山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

老人の捉え方

2015-09-22 11:01:47 | ジジババ世代の話

今週は先週末から休日が連続していて、明日まで続くわけですが、毎日が休日の私には今一そのありがたさも辛さも感ずることはありません。この頃は休日が続くと、家の近くの常磐道の混雑が激しくなるので、ああ、あそこを走らなければならない人たちは大変だなあと思うだけです。同時に、こんなに混むときには決して旅はしないことに気持を固めています。守谷には守谷SAがありますが、このSAは都心に向かう最後の拠点となるので、連続する休日の初めと終わりは大変な混雑となります。東京や川崎に住んでいる時は、この守谷SAまで来ると、自宅まで延々と続く低速道路に入り込む覚悟を決めたものですが、今はその必要もなくなり、都心を通ることも滅多に無くなりました。老境という奴の一現象なのかも知りません。

 昨日は敬老の日でした。そのことに気づいたのは、勿論今朝になってからです。このところ新聞の折り込み広告などやTVのコマ―シャルなどで「シルバーウイーク」というのを盛んに言うので、そんなに大げさに老人を持ち上げなくてもいいじゃないかなどと思っていたのですが、よく考えてみれば「シルバーウイーク」というのは老人週間ではなくて、5月のゴールデンウイークに対する連続休日期間への愛称の様なものなのでした。今の時代人口の1/4を超える老人世代に、愛称をつけるほど世の中は甘い筈もなく、とんだ間抜け老人の思い上がりなのでした。

 守谷市では毎年敬老に日には敬老会なるものを開催しており、今年も大分前にその案内が届いていたのですが、先日の大雨による鬼怒川の氾濫・洪水により隣りの常総市が大被害を受けたため、敬老会は中止するという緊急通達が届きました。これは真に当を得た判断だったと思います。一つには予定していた会場が常総からの避難者の方の避難場所として提供されていたということもあったのでしょうが、何しろ隣町の未曽有の大災害だったのですから、老人世代には知人も多くいて、のんびり敬老会などというわけにはゆかないという心情を汲んだものだったのかもしれません。

 いずれにしましても自分としては敬老会には二度と出席しないと決めていますので、取り止めになっても落胆することなど全くありません。最初の案内には、今まで昼時に配られていた赤飯を止め、今年からは紅白饅頭を配ることにしたとありましたが、それが不意になったとて、惜しいとは思いません。中止したのだから、使わなくなった予算費用は全部まとめて常総市の被災者の皆さんに寄付して欲しいと思うだけです。

 厚労省の発表では、今年の9月20日付けの65歳以上の高齢者は3,384万人で、総人口比が26.7%となっているとのことですが、この数値は江戸時代の日本国の総人口を上まるものであることを考えると、高齢者なる者のこれからの生き方が多く問われる時代なのだと思わずにはいられません。

 自分自身も又高齢者の中に居て、間もなく医療対応では後期高齢者なるものに取り込まれることになるのですが、一番の基本として、「高齢者とは何か」ということを、国全体としてもっと議論する必要があるように思われてなりません。65歳以上だとか、後期高齢者だとかいう安易な区分で高齢者を捉えるのではなく、より精神活動と身体活動の実態に合った細かな区分が必要なのではないかと思うのです。それを確立できれば、よりきめ細かな高齢者対応策が生まれてくるように思うのです。

 私が密かに考えている老人の捉え方があります。それを参考までに紹介することにします。

 準老(65歳以下)

 順老(65歳~75歳)

 真老(75歳~85歳)

 深老(85歳~95歳)

 超老(95歳以上)

「準老」というのは、まだ老人ではなく、老人に準ずる世代の人々です。「順老」というのは自身が老であることを確認し始め、それに従う決心をする世代です。次の「真老」というのは、心身共に老人に相応しい自覚を持った世代です。更に「深老」というのは、老が深まって生きることへのこだわりが少しずつ解消されてゆく世代です。そして、「超老」は、もはや老など問題にしない、生死を超えた生きざまの世代です。

 これらの世代の特徴や課題について現在思案中ですが、それらがまとまったら改めて披歴させていただきたいと考えています。現在の様な老の区分では、社会政策としてもそれぞれの世代にフィットしたものは生まれにくく、老人を一からげにして扱うことのミスマッチが拡大して行くに違いありません。せめて、自分自身だけでも、或いは道づれとして家内も一緒に、この区分に従った生き方、暮らしの有り様を考えていきたいと思っているところです。


