山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

2本杖歩行を始める

2020-11-21 19:03:54 | ジジババ世代の話

 

 「転ばぬ先の杖」という教訓めいたことばがある。これは勿論老人世界住人への警鐘なのだが、自分としては「転んだ後の杖」という方が実態に叶っていると思う。というのも、これは自分自身の実体験の所感だからなのである。

 毎日10kmほどを歩いている。コロナ禍の今年は特に歩きを増やしたので、この夏などは毎朝15kmほど歩くのを日課とした。なので、足腰はまだ大丈夫だと自負の念があった。だから歩行中に転ぶなんてあり得ないと思っていた.

ところが先日見事に転んでしまったのだ。実に我ながら見事というほどの転び具合だった。縁石か何かに躓いたらしい。よろけてあれよあれよという間に膝をついてしまった。立ちあがろうとしたら、何ともう一度続けてよろけ転んでしまったのである。一旦転んでしまうと、その後の身の処し方がどうにも止めようがないのである。これほど自分の身体が思い通りにならないとは!初めての体験だった。やはりどんなに強がっていてもその身体の中身は傘寿の老人なのだ。そう思い知らされた。転んだ後は、少し平衡感覚や方向感覚が狂ってしまったらしく、何だかどうにも不安定なのである。変な気分となった。

よく老人は転倒がきっかけとなって寝たきりになるという話を聞くけど、なるほど、こういうことがそうなのかとその時思った。恐らく転んでけがをして寝つくということではなく、転倒をきっかけに身体のバランスを崩してしまい、それが寝込みのきっかけとなるのではないか。そう思った。どうやら老人の身体というのは、そのような突然の出来事に出くわすと一気に随所が狂い出すものらしい。いい勉強になったなとしみじみ思った。

で、どうすればいいのかと思った。対策である。何もしないままでは、また同じことが起こるに違いない。何故なら物理的に考えても、自分が若返ることなど、も早やあり得ないのである。どんなに歩くのを強化したとしても老人の本質が変わるわけではない。却って疲労を蓄積し、老化を早めることになるのかもしれない。

あれこれ考えた末にたどり着いた結論は、歩き方の工夫ということだった。杖をついて歩いたらどうか、という着眼点である。今は足腰に問題があるわけでもなく、杖を付いて歩くのには些か抵抗がある。他人はどう見るのかなどを考えると、恰好悪いし、勘違いされるかもしれない。それらを振り切って決めたのが、これは訓練だということだった。訓練であるから1本ではなく2本の杖で歩くことにしようと思った。杖を2本使っての何とかウオーキングというのがあるらしいけど、自分の場合は市販の杖などは使わず、自分で作った杖を使うことにした。

というのも、杖については何年か前に筑波山登山を思い立ち、年に30回ほど登ったことがあるのだが、その時に杖の効用を身に浸みて実感しており、何本かの自家製の杖を作って持っているのである。その時に気づいたのは、杖を上手く使うためには腕の筋力が必要だということである。腕に力の無い人は、杖を使うといっても無用の用具となり兼ねないのである。そして杖は一般に考えられている様な標準的な長さのものではなく、少し長いもの、或いは少し短いもの,重いもの、軽いものなどの組み合わせで使うことが有効だということに気づいた。筑波山登山では、短い杖は登りに有効だったし、長い杖は下山の際に極めて有効だった。だから平地を歩く時でもこの長短を使い分けることが有効となるのではないかと思った。

このような考えで2本杖の歩行を始めてから約1カ月が経ったが、次第に慣れて来て、今のところ順調に効果が出て来ているのを確信している。腕の筋力もより確実なものとなって来ているし、2本を使ったバランスのとり方も馴れて来ている。まさに転んだ後の杖の効用が力を発揮しつつあるのだと思う。訓練としてのこの選択は間違ってはいなかったと、今は自信を固めて来ている。

あと1年も続けていれば、足が動いている限り転ぶことは無いと思う。訓練時には重い杖を使うようにし、外出時には軽い2本の杖を使うことを徹底するようにしたいと思っている。老に正対するということは、このような取り組みをいうのかもしれないなと思った。


守谷市民に失望

2020-11-11 03:47:14 | ジジババ世代の話

 先日、守谷市の市長選挙の立候補者について書いたのだが、その結果が出た。ふざけた立候補者に対して市民を愚弄するなと怒りを覚えての投稿だったのだが、さて、その後の選挙結果はどうだったのかといえば、今度はまさに吠えていた自分が市民に愚弄される結果となった。なんと、あのふざけた候補者が全体票の1割もの得票をしたのである。今度は自分が市民から愚弄されたような気分となった。このような街に住んでいてこの先大丈夫なのだろうかと思った。たとえ1票でもふざけた奴に入ったら、住み家を変えなければならないと大見えを切ったのだが、さてさて、それを実行に移すとなると、傘寿の老人にはそう簡単ではない。財力はもとより体力も乏しくなっており、意気込みだけでは動けない。限界集落のような所に行けば、住民の心はつながり易いのだろうけど、つながるための体力不足は如何とも仕様が無い。止むを得ない。ぶつぶつ言いながらももうしばらくこの街に住み続ける以外なさそうだ。このようなふざけた市民の多く住む街に確かな未来があるとは思えないのだが、20年間で善き人も多く居るのを知っているので、何とかなるだろうと思うことにした。

