山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

絶大なるギャップ

2020-12-01 00:42:10 | ジジババ世代の話

 先日、学校なのか塾なのか、帰宅した小学校1年生の孫が、大きな声で「吾、十有五にして学に志し、‥‥」などと叫んでいるので、何なんだろうと聞いていたら、何と、論語の学需篇の暗記なのだった。えっ、もう論語などを学んでいるのか?!と驚いた。孫は未だ5歳なのだ。何処で何のために今頃からこのような暗記をしているのか。親は何を考えているのか?少なからず疑問に思った。江戸の寺子屋ならこの年齢でも有無を言わさず暗記させ、師匠がその解説などをして、知らず身についていったのかも知れないけど、今のこの世で一体どういうわけで論語なのか、訝しく思った。まだ、親には訊いていないのだが、その内確認してみようと思っている。

 それで、久しぶりに学需篇を思い出した。ずいぶん昔に覚えたのだが、案外忘れずにいたのはどういうわけなのか。すらすら文語が出て来たのだった。

それで改めてその中身と自分自身のそれぞれの世代での過去の現実を思ってみた。以下、その所感である。

 

まず15歳の学需である。15歳といえば、中学校3年から高校1年の頃であろう。学に志したかなあ?と思う。勉強は少しはしたとは思うけど、学というよりも受験で高校へ入ってやろうという気持ちだけだったように思う。一応入学の目的は達したけど、その後は学よりも身体つくりの方を選んで、体育系のクラブ活動に打ち込んだだけだった。

 

次は30歳の需立である。この頃は就職して、結婚して、子供が生まれて、転勤になって、異郷で部下を持って働いて、さて、一人前の人間として己の道を行けるようになったかな?いやいや、未だ信念は固まらず、ブレ続けて悩んでばかりが多かったように思う。

 

次は40歳の不惑だが、これはまあ、とんでもない。そもそも不惑などというものが人間に存在するものかどうか、未だにとんと見当もつかない。

次の知命というのも曖昧だ。天の命ずるところが何なのか、知るも何にも、その力がない。天が自分に向かって、お前が為すべきことは何と語っているのか、それを受け止める力がないのだから、知るわけがない。この世に天命を知っている人がどれほど居るのか。自分の身の廻りを見てみても、それらしき人が見えない。

 

六十にして耳従うについても、やっぱり駄目だったなあと思う。生来の頑固さは聞く耳を持たぬことが多く、六十歳の頃はますますその頑固さが増して、他人の言を素直に聴く態度は遠ざかったように思う。孔子様とは真逆のようだ。そして、それは傘寿となった今でも不変なのである。

 

こんな状態だから、七十の生きざまも、自ずと明らかだ。心の欲するところに従うというのは、先ず先ずだとは思うけど、その後の矩を超えずということになると、どうなのか判らない。自分勝手の考え方が改まっていないのは、傘寿になってさえも丸くなろうとしないのだから、自分には無縁の話なのだと思う。

 

ということで、振り返ってみると、孔子様の教えには、端から不届きだったように思う。ま、元々孔子様のような力が無かったのだから、当たり前のことなのかもしれない。孔子様に盾衝くわけではないけど、そもそも人生は万民個々のものであって、型に嵌るようなものではない。時代環境の変化に伴って、自ずと変わってくるものなのではないか。だから、二千五百年前の人生モデルには当てはまらないのではないか。孫が大声で暗記を叫んでいる内容で重要普遍なものは、人生時間の経過ではなくその項目なのではないか。即ち、「儒学」「需立」「不惑」「知命」「耳順」「従心」というポイントなのだと思う。年齢などに係わりなく、これらの人生の要素は蔑(ないがし)ろに出来ないということなのだと思う。

学需篇のことばを我が人生に当てはめて振り返ってみた時、傘寿の老人の感想は以上のようなものとなった。それにしても後悔の多い人生だ。何事に対しても、真剣さが足りなかったの一言に尽きる。


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