山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

悪事千里を走る

2018-05-23 04:16:16 | つぶやき

 日大アメフットボール部の起こした事件が大きな社会問題となっている。この一連の動きを見ていると、現代のこの世のご都合主義の厳しさを目の当たりにしているような気がする。自分は、当事者ではない世間の目というのは、恐るべきご都合主義の中にあると思っている。即ち、一旦悪事もしくは善からぬと思われることが世間に明らかになったとしたら、それまで関心などなかった人々が一挙に批判の側に立ってものを考え、申すという振る舞いとなることだ。その多くの場合はマスコミなどが火種をまくのだが、今の世はその前にSNSの果たす役割が大きい。悪事を為す者にとっては、恐ろしい世の中になっている。

 悪事千里を走るは随分昔のことわざだが、今の世はそのようなかったるい走り方ではない。悪事は瞬時に幾千万里を走るのである。日大アメフットボール部の引き起こした超反則行為は、これは明らかに悪事であり非難されるべき出来事である。ボクシングのような格闘技でいえば、グローブの中に悪意を込めた凶器を秘め持って相手にパンチを浴びせるようなものだろう。チームスポーツであるフットボールのゲームに於いて、無防備の相手にタックルするというのは、ボクシングのそれ以上の行為なのかもしれない。

 それが問題化して、加害者サイドは、対応にあたふたする羽目となったが、それら一連の動きを見ていると、真(まこと)に以って往生際の悪いことここに極まれりの感じがする。事実を事実と認めない行為は政治家の常套手段であり、監督の弁明的責任とりの言を聞いていると、こりゃあ未熟な政治屋と同じだなと思えてならない。文書で回答するなどという振る舞いも官僚のそれとよく似ている。文書ならば、あとで不利となった場合の言い訳を探すことが容易だとでも考えているのだろうか。

 いつの間にか自分もすっかり世間の目になりすましている。TVを見ながら素顔を見せて謝罪の会見をしている加害者の学生に、お前は悪者なんかじゃない、勇気のあるいい男だ。だけど監督の勝利のための損得の物差しに乗って言いなりになってはいけない、飽くまでも人生肝心な時は善悪の物差しで行け、と言いたくなる。この青年はこれから善悪の物差しをしっかり使い分けられる人間となるに違いない。そう思った。

 一方で監督やコーチの方はどうなのだ。何千万人というTVの視聴者の中に、気のどく・可哀そうと同情する者がいると受け止めているのか。家族の中にだってそれを探すのは難しいのではないか。上に立つ者、強い立場の者の引き起こす事件は、事後の対応のタイミングと内容によって、事の成り行きが大きく変わるものだ。往生際が悪いと、このような有様となってしまう。

 世の中というのは絶対的な事実・真実を求めたがるようである。真実が一つとは限らないし、又その出来事を取り巻く諸々の立場、事情が絡んでいることを考えると、世間のご都合主義的正義感ばかりで物事を判断するのは如何なものかという捉え方もある。しかし、問題の核にある人間は、常に人間性を問われるのである。監督やコーチという使命の重要性よりも、その前に人間としてどうかということが問われるのである。

勝つためには手段を選ばないというのは、殺人や破壊を目的とする戦争だけだ。スポーツの戦いは戦争と同類ではない。人間が動物として保有する闘争心を、人間らしく発揮する場としてチームスポーツが生まれ、存在するのである。手段を選ばないのならば、勝利など何の価値もない。目的を取り違えているチームスポーツの指導者は、恐らく日大アメフットボールだけではないと思う。これを機に一つ己の人間性を確認して貰いたい。もしそれでも自分は勝つために手段を選ばないと悪事を為すことを辞さないのならば、即指導者から身をひくべきである。それができないのならば、遠からず今回と同じような事件を引き起こして、世間の曝し者となるに違いない。今は悪事が瞬時に千里以上を走って世に知らしめる時代なのである。

どのような顛末となるのか。事件は未だ収束していないが、関係者はこの出来事から多くを学び、気を引き締めて欲しいと思う。そうでないと、単なる世間騒がせで終わってしまう。本物のスポーツの発展のためにも。


狂気の膨れ上がる時代の到来

2018-05-16 08:49:28 | つぶやき

 連日どこかで狂気としか思えないおぞましい事件が発生しているようだ。新潟市の小学生の二重殺人事件はその極みの一つなのかもしれない。人命など路傍の虫けらの命と変わらないほどの想像を絶するおぞましきふるまいである。又殺人ではない事件でも、毎年被害が数百億にも上る善良な老人を騙す詐欺事件は後を絶たないし、子が親を殺したり反対に親が子を殺すという事件もうんざりするほど発生し続けている。平和な筈の日本国には、今おちこちに狂気が膨らんで爆発しようとしているかのようだ。

 一体どうなってしまっているのだろう。この国の今の世は。なぜこれほど狂気が膨らみ爆発するのだろうか。止めようのない怒りと憤懣を覚えながら、一つ思いつくことがある。

 それはここ30年ほどの僅かな時間に起こっている、いわゆる情報革命の結果がもたらしているのではないかという疑念。即ちデジタルな世の中の到来とバーチャルの蔓延(はびこ)る世の中の到来である。この二つの現象が人間の感覚を麻痺させ、血の流れの温かさを忘れ果てさせているような気がする。

