山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

行田市の田んぼアートを見に行く

2016-09-25 05:01:39 | くるま旅くらしの話

田んぼアートといえば、発祥の地として尊敬している田舎館村(青森県)のそれが最高のものだと思っている。昨年も見に行き、大地に稲穂で描かれた富士山と三保ノ松原の天女の優雅な像に圧倒され、又第2会場のサザエさん一家の微笑ましい表現に感嘆したのだった。弘前市や黒石市に挟まれた地に位置する田舎館村には、垂柳遺跡という弥生時代の稲作の遺跡があり、これに因んでこの田んぼアートが村おこしの一環として始められたと聞いているのだが、その後これに倣って全国各地で田んぼアートが描かれるようになり、今では田んぼアートのサミットも開かれているとか。

自分的には田んぼアートは田舎館村のそれが至上のものと思っており、他の場所へ積極的に出掛けて行き見て見たいとは思わなかったのだ。ところが先日自治会の一杯やる集まりの話の中で、この近くにも田んぼアートがあり、しかもそれがギネスに認定されているという話を聞いたのである。場所は埼玉県の行田市ということだった。これは一度見ておかなければならないと思った。それで、早速見に出かけることにしたのである。

埼玉県行田市は国道17号線を利用した時に通過しているのだが、その名前は知っていても、足袋生産で有名というくらいで、その実際を確かめたことは無く、他に何があるのかは全く知らなかったのである。行田市のどこに田んぼアートがあるのかは直ぐに判った。ネット情報は真に便利である。それは行田市の市役所に近い「古代蓮の里」という所にあるとのことだった。

九月に入ってからは秋雨前線や台風の襲来で天気が悪い日が続き、なかなか出向くに相応しい日がやって来なかったのだが、ようやくチャンス到来と、曇りとの予報を我慢して、中秋の名月の日に出かけることにした。知人の話では直ぐ近くだとおっしゃったのだが、思ったよりは結構遠くて、到着までには2時間近くを要して、古代蓮の里の中の古代蓮会館に着いたのは正午間近かだった。

思ったよりも遥かに広い敷地には、かなりの種類の古代蓮が植えられており、もう開花期は既に終わっていて、枯れ始めたものが殆どだったが、中には未だ花を咲かせているものが数本あり、それが今まで見たことも無い蓮の花だった。守谷市にも古代蓮の池があり、今年はその鑑賞を堪能したのだったが、ここの蓮池はそれとは比べものにならないほどの規模の大きさだった。古代蓮の鑑賞は後回しにして、先ずは会館のエレベータに乗り、高さ50Mはあるという展望台に上がった。

入口にある案内の写真や説明などでは、今年のテーマは「ドラゴンクエスト」ということで、そのようなゲームの世界には無縁な自分たちには何だかよく解らない画題だった。説明では、≪本市の田んぼアートと同様に、ギネス世界記録に「最も長く続いている日本のロールプレイングゲーム」として認定され、今年誕生30周年を迎えた大人気ゲームシリーズの『ドラゴンクエスト』です≫とあり、更に≪昨年ギネス世界記録認定に沸いた行田市の田んぼアートがこの強力なコラボレーションの実現により「行田のおいしいお米」のPR等の農業振興と本市の人気観光スポットとし観光振興を更に推進します≫とあった。なるほどと思ったが、何故コラボレーションなのかについては不可解だった。

30数秒で展望台に着くと、そこは360度の景観が広がっていた。そして眼下東側の田んぼには、何だか怪しげな怪獣の様な絵が剣を持った恐ろしげな顔つきで描かれていた。田んぼの広さは横幅が150m以上もあり、縦もそれ以上あって、総面積は28,000㎡だとのこと。全てを写真に収めるのは難しい大きさである。使用した稲は9種類で過去最多で、田植には2日かかり、延1,500人もが参加したという。展望台の壁には田植の詳細な設計図が貼られていた。並々ならぬ市の思い入れを感じたのだった。

   

行田市の今年の田んぼアート、ドラゴンクエスト。展望室のガラスが反射して上手く撮れなかった。ゲームをよく知っている人ならば感嘆の声を上げるに違いない、田んぼに稲で描かれた壮大な絵である。

