山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

妄想を楽しむ

2018-04-23 03:55:30 | つぶやき

 毎朝7~10kmほどを歩いている。桜の花は散ったけど、今は葉桜の緑がまぶしい。八重の桜も終わりに近づいているが、ライラックを初めハナミズキやツツジなどの花が一斉に咲いて民家の庭先や歩道脇を飾っている。今は大自然が眠りから覚めて活動を本格化し始めた最も元気を貰える季節であるのを実感ながら歩いている。5時頃から歩き始めて7時半過ぎに家に戻るのだが、どのコースを歩いても飽きることが無い。目に映る景色も耳に届くウグイスや雲雀などの小鳥たちの囀りも季節の真っ只中にいることを教えてくれる。

 そのような歩きの中で、この頃は適当に妄想を楽しむことにしている。妄想というのはありもしないことを勝手に想像して、半分己れの弱さを感じながらも、そのことに思いを馳せるという、恐らく人間だけに与えられた特権なのかもしれない。犬や猫たち、或いは牛や馬たちが妄想するとは思えず、彼らはその分正直に生きているということなのであろう。

 自分の妄想は基本的に過去や現実に対する「タラレバ」である。つまり、「○○だったら」 「○○であれば」という奴で、これは素人の下手くそのゴルファー用語の一つでもある。「あそこでOBを出さなかったら、」 「あのパットが入っていたら、」など、実力を忘れて己の失敗を取り繕うとする心の働きがもたらすセリフである。

しかし、自分の妄想は同じタラレバであっても、ゴルフのそれとは違う。より本格的なのだ。少しその妄想ぶりについて書いて見たい。

例えば、現下の政情についてであるが、自分がもし総理の座にいたとすレバ、森友や加計問題それに財務官僚の不始末問題などをどう考え、どう対処するのか。などという妄想である。これを歩きながら延々と楽しむのである。時に正義の味方となったり、或いはその反対に批判される側の立場になって考えたりして、千変万化である。

森友問題については、自分の妻が係わっているとしたなら、国会にサッサと出席して貰って、黒白をつけて貰うし、自分が係わっていたとしたら、当然のことながら妻を国会になどという前に引責辞職するのは当然である。と、まあこれは潔い男の決断となるのだろうけど、実際に妻が森友に係わっていたとしても便宜を図る約束などはしておらず、自分自身も殆ど何も知らないというのであれば、官僚どもが勝手に斟酌してくれてバカ値で土地の払い下げをやってくれたのなら、これはもう知らぬ・存ぜずで通すことにするのは当然。しかし、待てよ?この官僚の斟酌というのは一体何なのだ。総理の意向を斟酌するというのは、本当に自分に対して歓心を買うためなのか、それとも何かの陰謀なのか。ちょいと厄介だ。こりゃあもう長期戦で、収まるところまで行くしかないわい。それにしてもトランプや金正恩や習近平の動向など、国際的に厄介な課題を抱えている時に、このようなことで野党始めマスコミなどが、ガァガァ騒いでくれているのは。真に迷惑千万。政治を私しているわけでもないのに、こりゃァやっぱり誰か、どこかの陰謀なのかな。だとしたら、俺もうかうかしては居られないぞ。さて、どこから手を打って行けばいいのか‥‥。

それにしても財務省というのは少しおかしいな。いや、おかしな奴は一握りなのだろうけど、この際やっぱり膿を出しておく必要があるな。それと、太郎ちゃんで本当に大丈夫なのかな、大臣は。彼の正直で軽いところが好きだけど、強気過ぎるのがまずいな。しゃべらないという芸をもっと磨かないと、この先危ないな。

ところで、加計問題だけど、地元の人たちは皆喜んでいるのに、何で野党やマスコミは騒ぎたてるんだろう。これだって特区で風穴を開けたのだから、多少強引さはあったとしても、世の中人のために役立っているのだから、ツベコベ言われる必要はあるまい。無理やり問題化して自分をおとしめようとしているが、その手には乗らないぞ。それにしても情けない世の中になったもんだ。これじゃあ、思い切った改革などできるもんじゃない。瑣末なことで直ぐに騒ぐというのが、この国の文化になってしまっているのか。戦前の政治家連中が羨ましいね。

