バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

「我が家のシュタイナー教育」(2007年1月改訂)バンビーノバンビーナHPより移行

2002-11-10 23:41:39 | 子育て親育ち

 シュタイナー教育との出会い

私がシュタイナー教育と出会ったのは長女が1歳半の時でした。
子どもを持つまでの私は、「子どもってうるさいし、言うこと聞かないから大変そう」「子どもが生まれたら自分の楽しい世界を取られてしまうかも」と否定的に思っていました。
公共の場なのにマナーをわきまえない親子、お喋りに夢中で子どもを注意しない母親に出くわすたびに「不愉快」な気分でいました。


でも果たして自分は良い母親になれるのだろうか…。
人格形成という大切な役割をこの私が担ってしまっても良いのだろうか…妊娠と同時に育児本を片っ端から読みあさっても納得できる教育法に巡り会えず、子どもが生まれてからは、薦められるがままにNHKの幼児番組を見せ、子ども向けの音楽をかけ、子どもの喜びそうな遊び場があれば連れて行く日々。


「本当にこれで良いのだろうか…」そんな、漠然とした不安を抱えている時、縁あって知り合った人から「愛知県の三好町にとっても素敵な保育園がある」と教わりました。そして保育園(マザーハウス)の玄関を一歩入っただけでシュタイナーの「癒しの世界」に魅了されてしまったのでした。


「親の背を見て子は育つ」で気を付けていること

子どもってどんな親のことも大好きですよね。
どんなに冷たくあしらわれても、怒鳴られても叩かれても「ごめんなさぁ~い」とどこまでもついていく子どもの姿をちょくちょく目にします。

私は親とケンカしたら夫に、夫とケンカしたら友達に「もう、聞いてよ~」と癒しを求めることができますが、子どもには親以外に頼る人は誰もいないんだなぁとよく思います。

「親の言うことが全て正しい」と信じている幼児期の子どもが親に見放されるということは「自分が悪い」という自己否定感を形成してしまう(「ママの方が間違ってる」という発想にはなりません)ので、どんなに怒れても「そんな子、ママの子じゃない」「邪魔だからあっち行って」などの突き放す言葉、「あんたは悪い子」「あなたのこと、嫌い」などの人格を傷つける言葉は言わないように気をつけています。

6歳までの幼児はいつも一緒にいる大人の姿を凝視し、その行動を全て正しいことだと思ってしまうそうです(これを「模倣」といいます)。臨機応変に必要なものだけを吸収し、見たくないものは見ないふりのできる大人と違って、乾いたスポンジが水を吸い込むようになんでも吸収してしまうそうです。
例えば、いつも大声で叱りつけられている子は怒った時に大声を出すでしょうし、叩かれたり蹴られて育っている子は「友だちにもそうしても良い」のだと頭にインプットされてしまいます。
また、テレビの影響も大きいと言われています。
テレビのヒーローはいつも蹴ったり殴ったりしていますし、CMもかなり残虐なシーンが出てきます。
気質もありますので一概には言えませんが、「子どもが暴力的なのはなぜ?」と疑問に感じたら「そういうシーンを見せていないだろうか?」「大人が間違った言動をしていないだろうか」と振り返ってみて下さい。
生活環境を変えることが、子どもの「生活態度を変えること」に繋がるような気がします。


逆に「こういう子に育って欲しい」と願うことがあれば努力してみる価値はあるかも。
私は娘たちに「感謝の気持ち」を育てたいと思っているので「太陽さん、私たちに光を注いでくれてありがとう」「雨さんが降ってくれたおかげで畑のお野菜さんもカエルさんも喜んでるね」と意識して話します。

基本的な挨拶も親が意識的に使うようにしています。挨拶は「叱られるからする」でも「褒められるからする」でもなく「気持ち良いからしたい」と思えることが大切ではないかしら?大人が「気持ちの良い」挨拶をし続けていれば、時間はかかったとしてもそのうち必ずできる日が来ると信じています。

