。
さらに、YPG(シリアのクルド人自衛組織)が進出して、避難回廊を確保。
この避難回廊、シンジャール山から一旦シリア領に越境し、国境と並行に北東へ。
シリア、イラク、トルコ、3国の国境が接するあたりでチグリス川を渡河して再び越境。
ドゥホーク県へ入る、というルートだったようです。
...と、8月12日時点でこれら諸々報じる CNN の記事が↓これです。
少しばかり細切れで雑多な印象ですが、この時点の概観としては悪くないです。

『Dehydration or massacre: Thousands caught in ISIS chokehold』
http://edition.cnn.com/2014/08/10/world/meast/iraq-isis-sinjar/index.html

前々回引用の8/6付け
『Iraqi Yazidi lawmaker: 'Hundreds of my people are being slaughtered'』
および、前回引用の8/8付け
『Who are the Yazidis?』
に登場する、イラクの女性議員が訴える「惨状」が映し出されています。
「5万人」とか、「最大3万人」とか、あるいは「数万人」と言われていた、シンジャール山で
立ち往生していた避難民は、8月12日以降まとまって脱出する道が開けたようです。
地元と、政府と、国際社会の連携で、悲劇の拡大が阻止された形です。

...と、こう書くとどこからか、
「絶滅危惧種のような少数者だから注目され、手が差し伸べられるのか?」
「圧倒的多数だから、アラブ人でイスラム教徒ならお構いなしかい?」とか、
「イスラム教徒だって苦しんでる!」
「こんなことが、シリアでは何年も続いているというのに!」とか、
やっかむ声が聞こえてきそうです。
たしかに、そのとおり。
で、アメリカは、自分が蒔いた種を刈り取ろうと ...。
が、刈り取ろうにも上手くいかず、そそくさと店仕舞いして出ていこうにも、否応なく
シリアに踏み込むハメになり。
と、アメリカもまた立ち往生しているように見えるのは、皮肉な話です。

さて、ここからはトレビア。
前回、「もう一点、疑問を感じる」と書いた部分。
やたらと日付に拘っていたも、それに関係があります。
シンジャール山中に避難したヤジディ教徒の様子を伝えるビデオ。
これは、誰が、いつ撮影したのでしょう?
8月3日のうちにクルド自治区まで辿り着いた避難民のうちの誰か?
シンジャール山中に包囲されている間に、誰かがスマホで撮影して、発信した?
物資投下後の、空荷になったヘリコプターで救出された、一握りの避難民が持っていた?
IS の包囲が破られ、下山できるようになった後に、メディアに提供された?
「それがそんなに大事?」と揶揄されそうですが、私はそういうことが無視できないのです。
日常、おろそかにすること少なくない私ですが、「大事は細部に宿る」と考えています。
それに、「事の経緯は如何なるものだったか?」は、それほど小事でもないと思います。

シンジャール山に入ったのでは、8月3日のうちにドゥホーク県に到着するのは無理と
思われるので、これはないでしょう。
山の上は電波状態が悪く、通話できることもあれば、できないこともあって当たり前。
動画を送信できるほど、安定した電波環境があったとは思えませんので、山中から発信
された可能性は少ないと思います。
ヘリコプターと空爆開始後は、時期としては可能性ありですが、映像の質というの点では、
疑問が残ります。
元の画質がかなり良いと思われること。
カメラのぶれが少なく、感情を抑えた職業意識のようなものが感じられること。
スマホの素人ビデオとは思えないものがあります。

今回引用した CNN のビデオより前、前回引用した8/8付け『Who are the Yazidis?』に、
すでにシンジャール山中の様子が挿入されています。
その画面の右上には、オレンジ色の文字で『ANF』というクレジットが見えます。
さらに、『YouTube.com | Actu Kurde』という白い文字がかぶっています。
ANF というのは何でしょう?
どうやら、アムステルダムに本拠を置く、トルコの PKK が母体の、クルド系ニュース
エイジェンシーのようです。
さっそく公式サイトに行ってみましたが、英語を選択するとめっきりコンテンツが減少。
CNN が引用したビデオも見当たりませんし、他の二言語は読めません。
では、Actu Kurde はどうかというと、これが ANF の公式アカウントとは思えないのですが、
CNN が引用した映像も含めて、ANF の動画を多数 YouTube にアップしています。

CNN 8/8『Who are the Yazidis?』では、
8/6付け『Şengal Dağı'nda insanlık trajedisi』から。
今回の CNN 8/12『Dehydration or massacre: ・・・・・・・』では、
8/9付け『Şengal Dağları'nda insanlık dramı: Yeni görüntüler』からの映像が借用
されています。
遅くとも8月6日以前に、メディアがシンジャール山に入っていたということになります。
おそらくYPGの部隊と一緒に。
前線は不確実で、安全な場所も危険な場所も、常に流動的。
どこで戦闘が始まるか分からない状況の中、よく行ったものだと思います。

その後のシンジャール山はどうなったのでしょう?
山も、町も人影が絶えて、空になったのでしょうか?
米特殊部隊が8月14日ごろ山に入り、現地調査した結果では、「残っているのは数千人」
とのことでした。
残った理由は様々あるでしょう。
早期に状況が好転して、家に戻れることを期待して、とか。
まだ、避難路は確保されているのでしょうか?
9月には世間の関心がシリアに移ったので、「その後」がよく分かりません。
前出の女性議員が、「まだ7万人残っている」と言ったとか。
元記事が見当たらないので断定できませんが、転記ミスで一桁違ってる気がします。
いずれにしても、少なくない人数が、現在も山で「篭城」しているのでしょう。

今回引用した CNN の記事の中段に、その一部が CNN のビデオに挿入された、
YouTube 動画が埋め込まれています。
動画タイトルは『Rudaw Exclusive: Helicopter Carrying Aid Reaches Mount Shingal』。
アカウントは『Rudaw Kurdish』。
公式サイトを見ると、Rudaw はクルディスタンの、衛星チャンネルも持っている報道機関
であることが分かります。
英語化も充実していると思いますが、ビデオは YouTube に上げて、公式サイトでもリンクを
埋め込む、という手法を取っています。
なので、Rudaw がネット配信するビデオは全部 YuoTube にある、と見てよさそうです。
ヘリコプターによる補給と救出の様子、「救援ヘリ同乗記」といったところで、8月8日付け。
空爆開始直前か、その当日でしょう。

この「同乗記」、他の大手メディアもやっていて、もちろん CNN もやっています。
同乗したのは、引用した『Dehydration or massacre: ・・・・・・・』のナレーションをやっている
アイバン・ワトソンという記者。

『Terrifying moments after Yazidi rescue』
http://edition.cnn.com/video/data/2.0/video/world/2014/08/11/watson-yazidi-survivors-mount-sinjar.cnn.html

