日伊文化交流協会

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2014年イタリア旅行(ボルツァーノ編)

2014年10月04日 19時21分15秒 | イタリア旅行
さて、この日はヴェローナから100kmほど北上。トレンティーノ=アルト・アディジェ州のボルツァーノへ。
今日の記事もまた長いです。ボルツァーノに行こうと思っている人しか興味ないと思うんですけど、脳内トリップを楽しんで下さいね。

ミュンヘン行の特急に乗車。
  


鉄道で平均2時間強ですが、エウロシティーなら1時間半です。
  


最近少なくなってきたコンパートメントタイプ
  


車窓からは延々と葡萄畑が続いていました。トレンティーノのワインってあんまり市場で見かけないので、ちょっと意外・・・
  

  

無事ボルツァーノに到着。聞いてはいたけど、本当にイタリア語とドイツ語の二重表記
  


駅の外観
  


実はこの日、ボルツァーノの後、トレントに立ち寄る予定にしていたのですが、予想していたよりお天気が良かったので、トレントは諦めて、「ボルツァーノの上」と言う意味のソプラボルツァーノまでロープーウェイで上がり、山岳鉄道に乗ることにしました。(2014年9月現在:ロープーウェイと鉄道の共通チケットは大人1名15€)

ロープーウェイで一気に1000m登ります。
  

  


ソプラボルツァーノは5℃くらい気温が低かったです。
  


こんな可愛い列車がお出迎え
  


こちらは旧車両。年に何回かお祭りのときには動くそうです。
  


車庫もおしゃれ~
  
この鉄道は、オーストリア・ハンガリーの皇帝が夏の別荘への交通機関として建設したもで、1907年に完成。なので、なんと100年を超える歴史があります。阪堺電車の開業が1911年だそうですから、ほぼ同じくらいですね~。
時速30km程度でゆっくりゆっくり走る鉄道はもうパラダイス!!
「ずっと乗ってたーーーい」と思う間もなく、20分弱で到着。

車窓の風景。ハイジの家みたい!
  


終点のコッラルボでは素敵なオブジェが
  


ほとんど車が通らず、とにかく静かです。
  


さて、ここからピラミデ・ディ・テッラと言う奇岩の谷を目指しました。ガイドブックには標識があるので迷う心配はない。
って書いてあったのですが、これがねぇ~。イマイチ読み取りにくい。
    

  
こうやって、改めて写真を見ると、わかるのですが、その時は下の白い看板を見たので、矢印が見当たらず、悩みました。
距離もね、最初の標識に20分って書いてあったので、写真を撮りつつブラブラ歩いても30分ぐらいで着くだろう。って思ってたんですが、もう少しかかりました。更に、道が不安だったこともあり、実際より遠く感じました。
ただ、ほとんど人が歩いていないので、治安の心配は皆無です。

途中、すごい角の山羊を見たり
  


刻々と色を変えるドロミティ山塊に見とれたり
  


日本で言えば、お地蔵さんみたいな感じ?
    


そんなこんなで着いたのが、ピラミデ・ディ・テッラ

  

  
直訳すると「大地のピラミッド」ってところでしょうか。自然の風化作用で生まれた奇岩らしいです。


ランチはドイツ風にしてみました。
  

    
ソーセージとザワークラウト、ジャガイモのプレート。
飲み物は、ヴァイツェンとラードラー。ラードラーと言うのは、ビールをレモネードで割ったもので、ビールが苦手ながっちゃんも、美味しく頂けました。


町の教会
  


帰りのロープーウェイ駅前の出店。
  
この地方のワインも飲んでみたかったし、めっちゃおいしそうなジャムだったけど、重さを考えてあきらめました。


ボルツァーノの町
  
タルヴェラ川と、イサルコ川と言う二つの川に挟まれた場所にあります。
ボルツァーノの町に降りた時点で3時。帰りは5時半の鉄道に乗る予定だったので、駆け足で観光。
でも持っていた地図がガイドブックの半ページ程度の物だったので、詳しい通り名が解らず、結構迷いました。


なんだかんだで到着した中心部のエルベ広場
  

  


観光トロリー?
ここ数年イタリアの旧市街を巡るバスみたいなの。これなんていうのかしら?
なんか流行りですね。レッチェ、パレルモ、ヴェローナでも見かけました。
  


ボルツァーノのメインストリート、ポルティチ通りは、アーケードが続きます。
  


ここでまた一服。私はアペロールにしました。
  


落書き一つない美しい街並み
  


タルヴェラ川
  


タルヴェラ橋を渡ってすぐ見える「勝利の記念碑」
    
1919年、第一次世界大戦終戦後、ボルツァーノはイタリアに併合されました。この記念碑は、ファシスト政権のプロパガンダを目的に建てられた模様です(1928年落成)


そしてドゥオーモ!
    

    

    
特徴的な屋根を持つ、ボルツァーノ大聖堂は、聖マリアアッスンタに捧げられた教会で、ボルツァーノ・ ブレッサノーネ司教区の司教座聖堂です。
初期キリスト教建築やロマネスク様式の特徴を残しつつ、1420年に完成した後期ゴシック様式の建築です。
1944年の連合軍による爆撃で大きな損傷を受け、1948年に修復が行われましたが、その時、基礎部分から4世紀頃の碑文が発見されたそうです。


ヴァルター広場
  

    
1800年代は、王の名前で呼ばれていましたが、1900年代に入ってから、ドイツの偉大な吟遊詩人、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの名にちなみ、ヴァルター広場となりました。
1919年、イタリア併合に伴い、ヴィットリオ・エンマヌエーレの名前が付けられ、ファシストの勢力がヴァルター像を街外れに移動させたのだそうですが、終戦後、再び詩人の名前に戻り、1985年に像も元の場所へ戻されました。
クリスマスシーズンには、ドイツらしい華やかなクリスマスマーケットが広がるそうです。

最後はカエルの噴水よーーん。
  


イタリア旅行記も次のマントヴァ編が最後です。鉄道や食については番外編で詳しく書きますね。

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