山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

老計・死計に今一つ目標を加える

2015-03-28 02:38:20 | 宵宵妄話

昨年、このブログで「老計」と「死計」ということについて自分の思いなどを述べました。老計と死計は、人生五計の中の後段の生き方、終わり方について扱ったものですが、自分なりの結論としては、「死計は老計の中にあり」ということになり、これは自分自身にとっては、現実に同時進行していることを意味しています。つまり、今現在が老計の実践中そのものであり、従って現在の毎日は死計の実現を図っているということになるわけです。この二つの生き方について、昨年はその目標というか、心がけについて述べたのですが、それは次のようなものでした。

その一は、「PPK」の実現を目指すということ。これはその時が来るまではピンピンと元気よく過ごしていて、気がついた時はコロリとあの世に逝くという終わり方です。

その二は、「予告・予知死」ということです。これはいつ(頃)この世とお別れするかを、家族はじめ周辺の人に告げて、それを実現させるということです。ま、初めの「PPK」は一見突然死のように思われますので、PPKであっても、周辺に迷惑を掛けないようにちゃんと予告してその時を迎えるというものなのです。例えば、その時がいつ来るかをしっかり悟った時は、「後一週間後に死ぬるぞ」というように家族に告げ、その通りに安心してあの世に逝くということなのです。

さて、この二つの目標の実践を目指して只今取り組み中なのですが、この度この二つに新たにもう一つの目標を付加することを決めました。それは、「家内より先に逝かない」というものです。これは、簡単なことのように思われるかも知れませんが、本気で実現させようとすると大変難しいことになります。というのも、家内とは5歳と少し自分の方が年長であり、この差は生きている間は不変なのですから、仮に家内が100歳まで生きたとしたら、自分は105歳以上まで生きなければならないということになるからです。さりとて、楽に目標を達成するために、家内に早くこの世を去って貰う様に願うなどというのはとんでもないことであり、できるものではありません。

一体何故このような難問を目標に付加したのかということですが、それは、家内からのたっての要請があったからなのです。自分的には、家内より先に逝くのは当然だと考えており、そのようなバカな願いを聞くわけにはゆかんと思っていたのですが、家内の要請の理由を聞いて、これはチャレンジしないといけないかなと、心が動いたのでした。

その要請内容というのは、「あなたが先に逝ってしまったら、私は自分の年金だけでは生きてゆけない」という主旨のものでした。実のところ、先に死んだら寂しくなるから、などという思いやりなのかと期待していたのですが、それとはかなり違った理由なのでした。先に死んだ時には、倅たちが何とか面倒を見てくれるのではないかと思ったのですが、倅たちにも迷惑をかけることになり、特に病に取り付かれた場合は、大ごととなるに違いありません。あと何年生きられるかの見通しも無い中で、勝手にPPKや予告死の振る舞いでは、曲がりなりにも人生を共に過ごしてきた相棒に対して、いかにも無責任だなと思ったのでした。ま、家内の要請が単に暮らしの原資を確保するために、自分よりも先に逝って貰っては困るという打算的なものだけだったとしても、責任を果たすという意味で、目標に掲げてもいい価値があるなと思ったのでした。

このような決断は、半分は遊びの様なものに聞こえるかも知れません。ことば遊びとして掲げるのなら、もっと美化して扱ってもいいのかもしれませんが、自分としてはかなり本気でこの目標を掲げるつもりなので、これは難しいのです。

問題は、この新たに付加した目標をどうやって実現させるかということになりますが、これはもう今までの二つの目標実現のための取り組みと全く同じものであり、より一層工夫を加えて心身の健康を維持する他に方法はありません。先ずは、現在行っている食事の管理と歩きを中心とした運動の継続ということになりますが、幸いなことに自分には糖尿君という親しき健康管理のバロメーターとなる友がおりますので、これを頼りに内容を加齢に合わせて最適化する工夫を楽しめばいいと思っています。

