山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

お食い初めと孫の未来を想う

2014-07-02 10:10:26 | ジジババ世代の話

 3月下旬に長男夫婦に生まれた孫が100日目を迎え、先日お食い初めなる儀式が行われた。自分たちの子育ての際にはこの儀式は行わなかったのだが、倅夫婦はしっかりしていて、きちんと世の慣習を大事にして子育てに取り組んでくれているようである。先日常総市にあるRVランドというキャンピングカーのビルダー会社に車の修理をお願いするという所用があって、嫁御に送迎を頼んだ際の帰りに、嫁御が一言神社に寄って小石を拾いたいというので、何のことだろうと思ったのだが、それがお食い初め用のものだったのを知って、なるほどなあと感心した次第。子供の歯が丈夫に育ちますようにとの願いのしるしとして、儀式に用いるためだった。

 それで、その儀式に招待されて祝いの膳を囲んで、しばしジジババの喜びを嫁御の母御と一緒に味わわせて貰ったのだった。招待されたと言っても、二世帯住宅の二階へ上がってという話であり、内孫的な存在なので、このように畏(かしこ)まらなくても顔を見たい時にはいつでも見られるという普段の毎日なのである。でも仕切りは必要で、ジジババとしては倅夫婦の子育てには基本的には協力はするけど一切干渉はしないという考えでいる。この儀式もお招きを受けて2階に上がるまでは、その内容など全く関知しなかったのである。その方が倅たちの暮らしぶりを知るのには新鮮味があって、却って楽しいように思う。

 2年前までは、このような時が来るとは全く予想もしていなかったので、喜びを通り越して何か不思議な感じがするくらいである。良く出来た嫁御で、倅は幸せ者だなと思っている。この儀式の殆どは彼女の才覚で準備されたものであり、よくぞまあ親付きの二世帯住宅に嫁に来てくれたものだと感謝するばかりである。嫁御は元々子育ての専門家なので、これからは他人の子ではなく自分の子をしっかりと育てて行ってくれるに違いない。ありがたいことである。

 主役の孫の方は、まだ歯が生えているわけではなく、ミルク専用なのだが、今日はスプーンを濡らすほどの麦茶を口に入れて、新しい味を複雑な顔つきで味わったようである。体重も生れた時の倍以上になり、不満があればそれに相応しい泣き声を上げながら、すくすくと育ってくれているのが嬉しい。このところ、ほぼ毎日「今日の孫」というタイトルでデジカメ日記に写真を収めており、その枚数は2千枚を突破していると思う。便利な時代になったものだ。

 その孫の顔を覗きながら、あれこれとこれからの時代のことを思った。戦後の昭和を生きて来た自分は、戦前の昭和を生きて来た人たちからは想像もできない時代を過ごして来たのだと思う。特に情報のやり取りに関しては、戦後を生きて来た我々ジジババ世代でさえも想像を超えて今なお進化している。その進化の内容がベターなのかその正反対なのかが区別できないほどの進み具合のようだ。この頃は利便性の裏に巣食っている「悪」が、少しずつ拡大のスピードを増している感じがする。この高度情報化社会に生きるという「生き方」が、孫が成人を迎えるあと20年後にどうなっているのか。想像もつかない。

加えて、時あたかも「集団的自衛権」などというわけのわからぬ言葉が、不戦を真髄とする憲法の枠を屁理屈で切り破って、積極的平和主義などというこれ又わけのわからぬ考えのもとに、国民を守るためには武力を行使しても同盟他国を支援する、という政治的決断を決めてしまっている。平和ボケの日本に喝を入れるつもりなのかもしれないけど、独断的な進め方にはある種の危険性を感じないわけにはゆかない。一層複雑化する世界情勢の中で、日本国は、そこに住む孫たちは、この先紛争と無関係に生きてゆくことが出来るのか。不幸にして巻き込まれた時に、我が孫は、一体どのような生き方を選択するのだろうか。

 またエネルギー問題での未来はどうなるのだろうか。最大の関心事は原発のあり方だと思うけど、脱原発など眼中にない政権が、今後も目先の利益のためには形振(なりふ)り構わずに原発を継続して行くとするならば、この先未曾有の天災・人災などの遭遇した時、再び原発事故での一瞬の地獄に落ち込むことは容易に想像できることであり、その時、孫たちはどう適応して行けるのか。

 想いは限りなく広がるのだけど、どうしても楽観の方には針先が向かないのである。ま、自分が生まれた頃は太平洋戦争の始まる少し前で、戦雲は膨らみ続けていた時であり、未来に対する展望は今よりもよほど悲観的だったのかも知れない。その後の敗戦を経て、どん底の暮らしの中から、国全体が這いあがって今日に至っていると思うのだが、この間の科学技術の進歩は、豊かさとか平和だとかを通り越して、人類の危うさとも思われる本性の側面を剥き出しつつあるように思えてならない。人類はその卓越し過ぎた科学追求の成果を、己自身を含めて地球という星全体をカオスの方向に進めようとしているかの如くである。この未曽有の困難の時代を我が孫は逞しく育って、己の力で切り拓いて成長して行って欲しいと思う。