なるほどこれは確かに田舎舘村のそれを凌ぐ広さである。ギネス記録認定はまやかしではないなと思った。しかし、自分には何だか納得し難い絵柄なのである。架空のバーチャルな世界が生み出した怪物様の主役が、こんなにもてはやされる現象をどうも感心できないなと思った。作者や行田市に文句やケチを付ける気など更々ないのだが、美味しい米をPRするのに、大自然と無関係な何の情緒も感ぜられない怪物のようなものを使うのは如何なものかと思った。大きさだけを世に誇るのに、ただ当世の人気者なら何でもいいというような発想には同意し難いのである。ま、喜び感動する人も大勢いるのだから、何もどうのこうの言う必要は無いのだと思うが、真老のジジイの価値観は己を度し難いのである。。

やっぱり本家の田舎館村の方がいいなと思った。キャンバスとなる田んぼの大きさでは引けを取っても、描かれる芸術性は遥かに上の様な気がする。田舎館村の今年の田んぼアートは、第一会場が真田丸の一シーン、第二会場がゴジラ・シンだとのこと。遠過ぎて出掛けて行くのは出来ないけど、ライブカメラなどで様子を見て見ると、実際の状況が目前に迫って来るようで、いつもの感動を思い起こすのである。

ちょっと複雑な感慨を抱きながらエレベータを降りたのだが、その後の会館内の古代蓮に関する説明資料や写真・展示品などを見せて頂いて、これは相当に立派なものだなと感心した。自分は古代蓮といえば大賀ハスだけだと思っていたのだが、世界にはその他何種類もの古代からの蓮があって、花の色や形も様々であり、それらの幾種類かがこの古代蓮の里の池にも植えられているとのこと。来年の開花期には是非とも再訪しなければと思った。蓮の花には、他の植物の花には無い格別の魅力を感じている。来年が楽しみである。

   

古代蓮の里の中にはまだ咲き残っていた花がほんの少しあった。これは最後の花を咲かせていた「大洒錦(たいせいきん)」という名のハス。初めて見る不思議なハスの花だった。

ということで、田んぼアートの見物は終わったのであるが、そのあと、近くに忍城跡があるというので行って見ることにした。武蔵国の忍城のことは、戦国時代以降の歴史書や物語の中で数多く触れているのだけど、実のところそれが現在どこにあるのかは全く知らなかったのである。それが行田市にあったとは!何という迂闊な認識だったのだろうと己を恥じた。

      

 忍城の跡には新しい時代に建てられた櫓が一つ残っていた。この城については、「のぼうの城」という映画に詳しいらしい。その映画をまだ見てはいないのだが、面白そうだ。秀吉の小田原攻めの際に唯一陥落しなかった城がこの忍城だったとのこと。最も攻めたのは石田光成ということだから、今の世の評価から見ればラッキーだったのかもしれない。真実は解らない。

資料によれば、この行田市辺りが埼玉県の呼称の発祥の地だったとか。今までどうして埼玉県なのか解らなかったし、さいたま市のどこかにその源があったのかなどと軽々に考えていたのだけど、これはとんでもない愚かな認識だったと反省させられた。行田市は足袋だけではないたくさんの歴史が詰まっている街だということを初めて知ったのである。

忍城跡には小さな櫓が一つ建っていて、その中に入るのは出来ないようになっていたけど、僅かに残る掘り跡や本丸辺りの屋敷跡などをざっと一回りして、ここも、もう一度じっくり訪ねて見る必要があると強く思った。田んぼアートにはさほど感動できなかったけど、その後の古代蓮池や忍城跡、それに足袋蔵の残る町並みには強く心惹かれるものがあり、己の胸に再訪を約しながら帰途に着いたのだった。

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嵐の女、満1歳を迎える

2016-09-22 08:28:33 | 宵宵妄話

 しばらく孫たちのことについて書きませんでした。月日の経つのは本当に早いもので、今、内孫の二人は、上の男の児が満2歳半、下の女の児が満1歳となりました。

上の子はなかなか自分語を卒業しようとはせず、いろいろと話しかけてくれるのですが、「ジイジ、ジジた~ん」と大きな声で何度も呼ばれるのは嬉しいのですが、その後に続く「○▽×、+△◇○-≒△、?」という説明や話には、なかなかついてゆくのが難しくて、ただただ、「そうか、そうか」と同意をし続けるだけです。それでも「行ってらっしゃい」などと少しずつ新しい普通語を覚え始めているので、楽しみは膨らむばかりです。

さて今日の話題の主役は下の孫娘の話です。昨年の9月10日の生まれで、先日満1歳の誕生日を迎えました。1年前のこの日は、未曽有の豪雨のために鬼怒川の堤防が決壊し、隣の常総市で街の中心部が水に浸るという、大災害が発生した日でした。そのような大雨、大水の大嵐の日に生まれたので、ジサマはこの子は嵐の女だと決めることにしました。