‥‥、などなど妄想は果てしない。総理になったつもりでいると、いつの間にか現安倍総理の心境に近付くのが不思議なのだが、決して味方となっているわけではない。いい加減総理の妄想に飽きて来ると、今度は一変してジャーナリストになったり、立憲民主党の党首になったりして、真に果てしなく主人公が変転するのである。

ということで、2時間位はあっという間に過ぎてしまうのだ。しかし、最後の頃になると、妄想は醒めて正気に戻るのである。すると再び小鳥たちの囀りが聞こえ出し、目に繚乱(りょうらん)の花たちが飛び込んでくるのである。妄想は時として楽しい。


多死社会に思う

2018-04-15 20:28:42 | つぶやき

 多死社会が始まっているという。2010年に約120万人だった年間の死亡者数は、2025年迄の5年毎に約10万人ずつ増えて、2030年代には160万人台になるという。団塊の世代などと言われた人たちが老を迎え、その終わりが近づく時期なのだから、死亡者が増えるというのは当たり前のことなのかもしれない。ただ、この社会現象は、死亡者が増えることで人口減少に拍車をかけるだけでなく、出生人口の低迷に基づく高齢化率を増大させ、この国のあり方の多方面に、難しい課題を投げかけることになる。この時代には、倅たちにも高齢化が近づいており、その後で孫たちは一体どんな時代を迎えて生きて行くのか、そのようなことを考えると、何だか穏やかではない気持となってしまう。

 自分は紛れもなく多死社会の魁(さきがけ)を担うことになる。2030年迄生きたとすると90歳となり、間違って100歳迄生きてしまったならその時は2040年となる。ま、これはあり得ないことだし、健康年齢を考えると90歳というのも危いような気がする。願わくば健康年齢の限界が来た時にこの世からおさらばしたい。とまあ、多死社会の話題に触れる度にこのようなことを思ったりしているのだが、今考えているこれからの自分の老後は、次のような目標などを掲げている。

 先ず家内との関係がある。これには約束があって、家内より先にあの世に逝ってはならないことになっている。先に逝くと家内が年金の関係で暮らしに支障が出て困惑するからというのが、表向きの理由となっている。ま、本音もあまり変わらないのだけ、とにかく家内の後に逝くということになるから、家内が100歳迄生きたとなると、自分は105歳を超えるまで死ねないことになる。半分以上が冗談だったとしても、悪い目標ではないと思っている。この目標を達成した時は、もはや長生きからは解放されるので、可能な限り早く冥途とやらに旅立ちたい。

 次に死計についてだが、これは元々「PPK」の死に方を掲げていた。とにかく元気なままの状態であの世に逝くということだった。しかし、大杉漣さんの死を知ってからは、これはあまりいい死に方ではないというのに気づかされた。周辺を驚かせ悲しませるというような逝き方は、あるべき目標ではないと思った。自己満足の死に方(大杉さんは決してそうではなかったことはよく承知している)はとるべきではないと思ったのである。それまで自分の考えていたPPKは、安易なものだったことを思い知らされたのである。

 それで、PPKではなく「PPY」で逝くことに変更したのである。PPが不変なのはピンピンというのはあの世に逝く上での必須条件だからである。そして新しく掲げたYというのは、「予知・予告」というあり方だ。つまり自分が死ぬることを予知し、周辺に知らせておくという死に方である。これを周辺に納得させるのは難しいと思うが、突然死よりは衝撃は少なく、老人はいずれはこの世を去るという絶対事実からすれば、悪いやり方ではないように思う。とにかく先ずはその予知能力を高めることに努めたい。

 最後に、これが最重要の取り組みだと思っているのは、とにかく生きている間は目一杯生きていることを楽しむということである。今のところ、一番の楽しみはくるま旅で好きな場所を訪ね歩くということだ。同じ場所にも何度でも出かけてみたい。そしてそこで味わった感動の一つ一つを書き残しておきたい。書くことも、それを考えることも楽しみの一つなので、死ぬる迄楽しみには不自由しないのではないかと思っている。又新しい楽しみにもチャレンジしてみたい。まだ見つかってはいないけど、必ず新たな出会いがやって来てくれるものと、なぜか確信している。