 デジタル技術の進歩はネットを初め今の世の中に多大の貢献をしていることは疑いも無いことだが、そこから生み出される負の部分に関しては、人間が生き物であることを忘れさせるほど無責任であり、狂気を表出させる原因となっている。

 人間は誰でもどこかに狂気を潜め持って生きているのだと思う。それを簡単には爆発・暴発させないのは、自分がアナログの世界に生きていることを自覚しており、それ故に自制を効かせているからなのであろう。人は瞬間の連続の中に生きているのではなく、過去から未来につながる現在という今に生きているという自覚があるからなのだと思う。

 ところがデジタル発想の社会は、刹那主義の生き方を推奨しているかの様である。今が良ければそれでいい。あと先のことなどは考えない。切れる生き方を生み出しているかのようだ。世の中を治める法律があることは知っているけど、そのようなものに現実感はなく、己の行為こそが生きている証なのだと考えるのであろうか。

 このような発想に輪をかけて狂気を膨らませているのは、バーチャルな世界の横行である。仮想即ち本物とは違う空想の世界を本物らしく見せかける技術の進展である。これは人間の心の有り様を相当に侵し始めている気がしてならない。例えばゲームがある。そのテーマの多くは戦いや退治などの殺戮場面で成り立っているようで、物を壊し生命を奪うことなど日常茶飯事なのではないか。このような世界に耽溺(たんでき)していると、人は錯覚を起して、現実と仮想との境を見失うのではないか。物を壊すことなど、人を殺すことなど大したことではないという、今、そのような人種が急激に増えて来ている感じがする。

 狂気には二種類あって、一つは燃え上がる狂気、そしてもう一つは冷めた狂気である。どちらも不気味である。デジタル社会がもたらす狂気は、多分に後者の冷めた狂気ではないか。己のちょっとした思いつきのレベルで、淡々と人を殺し、何食わぬ顔で生きているという奴である。このような輩には、それが発覚して捕まったとしても、心底からの反省はあり得ない感じがする。今回の新潟の事件などはその典型のような気がする。

 冷めた狂気は、世の中を破壊する。デジタル発想の進展は、その技術がもたらす負の世界の中で、人間の閉ざされていた狂気を噴出させることにつながっている感じがする。もはや自分のような老人にはどうすることもできない病理の世界が到来しているようだ。

 今、この世は明らかに新たな病に取りつかれ始めているようだ。情報技術のあまりに急速な進歩について行けず、取り残された心(=精神)が病み壊れ始めている人間が増え出している感じがしてならない。取り敢えず老人は自衛するしかないのだが、それにしてもこの先この世がどうなってゆくのか見当もつかない。


金正恩の変心

2018-05-02 04:22:37 | つぶやき

 何だか狐に包まれたような気分である。あの悪辣極まりない人物だった北朝鮮の金正恩が突然ニコニコムードの振る舞いを見せて韓国の大統領と手を握りあったりしている。今流の世の中のデジタル的な発想でこの振る舞いを見ていると、このようなこともありうるのかと首肯はできるのだが、さて、アナログ思考が当たり前の人生を送って来た者にとっては、何とも解せない行為と目に映る。この事態がどこまで本気なのか。演じられているドラマを見ていると、物語の筋の先が読めない。

 ま、今のところは良いことが起きていると見ておきたい。核戦争のような愚行へと発展する危険がほんの少しでも小さくなったという点では評価しなければならないとは思う。アメリカを相手の大芝居が始まったとみるのか、それとも平和という名の武器で、大国アメリカを相手に新たな戦法を開発したのか。北朝鮮の悪智慧は韓国や日本などの比ではないように思える。

今までのしたたかな外交を見ていると、よくもまあこのような強弁を通せることができるものだと、国連などの場での振る舞いは超一流の感がしていた。ひたすら核開発を進め、それを使えるためのロケットの類の研究を推し進め、国民の貧困などはものともせずに今日までに至って、一体どういう風の吹きまわしなのかと、思ってしまう。人攫(さら)いまでして国の体制を固めて来たのを、一体これからどうするつもりなのか。不可解としか言いようがない。

世界を誑かす大芝居を打っているのか、それともアメリカをはじめとする世界中からの締め付けに息の根を止められて、ギブアップのサインを示し始めたのか。国益というもののコンセプトが普通ではないこの国が、もし国民のために国益を使うという考えに切り替えるのであれば歓迎できるけど、違う目的だとすれば、それが何なのかを想定することはとても無理な気がする。

この先がどうなるのかは、トランプ大統領との話し合いの如何に掛っていると思われるが、さて、この結果はどうなるのか。ノーベル賞などという噂が出ているけど、その対象が金正恩などとなって実現したとするなら、これはもう世界史に類を見ない茶番劇の手本となるに違いない。何だか訳のわからない世の中が近づいている気がしてならない。

それにしても人攫いの罪はどのように断罪されるのだろうか。又尊属殺人は無視されるのだろうか。