テレビについて思うこと

2004年2月に日本小児科医会が「2歳までのテレビ・ビデオ視聴は控える」と提言を出したことで、テレビに慎重な親が増えつつありとても嬉しいです。 
テレビはなぜいけないのでしょうか?
思い付くことを書き出してみます。

  • 子どもはテレビに向かって、最初は一緒に悲しんだり喜んだり相づちを打ったりしているが、次第にそれが一方通行だと分かると聞き流すようになり、他者とコミュニケーションが取りづらくなる
  • 大人と違い、複数の音が聞き分けられない乳幼児は、テレビや音楽などのざわざわした環境下では母親の声が聞き取れない
  • 本当は一瞬たりともじっとしていられないはずの幼児が、長い間、身動き一つせずにじっとしていることは(一見リラックスしているように見えるが)とっても不自然なことなのだそう
  • まばたきの回数も少なくなり、目を酷使している。一生の視力は小1までに決まってしまうという話も
  • テレビに限らず、音楽をかけるなどのざわざわした環境で過ごしていると、自然界の密やかな音(雨、風、雪の音、虫の声など)が聞き分けられなくなる


テレビは(特にニュース)などは、大人にとってはなくてはならない情報源かもしれませんが、子どもには必要のない情報です。
むしろ、殺人事件や汚職などの不祥事は「模倣」の時期の子どもにとって有害なことの方が多いのです(「学校の教師が生徒にいたずらした」なんていうニュースを小学生に見せるわけにはいきません)。


画面を通さなくても一歩外に出ればいろいろなことを学べますし、実物を見れば、角度によって全然違って見えたり、においや触感、生の音など画面を通してでは知ることの出来ないことをたくさん発見できます。
テレビをつけなければCMを見ることもないので、わざわざ物欲を掻き立てる場面に出くわすこともないでしょう。

それに「意外」だと思うかもしれませんが、テレビをなくすとぐっと育児が楽になります。
受動的な環境で育った子どもは自分から遊びを展開することが難しいかもしれませんが、工夫して遊ぶ環境で育った子どもは「ひとり遊び」ができるようになり、成長するにつれてどんどん楽になってきます。


私の周りには「テレビ無し」の生活をしている家庭も少なくないのですが、我が家は定年で家にいるじーじばーばと同居しているので、テレビの全くない生活を送ることはできません。
何と言ってもシュタイナー教育を知るまでの私は「超テレビっ子」で、夫に「見ていない時は切れば?」と注意されるほど1日中テレビをつけていたのです。
今考えると「無音」が寂しかったのでしょう。


テレビの害を知ってからは、じーじばーばには「子どもが集中して遊んでいる時は別の部屋で見る」「見たい番組が終わったらスイッチを切る」ところから徐々に妥協してもらい、今ではかなり協力的になりました。
現在、年中と小2の子どもたちのテレビ視聴時間は多くて1日30分(土日も同じく)。
夕方公園に遊びに行く日は全くテレビを見ていませんが、友だち関係に支障をきたすことは今のところないようです。


無音が寂しいならば、機械音を聞かせるのではなく、子どもと一緒に童謡などを歌うというのはいかがでしょう?下手でも何でも、やっぱり母親の歌や語りが子どもにとっては一番心地良い気がします。

最後に「テレビに関して夫婦喧嘩が絶えない」「自分の時間がなくてノイローゼになってしまう」くらいでしたらうまくつきあうことも必要悪かもしれません。
「テレビの害」を知らないで見せているよりも、知った上でうまくつきあっている方がずっと良いと思います。

 

おもちゃの選び方 

私がシュタイナーに惚れ込んだことの原点はこの「おもちゃ選び」にあります。

私はキャラクター商品が苦手だったので「子どもを持つ=家中キャラクターまみれ」になることがとても嫌でしたが、それを人に話すと「それって親のエゴ。子どもの興味を尊重すべき」と否定されることが多く「そうかもしれないなぁ」と諦めつつありました。
でもシュタイナー教育に使われているおもちゃは全く違っていたのです。絹や綿の布、羊毛、まつぼっくり、木製品。色も草木染めの優しい色合い。
インテリアとしても可愛らしいものばかりです。