 とにかく多死社会の中でウロウロするのだけは避けたい。目一杯生きるのを楽しんで、しっかり予告をしてあの世へ逝くことを実現させたいと思っている。


常識は変化する

2018-04-09 04:56:08 | つぶやき

常識というのは多くの人の物事に対する共通認識なのだと理解しているのだが、その理解を不可解とするような事象が起こった時、老人の神経はそれが異常なのではないかと反応する。

 今日町内会の花見があった。年に一度のイベントである。場所は町内にある小さな公園で、地べたにブルーシートをひいて、自治会館にあるありったけの座布団を敷いての集まりだった。本来あるべき筈の桜の花は既に散り果てて、若葉がそよぎ出す風情の葉桜だった。生憎冷たい風も吹いていて、コンディションは必ずしも上々とは言えなかった。

 自分たちはこのようなイベントにはとにかく参加することにしている。同じ地域に住む者として、コミュニティ形成のための大事な場だと考えているからだ。ただ住んでいるだけで、他の人は知らないというだけでは、コミュニティは成り立たないと思っている。名前は知らなくても、お互いが、どんな人が住んでいるのかをほんの少しでも知っておくことは、コミュニティ形成の最小限の必要事項だと思う。名乗りあって、お互いを確認するようなことまでしなくても、イベントに参加することによって、町内という小さな地域に住む者という安堵感というか、安心感のようなものが生まれて来るのだと思っている。

 今日は子どもさんたちも含めて40名ほどの参加者があった。盛況というべきかどうかはわからない。参加者の多くは顔見知りの方たちで、その家族の方たちが多かったようだ。更によく見ると、参加者の殆どは町内会の何らかの役員を担う方たちとその関係者の様で、それ以外の人はあまり見かけられない感じがした。感じがしたというのは、自分自身もこの町内会の人たちをあまり知ってはいないからである。

 昔の自分たちが育った村の集落の集まりとは随分違うなと改め思った。何が違うかと言って、村の集落のイベントは、知らない人などいなかったと言っていい。ところが今住む町の場合は、もう住み始めてから15年にもなるのに、知っている人はほんのわずかなのだ。自分たち老夫婦のこのコミュニティでの知り合いは、20人くらいだと思うけど、もしかしたらそれはかなり多い方なのかもしれない。

 ここへ来て暮らし始めて感ずるのは、戸建の家であってもマンションに住んでいるのと同じ感覚で暮らしているということだ。あまり知り合わないことが暮らしの基本となっているようだ。自分などは、定住と決めて住み始めた限りは、できるだけ多くの方たちと知り合い、コミュニティとしての絆のようなものをつくり上げるのが当たり前だと考えていたのだが、町内会が主催する幾つかのイベントに参加してみていると、その考え方はもはや当たり前ではないというのが実態のようだ。

 現代のコミュニティというのは、個人尊重、役割分担の平等化などの基本的考えのもとに、極めて制限された活動によって運営されているようである。関心があっても無くても役員は皆1年任期の持ち回りであり、それを遂行するのは責任と義務によるものとなっている。従ってよほどの熱意を持った人とか、或いは住民すべてが困惑するような出来事が起こらない限りは、コミュニティが新しい動きを踏み出すことはない。

 その是非を問うのは難しい。新興住宅地の住人の多くは、様々な職業を持つ人たちで、その働き方暮らし方も皆違っている。お互いに干渉し合える余地は少ない。これは現代社会が創り出している当たり前の形態なのかもしれない。大都市では圧倒的にマンションやアパートでの暮らしが主流であり、その暮らしの感覚が守谷市のような近郊住宅地においても浸透して来ているのであろう。そう思わないと、この地では暮らしてゆけないのだなと、そう思った。

 ま、そういうことで葉桜と化した桜を見ながら、世の中人のためなどというきれいごとは忘れることにして、今の世の中の常識を改めて確認したのだった。それでも知り合わないなどという「無関係」優先の発想には抵抗しながら、残りの人生を歩んで行こうと思った。