只今は、食事はベジタリアン指向で、特に身体の中の諸機能の循環を促進するに効果がありそうな「枇杷茶」を付加すべくトライしているところです。自家製の天然のサプリメントと言ったところでしょうか。(宣伝が姦しいサプリメント類には興味はありません) これは昨年の秋、知人から教えて頂き、それに工夫を加えて実験中なのですが、この頃ようやくその効果を感じ出しています。運動の方は、履けば歩きたくなる衝動を覚える靴を新調して、今年の万歩計の記録は今現在140万歩を少し超えて、順調な歩きを継続していますし、来月からはしばらく休んでいた筑波山登山を再開して、少し身体に負荷を掛けることにしています。ま、このようなことを毎年同じ様に継続するのは次第に難しくなるのは承知していますので、とにかく極端な無理をすることは避け、疲れたら休息することを忘れず、さりとて怠惰になることは戒め、取り組んで行くことにしています。

もう一つ心の鍛錬という課題があります。これには様々な方法が考えられますが、その核となるのは「考える」ということではないかと思っています。一番の方法は旅に出て、様々な人や物や現象などに触れて、たくさんの刺激を貰って感動をものにすることだと確信していますが、旅に出掛けない時は、毎日の歩きの中で「考える」ことを実践しており、その内容の是非や良し悪しなどにこだわることなく脳の活動の活発化を心掛けることにしていますので、これを続けてゆけば、目標達成に近づけるのかなと思っています。

とはいえ、まだ決断したばかりであり、この新たな目標の達成に自信はありません。密かに思っているのは、家内も90歳を超える様なレベルとなれば、今よりは家計費は相当に少額で済む筈なので、「先に逝ってもいいよ」と言ってくれる時期が来るのではないかということです。老夫婦が、年金確保のためにもたれあって生きているという様な姿は、この国の将来にとって決してあるべき姿ではないように思えます。生きている間は、とにかく医療費を最小限に抑えて、活き活きと生きていたいものです。


孫、満一歳を迎える

2015-03-22 01:37:20 | ジジババ世代の話

 長いことジジババブログを休んでいました。ジジババ暮らしとくるま旅くらし人とを使い分けるのは結構面倒で、一度休んでしまうと、なかなか再開が難しくなってしまうのです。というのも、くるま旅というのは、一度出掛けるとその後の処理(=後楽と呼んでいます)にかなり時間を取られ、ジジババのことなど忘れてしまうのです。ジジババは現実であり近い未来の全てなのですが、くるま旅の方は旅を終えた後の楽しみが大きいものですから、どうしてもそちらの方に浸るということになってしまうのです。それで、ようやく昨年の秋の旅の後処理が一段落しましたので、ジジババの方を再開することにしました。

 先ずは、孫の話です。今月の21日に孫が満一歳の誕生日を迎えました。孫は人いるのですが、このうち二人の孫娘は外孫で、高校生と中学生ですから、滅多に逢うこともなく、せいぜい年に一度顔を見られれば恩の字という状況です。従って今、孫といえば同じ屋根の下に住む孫のことになります。

 孫のことを書くのは昨年の7月のお食い初めの時以来ですから、まあ、随分とご無沙汰をしたものです。お食い初めの時には動きの少なかった孫も、今は真に活発で、間もなくハイハイを卒業しようとしています。一日一回はジジババに顔を見せてくれており、その時は、まあ、そこら中の手に触れるものは掴み取って振り回したり、毟(むし)ったり、叩いたりと大活躍です。壊されたり、うっかり口に入れられたら大変な物は、大急ぎで手の届かぬ場所に移動させてしまうので、孫にとっては何だか欲求不満がたまる気分なのではないかと思っていますが、これは致し方がないことです。この頃は動きが素早くなっているので、なかなか落ち着いて写真を撮るのが難しいため、カメラは主に動画を取ることになってしまいました。