いよいよ後期高齢者かぁ~

2015-09-18 08:55:46 | ジジババ世代の話

 毎年秋が近づく頃、住んでいる守谷市から健康診断の案内が来ます。私はもう糖尿病患者を20年以上やっていて、定期的に専門医の診断を受けていますので、市の大雑把なレベルの健康診断を受けるのは不要ではないかなどと、多少見識ぶって見下しているところがあり、守谷市に越して来てしばらくの間は受診を見合わせていました。しかし、毎年熱心に案内が送られてきますので、偶には市の行政に協力してやるか、などと思い上がった気持で、何年か前に初めて健康診断なるものを受診することにしました。健康診断というのは、本来は市のために受けるのでは無く、まさに己自身のために行うのだというのに、この思い上がりぶりは愚かな老人の哀れともいえる振る舞いなのでした。

 糖尿病の定期的な受診(現在は2カ月に1回)でも、かなり詳しい健康に関する諸データが調べられますので、同じようなことを繰り返すのは無駄というものだとの思いが強かったのです。それでも一度くらいはと考え、受診したその健康診断だったのですが、その時初めて前立腺がんの検査(PSA)というのを受けさせて貰ったのです。それが、何とこの時の結果の数値が異常値だったのです。それ以外のデータは、ほぼ既知のものだったので、驚きもしませんでしたが、このPSAには参りました。

身近な知人の何人もが前立腺がんの手術を受けたり、予後の手当てで苦労されたりしているのを知っており、ついに我が身にもその時が来たのかと覚悟をしながら、その後に専門医による精密検査を受けたのでした。その結果は、異常値とはいえ、それほど心配するレベルではなく、今後の変異に気をつけましょう、という専門医の見立てでした。それ以降は、毎年先ずはこの市の健康診断でPSAの検査をして貰うことにしました。もし異常が見られれば専門医の精密検診を受けることにしたのです。それから4~5年が過ぎていますが、数値はほぼ変わらずむしろ減少の傾向さえみられており、今のところ安堵している状況です。

そのPSA検査は有料で、その都度検査料を収めているのですが、これはもう当然のこととして、むしろ少ない費用で年に一度検査が受けられることを感謝するようになりました。

今年も今月が健康診断の受診期間となっており、連日市の指定する各所で診断が実施されています。受診日と場所は、自分で好きなように選べるので、真にありがたい配慮だと感謝しています。もはや思い上がりは捨て去り、素直に行政の心遣いを受け入れることにしました。送られてくる受診案内は、正直言ってくど過ぎる説明で判りにくく、関係者の熱意が空回りしているのではないかと思うほどなのですが、拡大鏡を当てながらよくよく読み調べて、手違いとならぬよう勉強して受診することにしています。

その健診を昨日受診したのですが、この時改めて自分がまぎれもない老人となっているのを思い知らされたという話です。今年もPSAの検査を要望し、受け付けの際にその申出でをしたのですが、この時に当然払うものと予定していた検査料が、何と今年は無料だというのです。どうして?と聞けば、後期高齢者の方はこの検査は無料となるという話なのでした。1330円得したかと喜び、受付の方に「助かります」とお礼を申し上げたのですが、反面、「エッ、後期高齢者?!」という馴染めないことばがグッと胸にこみ上げてきました。

実のところ、自分はこの12月で満75歳を迎え、否応なしに後期高齢者の仲間入りをするのですが、まだその気分は更々無く、遠い先の話だとくらいにしか思っていなかったのです。それが役所の方では経済面を考えてなのか、少し繰り上げて後期高齢者扱いをして負担を軽くしてくれたということらしいのです。これは、喜んでいいのかそれとも哀しむべきものなのか、迷うこと大でありました。

複雑な気持を引きずりながら帰宅したのですが、ずっとバカにしてきた後期高齢者なる行政の仕分けの扱いが、一気に目前に迫り、あっという間にその中に取り込まれてしまっているのを感ぜずにはいられませんでした。12月の誕生日まではまだ本物の後期高齢者ではないぞ、と、とにかく思うことにしました。あと3カ月足らずですが、それまでの間は、四捨五入の前に居ることを思いつつ、本物入りする覚悟を決めたいと思っています。