テキストとセットのページが見当たらなかったので、8月11日付けのビデオ配信です。
短過ぎず、長過ぎず、テンポよく切り替わる編集が、他のメディアに勝っています。
.....と、このへんで一区切りして、間延びしないうちに次へいくことにします。
返信する
世界難民の日:再#04 (ルテナン)
2014-10-05 17:38:01
【ツァラトゥストラ】
8月、一気に有名になった「ヤジディ」。
これはいったいどういう存在なのでしょうか?
「教徒」であって、「ヤジディ族」や「ヤジディ人」じゃないんだよな ...。
メディアでは少数ながら「ヤジディ派」などという表記も見かけます。
「派」というからには、他に最低でも一派あって、併せて「○○教」でないと辻褄が合いません。
スンニ派、シーア派ともにイスラム教であるように。
さらに、ヤジディ教徒が信仰しているのはヤジディ教?
彼らも自らの宗教をそう呼ぶ?それとも、別の名称が?
...と、分からないことだらけです。

試しに Amazon で、思いつく限りの「Yazidi」のカタカナ表記をキーワードに、検索してみても、
収穫はありません。
タイトルに「Yazidi」が入った和文の書籍はないのだろうと思います。

馴染みがないのは日本人だけではないとみえて、CNN にもこんな↓のが。

『Iraq's Yazidis trapped, hiding from ISIS in the mountains』
http://edition.cnn.com/2014/08/08/world/meast/iraq-yazidi-people/index.html

あるいは、↓こういうの。

『Who are the Yazidis?』
http://outfront.blogs.cnn.com/2014/08/08/who-are-the-yazidis/

2件とも8月8日付け。
CNN の動画は複数の記事とセットで使われることもあるので、必ずしもテキストと動画が
リンクしているわけではありません。
でも、動画を見るだけでも、概要は把握できるでしょう。

シンジャールがヤジディ教徒の町だと知ったのは、ここ十年以内のこと。
現地をウロウロしていたときには、まったく知りませんでした。
町へ着いたらすぐ仕事場、今日こそ「片付けて、バクダッドに帰るぞ」と思いつつも、
手こずってはモスル泊まり、みたいなことを繰り返していて、町で何度も食事しているはず
なのに、ほとんど何も覚えていません。
要するに、何も尋ねなかったから、何も分からなかったのですね。

私がヤジディを知ったのは、モスル北方、もう少しでドゥホーク県境という山の中。
プロジェクト発注元の公社の現地職員が、「行くなら便乗させて」と言うので
同行したときのこと。
なにやら「買いたいものがある」とか。
アイン・シフニという町の近くの谷で、車を降りて斜面を登っていきました。
けっこうな高さに、斜面にへばりつくような小屋が一軒。
関取のような体格で、同年代のアラブ男の平均より太っている彼は、息を切らせながら
登っていて、いつの間にか私が先に到着。
「ここは?」と問うと、
「はぁ、はっ、ヤジ ..、はぁ、ヤジディだ!」と、左の掌に右の人差し指で何かのサインを
描くようなしぐさ。
「コルディ(クルド人)か?」
「うん、でも彼らの神は神じゃないんだ」みたいな返事。
よく分からないながらも、「へぇ~、そんながいるのか ..」と少々感銘を受けた、
というのが最初です。
そこで何を買ったかは、長くなるので割愛。
昔話もほどほどにして、先へ行きましょう。

『ヤジディとは?』という情報が急に増えましたが、彼らの宗教についてほぼ共通しているのは、
「ゾロアスター教の系譜を引き、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教(スーフィズム)の影響を受けた」
という解説です。
記事によっては、「グノーシス派」「ヒンズー教」「ミトラ教」等の影響に言及するものもあり、
それだけを聞くと、古代オリエント宗教の総合デパート的なシンクレティズム宗教=マニ教を
連想したりもします。
人についても、ナショナルジオグラフィックなどは、「少なくとも6,700年の歴史を持つ」とか、
「カースト制」や「輪廻転生思想」を挙げて、「紀元前二千年紀のインドにルーツがある」とか、
「現在の形は12世紀に成立した」とか、書いています。
「6,700年前なら、シュメル人しかいなかったんじゃないか?!」とか、
「紀元前二千年紀なら、ヒンズー教じゃなくてバラモン教だろ?!」とか、
いろいろツッコミたくなるのですが、いずれも明確な根拠が示されておらず、「という説がある」とか、
「と云われている」的なレベルに留まっています。
それほどに分からないことが多く、研究も進んでいないということでしょう。

そもそも、オリジンとされているゾロアスター教というのが、よく分かりません。
ゾロアスター教徒はイスラム化したペルシャを逃れ、インドに最大の集住地があるものの、
全世界でも十万人ほど。
減ることはあっても増える見込みはないのだとか。
我々日本人には、なんとも縁遠い存在です。
実態的には縁遠いのですが、断片的にはそうでもないです。
個人的には、戦前にインドから神戸に移住したゾロアスター教徒を題材にした小説を読んだ
ことがあるぐらいですが、どうやらこれは実在するようです。

より多くの人が知る話としては、日本の自動車メーカー「マツダ」、英字表記は「MAZDA」。
これが、創業者の「松田」と、ゾロアスター教の最高神「アウラ・マズダ」から取られたというのは
有名な逸話です。
原語のラテン字転写の英語読みは「ゾロアスター」ですが、ドイツ語読みは「ツァラトゥストラ」。
「ツァラトゥストラ」と来れば、『2001年宇宙の旅』。
20世紀の映画をジャンル別で一作だけ選ぶとすれば、SF映画ではこれを置いてほかになし。
スタンリー・キューブリック監督作品『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』の冒頭と
最後には、劇的な音楽が使われています。
これはリヒャルト・シュトラウスが19世紀末に作曲した交響詩、
『ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)』のオープニング部分です。
この交響詩は、同じく19世紀ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの同名の著作に触発され、
シュトラウスが作曲したもの。
著作のほうは、ニーチェ晩年の代表作とされています。

ニーチェはゾロアスター教の開祖を題材にしただけで、思想的な関連は何もありません。
なにせ「神は死んだ、超人の時代だ!」というニーチェですから。
にもかかわらず、人は自身の持つイメージに支配されるので、珍妙なことが起こります。
「ゾロアスター教」と聞くと、視覚的には宇宙空間と高度なテクノロジーのイメージ。
聴覚的には、交響詩導入部の劇的な印象が甦るのです。
実際のところ、この交響詩は映画のおかげで、人々の記憶から消え失せずにいます。
しかし、「ビールとおんなじ、グッと来るのは最初だけ」とは、クラシック音楽に詳しい旧知の言。
その他は退屈極まりないそうで、私も通して聴いたことはありません。(笑)
さらに、元になった同名のニーチェの著作に至っては、哲学がますます流行らない学問に
なっていますから、もちろん私は通読していません。
知っているのは書籍の紹介文程度のことです。(爆)
けっきょく、映画→交響詩→著作→古代宗教と、イメージが投射されてしまっているのです。
これらのイメージを差し引くと、ほとんど何も残りません。

