たそがれ時に居るつもりで,ジサマの寝言の様なものを書いて来ましたが、気がつけば、自分は最早たそがれ時ではなく、日はとっくに暮れ宵の時さえも過ぎて、暗闇の中に居るのをj自覚しました。
暗闇の中では、声を上げたりするのではなく黙って静かに眠るのが肝要です。よって、このブログを閉じることを決めました。時々の思いは、もう一つのブログ「山本馬骨のくるま旅くらしノオト」に書くことにします。では。
たそがれ時に居るつもりで,ジサマの寝言の様なものを書いて来ましたが、気がつけば、自分は最早たそがれ時ではなく、日はとっくに暮れ宵の時さえも過ぎて、暗闇の中に居るのをj自覚しました。
暗闇の中では、声を上げたりするのではなく黙って静かに眠るのが肝要です。よって、このブログを閉じることを決めました。時々の思いは、もう一つのブログ「山本馬骨のくるま旅くらしノオト」に書くことにします。では。
言っても仕方がないことなのだが、今年も自治体の魅力度ランキングなどというバカバカしいけど、ついつられて面白半分に覗いてしまいたくなるような調査が発表された。マスコミの類はこの種の興味本位のネタには形振り構わず世間にバラ撒くことに力を注いでいる。
今回は群馬県の知事が怒り心頭に発して裁判沙汰も辞さないと声を上げたとのニュースがあった。当然だと思った。然し最下位に戻った茨城県やその他下位が常連の知事は略無言である。あまりにバカバカしいので何を言う気にもならないのかもしれない。それを敢えてもの申した群馬県知事には、エールの拍手を送りたい。
自治体の魅力などというものは、総合評価など出来るわけがない。一応もっともらしくいくつかの項目をとりあげて、何人か多数レベルを対象にした調査手法を用いて数値化したものを、さも尤もらしくセンセーショナルに発表しているのだろうけど、これは一つの世間騙しの手法に過ぎない。
そもそも魅力などというものは、個人の好みであって、それらを総合化するなど出来るものではない。何を以て魅力とするかは、個人の考えによるものであり、その捉え方は千差万別である。少し考えれば誰だって直ぐにわかることなのだが、面白半分の好奇心が働いてつい釣り込まれてしまうのだと思う。
自治体の魅力度などではなく、単なる物見遊山の項目別人気度などというのなら、ある程度理解できるのだが、そうではなくて自治体全体の総合評価として発表しているのだから、まやかしもここまで来ると、度を越していると言わざるを得ない。
自分はくるま旅で全国各地を何度も訪れているけど、この調査の上位と発表された自治体が、それほど優れた魅力を持っているとは思えず、又下位の常連自治体が魅力がないなどとは到底思えないのである。魅力というのは、個人の目的や好みによるものであって、その明細などは本人しか解らないのである。
世の中にはこの種の調査が幾つもあって、時々話題となることがあるけど、その信憑性は疑ってかかる必要があると思う。もっとも、たいていの場合、多くの人びとは端からそんなことは信じておらず、直ぐに忘れてしまうのだと思う。退屈しのぎにちょいと覗きこんで、へえそうなの?どうでもいいけど。と思う程度なのだ。だから敢えてとやかく言うほどのことでもないのかもしれない。
自分は魅力度最下位常連の茨城県に住んでいるけど、この県で生まれ育ち、成人後は人生の半分ほどを他の自治体で暮らしたのだが、何処へ行ってもその土地にはそれなりの魅力があり、そんなものを比べて上下や優劣を云々するなど全くナンセンスだと思う。茨城県には通産40年近く住んでいるけど、少しも飽きないし、飽きたら旅に出ればいいだけの話だ。
とかく、人は何もの何ごとでも比べたがる。そこから生まれるものはロクなものではない。何かを比べて興味心を煽るような話には要注意だと思う。そんなことを改めて思った。
最近思うことがある。このブログのタイトルに「たそがれ」とジジイを形容したのだが、よく考えてみれば、傘寿の自分は、もうとっくに「たそがれ」を過ぎていて、もはや「くらやみ」の中にいるのではないか? そう思うようになった。
しかし、「くらやみジジイ」では、何も見えないことになってしまって具合が悪い。何故なら、暗闇というのはこの世ではなくあの世のことになってしまうからだ。だけど、現実にはこの身はまだ生きているのだから、ブログのタイトルを変更するわけにもゆかない。それで、いろいろ考えた結果、生きている間は、しばらく「たそがれ」を引き留め、その中で過ごすことにした。従って、このブログのタイトルも変更せずそのまま用いることにしたい。そう決めた。
とかく、老人はヒマなのだ。ヒマというのは要するに何もやることがないということである。なので、時々このような埒もないことに気づくのである。ところで、たそがれを引き留めるというのは、どういうことなのだろうか。勿論、大自然の万世の動きを止めることなどできる筈がない。一日の動き、朝→昼→夜の変化は、物理的に、人間のどんな力をもってしても変えることも止めることも不可能だ。
だけど、その変化の中で生きている人間は、心の中でそれが可能なのだ。たそがれを引き留めておくことなど、それほど難しいことではないように思う。要するに健康を保持し生きていればそれが可能なのだ。生きていても、健康でなければたそがれはたちまち暗闇に変わる。老人というのは、人生の中ではそのようなポジションに居る。だから、たそがれを引き留めるキーは健康の保持にかかっている。