 しまし、まあ、子供の成長というのは不思議なものだなと、この頃は改めてそれを実感しています。自分の子供(=二人の倅)の時には、一体何をしていたのか、さっぱり記憶がないのですが、孫の方は毎日が実に新鮮です。ま、かなり会社人間的だった自分なので、子供のことは殆ど家内任せで、休日などにほんの少し面倒を見たといった程度ですから、我が子のことは思い出す記憶も元々少ないのかもしれません。孫の方は、もはや仕事も何もない、毎日が休日の現在では、まさに100%入れ込むことが出来るのです。

 その孫が、昨日(3/21)満一歳を迎えました。その誕生会があり、一緒に祝いに参加したのですが、そのメインイベントは一升餅を担がせることでした。一生食べ物に困らずに暮らせるようにと、いつの頃から始まった習いなのか判りませんが、人生の中で食べることは基本中の基本であり、子を見守る人の全ての願いであることは、これからも変わらない大事なことなのだと思います。

 さて、その一升餅を担がせられた孫なのですが、まだようやく立ち上がって、調子が良くても数歩歩けるレベルなので、1kg以上ある物を担いで歩く力はなく、無理やりに背中に風呂敷に包んだ餅を括りつけられて、不可解な顔でようやくハイハイをしていました。しかし、餅を背中にしっかり固定するのが難しく、途中でずれてしまって、背中から腹の方に回ってきたりして、何とも動きにくく、時には餅の重さが勝ってひっくり返されてしまったりして、散々の状況でした。取り巻く両親やジジババたちには、何とも嬉しい大笑いの時間でしたが、孫本人にとっては、思いもかけずに、とんだ悪意のいたずらを仕掛けられたと思わずにはいられない状況でした。怒り混じりの泣き声をあげて、抵抗を示していました。ま、しかし、そのあと母親手づくりのケーキを口にして、たちまち笑顔のご満悦となって、一同安堵した次第です。食事の後は、活発に動き回って、時折り立ちあがって数歩歩いたりして、ジジババ一同歓声を上げるという場面もあって、平和が戻りました。 

 そのような孫の姿を見ながら思うのは、まあ、人間の成長というものの速いこと。赤児で生まれて来て、しばらくの間は飲むのと眠るのだけしかできなかったものが、何時かしら笑い顔を覚え、寝返りを打てるようになり、ハイハイをするようになり、そして立ち上がることが出来るようになって、歩くことへ挑戦している。その成長の姿を見ていると、不思議を覚えずにはいられません。振り返って見ればその経過は速いのですが、しかし、その時々の現実の動きの遅さと言ったら、何と待ち遠しいことの連続だったことか。

 ま、人はこのようにして育ち、生きて行くのでしょうが、残された時間の少なくなっている者からは、孫の成長のこの先を思うと、少し複雑な気持ちになるのは、致し方ありません。あと5年経って孫が5歳になった時には、自分は早くも八十路に入ることになり、孫が中学生となる13歳の頃には、米寿ともなってしまうのです。しかも、それは生きていられればという話で、実現できるかどうか判らず、更には、今と同じレベルで動き回ることなど到底不可能であることははっきりしているのです。

 このようなことを考えると、これからの毎日のその時々に、どのように孫と接して行ったらよいのか、今はそのことを考える毎日です。しかしまあ、考えてばかりいても仕方がないので、取り敢えず孫貯金というのを誕生した日から開始し、毎月缶詰タイプの貯金箱に定額を投げ入れて、活動の原資を貯めつつあります。しっかり歩くことが出来るようになったら、先ずは自転車に乗せて連れ回し、自然に触れさせてやりたいと考えており、それを楽しみにしています。その次に何をするかは未定です。

それにしてもまあ、生涯身近に孫と一緒に暮らせる時が来るなどとは思ってもいなかったことでした。何とまあありがたい贈り物を賜ったものかと、倅夫婦には感謝せずにはいられません。孫は間もなく二人目が授かることになっていて、嬉しさは層倍となります。この先いろいろな出来事が待ち受けているのだと思いますが、孫たちの成長に合わせて、ジジババも老いへの完成度を高めてゆきたいものだと思っています。