春の味といえば、何だろうか。人によって様々なのだろうけど、自分としてはやはり山菜だと思う。山菜にもいろいろあって、東北地方を旅する時などは、その豊かさに感嘆したりしてしまう。地元で売られている山菜は、都会のスーパーに並ぶ季節外れのそれとは違って、山や谷の香りや水音さえも伴っているような新鮮さと力強さがあるように感ずる。しかし、それらはあくまでも地元に行かないと手には入らない。ここ数年春の東北への旅の機会を失しているので、今年は是非実現させたいと思っている。
ところで、東北へ行かなくてもとって置き、とびっきり珍味の山菜が守谷市の自分の住まい周辺にもあるのである。土筆(つくし)やヨモギなどではない。もっと上を行く珍味なのである。それは、アケビの新芽なのだ。アケビといえば、山の中の樹に絡まって育ち、秋になって紫色の実をつけるあれなのだが、何もそのような山の中に入らなくても、よく見ると、道路脇の金網の塀などに絡みついて、至る所に自生しているのに気が付く。コンクリートづくめの建物や舗装道路ばかりの都心部では見つけるのが難しいと思うけど、少しでも田畑があるような場所なら、必ずどこかに自生している筈である。
今年はそのアケビの新芽が出るのが何時もよりもかなり早かったようだ。数日前、朝の散歩コースを歩いていたら、既に花を咲かせているのに気づいた。例年だと、五月の連休の少し前の頃なのに、今年は桜が咲いている頃に一緒に花を咲かせるといった早さである。やはり少し季節の運行が異常だなと思った。花が咲けば、当然蔓の新芽が出ていることになる。さすがに未だ芽が出始めてそれほど時間が経っていない感じの大きさだったが、これくらいの時の方がアクが少なくて食用としてはベストなのである。
アケビの大株。これは高速道の遮音用壁に取り付いている。黒っぽいのが花。又青空に向かって伸びているのが新芽の蔓。この蔓の先端10cmほどを摘んで食用にする。
せっかく芽を出したのを摘んで食べてしまうなんて残酷だなどと思ったりする人がいたら、それはカマトト人間だ。食うために人間は鶏や豚や牛、それに馬までさえも平気で殺し、美味い不味いなどと味の評価等しながら食べているのである。アケビは、芽を摘まれたくらいでへこたれる植物ではなく、相当にしたたかな奴なのである。一度裏庭に作った野草園に、春蘭にくっついてやってきた小さなアケビを育てた時があった。棚を作ったりして一時は楽しんだのだけど、数年経ってそのあまりに獰猛な繁殖力というか、なりふり構わぬ蔓の伸び具合が嫌になって、取り去ったのだった。しかし、その後も元株から何本もの蔓を出して、うっかり気づかずにいたりしたら、たちまち隣の生け垣を侵略するといった塩梅で、手に負えるものではないなと、しみじみ思ったのだった。
自然界の中では、アケビは鳥などに種を運んで貰って、道脇の至る所に自生している。特に高速道路の脇に作られた遮音用の塀や防護用の金網のある場所などが大好きらしくて、そのような道を歩くと幾らでも新芽を摘むことが出来るのである。今回もその主な採取場所は高速道路脇の金網に絡まった奴だった。
アケビの花というのはなかなか高貴な感じのする紫色をしている。高速道路脇の壁に大きくもたれかかって花を咲かせてるのを見つけた時は、ああ、今年も本物の春が到来したなと思うのである。春の花といえば、勿論桜だと思うけど、梅や桜や桃などの花は派手過ぎて春に埋没してしまいそうになる。それに食用にはならない。実を食べる頃は夏になってしまう。そこへ行くとアケビの花は、芽という食用付きの存在で、自分にとっては足が地に着く感じの山菜という位置づけなのである。
アケビの花。濃い赤紫の花だが、何処か高貴さを感じさせる趣きがある。葉に隠れて目立たないことがあるので、気づかずに通過してしまう人が多いようだ。
アケビの芽は、摘んできたものを水洗いして、沸騰したお湯に塩を一つまみ入れてから、さっと1~2分お湯を潜らせて取り出し、それを冷水で粗熱をさっと取り、それを更に冷蔵庫などで少し冷やして、それに白だし醤油やポン酢などを掛けて食べるのだが、独特の食感と苦みが口の中一杯に広がって、何とも言えない大人の味がするのである。勿論、これはご飯のおかずに供するなどというものではなく、一献を傾ける時の肴として、春を味わう最高の山菜の一つではないかと思っている。
守谷市内を歩いていると、これを摘んでいる先客がいることに気づくことがある。やられたな!というライバル意識が少し働くけど、それよりもこれを味わうことを知っている仲間がいるというのが嬉しい。誰か知らないけど、恐らく自分と同じ世代の人ではないかと思う。若者がこのような山菜珍味のことを知る筈はなく、桜の花の下で乾きモノのツマミなど口にしながら無風流な宴会をするしか能がない者が多いようだから、アケビの芽を食うなどというのは、信じられない外道と思われるに違いない。
ま、とにかく今年の春の山菜の旬を一つかみ摘んで来て、味わったのだった。まだまだこれからもたくさんこの苦みを味わえるかと思うと、本物の春に感謝せずにはいられない。
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