いかに「分からないものか」という話が長くなりました。
ここで CNN の情報についての疑問符。
上記『Who are the Yazidis?』の中で、
「イラクの総人口の99%はムスリム」、「キリスト教徒は0.8%」、
「ヤジディは最少のマイノリティで、わずか50万人」、という統計的なデータが出てきます。
「99%」はよいとして、キリスト教徒は0.8%というのが少し変です。
イラクの総人口は、多めの数値でも3,500万人。
そうすると、キリスト教徒は28万人ということになってしまいます。
かつて100万人以上とされ、20世紀後半以降減少が続いて、今では半減とのことですが、
これではちょっと少なすぎる気がします。
また、50万人のヤジディ教徒が「最少」ではなくなってしまいます。
ヤジディ教徒が最少で、「キリスト教徒も同程度まで減ったのだ」とすると、総人口が
6,000万人以上でないと、0.8%になりません。
いくら何でも、それはないでしょう。
とすれば、圧倒的多数であっても、99%というのまで怪しくなってきます。

信頼に足る国勢調査が定期的に実施できている国は、世界でも一握りです。
データが古かったり、不完全だったり、政治的な意図で改竄されたりは、よくある話です。
なので、断片を持ち寄ると、こんなことになるのかもしれません。
しかし、アメリカは10年もイラクにいたのに、調査できていなかったとは、ちょっと不思議です。
CIA がサボっていたんでしょうか?(笑)
いずれにしても、CNN は「伝える」プロであって、集計し分析するプロでないことは明らかな
ようです。

もう一点、疑問を感じる部分があるのですが、それはまた後ほど。
今回は、余談のオンパレードでした。(^_^;
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世界難民の日:再#03 (ルテナン)
2014-09-29 00:49:01
【ペシュメルガ】
これ↓が、何が起きているのか?と、注視するきっかけになった一報。

『Iraqi Yazidi lawmaker: 'Hundreds of my people are being slaughtered'』
http://edition.cnn.com/2014/08/06/world/meast/iraq-crisis-minority-persecution/index.html

これは8月6日付け。
それより先、8月3日にはシンジャールが襲われ、その日のうちに続々と避難民が
ドゥホーク県に到着。
そして、このニュースが流れた8月6日には、モスルとクルド自治区の間の町、およびモスル・ダム
への侵攻が始まっていました。
先に防備の脆弱な町を襲い、大々的に恐怖を撒き散らしておく。
シンジャールでの蛮行もさることながら、この辺に悪魔的狡猾さを感じます。

クルド自治政府の事実上の軍隊ペシュメルガ(Peshmerga)が、逃亡したイラク軍や警察に代わり
治安維持に当たっていたはずですが、どうしたのでしょう?
ペシュメルガは IS が迫ると撤収したのだとか。
カラコーシュでは、突然ペシュメルガが撤収するので、住民はその後を追って一斉に避難したと
伝えられています。
情けない話ですが、彼我の戦力差に慌てて撤退、というところのようです。
自治政府といえども、独立できるほどの戦力は誰も与えてこなかったので、致し方ない
かもしれません。

イラン・イラク・シリア・トルコと、居住地がまたがっていて、国ごとに組織も違えば事情も違う。
イラクでは自治を獲得していますが、トルコではテロ指定される反政府組織。
しかも、国単位で一体というわけでもなく、党派がある。
一枚岩とはいえず、とても理想の IS 対抗勢力ではないのですが、今は支援するしかない。
と、欧米は軍事援助に乗り出しました。
クルド自治区が IS の手に落ちれば、イラクが加速度的に崩壊し、シリア情勢も激変するからです。

6月以降、合衆国政府が偵察を怠っていたとは思えないので、もちろん8月3日の事態は
知っていたと思います。
しかし、動いたのはこのニュースと同日にモスル・ダムが占拠され、クルド自治区、とりわけ
エルビルに IS が迫ってからです。
時系列では、
8月3日:シンジャール襲撃。
8月6日:モスル・ダム陥落、IS エルビルに迫る。
8月7日:対 IS 空爆宣言。
8月8日:空爆開始。
なんだか、エルビルが危なくなったから、動いたように見えます。
「いや、どうするか考えてたんだよ、重大な方針転換だから」ということもあるかもしれません。

実際に、オバマ大統領は、
「モスル・ダムの破壊等による甚大な被害の可能性」
「エルビルの合衆国施設、および政府関係者、企業等のアメリカ人に危害が及ぶ可能性」
「ヤジディ教徒等マイノリティへの迫害という人道上の危機」
を挙げて、空爆開始を宣言しています。
貰ったノーベル平和賞が可愛いのか、シリア、クリミア、ウクライナと、ズルズルと動かなかった
のですから、決定的な一歩を踏み出すに当たって「あれもある、これもある」と、理由をかき集める
気持ちは分かります。
そして、アメリカ国民の「生命と財産の危機」は必須条件です。

では、8月3日だけで、8月6日以降がなかったとしたら?
「人道上の危機」だけで、空爆という行動に出たでしょうか?
起きなかったことを前提にするのは無益ですが、ちょっと違う展開になっていたのではないか?
という気がします。
IS の拡大志向からして、介入は不可避で、時間の問題だったとは思いますが ...。
ともかく、8月8日以降連日の激しい空爆で、この悲劇の拡大は、食い止められることになりました。
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世界難民の日:再#02 (ルテナン)
2014-09-20 23:54:08
一気に書こうとすると、また延び々々なってしまうので、一応の起承転結らしきものに従って、
小分けでチビチビと書いていきます。
まずは、遅筆ゆえに旧聞になってしまいそうな話から。


【ISIS 再】
「メディアはイスラム国(IS)を使わないで」、という声がアラブ圏から上がっているようです。
彼らの存在と主張を認めることになるから、というのが理由ですが、ムスリム全体が同一視されては、
「たまらん」ということですね。
やはり「彼らがそう言う」というだけで、唯々諾々とそれに従うのでは、無分別というものでしょう。

一貫して「ISIS(アイシス)」を使っている CNN が、最近こんなズバリの記事を。

『ISIS, ISIL or the Islamic State?』
http://edition.cnn.com/2014/09/09/world/meast/isis-isil-islamic-state/index.html

日本語版は↓こちら。(2ページ分割)

『「イスラム国」、「ISIS」、「ISIL」、その違いは?』
http://www.cnn.co.jp/world/35053738.html

ということですが、 CNN はまだ ISIS で通すようです。
最後に出てくる「DAIISH(ダァイッシュ)」。
試験に出るわけではありませんが、ちょっと覚えておいてください。(笑)


【ドゥホーク】
さて、急展開の8月の前、7月はというと。

予想どおり、IS の支配下に置かれたモスルと周辺の町での、キリスト教徒等マイノリティへの激しい
迫害と破壊行為。
発生した難民が集中する、エルビル発の話が多数。
全体の戦況は、クルド自治政府は何とかキルクークを確保し、中央政府はバクダッドとサマラの中間地点で
持ちこたえている、といったところ。
そのうちガザの比重が大きくなり、ロシアが IS のような役回りをしいているウクライナはますます騒がしい。

ということで、シリアなどは霞んでしまって、何も起きていないかのように思えてきた8月最初の週末、
「どうも何か起きてるらしい」ので、カラコーシュのレポートを書いていた GlobalPost のオーストラリア人記者、
Tracey Shelton の記事を検索してみると ...。