嵐といえば風雨災害につながり、あまり良いイメージはなく、禍福綯い交ざった波乱万丈の苦労多き人生を描くことになってしまうのかもしれませんが、このジサマはそのような表面現象ではなく、嵐の持つ秘めたエネルギーの大きさ、逞しさに期待するという意味で「嵐の女」と思うことにしたのです。

まさに嵐の日に大きな産声を上げてこの世に生まれ出て来た女の子は、その後、大した病に取りつかれることも無くすくすくと育っています。誕生1年目を迎えた日には、親たちが誕生祝いの席で一升餅を背負わせるのですが、今回はそれを重さ半分の紅白のハート形の餅2個にして用意したようです。

伝え歩きをし始めたばかりで、テーブルの縁を持って立ちあがった孫娘は、小さなリュックに先ずは半分の餅を入れて背負わされたのですが、これにはびくともせずどこ吹く風で、伝え歩きの楽しさを味わっていたようでした。周りを取り巻くジサマと二人のバサマは、おお、頼もしや!と感嘆・感激の声を発するばかりです。

次にもう一つの餅を追加背負わせると、今度はさすがに重さを覚えたのか、嫌がってリュックを揺らすと、そのままデングリ返りそうになり、なにをするんだ!とばかりに不快な泣き声を発しました。祝いとはいえ、大人たちの非情な振る舞いにご機嫌な斜めの様子でした。

この嵐の女の子は、ジサマやバサマに対して普段なかなか笑わない子で、父親に抱かれて2階に上がってくると、よほど機嫌が良い時以外は大体が懐疑的な眼差しでジジババを見ているのですが、笑ってくれると、その分だけ、まさに目に入れても痛くないほどにビユーティフルでプリティで可愛いのです。時々騙されてジサマの膝に坐ると、父親や母親が傍にいる時は大丈夫なのですが、居なくなったりするとたちまち大泣きをしてジサマを困惑させてくれるのでした。

ところがこの誕生会を期してなのか、嵐の女の子は俄然女の子の「らしさ」を示してくれるようになったのです。驚いたのは、誕生会の席で、プレゼントされたお人形のセットをどう扱うのかを注目していると、何と髪を梳かす動作をし、ミルクを飲ませることも知っていたのでした。今まで母親からも教わっていなかったことの様でした。どこでどのように学んだのか見当もつきませんが、驚きの振舞いでした。

嵐の女の子は、少し疳が強い様で、時々夜中や夜明け前の早朝に大声を上げているのが階下から聞こえてくるのですが、これじゃあ親は大へんだろうなと同情しきりでした。それにこの頃は要求が厳しくなって来て、何か欲しいものがあったりすると、その都度「や~!」と大声で指を指しながら求めるのです。階下から盛んに「や~!」が聞こえてくるので、どうしたのかなと嫁御に訊いたら、ご飯を食べている時は、もっと欲しい時には、その都度大きな声で「や~!」と要求するのだそうな。いやはやパワフルでよろしい、とそれを聞いて、ジサマは目尻が下がるばかりです。あまりに下がり過ぎて、先日は健康診断の眼底検査の際に、瞼を引っ張り上げて貰わないと写真が撮れなくなってしまったのでした。(これはただの老化現象だって!?)

満1歳になってからは、ニコニコ顔が急に増え出して、ジサマとバサマはもう超嬉しくなって、ホイホイしています。大人の笑顔も良いものですが、満1歳の児の笑顔は素直さ純粋そのものであり、これ以上美しく心を癒されるものはありません。ジジババ対決でお互いに不愉快な顔をしていても、階下から父に抱かれて笑顔の嵐の子が上がってくると、たちまち対戦は休止となり、対戦そのものを忘れ果ててしまいます。まあ、真老のこの歳になって、何とありがたいことか。

ジサマとしては、逞しい嵐のパワーを秘めたこの孫娘が、優しい笑顔の眼差しを輝かせたままに、これからも大きく成長していって欲しいと心から願うばかりです。

 

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メダル倍増は愚算用

2016-09-16 21:32:07 | 宵宵妄話

月の出来事の中で最大のものといえば、やはりオリンピックということになりましょう。連日TVで同じような内容の画像を何度も繰り返して見せられている内に、だんだん感動がすり減って来るようで、正直ヒネくれた老人には馬鹿らしさの様なものを覚えたのでした。そのようなオリンピックよりも、炎天下の球場で高校球児と応援団が一体となって演じられるドラマの方がよほどに胸を打つ感じがしたのです。