そして学んでいくうちに、視覚的に美しいということばかりではなく、一つ一つにとても重要な意味があると知りました。
自然界の色は子どもにとって柔らかい色が多いですね。
乳幼児期は草木染めのような優しい色でゆっくり視覚を目覚めさせていくことがふさわしいそうです。
シュタイナー保育園でよく見かける「ピンクのお部屋」はお母さんの体内で見ていたピンク色を基調としているので子どもは気持ちが安定するのだそう。

それなのに、子ども向けおもちゃは赤、青、緑など奇抜な色を使うことが多いです。
派手な装飾に派手なインテリア…大人でも目がチカチカしてしまうような環境で、果たして子どもは癒されるでしょうか?
子どもをわざわざ「落ち着かせなく」しているのは私たち大人だと思いませんか?


幼い子どもには、ただの木切れや木の実でもいろいろなものに見立ててしまう素晴らしいファンタジーの力があります。
我が家には多くのおもちゃがありますが、結局のところ、子どもたちは毎日の遊びには、シルクの布、羊毛で編んだヒモ、お人形、キッチン道具類を選んでいます。
素朴で形が単純であればあるほど遊びは無限に広がっていき、自分の想像力をプラスできることで飽きずに遊べるのでしょう。


キャラクターものや既製のおもちゃにはすでにそれを作った大人のファンタジーが入り込んでしまっているので、それ以上想像力を膨らませることは出来ません。
更にそのおもちゃに文字や数字が書かれてあれば、そこに注目してしまうため想像力はストップしてしまいます。
。そういう意味でも、自然の木や無地の布など、ファンタジーの力が働きやすい素朴なものを選ぶと良いのです。

「プラスチックは何が何でもいけない」と言っているのではありません。
プラスチックでしか作れない玩具もあるでしょう。ただ、自然界とごくごく近いところに住む小さい子どもには、温かみがあり呼吸する素材(自然物、木製品)のものがお勧めです。

そして我が家のおもちゃ選びのポイントは…

  • 子どもが大きくなってからもインテリアとして飾っておけるもの、もしくは「思い出と共に」孫の代まで保管しておけるもの
  • 私にとって「買い物」とは、生産者や企業に対する「投票」だと考えていますから、「キャラクターをつけておけば子どもは喜ぶだろう」とか「知育玩具と書いておけば親が喜ぶだろう」といった消費者を小馬鹿にした商品を選ぶことはできません。私にとって魅力的なおもちゃとは「子どもや親をなめていない」「動力を使わない」「作り手の思いが伝わってくる」もの。

電池で動くおもちゃ、キャラクターがついているような派手なおもちゃは初めは飛びつきますが、すぐに飽きてしまいます。
子どもが飽きたら、流行りが過ぎたら、子どもが成長したら処分してしまうようでは、子どもに「物の大切さ」を教えることはできませんし、子ども向け産業は「莫大な埋めるゴミ」を作っていると思います。
子どもたちの未来を考えるなら、処分時のことまで考えて「モノを買う」クセを作っておくことが大切だと思います。

「刺激の強いおもちゃ」を増やさないコツは…

  • キャラクターのCMを見せない(民放のアニメ番組を見せない)
  • おもちゃ売り場に連れて行かない
  • おもちゃ屋のチラシを目につくところに置かない
  • 幼児向け雑誌を買わない

上記の努力で、子どもの「欲しいのに買ってもらえない」ストレスをいくらか軽減できると思っています。

少なくとも幼児期はおもちゃを子どもに選ばせる必要はないと考えています。
子どもの成長に相応しいおもちゃを、大人の責任で選ぶようにしたいものです。

ただ、私たちは夫婦2人だけで子どもを育てている訳ではなく、おじいちゃん、おばあちゃんやたくさんの大人たちに囲まれています。
できるだけ自分の方針を理解してもらうよう努力することは大切です(子どもが小さいうちに教育方針をお話しておくことをお勧めします)が、そういう訳にも行かないことも多いので多少のことは目をつぶる必要があるのかもしれません。