『There are reports of the Islamic State executing dozens of Yazidis』
http://www.globalpost.com/dispatch/news/regions/middle-east/iraq/140803/islamic-state-captures-sinjar-yazidis

シンジャールからドゥホーク県に辿り着いた避難民の、8月3日付けの記事。
それにしても、「なぜシンジャール?」「油田や重要なインフラもないのに」。
モスルなら銀行には金があったし、軍事施設には最新兵器もあったので分かりますが ...。
それに、モスル→シンジャールでは、クルド自治区と正反対の方角です。

それから間もなく、モスルとクルド自治区の間のカラコーシュを含む町々に IS が侵攻、モスル・ダムを占拠、
そしてアメリカが空爆開始という経過。
わずか一週間で、シリアにさえ介入しなかった方針を転換、西側各国もクルド自治政府を支援するということに。
その頃には IS のシンジャール侵攻の目的が、殺戮と略奪そのものだったことが分かってきました。

ドゥホーク(Dohuk)県はイラク最北の行政区で、クルド自治区3県のうちの一つです。
県都の町も Dohuk 。
余談ですが、この辺りの地名の「Do」は、英語の助動詞「ドゥ」のように聞こえます。
Dokan はドカンではなく、ドゥカン のように。
英字に置換した人物の感覚次第なのかもしれませんね。

空爆開始以降の要所は、日本のメディアでも伝えられているので、空爆開始直後までの見聞と所感を少々。
が、関心事について全てのソースを見るというのは、出来ない相談です。
なので、 【ISIS 再】の一件同様、引用は CNN からを主にして、次回より。
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世界難民の日:再#01 (ルテナン)
2014-09-01 01:43:59
急にしのぎやすくなり、早く寝られるので、少しも書けない日が続いています。
「今日こそは!」と勢い込んでみたものの、さて何から書いたものやら ...。
やはり書き易いのは悪口とか、イチャモンをつける話。
まずはその辺りから。


【ISIS】
名称としては、ちょっと不細工な「ISIL」が気に入っていたのですが、欧米のメディアでは
「ISIS」が主流のようです。
が、国家樹立を宣言して「イスラム国(IS)」を名乗ってから、徐々にバラついてきました。
それでも、アメリカの大手メディアはまだ「アイシス(ISIS)」で通しています。
単なる自称ならばともかく、「国家樹立」という宣言を伴ったことが問題なのでしょう。

宣言したところで、承認する国など一国としてなく、戦闘員しかいない国などあり得ん。
そもそも彼らは何者か?
蛮行の限りをつくす、巨大山賊集団のような輩ではないか。
それが、「国家」などと、片腹痛いわい。

..みたいな思いが、「IS」を採用しない背景にあるような気がします。
それに比べて日本のメディアの無節操というか、無思慮というか。
おしなべて「イスラム国」と書いています。
何も考えないのか?考える能力がないのか?
「以後はイスラム国を使います」と理を述べたメディアも、知る限りではありません。

それはさて置き、「アイシス(ISIS)」。
発音が同じなので、「古代エジプト由来の、有翼の女神様も迷惑なことだ」と、
以前から思っていました。
ところが、実際に迷惑を被った人達がいたようです。

'ISIS' condo building in Florida changes unfortunate name
MIAMI Tue Aug 26, 2014 9:05pm IST
http://in.reuters.com/article/2014/08/26/usa-florida-isis-idINKBN0GQ1JU20140826

同じようなことを考え、同じようなことを感じる人は、居るものですね。
では、私はどうしましょう?
字数が節約できて、手間が省けるという理由で、今後は「IS」と書くことにしましょう。
もちろん、国家として承認するわけではありません。(笑)


【エルビル】
対 IS 空爆作戦。
アメリカは現地本部を、クルディスタンの中心都市エルビルに置いているようです。
イラク戦争以降、同国では最も情勢が安定しているので、企業・マスコミ・NGO・国連機関などが
拠点を置き、旧市街の外側には高層ビルが建ち並んで、「第二のドバイ」との声も聞かれるとか。
エルビルと、その奥の山中に外国人が入るとき、昔は治安維持部隊の護衛と、ちょっとした覚悟が
必需品でした。
それを思えば、夢のような話です。

このエルビル、英字表記は「Erbil」。
私が見た道路標識もそうなっていました。
しかしメディアでは、「Irbil」という表記を見かけ、むしろこれのほうが多数です。
カタカナ表記では「アルビル」が優勢。
次が「エルビル」で、英字表記の影響からか「イルビル」もわずかながら存在します。
検索するときに、可能性のある表記を網羅しなければならないとは、難儀なことです。(´。`)


【シンジャール】
カラコーシュ、モスル・ダムと共に、8月に一気に有名になった町。
モスル発・タラファール経由・シンジャール往復は、何度か通ったルートです。
トラブルシューティングに手間取り、とっぷり暮れて、山上の月を見ながらスゴスゴとモスルへ。
そんなことが何度かあったので、行った回数は多くないものの、記憶に残っています。

起伏が増えますが、一帯はモスル平原から続く、全体が南にわずかに傾斜している高原地帯。
トルコとの国境のように、背景に高山が連なっておらず、周囲の標高もそこそこあるので、
高原の中の山はそれほど高いようには見えません。
でも、木なんか一本も生えていないように見えます。

日本でも標高1,000mを超えると、木がなくなって高山植物ばかりという山があります。
その主たる要因は低温でしょう。
しかし、この高原地帯には熱量が十分すぎるほどあります。
それでも樹木に乏しいのは、降水量の少なさが原因だと思います。

英字表記は、たぶん「Sinjar」のみ。
しかし、カタカナ表記は「シンジャル」「シンジャール」「センジャール」とバラついています。
情報の値打ちは、検索結果の多少に比例しないので、ここでも手間が掛かります。


【ヤジディ】
アフガンとイラクの戦争終結を至上命題としているにも拘らず、オバマ政権が再度イラクに介入する
ことになった要因の一つが、彼らの上に降り掛かった災厄。
以前のコメント【モスル】で、「クルド人の中にも非ムスリムの集団が存在する」と書いたのは、
このヤジディ教徒のことです。

「ヤジディ教徒とは?」というのは後にして、英字表記は「Yazidi」または「Yazidis」。
これのカタカナ表記が実に多様。
「ヤズィーディ」「ヤズィード」「ヤジディー」「ヤズディ」「ヤズィデ」「ヤジディ」「ヤジード」「ヤジド」等々。
複数形と男性形の違いじゃないのか?と思われるようなものも ...。
ちょと拾うだけでこんなに出てくるので、検索キーワードに使えません。
「エルビル」<「シンジャール」<「ヤジディ」と、馴染みが薄いほどバラつくということですね。

どれが正しいのか?というと、原語の表記ではないのでどれも正しくない、ともいえます。
当事者が話すのを聴き取ったとおりが正しい、ということになりそうですが、そうすると当事者とは誰か?
というのが問題になります。
例えば「Fairuz」。
「ファイルーズ」というのが一般的だと思います。
でも、アラブ人の中には「フェイルーズ」と言う者がいて、最初にそれを憶えた私は、いまだに
「フェイルーズ」と言い、「フェイルーズ」と書いています。
三つ子の魂なんとやら、直す努力は放棄しました。(笑)