ブラジル、リオデジャネイロでの初のオリンピックは、開催に絡んで事前から様々なマイナス情報(政情不安・準備の遅れ・ジカ熱・治安体制など等)が流れていましたので、とんでもないテロ事件などが起こらなければよいがと、そちらの方が心配でした。しかし、それが杞憂に済んだのは幸いなことでした。

終わって見れば日本選手たちの獲得メダルは過去最高の41個ということで、マスコミはそれなりに浮かれた評価をしていたようです。国を挙げての競技ということもあって、日本のみならず世界各国がメダルの獲得に力を入れているのは当然なのだとは思いますが、今頃のオリンピックの価値観は、本来のオリンピック精神からは相当にズレて来ているように思われます。選手個々人の努力の結果にケチをつける考えなど毛頭ありませんが、メダルの数などでオリンピックの成果が評価されるのは何だか正当ではない感じがしてならないのは、ヒネくれた老人の思いだけなのでしょうか。

メダルのことはともかくとして、選手個々のプレーに関しては、感動的な場面が幾つもあり、その競技一筋にそれこそ命をかけて取り組んできた結果を喜び、残念無念がる様は、誰が見ても美しく素晴らしく又哀しく可哀そうに思えるのだと思います。TVでは勝者のことばかりが映されますが、オリンピックの舞台の中では敗者や敗者にさえも届かなかった人や国があり、それらの姿ももっと多く報道されるべきではないかと思いました。

さて、リオでのオリンピックが終わって、次はいよいよ東京での開催が待っているのですが、このことに関してガッカリというか、呆れたというのか、なんだこれは?と思ったことがあります。

それは、オリンピックの全競技が終わって、選手団の解散前の団長の挨拶でした。団長も相当にお疲れになっていたのでしょう、痛々しげに真っ赤な目をされながら、締めくくりの挨拶をされたのですが、その中で緊張の面持ちで吐かれたことばには驚かされました。何と、「次のメダルの獲得数は倍増だ」というのです。

これを聞いて、老人は、「この人はなんてことを言うのだろう」と思いました。今、ようやく過去最高の41個のメダルを獲得したと喜んでいるばかりなのに、次は82個が目標だというのです。しかも悲壮な表情でそれを言うのですから、後ろに控えていた選手たちに一瞬緊張が走るのを感じました。

後ろに控えている選手たちに笑顔で慰労の声をかけ、柔らかな雰囲気の中で、次の東京では倍くらいのメダルが取れたらいいね。皆さん更に精進してガンバッテ下さい。とでも言ってくれるのなら納得できるのですが、国家の悲願というのか、命令というのか、こわばった顔での目標掲示は、何だかスポーツの楽しみなどとは無縁の国家政策の発表のように思えて、何とも違和感を覚えたのでした。

団長自身もその昔は類まれなるアスリートだったのに、長いこと政治の世界に係わっていると、個々人の心情などは忘れてしまって、目的や責任感の塊の様なものが取り付いて、全体主義的な発想となってしまうのかなと、寂しく思いました。

何でも上り坂に目標を捉え設定するのは、全体主義の悪い癖ともいうべきことのように思います。オリンピックはスポーツの祭典であり、メダル獲得競争の戦いなどではないはずです。もっと大らかにオリンピックを通してスポーツの裾野を拡げ、各種のスポーツを楽しむことが国家としての最高の目的なのではないかと思います。

マスコミなども盛んにメダル獲得のことばかりを煽っているようで、真に無責任なことだと思います。オリンピックのメダルに染まった報道などよりも、オリンピックに係わるスポーツのこぼれ話などを何故もっともっと多く報道しないのか、首をかしげたくなります。

今、パラリンピックが開催されていますが、こちらの方もメダルの数などで騒ぐのではなく、想像を絶するハンディを乗り越えて、競技に参加出来ている人たちの姿をもっともっと正確に伝えて欲しいなと思います。

暑い夏もようやく終わりかけていますが、さて、4年後までちゃんと生きていて、またまたぶつぶつ言いながらオリンピックの報道を見ることが出来るのやら。82個などという目標が本当に達成されてしまって、一気に命が縮まるのやら。さてさて、どうなることやら。老人の愚痴なのでした。

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親から学ばない子

2016-09-11 05:21:46 | 宵宵妄話

分と長い夏休みでした。歳をとるにつれて、暑さや寒さへの不適応状態が強まることを実感していますが、今年の夏の暑さは、格別酷いものだと思いました。昨年に引き続き夏の北海道行を控えたため、いつもの4倍の暑さを感じたのかもしれません。とにかく思考停止の仮死状態で、9月に入って朝夕だけはようやく意識が戻り出したという按配です。とにかくブログに投稿する気など全く起こらず、我ながらこの無気力さに呆れ返るばかりでした。それでも、早朝の階段昇降のトレーニングだけは休むことなく継続し、それが終わって家に戻りシャワーを浴び終えると、もうそこで一日が終わるという感じでした。