このようなことに気づき、思ったのは、傘寿になる直前にガンという病に取りつかれたからである。自分も人並みにガンになるのだなと思った。幸い(?)部位は前立腺ということで、今の世ではそれほど深刻に考えることもないようなのだが、これが何かのきっかけでどのように暴れ出すかは、誰にも解らない。油断禁物、病は決して軽視はできない。何といっても自分は今、糖尿君と仲良くしながら、たそがれの中にいるのである。
それで思ったのは、たそがれを、取り敢えず卒寿まで引き延ばそうということ。つまり、目前のこの病を克服し、何とか健康年齢を保って、90歳までは生きてみようということ。只今その病の治療に取り掛かっているのだが、これを克服できたその後をどう生きて行くか、そのための健康保持に何をどうするのか、只今思案中である。
老人はヒマなので思案の時間はたっぷりある。問題は、思案し尽くしても、その後行動に結びつくか。何しろ健康というのは、実践行動があって初めて実現可能なのだから、このことは胆に命じておく必要がある。ということで、まずはたそがれを引き留めるなどという大言壮語を放っておくことにした次第。
新型コロナ感染の第5波が恐るべき危機状態を招こうとしている。
政府は緊急事態宣言だとか蔓延防止等重点措置だなどと言っているが、その効果は一向に見えてこない。超長期にわたる規制や注意喚起に飽いた多くの国民は、政府の呼びかけなどもううんざりしているからだ。政府の施策は既成の防止策で飲食業や人が集まるのを前提として事業を展開している人たちに対してだけ規制を繰り返しているだけだ、その他は何もしていない。もはや打つ手がないということなのか。こんなのを無策というのだろう。明らかな政治の怠慢だ。
なぜ感染が拡大するのか。その根本は国民一人ひとりが、「自分だけは大丈夫」「つべこべ細かいことを言って騒いでいるけど、大したことないじゃないか」などと油断をして、守るべきことを守らない者が多く潜在しているからに尽きるのだと思う。政府はその様な人たちに、上っ面の注意喚起を促す言葉を繰り返すだけである。そのような取り組み姿勢が国民・大衆に危機感を以て響き届く筈がない。総理や関係閣僚などの血を吐くような国民へのアピール姿勢も声も何にも見えない。只のデクノボウの政治屋が、己自ら絞り出すセリフなど何一つないままに、同じセリフを繰り返すだけが現状ではないか。
国民一人ひとりにもっともっと強烈にアピールする手立てはまだまだ多くあるのではないか。何だか対策の視点が少しずれている感じがしてならない。政治家も官僚ももっともっと国民一人ひとりに届く行為を真剣に考え実践して貰いたい。
このままでは病にだけではなく為政者の怠慢による犠牲者が益々増加する気がしてならない。為政者自身の本気を見せてもらいたい。もはやそれすらもないというのなら、さっさと辞めて貰いたい。だんだん腹が立ってきた。総理や関係閣僚は血を吐いて国民一人ひとりに届く為政者の真剣な思いを剥き出しにして訴えて貰いたい。
今日、新型コロナウイルスの2回目のワクチンの接種を済ませた。2回目は熱を出す人も多いとかの話を聞いているけど、そのような心配は全くないようだ。普段通りに一杯やって身体の芯から消毒して、これで一先ず安心ということなのか。一番大きいのは、自分がコロナに感染する危険度が下がったというよりも、罹って他人に移す心配が少なくなったということだと思っている。何しろこのコロナという奴は、病の症状がなくても他人に感染させる危険性があるということなので、ワクチンの接種によってその様な可能性が少なくなるということが一番意味があると自分は思っている。何しろ高齢者なのである。優先的に接種をして頂けるという、そのありがたさに報いるためには、我が身を守るよりも他者に害を及ぼさないのが第一だと思っている。
これで全て終って安心なのかといえば、まだまだそのようなことは言えない。世界中の人類が抗体を獲得して初めてもう大丈夫ということになるのだろうから、そこに至るまでにはオリンピックやパラリンピックが遠い過去の話となる頃になるのではないか。。
日本の場合は第3波が幾らか下げ止まりの傾向を見せて来てはいるようだけど、世界全体では未だ毎日40万人近くが感染を続けており、死者も400万人に近づこうとしている。とても安心できるレベルではない。時間が経てば経つほど、新手の変異株とやらが現出して来ることを思うと、前途は多難であり、安心はできない。
このような状況の中で、間もなくオリンピック、パラリンピックの開催が迫って来ているけど、もはや中止するなどということは出来ないと思う。やらなければ済まない状況になってしまっていると思う。安全と安心を確保しながら進めるというのは政治家や主催者サイドの方たちのセリフとなっているけど、それをどう実現するかは、超困難な課題であるに違いない。関係者には全力を挙げて取り組んで頂くしかない。ここまで来たら、安易に批判などしていないで、関係者の努力に報いるためにも、とにかくコロナのとばっちりを受けない様に、アスリートを含めた世の中全ての人間が全力を挙げて防備体制を保持するしかないのではないか。そう思う。
この頃は自分自身のことは忘れて他者ばかりを安易に批判、批難する人間が増えている感じがするが、批判や批難ばかりで世の中が良くなるとは思えない。皆が評論家のつもりになってどうなるというのか。評論家は本物の人物が2~3人いれば、それで十分ではないか。
とにかくワクチンの接種を終らせて頂いたので、他人様に迷惑をかけないように、全てのイベントからは遠ざかり、我慢の知恵を磨くのが老人の務めだと思っている。