けっきょく自分が「聴いた」と思うとおりにしか言えないし、書けないということです。
自分が聞いたとおりに書きますが、メディアに登場する表記と異なることもあるでしょう。
それを前提で読んでください。
というわけで、少々長くなった前段。
8月も終ったことだし、続きは出来るだけ早く、と思いますが ...。
返信する
お知らせ「の」訂正 (ルテナン)
2014-08-23 13:28:26
さっそく文字化けしてます。(泣)
お知らせの文中、「概要さえ摑めず」、
となってる部分は「概要さえ(つか)めず」です。
漢字を常用外の字体に変換したので、こうなったのではないかと ...。

モバイルデバイスを経由しておらず、PCで見て化けているので、gooブログの仕様でしょう。
コメント自体を後から訂正することは出来ないので、できるだけ無難そうな字を選択しますが、
「&」で始まって「;」で終わる、意味不明な文字列を見かけたら、想像力全開でお願いします。(^_^;
返信する
お知らせと訂正 (ルテナン)
2014-08-22 01:29:26
本業が多忙とお見受けします。
けっこうな話です。
返信など気にせず、体調を崩さない程度の余裕は持って、励んでください。
今年もまだしばらくは、厳しい日が続きそうですから。

【お知らせ】
カラコーシュ(この表記の方が適切と思われるので、以後こう書きます)の話題で区切り、
一旦筆を置いて、別のエントリーを待つことにしていましたが、もう少し書き足そうと思います。
理由はこのところの急展開です。

力の均衡で、停滞したように見えた情勢。
案の定というか、想像を超えて苛烈というか ...。
8月に入ってすぐ、ISILがクルド人の勢力圏を本格的に侵略し始め、一週間後にはアメリカが
空爆を開始する事態になりました。
シリアでは、自らレッドラインを引いていながら、みっともないほどの優柔不断ぶりで介入の
機を逸したというのに ...。
これは大きな転換です。

最初のうちは、何時、何処で何がどうなったのやら?
入ってくる情報の整理ができず、概要さえ摑めずにいましたが、盆休み明けまで追い続けて、
ようやく全体の流れが把握できた気がします。
気の毒ではありますが、カラコーシュの平穏も一ヶ月と続きませんでした。

一気に長編のコメントを投稿すると、後からちょこちょこ訂正するハメになります。
文字化けの心配もありますし。(笑)
次回から適当な分量に区切って、投稿したいと思います。
このシリーズ、長くなりすぎの感もありますが、もう少しお付き合いいただきますよう。(^。^)

【訂正】
先のコメントで、「ニネヴェの廃墟を探し回っていました」と書きましたが、誤りです。
文脈からしても、辻褄が合いませんよね。
私が道もない野っ原の中を探し回っていた、現在の町が近くにない廃墟は、『ニネヴェ』ではなく
『ニムルド』です。
ニネヴェの遺跡なら、モスルの町に入れば、いやでも目に入ってきますから。(´_`)
返信する
Re:世界難民の日:続報 (bellydancer_asya)
2014-08-18 02:01:56
ルテナンさん
放置しすぎですみません!!
余裕が全くなくなんにも返答できておらず!
でもコメントなど感謝しております!!
そのうちお返事をと思っています。
気長にお待ちください(^-^)
返信する
世界難民の日:続報 (ルテナン)
2014-07-19 01:48:54
【カラコシュ】
まだリンク先の記事が読めるうちに追加します。

2014/06/28
『日本のNGO、支援本格化へ=避難民流入のクルド自治区-イラク』
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201406/2014062800040&g=soc

政府の資金を受託できるNGOは、動きが早いですね。
スタッフもそこそこ充実しているようだし。
が、私が気になったのは、過激派に攻撃されたという「カラコシュ」という町。
語感がアラビア語ではありません。
調べてみると、意外にも Wikipedia に記事がありました。

誰でも編集に参加できるので、すべての記事が信用できるわけではありません。
しかし、編集履歴と記事の内容から見ると、信用してもよさそうです。
小さな町なのに記述が広汎で、充実しすぎの感もありますが ...。
最初にこの記事をアップした人物は、この町の住人だったかもしれません。
その↓記事。

『Bakhdida』
http://en.wikipedia.org/wiki/Bakhdida

読むのは、最初の数項目でもいいでしょう。
'70年代、アラブ化政策を推進する前政権により、「ハムダニヤ」と名前が変えられたとか。
中国がウイグルやチベットで行っている同化政策と同じです。

ハムダニヤなら私にも聞き憶えがあります。
エルビルよりはモスルに近く、実用試験をかねて先行設置されたサイトがありました。
私が行ったときにはほぼ完成しており、用もなかったので一度ぐらい行ったか行かないか。
記憶しているのは「ハムダニヤ」という名前ぐらいなものです。
こんなところでその由来を知ることがあろうとは、思いもよりませんでした。

記事の最初に「アッシリア人の町」とあります。
Nineveh(ニネヴェ)もNimrud(ニムルド)も、古代アッシリア帝国の首都だった都市。
ニネヴェの遺跡は現在のモスルの中にありますが、ニムルドは現在の町が近くにありません。
当時、ハムダニヤは私の眼中になく、ニネヴェの廃墟を探し回っていました。

話を戻して、現代アッシリア人。
彼らは古代アッシリア人の末裔だと主張しているのですが ...。
アッシリアは釈迦が生まれた頃には滅びています。
国が滅びても、アッシリア人がいきなり消滅したはずはないでしょう。
しかし、民族の興亡の激しいこの土地で、古代からの連続性を保つ集団が存在するなど、
信じがたい話です。
彼らの主張の真偽のほどは、考古学者に任せておくとして、「町の状況」。

近年の国内事情により、クリスチャンのモスル周辺の高原(平原)への集中が進んだ、
というのは間違いないでしょう。
Syriac Catholic Church とか、Syriac Orthodox とか、カトリックと正教双方の系統の宗派が
登場していますが、Assyrian Church of the East (アッシリア東方教会)というのが注目です。
この宗派はネストリウス派を継承していると伝えられています。
先のコメントに、「カトリックでも正教でもない」と書いたのはこの宗派のことです。
話には聞いていたものの、半信半疑だったので、娘達のファッションと同じくらい驚きました。
あの町も、別の名前があったのかもしれません。

ネストリウス派はキリスト教史のごく早い段階で異端とされたので、東方へ活路を求め、
7世紀前半には唐代の長安に達しました。
けっきょくは消滅しましたが、「景教」と呼ばれ、寺院が建設されたと記録されています。
同じ頃、日本が国家事業として遣唐使を始めました。
ペルシャ人司祭の居る景教寺院を、留学生達は見学したかもしれません。

宣教師が来るぐらい、隊商の往来も盛んだったということです。
「胡」は中国人がペルシャ系の民族に当てた字です。
実際には中央アジア以西の南西アジアが、中国人にとって全部「胡」だったのではないか
と思います。
胡の文物は、伝統を重んじる士大夫が嘆くほど流行したようです。
「胡風」のクラブでは葡萄酒が出て、碧眼の「胡姫」が舞う「胡旋舞」は大人気だったとか。
どんな音楽で、どんな舞踊だったのか、知りたいものです。
この「胡旋舞」、おそらくはベリーダンスの祖形の一つではないかと思います。
「旋」というぐらいですから、高速連続ターンが印象的だったのでしょうか?