リズムのある生活

シュタイナー幼稚園で重視されていることに「リズムのある生活」があります。
家庭でもできるだけリズムを整えることで、生活がスムーズに流れるので子どもは安心でき、親も余計なエネルギーを使わずに済みます。
家庭におけるリズムは神経質な子どもや気性の激しい子どもを安心させ穏やかにしてくれるそうです。


子どもが小さい時、(怒り出すとなかなか気が晴れない私は)なるべく怒らずに過ごすにはどうしたら良いかと考えてみました。
観察してみると幼児期のグズりは「お腹がすいている時」と「眠たい時」に多いことに気付き、対処する方法を思い付いたのです。


幼児期のタイムテーブル
pm0:00~  昼食
pm0:30~  昼寝
pm3:00~  おやつ
pm6:00~  夕食

幼稚園に入園するまでは、親の都合で振り回さないように注意し、友達が遊びに来ても午前は11時半、午後は5時には帰ってもらうように事前にお願いしていました。
また決められた時間以外には食事もおやつも一切出しませんから、子どもは「○○食べたい~」とダダをこねることはほとんどありません。

それから子どもに選択させるような「○○する?」「どうする?」という言葉ではなくて「さぁ、今からご飯を作るから、みんなのお箸を用意してね」「さぁ、ご飯食べたから、お昼寝の時間だね」という言い方にすると反抗期でもスムーズにいくことが多かったです。

現在、幼稚園&小2のタイムテーブル(季節によって変わります)
pm4:00~ 公園
pm5:30~ お風呂
pm6:00~ 夕飯
pm6:30~ ピアノの練習(長女)お絵描きやパズル(次女)
pm7:00~ 絵本
pm7:55~ 歯みがき、トイレ
pm8:00~ 消灯

1歳のお誕生頃から今現在もリズムのある生活を送っている次女は「お風呂いや~」「歯みがきいや~」とグズったことは(反抗期ですら)なかったように思います。
生活リズムを整えていなかった長女の頃と比べるととても育児が楽でした。


叱り方、注意の仕方について

これに関しては偉そうなことは言えません。
今も決して優しい母とは言えない(汗)し、長女の反抗期には(アレルギーによる睡眠不足で大変だったこともあり)幼児相手に怒ってばかりの日々でした。
ですので理想も含めて書いてみます。


本来、幼児には叱らなければならないことはあまりないそうです。
小さい子どもを叱る前に家の中を見回してみて下さい。
触られたくない大切なものは手の届かない所にありますか?
叱る前に「これは叱るべきことか?」とワンクッション置いてみると、親の都合だったり、持って行き方でどうにでもなることが多いことに気付きます。


反抗期の「イヤ」を連発するころは「~したい?」と聞くのではなく「さぁ、~しようね」と肯定的に持っていくとすんなり聞くことがあります。

例えば、乳幼児期に、おもちゃを投げ捨てることがあります。
これは子どもにとって成長の大切な過程なので、思う存分「投げる遊び」をさせてあげることが必要です。でももし投げてもらいたくないものがあった場合、叱るのではなく「○○が痛い痛いって言ってるよ。可哀想ね」という言い方に変えるだけで、子どもは素直に聞くことが多いです。
「これはしてはいけない」というより「~したらママは哀しい」「嬉しい」「おもちゃさんが喜んでるよ」「哀しんでるよ」と言い方に変えると、子どもの心に入り込んでいくようです。


叩かれるから、怒鳴られるから、防衛手段で「ごめんなさい」が言えてもそれは意味がないことですよね。
「親が怒るから」という理由で我慢している子どもは、親の目の届かない所では卑怯なことをする子どもになってしまいそうです。
少し時間がかかっても「これはいけないこと」と子どもが自分自身で感じて初めて成長すると思うので「ごめんなさい」の無理強いはさせたくないのです。


そして、時々「~に怒られるからしちゃダメよ!」と子どもに注意している保育者を見かけます。
以前、木の枝を折っている子どもにおばあさんが「おじちゃんに怒られるから折っちゃダメよ」と注意していました。
話しても分からない小さな子には「その場から離れる」「忘れさせる」ことで紛らせば良いのですが(低年齢の子に理論を押し付けるのは良くない場合もあります)、理解できる年令になった時には、それがなぜいけないのかを丁寧に話す必要があると思います。
このおばあさんは「おじちゃんが見てないからいいの」と孫に言われたら何て答えていたのでしょうか?


