山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

遠い遠い夏の記憶

2019-08-15 03:44:52 | ジジババ世代の話

 夏はいつも暑い。しかし、この頃の夏はその暑さの質が違ってしまっているようだ。いや、変わってしまったのは夏ではなく、人間たちの暮らし方なのかもしれない。連日熱中症とやらで搬送される人が続出している。のみならず亡くなる人の数も尋常ではない。その多くが高齢者世代だという。暑いと解っていても、エアコンを点けずに部屋の中にいて、そのまま倒れてあの世へ行ってしまっているという。それがたった1人の事例ではなく、何人もの老人が同じ事件を繰り返しているという。何と言うことなのだろうか。

 この頃老人となった自分を実感するのは、昔を思い出すことが多くなったからなのかも知れない。時々遠い遠い子供の頃の昔の夏を思い出すことがある。それは70年ほど前の小学生の頃だったろうか。

終戦を迎えてからの暮らしは、今では想像できないほど貧しかった。戦争で家も土地も失い途方に暮れていた両親と祖母は、それまでの町での暮らしを捨てて、県北の小さな開拓地に入植することを決意し、それまで戦火を避けるために親戚の家などにバラバラに疎開していた家族を、一緒に住むための小さな掘立小屋をつくって、新たに開拓農業に取り組むことを決心したのだった。北海道開拓の先駆者たちが「拝み小屋」と称した、開拓のための住いと比べてもさほど変わらないほどの家だった。8畳と台所しか無い掘立小屋に一家7人が身を寄せ合っての暮らしが始まったのだった。

夏はやはり暑かった。開拓地には電気が通っておらず、エアコンなどがある筈もなく、勿論テレビは論外でラジオさえもなく、照明も灯油ランプに頼るだけだった。今ならば山奥の登山者のための避難小屋のようなレベルの暮らしだった。暑い夏は蚊や蚤などの虫も多くて、そのままでは眠れないので、蚊帳を吊るのが当たり前、そして風を通すために全ての戸を開け放って寝るのも当たり前だった。貧しい開拓地にドロボーなどが入って来る筈もなく、盗みのターゲットなるようなものは何処の家にもある筈もなかったのである。

この話をし始めたら、それこそエンドレスになってしまう。そして、話したくもない遠い貧しいくらしのことなのである。今、話したいのは、封印していたものをさらけ出すことではなく、その頃の夏の暑さと今のそれとの比較の話である。

70年前の昔の夏も暑かった。しかし、暑さが人を殺すなどという話は聞いたことが無い。熱中症などとことばも無かった。暑気を受けるとか夏バテというような言葉を偶に耳にすることはあったけど、それが原因であの世へ逝ってしまったというような話は聞いたことが無かったと思う。それは子供の記憶だからというだけではなく、大人の世界でも殺人的な暑さという言葉が使われることはあっても、その暑さが人を殺めるなどということは滅多になかったのである。

子供の頃の夏の思い出といえば、夏休みの宿題を早々に片付けてしまって、あとは100%遊びに夢中になっていた。蝉取り、川干し、カブトムシやクワガタなどの虫捕り、鬼ヤンマなどのトンボ捕り等など開拓村の近郊の里山や小川をかけ回って飽きることはなかった。蝉もトンボもクワガタ虫も、子供たちが捕まえて遊ぶに不足することはなかった。目当てのクヌギやナラの木の幹の麓には必ず何匹かのミヤマクワガタやオオクワガタが1~2匹のスズメバチなどと一緒に樹液を舐めていた。川干しも楽しかった。これは子供仲間の共同作業で、小川を塞き止め、水を掻い出して魚や貝などを捕まえるのである。化学肥料などが普及していなかった田舎の自然は、小川の中に多くの生き物を棲まわせていた。銀ブナ、カラス貝、ドジョウそして時にはウナギなども捕まえることができた。獲物を捕まえたあとは、塞き止めていた石や土を外して元に戻しておけば、何日か過ぎると小川の生き物たちも元に戻るのである。

時に遊びに夢中になって、親が決めていた日課の昼寝を忘れてしまい、暑気を受けてダウンしたこともあったけど、田舎の子供たちは今頃の都会的暮らしの中に埋没している子供たちに比べれば、はるかにエネルギッシュで活動的だったように思う。食べ物も着るものも履くものも貧しかったけど、よく遊びよく眠りよく食べた(サツマイモと麦飯)のを思い出す。

暑い夏だったけど救いの涼しさもあった。山に入れば木陰はどこにでもあったし、家にいても夕方近くになると必ず夕立があった。入道雲が発達して最高潮に至ると、辺りが急に薄暗くなって、すると今まで静まっていたひぐらし蝉たちが一斉に鳴き出し、その後に時に雷鳴と共に猛烈なスコール(驟雨)がやって来るのである。これはほぼ毎日の出来事で、30分ほど経つと今までの激しい雨が嘘のように立ち去り、涼しさが夜を迎えにやって来るのだった。70年前の茨城県の北部の夏の毎日だった。

今もこのような夏の日が残っているのだろうか。全国のどこかには残っているのだろうか。自分は大人になってから幾度も住いを変え、全国を巡ったりしているのだけど、夕立というものを殆ど経験したことが無い。現在住む守谷市には、越して来てから15年にもなるのだが、只の一度も夕立ちを経験したことが無い。ダラダラした暑さの毎日が続くだけである。うんざりする暑さが続くだけであり、老人となった今はまさにこの暑さに危険を感じて、早朝の歩きの他は短時間で買い物を済ませ、エアコンを点けた家の中で惰眠を貪る毎日である。

70年という時間は、長いようで短く且つ短いようで長い。過去に蓋をしてしまえば短く、思い出を引っ張り出し始めるとエンドレスの長さとなるようだ。ほんの少しだけ夏の記憶を引き出して較べてみたのだけど、過去と現在の落差は絶大のようだ。そして現在と未来との落差は想像を絶するほどのものとなるに違いない。