再び話を戻して、カラコシュ。
住人が避難したこの町の、その後を伝えるレポートがありました。

2014/07/11
『Is this the end for Christianity in Iraq ?』
http://www.globalpost.com/dispatch/news/regions/middle-east/140708/christians-mosul-end-christianity-iraq

動員された自警団の警備の下、住民は町に戻っているようです。
過激派の攻撃というも、本気で町を奪取する気はなかったのではないかと思います。
しかし、他の町、他のマイノリティの居住地はどうなっていることやら。

このビデオレポート、珍しい風景が写っていて、興味深いものがあります。
町の様子もさることながら、車窓の外の平原と山の遠景なども。
インタヴューに答える住人も、「バクディダ」と言ったり「カラコシュ」と言ったり。
いったいこれから何が起きるのか?何が起きないのか?
予断を許さない状況にもかかわらず、自宅に戻れることになった女性の嬉しそうな
表情が印象的です。
願わくは、その安心が一時のものでなからんことを。

出ないときは何もないのに、出るときはまたいろいろと ..。
でも、このシリーズもそろそろ終わりにしたいと思います。
次の書けるときに、書けることを、ということで。
返信する
世界難民の日:引用補足-3 (ルテナン)
2014-07-13 23:05:32
【山】
川口マーン惠美氏が、モスルを含む北部を旅行したときの記述。
「あちこちに緑が息づく起伏のある風景」が、南方の荒涼とした平坦地から来ると新鮮だ。
と書いておられます。
たしかに、比較すればそうなのですが ..。
モンスーン影響下の温帯に暮らす、日本人の一般的な「山」のイメージとはかなり違います。

春先の短期間、新鮮な緑の癒しを感じることはありますが、我々が見慣れた、樹木に覆われた山を
見た記憶がありません。
そして冬以外は、日中となると平地同様に酷暑。
山間部の涼しさとは無縁です。

なるほど、古来から木材が貴重なわけだ。
だからレバノンまで、わざわざ杉を伐り出しに行ったんだな。
と、納得させられる風景でした。
返信する
世界難民の日:引用補足-2 (ルテナン)
2014-07-13 22:58:08
【砂漠】
私の旧知にバラの栽培を趣味にしている人がいます。
会うたびに聞かれます、「ねぇねぇ、砂漠に咲くバラがあるんだって?」と。
どうやら、サハラというバラの品種から連想しているようす。
その都度答えます、「いや、砂漠なんて見たことないし」と。

川口マーン惠美氏も「砂漠」と書いておられますが、「砂漠」という訳語から想像される、
サハラの観光ポスターのような光景は、一度も見たことがありません。
あるところは石と砂、またあるところは、歩けば膝まで土煙が舞い上がるほど微細な土ばかり。
かと思えば、角のある礫と露出した岩の頭で覆われた、いわゆるガレ場が延々と続いていたり。
川筋を一歩離れると、荒涼・茫漠としていることは間違いないのですが、砂の山が見渡す限り続く
光景は、アラビア半島まで南下しないと見られないのではないかと思います。

美貌のシリア大統領夫人は、欧米のメディアから「砂漠のバラ」という称号を奉られたとか。
やはり「砂漠」という訳語が良くないと思います。
「砂」の字があるので、どうしても「砂」のイメージに支配されてしまいます。
しかし、どちらからというと「荒地」「荒蕪地」のほうが実態に近いでしょう。
でもそれでは、実際には存在する「砂」のイメージが消えてしまうし ..。

う~ん、難しいものです。
そして件の薔薇栽培夫人がまた、「ねぇねぇ、砂漠に ...」。(´_`)
返信する
【世界難民の日:引用補足-1】 (ルテナン)
2014-07-13 22:27:23
【レバント】
中東の地図を広げて、以下の引き算をします。
詳細には異なる部分がありますが、便宜上現在の国境線も使います。

まず、トルコ共和国とイランを切り離します。
これで北と東は空白です。
次にアラビア半島を切り離し、シナイ半島以西のアフリカも切り離します。
これで南も空白、西に残るのは地中海だけです。
この残った土地、これをなんと称するか?

長年ピッタリのものがない、と不思議にも思い、歴史を遡ってみたりもしましたが、ありません。
なので、シリア内戦にISIL(イラクとレバントのイスラム国)が登場したとき、奇異に感じたものです。
先のコメントで引用したコラム冒頭で、川口マーン惠美氏も書いておられるとおり、「レバント」というのは
中世以降の用語です。
海上帝国というほど交易で栄えた、ジェノバやベネチアなどのイタリア都市国家が、交易の相手としていた
地中海東端の沿岸部を指してそう呼んだのが始まりのようです。
そうすると、ISILでは「シリアとヨルダンが抜けてるぞ」ということになります。
ISIS(イラクとシャ-ムのイスラム国)というのも、収まりは良くありません。
「イラク」が英字表記しても通用するのに対して、「シャーム」は馴染みがなく、英字表記で並べても、
「イラク」同等の通用性がないからです。

過激派の彼らも自らの名称を考えるとき、きっと悩んだのだと思い、内心ニヤリとしてしまいました。
この地図に残った領域が、より広大な帝国の一部であったことは、史上何度もあります。
しかしそれはこの領域が、政治的・文化的に一体であったという意味ではありません。
内実は細かく分かれたままだったのです。
引き算した部分にまたがらず、この範囲だけを指す地方名がないことは、かつて一度も一体であった
ことがない証明のようなものでしょう。

いかに過激派の勢力が伸張しようとも、今後も一体になることはないような気がします。
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Re:ハリージ動画からの諸々(補足) (bellydancer_asya)
2014-06-30 22:10:51
お知らせ、ありがとうございます!
今更ですが、私もJST...(?)ってなんだろう?と思ってました(*^_^*)

先のコメントも大変勉強になります!
このブログを読んでらっしゃる方も皆さん私の言葉足らず、情報足らずを上手くフォローしてくれていると思っていると思います!
いつもありがとうございます!
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ハリージ動画からの諸々(補足) (ルテナン)
2014-06-29 21:18:04
文字化けしています。
丸付き数字が意味不明の文字列になっています。
PCからでは、おかしなところはありませんが、モバイルデバイスで化けているようです。
2014/06/22 のコメントタイトル:「ハリージ動画からの諸々」の後は、丸付き数字の「1」です。
2014/06/25 のコメントタイトル:「ハリージ動画からの諸々」の後は、丸付き数字の「2」です。
モバイルデバイスからの「Re:」のタイトルで、化けているのがPCからも分かります。
記号「∞」(←無限大)は大丈夫そうですが ...。

