今年の桜は例年よりもかなり早く開花を始めたようだ。守谷市近郊の桜も遅れをとらぬようにと咲き急いでいるようで、あっという間に満開となり、まだ4月も迎えていないのに早や散り始めている。
このシーズンは花粉の飛散の激しいこともあって、何年か前までは泣き濡れながら花を見に行っていたのだが、この頃は花粉対策も万全を期せるようになり、飲み薬やマスクなどを用いて、ようやく落ち着いて花見ができるようになった。
守谷市近郊にも何箇所か桜の名所があるのだが、自分たちは隣のつくばみらい市にある小貝川の福岡堰という所に見に行くことにしている。我が家からは車で15分くらいの場所で、ここには堰の脇に造られた農業用水用の堀の堰堤に沿って、1.2kmほどの桜並木がある。秋田県角館の桧内川の堰堤には及ばないけど、往復2キロ半の満開の桜を眺めての散策は、一時の夢の世界を味わわせてくれる。
今年も家内と二人で手づくりのお弁当を持って出掛けて来た。3日ほど前に近くを通った時は未だ2分咲きくらいだったので、満開までにはあと4~5日くらいかかるのかなと思っていたら、急に気温が上がったせいなのか、今日来て見たらまさに満開の最高潮に達していたので驚いた。
花はそれがどんなものであっても皆美しい。それらの中でもとりわけて桜を美しいと思うのは、樹木の厳つい黒さに反した優しげな色の花とその数の多さ、そしていっぺんに花を広げ、あっという間に散ってゆくという時間の速さ。冬が終わって本格的な春が来たのを告げてくれると共に、その一瞬の早業の中に人々は人生の有り様を垣間見ることができるからなのかもしれない。
花の溢れる並木を、時に空を仰ぎながら歩いていると、様々なことが思い浮かべられる。思い浮かぶのは、その殆どが遠い昔のことばかりである。特に強く浮かんで来るのは何と言っても子どもの頃の思い出であり、それには入学式のイメージが重なるのが不思議である。もう70年以上も前のことなのに、はっきりと思い出すのである。
村の小さな小学校の校庭に植えられていた桜の老木たちは、小学1年生となって新たな暮らしを迎える小さな子どもたちに、優しい眼差しを向けるかのように満開の花を咲かせて見守っていてくれていた。上級生となった翌年も又同じようにして、小学校で迎えた6回の入学シーズンには、いつも桜の花が背景にあったように記憶している。どんなに歳をとっても、この優しく懐かしい思い出が消えることはない。
「桜咲く 少年の日に 会いに行く」
これは山形県置賜さくら回廊の名木の一つ、伊佐沢の久保桜の近くにあった句碑なのだが、作者の名を失念してしまっているのに、この句だけは忘れないでいる。自分がこの時期になると、毎年桜を見に行きたいという衝動にかられるのは、まさにこの句の思いと一致している。名句だと思っている。
そのような感慨を抱きながら福岡堰の桜を堪能したのだった。それが3日前だった。今日は3月末の日。桜は早くも散り始めていることだろう。そこで思い出すのが、良寛様の句である。
「散るさくら残る桜も散るさくら」
出雲崎の良寛堂を訪ねた時、改めて良寛様の生きざまの凄さを思い知った感じがしたのだが、それはこの何気も無い様子の句に全てが籠められているように感じるのである。それは自分が間もなく傘寿を迎える歳周りになって、より一層強く思い知らされている気がするのである。