この8月はスポーツイベントが賑やかで、リオのオリンピック、高校野球など日中の退屈しのぎにはこと欠きませんでした。また、世の中を騒がす出来事も相変わらずの賑やかさで、思考停止の仮死状態とはいえ、時々はあれこれと心が動きました。それらの中から眠気覚ましを兼ねて幾つか思ったことを書いて見たいと思います。

 その一つがタイトルの「親から学ばない子」という現代社会病(?)とも思える現象です。

8月の出来事の中に、ある有名女優の息子さん(この人もまた母親と同じ道を歩み出した俳優なのです)が、なんと仕事先のホテルで従業員の女性を強姦するという、言語道断の忌わしくも許されざる事件を引き起こしたのです。この事件はマスコミの、特に芸能界に係わる人たちの格好の餌食となり、あれこれと大きく報道されましたが、それらを見聞きしながら、この国の人倫道徳の劣化の大きさを改めて思ったのでした。

人間の道(=人倫)などというと古臭いと一蹴される嫌いがありますが、この世にそれが無かったら人間は人間でなくなり、単なる哺乳動物の一種に過ぎないものとなってしまいます。犬や猫と同類、或いはそれ以下となってしまうのです。盲導犬のように犬であってさえもかなり人間の道を学び実行している動物もいるのに、今の世はそれに気づかず、大切な人間の道を軽視するのが流行りの感じすらします。

この人間の道を教える第一の責任者が親というものでありましょう。世の中には、やって良いことと決してやってはならないこと。それは何故なのかということ。つまり、世の中が成り立つための必要最低の遵守事項を知り守ること。等々、人間として生きるための基本ルールがあります。それらをしっかりと子に教え刷り込むのが親の最大最高の責任というものでありましょう。これがしっかりと果たされて後に、より高度な人間社会のルール等が教師を初めとする子を取り巻く社会の全ての人々によって子に教え込まれて行くのです。

昔の話をすると笑われてしまいますが、昔は悪(ワル)と言われた子でさえも、親から多くを学んだものです。がみがみと文句ばかり言っている親に反発しながらも、働く親の姿や姿勢から子どもは多くを学んだように思います。斯く言う私自身も、毎日往復4時間以上をかけての遠距離通勤をしながら働く父親の姿から多くを学びましたし、兼業農家の厳しい作業に早朝から夜遅くまで身を粉にして働く母の姿にどれほど多くのことを学んだか判りません。時には反発することがあっても、父母を尊敬しないことなどあり得ませんでした。ことばよりもその姿から学んだことが何よりも大事だったように思います。

昔でなくても、今でも子は親から多くを学んでいるはずですが、世の中全体を見回してみると、破綻を来している親子関係が相当に多いことに愕然とする思いがあります。青少年の起こしている事件の多くは、親の躾や育て方に問題があるようです。と同時に学ぶべき子の在り方や環境にも問題が多いようです。親は子に対して、人間として生きるための心構えや社会的ルール等を、大人になるまでの間に様々な機会をとらえて、しっかりと学ばせ、且つ親自身がそれらの数々を身を以て示さなければならないのですが、これらの関係が親子共々曖昧なままに時間が経って、気がついたら大人になってしまっているということが増えて来ているように思うのです。

かつて「断絶の時代」ということばが脚光を浴びましたが、著者のドラッカー博士は、来るべき知識社会が社会と文明において根源的な変化、すなわち今までの「継続」社会から「断絶」の社会へと変化をもたらすと予断されたのですが、今はまさにその通りの世の中が生まれ拡大しつつあるのを実感します。この断絶は、「子が親から学べない」「子が親から学ばない」という深刻な社会現象に示されているように思えます。高度情報化社会は、働く親の姿を子に正確に伝えることが難しいのみならず、子の方が親よりも情報を先に操る不可解な力を与えつつあり、まさに「断絶」は親子の間に確実に入り込みつつある感じがします。