以後は、丸付き数字を使わないようにします。(^^:)
返信する
ハリージ動画からの諸々② (ルテナン)
2014-06-25 03:20:40
ワールドカップ視聴サイクルの生活で、妙な時間に眠くなります。
全部自分で書くと間に合わないので、今回は人様の力も借りて、手早く行きたいと思います。

【モスル】
俄かに戦乱の渦中となって、世界の注目を集める都市。
報道では、“アラブとクルドの境界都市”という表現を見受けます。
たしかに、単純化すればその通りなのですが、それだけでもありません。
いつも予約なしで行っていたのに、何故かほぼ同じ部屋が空いていた下町の安ホテル。
アルメニア人が経営していました。
私が「カウリヤ」を目撃したというか、遭遇したというかも、このモスルです。
町外れに点在する集落のうちの一つも、「カウリヤ」と呼ばれていました。
我々は「香り屋」などと捩っていましたが、この字面はかなりキレイすぎる表現です。(笑)

モスル北方の山間部。
それまで通過してきた町とは様子の異なる、小さな町がありました。
車を停めさせて、一つの建物を見ていました。
さほど大きくはないのですが、正面は暗い色の石造りで、不釣合いなほど大きく立派な扉。
教会のように思えましたが、見慣れた教会とは異質の雰囲気。
しげしげと眺めていると、脇の路地から娘が二人出てきました。
二人とも当時流行のイタリア風スリムジーンズに、目に沁みるような赤い口紅で、一人は明るい髪の色。
モスルはもちろん、首都でも滅多に拝めないほどスタイリシュ。
思わずサングラスをずり下げて、まじまじと見入ってしまった私は、彼女達に胡散臭げに見られてしまいました。
後に聞いたところによると、クリスチャンであってもアルメニア人ではないとのこと。
イラク国内で少数派のキリスト教徒でもさらに少数の宗派、カトリックでも正教でもない中東諸派の中でも、
孤立した宗派でした。
アメリカへ移民したり、出稼ぎに行っている者が多く、そこからいろいろな物が送られてくると聞いて、前述の
二人の出で立ちが理解できたものです。

このように、大まかにはアラブとクルドですが、その中に民族・宗教・宗派の異なるコミュニティが
モザイクのように散在しているのがこの辺りの風土です。
クルド人は勢力が大きくて、もはや少数民族と呼ぶには抵抗がありますが、その中にさえ非ムスリムの
集団が存在します。
このような事情が窺い知れるコラムを、酒井啓子氏がニューズウィーク日本版に書いておられます。

『イラクの細分化が始まるのか』
http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/2014/02/post-792.php

2月の上旬、このコラムで示された危惧が、現実になりました。
このところの急展開を受けて、かつてない頻度でアップされるこの↓コラム。

『中東徒然日記』
http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/?from=neighbor

的確な分析と、鋭い考察が山積みであるにも拘わらず、どうしてこんな長さで分かり易く書けるのか?
と、毎回感心しながら拝読しています。
さすがはイラク政治史・現代中東政治研究の第一人者。
長年の疑問が氷解し、目から鱗の思いもしばしばで、どれも一読に値します。
関心をそそるタイトルがあれば、拾い読みされることをお薦めします。

さて、今回の ISIL(又はISIS)によるモスル攻略。
あっけなく陥落した原因は、この地域で中央政権が民心を失っているとか、反動でスンナ派が ISIL を
支持したからとか言われています。
それもあるでしょうが、目立つのはテロ組織の用意周到さです。
シリアへ行って外国人テロリストを吸収し、成長してモスルに攻め上ってきたのなら、その途中で戦闘が
あってもよさそうなものです。
しかし、シリアからモスルへの経路上にある、タラファールでの戦闘が伝えられたのは陥落の3日後。
密かに潜入して集結、最大の衝撃を与えることを狙った奇襲だったと思われます。
狂犬のような集団がむやみに突出して、「たまたま時機を得て成功した」のではないことは明らかです。
最初の数日の展開を見ていて、何やら胃の裏側が冷たくなるような感覚を覚えました。
狂信者が指導する集団が、旧ドイツ軍ばりの電撃戦をやるだけの、冷静さと計画性を兼ね備えている。
この国の分邦化と、その固定化は避けられないように見えます。
さらに、シリアと併せて、この一帯の国境線の形と数が変わってしまうのでは?と思わせます。
地中海からペルシャ湾最奥部に至る、広大な原理主義の支配地などできた日には、世界中にテロが
輸出されるでしょう。
そうなったら悪夢の中の悪夢です。

さすがにバクダッドは、そう簡単に落ちることはないでしょう。
しかし、すでに過激派に奪われた地域を取り戻すことも、難しいでしょう。
奪われた地域では、暗黒の中世さながらの統治が予想されます。
非ムスリムには割り増しの税金をかける、などは序の口。
シリアでの暴虐ぶりが知れ渡っていた連中が舞い戻ってきた、と思うからこそわずか2日で50万人が、
エルビル目指して逃げ出したのだと思います。
それから一週間、UNHCR が「第二次大戦後初めて、難民・避難民が5千万人を超えた」と発表しました。
昨年末時点での統計です。
同じ日、「イラク難民、100万人突破」が報じられました。
集計の重複を差し引いても、発表直前の10日あまりで、1%以上統計が上積みされたのです。
もう、ムチャクチャです!

数日前、そんなこんなを全部代弁してくれるような文章↓に出会いました。

『イラク各地を制圧しなががら首都バグダッドに迫るアル・カイーダ系武装集団「ISIS」の脅威』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39610

4ページのちょっと長いコラム。
この方の文章、今回初めて読んだのですが、感じること、考えるところ、ほぼ100%私と一致します。
なんというか、思考のデジャヴというか ...。
ISIL の「レバント」という用語に引っ掛かりを感じるところとか、人々を避難に駆り立てる恐怖の正体とか。
久しくなかった、「読む」という行為で頭がくらくらする経験をしました。
読み直してみると、この方の在イラク期間は、私の期間とピッタリ重なります。
バクダッドに落ちたミサイル、当時の北部の状況、等々みな私の記憶と寸分違いません。
極端な話、「自分が書いたんじゃないか?」と思えるぐらいです。
さらに、著者プロフィールを見ると ...。
なんと、生年まで同じでした!(^_^;

それにしても、この方面について感服する文章を書く人が、揃って女性というのはこれ如何に?
男は書かんのかい!?
いや、書いてる人は少なくないのですが、だいたい小難しくって、読みにくいんですよね。(笑)

ちゃっかり引用して済ませた今回は、硬派な話に終始しましたが、最後にダンス。
どうやら風営法が改正されそうですね。
そもそも風俗を取り締まれても、文化を管理できない、警察に任せているのが間違いだと思いますが、
少なくともダンスだけで取り締まられることは、なくなりそうです。
こんなものが残っていたのでは、イスラム法を振りかざす原理主義者を、時代錯誤と非難することは
できませんよね。