「カーシートに乗らないとおまわりさんに捕まるよ」と脅せば楽かもしれませんが、これではいつまでたっても「どうしていけないのか」を知ることはないでしょう。
かえって道のりを遠くしている気がしてなりません。


習い事、早期教育について思うこと

シュタイナー教育では小学校に上がる前の子どもに習い事をさせたり、文字を教えるといったことは基本的にしていないようです。
6歳までは「体をつくる時期」であるのに、何かを教えようとすると(知的な部分を育てる、技術を身につけさせる、決まった動きを強いるetc)そちらにエネルギーが注がれてしまい、体の成長が不完全になってしまうそうです。
また、「子どもは遊びの中でしか成長できない」とも言われています。


小学生になるまでの子どもに必要なのは、心地良い環境で過ごすことと、ただ遊ぶこと。
幼児は夢を見ているように、楽しく自分の好きなことをしていればいいのです。
幼児期に大切なことは、我慢することでも努力することでもなく「愛され受け入れられている安心感」なのです。


算数
小学校で遅れをとってはなるまいと幼児期から塾に入れている人も多いでしょう。
早くから計算を学んでいる子は「スピード」面では他の子より勝るかもしれません(一時的に)。
でも文章題のような問題や、複雑な問題には直感やセンス、バランス感覚などが大事な要素となってくるのだそうです。
アンチ早期教育派としてあえて書かせていただくとすれば、数学の分野でのちのち成績を上げたいのならば、幼児期に思いきり自由にのびのびと遊ばせておく方が良いのかもしれません。


英語というのは母国語がしっかりと分かった上でしか身につかないものだそうです。
母国語をある程度習得せずして英語を学ぶと、文法の違う言語を間違って解釈してしまい、どちらもまともに話せない中途半端な状態になってしまうと言われています。

幼少の頃アメリカに住んでいた姪と甥は、日本人はただ1人という保育園に通っていたため帰国当時は英語がペラペラでしたが、その当人たちも「喋ってなければすぐに忘れちゃう。小さい時の英語は関係なかった」と言っています。
ちなみに小学生時代、英語教室に通っていた私は中1の1学期末で満点を取った以降はとんでもない成績でした。
英語を身につけさせるには「その子の日本語がおかしくなるくらい」家庭でも英語漬けにしないと無理だそうですよ。

音楽
「音楽」は人が育つ上で大切なものです。
ただ、幼児期に楽譜通りに弾かせるとか、人と競い合わせる、毎日練習させる、技術を向上させる、というのは早すぎるようです。
音楽は「頑張って練習する」ものではなく、心から楽しめなくてはならないので、幼児期には「好きな歌を口ずさむ」「きれいな音を聞く」程度で良いのではないでしょうか。

日本ほど家庭にピアノが普及している国は他にないのに、大人になっても音楽を愛し、続けている人が少ないのは、小さい頃から半強制的に「音楽をやらされている」結果だと聞きました。
ちなみに、ピアノを始めるタイミングは小学校高学年以降が相応しいようですよ。
ヴァイオリンに関しても、そこの家庭が音楽一家で「かなりの才能の持ち主」という訳でないのなら、小学3年生くらいで始めるのが良いそうです。


スポーツ
6歳までの子は自分の好きな動きを表現することが好ましいので、体を造っている幼児期に一定の動きや表現を強いることは体にとって負担なのだそうです。自由な遊びではなく決まったルールやフォームをこなしていくのは幼児にはまだ早いのでしょう。

文字
小学校に上がる前には文字を教える必要はないと思っています。
「どうして文字を教えてはいけないの?」「興味を持った時に覚えるのは悪いことじゃないんじゃない?」最初は私も疑問でした。
でも娘たちを見ていて、文字を獲得してくと、小人さん、妖精など目に見えない、その子のベールのようなもの&ファンタジーがどんどん失われてしまうように感じました。
キレイな絵や風景を眺めていても、そこに文字が書かれていれば、自然と文字を追ってしまいます。一旦覚えてしまった文字はもう忘れることはできません。
いずれは誰でも字が読めるようになるのですから、せめて入学前はファンタジーの世界で夢見心地に過ごさせてやりたいものです。

