たそがれ時に居るつもりで,ジサマの寝言の様なものを書いて来ましたが、気がつけば、自分は最早たそがれ時ではなく、日はとっくに暮れ宵の時さえも過ぎて、暗闇の中に居るのをj自覚しました。
暗闇の中では、声を上げたりするのではなく黙って静かに眠るのが肝要です。よって、このブログを閉じることを決めました。時々の思いは、もう一つのブログ「山本馬骨のくるま旅くらしノオト」に書くことにします。では。
たそがれ時に居るつもりで,ジサマの寝言の様なものを書いて来ましたが、気がつけば、自分は最早たそがれ時ではなく、日はとっくに暮れ宵の時さえも過ぎて、暗闇の中に居るのをj自覚しました。
暗闇の中では、声を上げたりするのではなく黙って静かに眠るのが肝要です。よって、このブログを閉じることを決めました。時々の思いは、もう一つのブログ「山本馬骨のくるま旅くらしノオト」に書くことにします。では。
新年のご挨拶を申し上げます
年末大晦日と元日には旅の安全を祈願して、昔の村社の八坂神社と旅の守り神の道陸神に必ず参拝することにしています。今年も同じようにお礼と祈願をしてきました。
今年は金婚迎年であり、名前が誕生して150年を迎える北海道の旅を存分に味わいたいと考えていますので、神様へのお願いもいつもより強いものがあります。喜寿を過ぎて次の傘寿に向かうこれからの毎日は、先ずは健康第一を忘れずに、出会いを大切にしながら宝探しを進めて行きたいと思っています。
ブログの方は、相も変わらず長文で取りつきにくいと思いますが、もはやこのスタイルを治す気はなく、続けるだけだと思っています。それでも、つぶやきはなるべく短めにしたいと思います。気が向いた時には時々目を通して頂ければありがたく思います。本年もどうぞよろしくお願い致します。 馬骨拝
今まで「山本馬骨のジジババ談話室」の名で自分の第2ブログを書くことにしていましたが、どうも書きにくくて、とても「談話室」などというレベルには至りませんでした。
よく考えてみれば、自分には「談話室」などという芸がある筈もなく、せいぜい老人の繰り言を呟く程度のことしかできないのを思い知りました。「たそがれ」と書きましたが、それもかなりサバを読んでおり、実のところは夜の暗闇に足を踏み入れている年齢に来ているというのが実情です。
ですから、これからはこの世の名残に、日々感じていることを勝手に呟いているのを書き置くことにしたいと思います。
昨年、このブログへの投稿は、年間でたったの7回でした。まことにお粗末なことでした。老人世代論に気をとられて以降、老人というものがいろいろな側面で気になり出し、あれこれ迷っている内に段々と思考が後ろ向きになり、ついに書くことが億劫になり、投稿を中断してしまいました。
このブログを誰に読んで欲しいのか、当初は同じ世代の方たちにと思っていたのですが、考えてみれば、後期高齢者入りしている人たちの中で、ブログなんぞに興味や関心を持つような人はそれほど多くは無く、これはもう自分の独りよがりの世界となってしまうことなのでした。つまりは、ブログを書く狙いというのか、読まれる想定というのか、それが曖昧だったということなのでありましょう。
それで、今年からは同世代に向けてというのを止めて、これから老に向かおうとしている人たち(準老・順老世代=還暦以降)のために、何か役に立つ情報を提供するような、少し先を歩いている一老人からアドバイスを贈るようなつもりで、テーマを選び、書くようにしようと思いました。いっそ止めようかとも思ったのですが、不断の信念である「継続は力」に背くことになり、やはり続けようと決めたのでした。
とはいうものの今のところ具体的なテーマも無く、記述の構想なども決まっていません。これからの課題です。敢えてここに書いたのは、年の初頭に当って、言い触らしておけば、自らに責めを課すことが出来るからです。さて、どうなりますことやら。
大分長い間ブログを留守にしています。気にはしているのですが、二つのブログを同じレベルで運用して行くのが、少しずつ負担になって来ているようです。でもブログの頭に広告が入っているのを見ると、何とかしなければいかんなと、まあ気になるわけです。というのも60日間投稿を留守にすると、広告が入るわけで、2か月以上もほったらかしにしているのに気づいて、一体何のためにこれを始めたんだ、とまあ、自分に喝!を入れざるを得ない気持となるのです。
それにしても暑い毎日ですなあ。この暑さでは、老人には何をするのも危険で、日中は外出することもなく、ただじっと家の中で機械装置のつくり出す涼にすがるしかありません。こうなると、もう何事をするのも億劫で、机に向かっても何を書くにも気が入らず、ウロウロしたまま時間が過ぎて行くばかりです。本当のところ、「喝!」を入れる元気も残っていない感じがします。
それでも日中の眠り過ぎが災いして、朝はもう2時頃からお目目パッチリとなってしまい、そうなるともはや起き出すしかなく、ほんの少し机に向かった後は、何とか身体だけは動かしておこうと4時半ごろには歩きに出かけます。さすがにこの時間帯は、外の暑さもどこかに引っ込んで、歩き始めてしばらくの間は、何の疑問も感ぜずに歩きを楽しむことができます。しかし、1時間も歩くと汗がにじみ出し、2時間ほど歩いて家に戻る頃は全身汗みずくとなって、待っている水風呂に飛び込むという結果となります。
一日の中で、一番生きているのを感じているのがこの時間帯だけで、そのあとはもはやグータラの繰り返しであり、毎日このような暮らしぶりなのです。残りの時間が猛烈なスピードで少なくなって来ているのに、こんなんでいいのかとは思うのですが、刺激が見つからない毎日では、この壁を破るのは不可能の様な気がしています。
それにしても、まあ、なんでこんなに暑いんでしょう。天気予報士の説明を聞いていると、気圧の配置やら動きやらで、こうなってしまうのだというのは一応解るのですが、じゃあ、その気圧を動かしているのは何者なのか。その目的は何なのか。全く不可解です。地球という我々の住んでいるこの天体が、何か調子を狂わせているには違いないと思うのですが、この連日の体温を超えるような暑さは、天体の脳の部分がどこか壊れかけているからなのではないか。そんなことを考えてしまいます。
今日も熱中症とやらで何人かの老人があの世に旅立って行かれたようです。真にお気の毒なことであります。PPK(ピン、ピン、コロリ)を目指している自分は、そのようなものに急かされてのあの世行きは真っ平御免です。しかしまあ、強がりを言っても暑さには通用しないようですから、ひたすらに外出を控えてじっとしているしかありません。夏はこれからが本番だというのに、今年は一体これからどうなってしまうのか。いつもだと今頃は北海道の道東辺りで朝夕の寒さに震える毎日を過ごしているはずなのに、それが叶わぬ今年は、危険な暑さには決して抵抗しないことを心に決めて過ごすことにしています。
真にお粗末な近況報告であります。