今回の女優とその息子の関係が本当のところどんなものだったのかは知る由もありませんが、シングルマザーとして辛苦の中に息子を育て上げたその努力の姿から、息子の方は大切なことは何も学んでいなかったということでありましょう。いつの間にか「断絶」感覚が息子に取りついてしまっており、女性を襲うなどという卑劣極まりないおぞましき外道行為に走るとは!仏教の六道輪廻の世界で言えば、彼の行為は人間道ではなくその下の畜生道にも及ばない地獄道の一歩手前の餓鬼道の振る舞いとも言える、ただ本能剥き出しの行為なのです。

改めて今の世の「断絶」の大きさ深さに気づかされ溜め息の出る事件でした。その後の情報では、この事件は示談が成立して彼は不起訴となり、釈放されて終わりとなるようです。あと2ヶ月も経たないうちに、この事件は人々の記憶からは光速で忘れ去られて行くのでありましょう。しかし、この世に潜む「断絶」の生み出す「親から学ばない子」は、同じような事件を、或いはそれ以上の不可解で悪質な事件を繰り返し生起させるに違いない、そのような予感がしてなりません。

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しばらく休みます

2016-08-08 04:30:04 | その他

 残暑お見舞い申し上げます。

既に長いこと投稿を休んでいるのですが、猛暑が狂暑というくらい、真老の身にはこの暑さが厳しく、思考回路が止まってしまっています。暑さが収まるまで、そして思考回路が回復するまで、しばらく投稿を休むことにしたいと思います。     馬骨拝

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天空回廊1,445段を登る

2016-07-31 11:30:22 | くるま旅くらしの話

 私を知っている人たちの多くは、私は文系の人間だと思っているのではないか。しかし、私は高校の3年生の一学期までは理系志望であり、工学系の大学を目指していた。ところがその誤りに気づいて、結果的には文系(政治・経済)の学校に入ったのだった。だから皆は私のことを文系人間と思っている。しかし、実際の私は、とりわけて仕事をリタイアしてからの私は、文系でも理系でもなく、明らかに体育系の人間なのである。

 中学から始めたバスケットボールは、大学を出るまでクラブ活動にうつつを抜かしており、社会人となって以降も細々ながら10年以上も続けていたし、それが出来なくなると週末登山に入れ込み、奥多摩を初め、秩父、八ヶ岳、そして南アルプスの山々にチャレンジしていた。だんだん仕事が忙しくなり、転勤などもあって次第に身体を動かさなくなっていったが、それでも休日には時々はジョギングに汗を流すことを忘れなかった。

しかし、いつか体育系であるのを忘れて飲食系に落ち込み、22歳入社時60kgだった体重は気がつけば80kg超となっており、50歳に至って、ついに体内機能はインシュリン供給の限界を超え、糖尿病を宣告されるにいたったのである。

それ以降再び体育系の暮らしをとり戻すべく、歩くことを中心に様々な工夫を凝らして、現在に至っている。真老となった今でも何かしら身体を動かしていないと落ち着かないのは、ようやく体育系が我が身に定着したからなのだと思っている。

さて、前置きはこれくらいにして、実は今月になって二度ほど近場の旅に出かけている。2泊3日の行程では、旅などといえるものではなく、ちょっとした気分転換に出かけたということか。その二回とも行き先の中心は日光霧降高原である。7月初旬に行ったのは丁度ニッコウキスゲの花が最盛期を迎えている頃で、急にそれを見に行きたくなって、出掛けたのだった。その名もキスゲ平園地というその場所に行ったのだが、ニッコウキスゲは思ったほど多くはなく、鹿による食害などもあって、補植された株の表示が何箇所も見受けられた。でも、ニッコウキスゲだけではなく、様々な野草たちも咲いており、それなりに楽しみ満足して戻ったのである。

月末になってもう一度行こうとしたのは、一つには暑さが本格化してきたので、高度千メートルを超す高原の涼気を味わいたいのと、もう一つこれがメインなのだが、このキスゲ平園地には天空回廊と呼ばれる1,445段の階段があり、これの昇降にチャレンジしたいと思ったからなのである。というのも、毎朝2,000段以上の石段の昇降を続けて来ており、この成果がこの天空回廊の昇降でどのように反映されるのかを、試してみたかったのである。

2回目の霧降高原のキスゲ平園地は、前回とは全く違って、まさに霧の降る中にあった。視界は50メートルほどしかなく、咲いている野草たちの花も、足元近くにあるものだけしか見えない状況だった。前回来た時は良く晴れており、天空回廊の最終点の展望所のある小丸山に至る長い階段が見上げられたのだが、今回は50段先も見えないほどだ。しばらく霧の晴れるのを待ったのだが、一向に変わる様子はなさそうなので、思いきって階段の昇降を開始する。

     