(次の話に続く ..、かもしれません)
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Re:ハリージ動画からの諸々U+2460 (bellydancer_asya)
2014-06-24 03:50:59
ルテナンさん
ひっじょーに面白い見解そしてリサーチをありがとうございます!
ただ、カウリーヤで頭を回す時はU+26AAU+FE0E、ハリージの時は8の字オンリー、というのは定かではないです。
というのがハリージでも頭をU+26AAU+FE0Eに回すこともあれば、カウリーヤのパフォーマンスでも頭を8の字に回すところを見たことがあり、なんだか互いに影響し合っていることが思われるから。
ステップの違いなど明瞭にも思えますが、定かなところは分からないですよね。。。
音楽は完全に違いますが!
私ももう少し勉強してまたエントリーでお話出来れば!と思います。
気長に待ってて下さい。笑

また、上手く世界難民の日につなげてくださり、ありがとうございます!
返信する
ハリージ動画からの諸々① (ルテナン)
2014-06-22 20:18:17
先日拝見した動画を発端に、ここしばらくの見聞と雑感を一筆啓上。
感心したことやら、驚愕の話やら、ネット環境の不調に悩まされながら拾い歩いた諸々と、
内心の呟きをいくつか、書かせていただくつもり。
忙中閑の慰めになれば幸いです。
適当なところで分割しながら書きますが、途中で尻切れトンボになる可能性も ...。
途中で挫折したときは、何卒ご容赦のほどを。(^_^;

【フォークロア】
> 私が「カウリヤ」と認識しているものとよく似ている

と書きましたが、正確には少し違っています。
ハリージ動画では頭を「∞」を描くように振っていますが、「カウリヤ」は「○」を描くように振ります。
なので右旋回と左旋回があります。
高速で振るには「∞」のほうが理に適っていると思います。

昨年の夏、ウェブ上で「カウリヤ・ダンス」なる動画を見かけました。
そのときは「後で見る」式に片付けていたのですが、今回は改めて追ってみました。
するとこれが、思いのほか多数。
見事にベリーダンスにブレンドしている人、原型に忠実にやっている人、等々。
これが“フォークロアブーム”ということでしょうか?
驚くのはベリーダンスの融合力です。
伝統的なものであれ、革新的なサブカルチャーであれ、異質なものを取り込みながらも、
その特質を失わない。
原初的パワーはそのままです。

動画投稿は2000年代以降に盛んになったので、それ以前の映像情報が見当たらなくても、
何ら不思議ではありません。
が、テキスト情報でも「カウリア」に関する2000年以前のものは、ほとんど見当たりません。
あったとしても、2000年代に書かれたものの中で、過去形で言及されているぐらいです。
伝道者が居て、90年代から活動していたかもしれませんが、やはり2000年代に広まったとしか
思えません。
80年代、これがイラク国外に広く流布するなど、私は「到底ありえん!」と思っていました。
それを言えばベリーダンスだって、カルチャーセンターでコースがないところを探すのが難しい、
今日の日本の普及状況は「ありえへん話」だったわけで、驚くのは自分が時代遅れであることを
カミングアウトしているようなもの ...。
光が当たらなかったものは、いずれ発掘される運命だった、と言ってしまえばそれまでですが、
30年以上経って、再びこの名を耳にするとは、感慨深いものがあります。

国が安定し、平和で開かれた社会になったから、国外に伝播するようになったのでしょうか?
実際の状況はまったく逆です。
80年代は、恐怖政治の独裁政権下、10年にも及ぶ対イラン戦争。
90年代は、クウェート侵攻に対する手痛いしっぺ返しの湾岸戦争と、それに続く長期の経済制裁。
中途半端な侵攻でフセイン体制は維持され、政権打倒を期待して叛旗を翻した勢力は取り残され、
国内の弾圧は苛烈になって、一種の末期症状を呈するようにも見えました。
そして00年代は、アメリカが後先考えず政権打倒に突っ走った、無慈悲で大儀のないイラク戦争。
湾岸戦争よりはるかに少ない兵力で占領し、新たな秩序の成立を期待する、という無謀な試みが
どうなったか?は周知とおり。
隣国シリアの三つ巴の内戦が、今や双子に分裂、イラクで膨張しつつあります。

湾岸戦争の時点で政権が打倒されていたとしても、アフガンに代わり10年早く、テロリストの
培養土が出来上がっただけ、という可能性が高かったでしょう。
たとえ国民に多大な犠牲を強いる独裁政権でも、政府や制度が機能し、曲りなりにも秩序が
維持されているうちは、大方の日常は平穏です。
独裁政権は社会の騒乱を嫌い、犯罪も厳しく取り締まるので、治安も比較的良かったのです。
もちろん、反体制の立場の者にとっては、平穏などないわけですが ...。

私は、イラクとその周辺の現代史を論ずるつもりではありません。
ただ、イラク戦争以降、半独立状態を勝ち取ったクルド自治区を除けば、独裁の時代のほうが
良かったと思えるほど酷い状況で、全体的には何も良くなっていないことを指摘したかったのです。
敵対するものには情け容赦ないが、味方を増やすために、少数民族、宗教・宗派で少数の者を
保護もしていた独裁政権。
それが倒れ、新たな秩序は新たな力の均衡が生まれない限り望めず、それがいつ訪れるのかは
知れず、明日の不安が増大する日々。
社会の軋轢が暴力的な形で噴出するようになったとき、そのシワ寄せをより大きく受けるのは
マイノリティ、というのは想像に難くありません。

「カウリア」というのは、いわゆるジプシーです。
当時、私もそれほど多くを知り得たわけではないのですが、それでも書くと長くなるので簡単に。
ロシアと、トルコを含む欧州全域では「ロマ」。
ご存知の通り、“エジプシャン”が訛ったという説もある“ジプシー”は、現在は誤謬の多い用語とされ、
使われなくなっています。
その「ロマ」のうち、どこかで進路を変えて中東へ移動していった一団の、イラク国内での呼称が
「カウリア」です。
地域によってその呼称は異なり、同じ一国の中でも複数の呼称が存在します。
これは、論議はあるものの統一的な名称が存在している「ロマ」と異なり、アラブ圏における
この民族の研究が進んでいない証左でしょう。
彼らが現れたのは、中東全域がイスラム化/アラブ化する以前か?以後か?さえ諸説あって
はっきりしません。

何処へ行っても先住者が居て、土地が持てないので農業はやれず、都市周辺で先住者を圧迫
しないような職業にしか就けなかった、というのは「ロマ」と同じです。
そして、蔑視の対象であり、差別されることも同様で、社会的な地位はキリスト教圏でのそれと
何も違わないでしょう。
そんな彼らの芸能が平和裏に国外へ伝播したのでしょうか?
2000年代という時期と、先に書いたような、マイノリティには一層厳しいと思われる状況が背景に
あったのではないか?
そのようなことを書いた記事は見つからないのですが、関係ないこともないだろうと思うのです。
それはちょっと「考えすぎじゃない?」と言われそうですし、まったくの私見ですが、動画を発端に
行き着いたのは、こんなところ。
World Refugee Day に寄せて、まんざら関係なくもない一件でした。

(次の話に続く ..、つもり)
返信する
Unknown (ルテナン)
2014-06-21 12:35:34
ここにも、ボタンがあるといいのに。
どこかのサイトみたいに、
「イイネ!」。
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