そのために親ができることは、なるべく文字に興味を持たせないようにすること(教材、「あいうえお表」などは買わない、もらわない)。
友だちの影響で興味を持ってしまったらそれは仕方ないこととして受け入れ、それ以上の刺激を与えないようにします。

「学校に入って遅れを取らないか?」誰もが不安になると思います。
我が子の例ですが、入学して初めて習う事柄に興味深々だったようで、担任の先生は「学びたい欲がスゴイです」「誰よりも真剣に授業を受けています」とおっしゃっていました。
早い時期から塾に通っている子と比べ、学力に大差はないように感じています。


幼児期に習い事をしている子の親の多くは「この子がやりたいと言い出した」「喜んで通っている」と言います。
でもそうなるにはそのような働きかけ(勧めた、連れていった、体験させたetc)があったはずであり、子どもは純粋に自分の意志でそれを望んだわけではないでしょう。
また、「この子は楽しんでる」と親は思い込んでいても、裏には「頑張ればママが喜んでくれる」「本当は○○ちゃんと遊びたかったのに…」という気持ちが隠されているかもしれません。


早期教育はドル箱産業といわれているので、企業はあの手この手で私たちを誘惑してきます。
刺激の強いおもちゃと同様、楽しそうな習い事は何でもやりたがるのが子どもだと思っておいた方が良いでしょう。
ですから「子どもの希望通り」に習わせるのではなく「子どもの成長にとって相応しいのか、負担じゃないのか」の判断をしてみてください。


早期教育が盛んになったのは今から20年ほど前。
その子たちは今、高校生、大学生に当たる年なのに学力が昔より落ちているのは皮肉な話だと思いませんか?。
あまりにも教育を急がせる結果、きちんと勉強すべき年に「勉強嫌い」になってしまうんじゃないかなぁ…。

 

お片付けについて
「3歳頃までの子はお片付けはできない」と思っておくと、子どもにイライラしなくて済みます。
だからといって「片付けさせなくていい」という訳ではありません。
子どもが小さい頃は「親が楽しそうに片付ける姿」を見せたり、「お片付けを遊びの延長にしてしまう」ことで子どもにも楽しませてしまうと良いでしょう。


一般的なお片付けというと「おもちゃ箱に片付けてお部屋はすっきり」ですが、乱雑にポイポイ放り込むとか、ごっちゃに箱に入れるという片付け方では、物を大事に扱うという点でも疑問が残りますし、子どもにとって楽しい時間とは言えません。

シュタイナー教育でのお片付けとは「おもちゃをしまう」というよりも、「お家に帰してあげる」「棚に飾る」といった印象を受けます。
お人形コーナーは毎晩人形が眠る場所に、車のおもちゃは車庫に返すのです。その時、「ブーブー、車庫に入りますよー」と言いながら車を動かして片付けていきます。



子どもの世界を邪魔しない

乳幼児は私たち大人よりも自然界のもの、小さな生き物ととても仲良しです。
石ころ、木の実などの自然物に興味を持ち、時にはそれを宝物にしたり遊び道具にしたりします。
虫に触るのがへっちゃらな子も多いでしょう。
そういう時は「汚い」「気持ち悪い」と大人の価値観を押し付けず、(危険でない限り)そっとしておいてあげて欲しいなぁと思います。


うちの夫は虫や動物などの生き物にとても優しい人です(娘の父親がこの人で良かった、とよく思います)。
夫とつきあいだして間もない頃、虫が苦手だった私は思わず「蜘蛛、気持ち悪い~」と言ってしまい「蜘蛛はダニを食べてくれるいい奴だよ」と教えてもらったことで「それぞれ生き物には生きている意味があるんだ」と気付きました。