キスゲ平園地、天空回廊の第一段目の階段表示。このような表示が100段ごとにあり、人々を時に励まし時にがっかりさせたりしている。

階段には100段ごとに表示がしてあるので、数えなくても大丈夫である。念のために登山用の杖と腰にクマ除けの鈴とお茶のペットボトルを括りつけての歩行だった。いつもは両足に各1kg、両手にも各1kg、計4kgの負荷をかけるのだが、今日はそれは無い。呼吸のリズムと足の動きとを合わせて、いつものように歩を進める。500段ほどはあっという間に上って、汗も未だ出て来ていない。毎朝の築山での歩行では、80段の石段を25回昇降するのだが、5回目、すなわち400段ほど経過すると汗が吹き出し眉毛から滴り落ち始めるのだが、ここは千メートルを超える高地の所為なのか、汗が出て来たのは800段を過ぎるころからだった。

息が少し上がって来たのは1,200段頃からで、荒い息を吐く間もなく階段を上り切って、1,445段に到達してしまった。終点の展望所も霧の中で、そこの案内板には視界の良い時にはスカイツリーのみならず太平洋も見えると表示されていたが、今日は全て霧の中で何も見えない。下界から見れば雲の中にいることになるのであろう。それにしてもあっけないなと思った。ここまで30分足らずなのである。しかし、未だ下りが残っているので油断はできない。階段の昇降で怖いのは下りの方だからである。

   

天空回廊のてっぺんにある展望所も霧の中だった。1,445段目の表示を撮り忘れたので、その代わりに霧の景色を写しておいた。

下りは呼吸を整える必要は無いので、付近の野草たちの花を眺めながらとにかくゆっくりと下りることにした。もうニッコウキスゲはすっかり消え去り、一番目立つのはヒヨドリ草(ヨツバヒヨドリなど)である。その他にもシモツケやシモツケ草、ギボウシの花もまだ残って咲いていた。クガイソウもあったし、新顔ではリンドウやワレモコウなどが花を咲かせていた。シュロ草やネバリノギランなどの目立たない草たちの花のあともおちこちに残っていたし、それらを見ながらの下りは楽しかった。

車に戻って着替えを済ませたのだが、既に汗は引っ込み、脚の筋肉の痛みも何も感ぜられない。毎朝の鍛錬歩行では、帰宅すると身体の重さを覚えるのだが、この1,445段の昇降にはそれらしきものは何も無かった。何か物足りないなという感じだった。やはり、今まで1カ月以上の毎朝の鍛錬歩行は効いていたのである。年寄りの冷や水の一種かと、毎朝バカなことをやってるなと思いながら続けて来たのだが、決して無駄ではなかったのだ。足腰の筋肉は少しは鍛えられたようだし、何よりも心肺機能は確実に強化されているようだ。

先に三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂を成し遂げた時に感動したのは、その登頂に至る前の何年か前からの周到な鍛錬努力の姿を知ったことだった。70代頃までに貯め込んだメタボのあらゆる症状が、この鍛錬の結果抜け去ったのだと話されていたが、これは本当だなと思った。それを真似て身体に負荷をかけることを始めたのだが、今の自分にできることはこの程度のレベルでしかない。しかし、何もしないでいるよりはずっとマシだと思うし、真老の体育系としては、「冷や水」的なことにチャレンジすることはPPKの実現のためにも大切なことなのを改めて確信したのだった。

今度キスゲ平園地に行くときは、天空回廊を2度往復することにチャレンジしてみたいと、密かに思っている。

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「慈悲」と「愛」について

2016-07-23 12:16:27 | 宵宵妄話

 石段の昇降を始めて間もなく2ヶ月となります。身体に4kgの錘負荷をかけて、一日2千段以上を目標としてから1ヶ月近くとなりますが、これは毎朝律儀に達成しています。幸いなことに梅雨の時期でも大雨は降らず、小雨決行という状態なので、毎朝大汗をかきながら黙々と上り、下りています。東西南北4種類(平均80段)の石段を計25回昇降するのですが、うっかりすると途中で回数を数え間違えたりしてしまうので油断は禁物です。

 そのような状況の中でも、人間というのはやっぱり何かを考え続けてしまうようです。先日の「慈悲」の続きでのことです。自分的にはこのことばが世界で一番美しいと信じているのですが、もう一つ似たようなことばに「愛」というのがあります。このことばが入り混じって来て、上りの回数を数え間違いさせることになるのです。でも時計と万歩計と、歩き方(4回終了ごとに左右の方向を変えている)で、間違いは直ぐに是正出来るので大丈夫です。

