「転ばぬ先の杖」という教訓めいたことばがある。これは勿論老人世界住人への警鐘なのだが、自分としては「転んだ後の杖」という方が実態に叶っていると思う。というのも、これは自分自身の実体験の所感だからなのである。
毎日10kmほどを歩いている。コロナ禍の今年は特に歩きを増やしたので、この夏などは毎朝15kmほど歩くのを日課とした。なので、足腰はまだ大丈夫だと自負の念があった。だから歩行中に転ぶなんてあり得ないと思っていた.
ところが先日見事に転んでしまったのだ。実に我ながら見事というほどの転び具合だった。縁石か何かに躓いたらしい。よろけてあれよあれよという間に膝をついてしまった。立ちあがろうとしたら、何ともう一度続けてよろけ転んでしまったのである。一旦転んでしまうと、その後の身の処し方がどうにも止めようがないのである。これほど自分の身体が思い通りにならないとは!初めての体験だった。やはりどんなに強がっていてもその身体の中身は傘寿の老人なのだ。そう思い知らされた。転んだ後は、少し平衡感覚や方向感覚が狂ってしまったらしく、何だかどうにも不安定なのである。変な気分となった。
よく老人は転倒がきっかけとなって寝たきりになるという話を聞くけど、なるほど、こういうことがそうなのかとその時思った。恐らく転んでけがをして寝つくということではなく、転倒をきっかけに身体のバランスを崩してしまい、それが寝込みのきっかけとなるのではないか。そう思った。どうやら老人の身体というのは、そのような突然の出来事に出くわすと一気に随所が狂い出すものらしい。いい勉強になったなとしみじみ思った。
で、どうすればいいのかと思った。対策である。何もしないままでは、また同じことが起こるに違いない。何故なら物理的に考えても、自分が若返ることなど、も早やあり得ないのである。どんなに歩くのを強化したとしても老人の本質が変わるわけではない。却って疲労を蓄積し、老化を早めることになるのかもしれない。
あれこれ考えた末にたどり着いた結論は、歩き方の工夫ということだった。杖をついて歩いたらどうか、という着眼点である。今は足腰に問題があるわけでもなく、杖を付いて歩くのには些か抵抗がある。他人はどう見るのかなどを考えると、恰好悪いし、勘違いされるかもしれない。それらを振り切って決めたのが、これは訓練だということだった。訓練であるから1本ではなく2本の杖で歩くことにしようと思った。杖を2本使っての何とかウオーキングというのがあるらしいけど、自分の場合は市販の杖などは使わず、自分で作った杖を使うことにした。
というのも、杖については何年か前に筑波山登山を思い立ち、年に30回ほど登ったことがあるのだが、その時に杖の効用を身に浸みて実感しており、何本かの自家製の杖を作って持っているのである。その時に気づいたのは、杖を上手く使うためには腕の筋力が必要だということである。腕に力の無い人は、杖を使うといっても無用の用具となり兼ねないのである。そして杖は一般に考えられている様な標準的な長さのものではなく、少し長いもの、或いは少し短いもの,重いもの、軽いものなどの組み合わせで使うことが有効だということに気づいた。筑波山登山では、短い杖は登りに有効だったし、長い杖は下山の際に極めて有効だった。だから平地を歩く時でもこの長短を使い分けることが有効となるのではないかと思った。
このような考えで2本杖の歩行を始めてから約1カ月が経ったが、次第に慣れて来て、今のところ順調に効果が出て来ているのを確信している。腕の筋力もより確実なものとなって来ているし、2本を使ったバランスのとり方も馴れて来ている。まさに転んだ後の杖の効用が力を発揮しつつあるのだと思う。訓練としてのこの選択は間違ってはいなかったと、今は自信を固めて来ている。
あと1年も続けていれば、足が動いている限り転ぶことは無いと思う。訓練時には重い杖を使うようにし、外出時には軽い2本の杖を使うことを徹底するようにしたいと思っている。老に正対するということは、このような取り組みをいうのかもしれないなと思った。