人間は地球に住む多くの生き物のたった1つに過ぎません。
だから人間が偉くて、他が劣っているということもないし、人間が生き物や環境を破壊してしまうのはとても身勝手なことです。
子どもには小さい頃からいろいろな生き物とのふれあいを通して、「自分は自分のまわりにいる生き物がいなければ生きていけない」と感じさせていきたいものです。


私は、仮に自分が苦手な虫がいたとしても平静を装うようにしています。
ですので小さい頃の娘は「虫はお友達」だと思っていて「おはよう!○ちゃんの所に虫さんが遊びに来てくれたよ」と声をかけていました。

母が無農薬栽培をしている畑には毎日たくさんの虫が野菜を食べに来ますが、これを日常の光景として見ていることも良い経験だと思っています。


食べ物について思うこと

主婦向けの雑誌には「いかに食費を少なくしてマイホームをゲットするか」という記事が書かれていることがよくあります。
「子ども2人と母親で毎日お昼ご飯は具なしのインスタントラーメン。昼食代は1日100円!夜はチクワにたれをかけただけのちくわ丼!」得意げに答えています。
私はこの記事を見てゾッとしました。身体を作る時期(幼児)の子どもの食費を削ってまでマイホームが建てたいのかしら…と。


私が初めて食に興味を持ったのは中学生の頃、ビビッドな赤色をしている福神漬と紅生薑を見て「こんなに赤色にする必要ってあるの?」と疑問に感じてからです。
思春期ですからファーストフードやスナック菓子も食べましたが、着色料に気をつけたり、炭酸ジュースなどを制限するようになり、その当時「どうして食べ物に気をつけてるの?」と聞かれた友だちに「将来生まれる子どものため」と答えたことを覚えています。
今ではスーパーで買い物をする時は原材料と添加物をチェックし、食材のほとんどは生活クラブ生協(安全性の高い商品を共同購入する組織)で購入しています。


わが家の食卓では「1日30品目」を目標とせずに「旬の地場もの」が中心。
「身土不二…住む土地の旬のものがイチバン」をモットーとしています。輸入食材やハウスものは避け、乳製品は控え、「食品の組織を壊す」と言われる電子レンジはなるべく使いません(特に子どもには)。
できるだけ無農薬のもの、食品添加物の入っていないものを選んでいます。


エンゲル系数は高いけれど、日本の農家や、消費者の為にきちんと物づくりをしている企業を応援(投資)する意味でも良いものを選んで買っています。
幸い、ばーばは畑で無農薬の野菜を作っています。
虫食いだらけで立派なものではありませんが、新鮮で味も濃いです。
その旬の野菜を中心になるべく手作りの食事を作っています。
食事はうちで作るもの、粗食で十分、家族で揃って食べる、可能な限りそうするように心掛けています。


「おやつ」の目的は「3度の食事だけでは足りないエネルギーを補給すること」ですから、次の食事に支障をきたすようではいけません。
理想はおにぎりや焼き芋など。
よその家に行き来するようになるまではなるべく「砂糖の魔力」を教えないようにしたいものです。

今の子は「空腹」を知らないと言われています。
食事の時にお腹がペコペコだった娘たちは、野菜も酢のものも煮物も何でもペロリと平らげました。
食にあれこれ悩まずに済んだことは、育児する上でとても楽だったように思います。


たまに「スーパーでおやつを選ぶ楽しみも必要では?」と言われることもありますが、生まれて数年しか経っていない子どもにお菓子を選ぶ目が養われているとは思えません。
「パッケージが派手」とか「たまたま目に止まった」「おもちゃが入っているから」という理由で選んでいるからです。

我が家では幼児期に子どもにお菓子を選ばせることはありません。
「お菓子は買わないよ」と言い聞かせ、お菓子コーナーに立ち寄ることもないので、スーパーでお菓子を欲しがったことは1度もありません。
小学生以降は「体に悪いお菓子は買わないよ。安全なお菓子は用意しておくから、市販のものが欲しいなら自分のお小遣いで買ってね」というようにしました。最初は喜んでコンビニで買い物していましたが、おやつの為にお小遣いががなくなっていくことに懲りたようです。

 

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