 それにしてもこの選挙結果は一体何を語っているのだろう。思いつきで突然立候補したわけのわからぬ人物に、有権者の1割が投票するなんて、ふざけを助長する以外の何ものでもないのに、市民の1割程度は悪ふざけを楽しむ悪趣味を持っているのだろうか。今頃の世の中は悪ふざけとしか思えない芸人の言動に迎合して拍手する人間が増えている感じがするが、もはやこの傾向は時代の特色として定着しているのかもしれないなと思った。

 も一つ考えられるのは、再選を果たした現職に対する批判がこのような結果を招来したということである。新しい風を吹かすというほらを吹いて最初の当選を果たした現職は、その後の4年間で何の風も吹かせなかった。市民に寄り添う振りをしながら、ありきたりの施策を流れに沿って行っただけで、何のインパクトも感じられない行政ぶりだった。個人的に恨みがあるわけではないけど、田舎の政治屋の発想には限界があるのを感じさせられ続けているので、がっかりしている。そのようなところを突いての投票結果がこのふざけた奴の得票につながっているのかもしれない。どうせ誰がやっても同じことという政治に対する期待感の無さの流れが、悪ふざけを思いつく市民を生み出しているのかもしれない。

 いずれにしても、自分にとっては、意気がった分だけとんだ茶番だった。この後は、年寄りの冷や水の振る舞いは厳に慎むこととしよう。反省。


ふざけた立候補者

2020-11-08 06:10:23 | つぶやき

 

 

 守谷市に住んで間もなく20年近くになる。この間何度か選挙を体験している。市議会議員選挙、市長選挙、それに国政選挙等だ。今回は4年が経って市長の任期が終了し市長選挙が行われることになった。

 事前の予想では現職に対立候補は無いようで、無投票で決まるのではないかとのことだった。ところが立候補の締め切り間際になって、唐突にも立候補者が現れ、無投票の話は消え去った。

 どんな人物が対立候補なのかと、選挙公報を待っていたのだが、届いたそれを見てなんだこれは!と思った。そこには公約として「税金を安く」とだけ書かれていて、その他には氏名・年齢の他ツイッタ―やメール、携帯電話のアドレス等だけが記されていた。経歴も自己紹介も無く、一体どのような人物なのか見当もつかない貧弱な情報しか記されておらず、これで本当に市長にチャレンジするつもりなのか、その意図など欠片(かけら)も感じられないお粗末な内容だった。どのような人物なのか何を考えているのかを知るために新聞の記事を見てみたら、この人物の職業は家庭教師だという。立候補の動機としては、告示日の前日に市長選の新聞記事を見て急遽立候補を決めたとのこと。何故守谷市長選に立候補したかについては、直近の選挙が守谷だったから、と話したという。

 これを見て呆れかえると同時に無性に腹がたった。いやしくも守谷市という7万人弱の人が住む自治体の長となるかも知れぬ人物が、このような軽薄な思いつきで立候補するとは、まさに守谷市民を愚弄しているのではないか。ふざけるな!と怒りが湧いてくる。無投票を妨害するための思いつきとしか思えない。この人物のおかげで無駄な税金が使われることになるのだ。税金を安くするなどという公約にも反するのではないか。税金を安くするなどと聞いた風のことをぬかしているが、市長が税金を安くできる範囲など皆無に等しいのではないか。バカにするのも甚だしい。当人は守谷からは少し離れている土浦市在住であり、一体守谷市とどんな関わり合いを持っているのか。こんな調子で選挙が行われていいものなのだろうか。如何に民主主義で立候補は自由とは言え、立候補の地にゆかりも無く、何の信念も施策も無い者が、冷やかし半分の気持ちで立候補するなんて、愚の骨頂だ。このような愚者を抑えるような仕組みが必要なのではないか。バカバカしいと思いながらも、このような者が蔓延(はびこ)り出すと、この世はオチャらかでふざけたものとなってしまうのではないか。それともこのようなことはある種の社会に対する反動現象なのか。守谷市に住む一住民として、今回の選挙大勢の善良な市民が振り回されることを思うと、改めて怒りが湧き立ってくる。もし。こんな奴に一票でも投票する市民が居たとしたら、この先この街に住み続けることを考え直す必要があると思っている。とんだ出来事だった。