1歩を進めながら思うのは、「愛というのは、慈悲とどう違うのだろう?」ということです。どちらも同じようなものではないかと思えばそれだけのことなのですが、何だか気になるのです。歩きも佳境に入れば無心という境地になるのかもしれませんが、未だまだそこまでの集中できていないということなのでしょう。どうでもいいようなことをあれこれと考えてしまうのです。

 世の中では「愛」ということばは、「慈悲」に比べて数倍以上も多く使われているように思います。「愛は地球を救う」などというTVイベントなどもあり、至る所に「愛」ということばが溢れています。今の世の中、それだけ「愛」が求められているということなのでありましょう。しかし、「慈悲」となると、滅多に使われることは無いようです。

 「慈悲」と「愛」とはどう違うのか。石段を上りながら思うのは、深さと広さの違いかなということです。慈悲は深く、愛は広くということなのかもしれません。この二つのことばは、本質は同じように思うのですが、他者に対する心の寄せ方が少し違っているように思えるのです。

今は、世の中に「愛」が多く取り上げられている時代のようです。世界が狭くなり、もめごとや天災地変が多様化し、人々の関心はまさにワールドワイドとならざるを得ず、否応なしに「愛」が求められることになっているからなのでしょう。でも、「愛」というのは、どうも広く薄い感じがするのです。声に出して言えばいうほど、中身がかすれて行く感じがします。

それに対して「慈悲」が語られる場は少ないように思います。日本の歴史の中では、平安時代以降使われてきたことばは殆どが「慈悲」であったのに、今は何故死語に近くなっているのだろうと思わずにはいられません。「慈悲」は狭いかもしれないけど、その内容の他者に寄せる心は深いのです。

 でも、この優劣などを比べることはナンセンスでありましょう。世の中は、どちらの心の寄せ方も、溢れ混ざって人々の生きざまをつくり上げているからです。心の寄せ方には、その広さにも又深さにもレベルがあります。それは本人の考え方と行動の在り方によって決まるものなのでありましょう。

 さて、かく言う自分自身はどうなのでしょうか。多分に慈悲は浅く、愛も狭い人間であるような気がします。他人に心を寄せる力が元々弱いのかもしれません。そもそも真老世代の今頃になって、慈悲だの愛だのと言っていること自体がそのレベルの低さを証明していのだと思います。「慈悲」は愚か「愛」のレベルにも届かない自分の生きざまだなと、石段を上りながら、改めて思ったのでした。

 自分的に密かに思うのは、やっぱり最高は「慈悲」なのだということ。人に寄せる心の思いは、深いこそ本物なのです。そしてそれは人間としての出来具合(=完成度?)が本物のレベルを決めるに違いないのです。

これからの自分の生きる世界は、広さなどに惑わされることなく、何事も深さこそが大切なのだと心得て生きなければと、そう思ったのでした。

 毎朝2千段を昇降するには、何かが必要なのですが、このようなどうでも良さそうなことを考えるのも、時として力となるのです。さて、次はどんなテーマが浮かんでくるのか。あす以降に期待したいと思います。歩くことは考えることなのです。

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一番美しいことば「慈悲」とその体現者

2016-07-16 04:13:23 | 宵宵妄話

 この頃は絶不調が続いていて、どうも書く気が起こらず、身体を苛める一方で、少しく本を読むことにしていますが、それが又難しくて、頭の中は混乱するばかりです。というのも出来る限り難しそうな本を敢えて読むことにしており、今読もうとしているのが中村元先生著の「慈悲」という本(講談社学術文庫)なのです。

 中村元先生は、知る人ぞ知る仏教哲学の大家です。現役時代の随分前から、通勤の途中に先生の講演録のテープを何度も聴いて、お釈迦様のことなどを教えて頂きました。本も何冊か読ませて頂きました。私は仏教に帰依している者ではありませんが、お釈迦様の発想には大いなる共感を抱く者であり、その教えの中には人間に対する深い洞察が満ち満ちていると思っています。般若心経などにもその教えの凄さの様なものを覚えるのですが、今回は何故か突然この世で一番美しいことばとは何だろうという疑問が、朝の鍛錬歩行時の石段を上っている時にふと浮かんで来て、それを反芻しながら歩いている内に、「やっぱり『慈悲』ということばだろう」ということになり、もう少しこのことばの背景や意味を辿って見たいと考え、この本に出会ったということなのです。

 ところがこの本は滅法難解で、とても自分の頭ではすっきり理解することは不可能なことに気がつきました。この本は、どうやら中村元先生の「慈悲」研究に関する大論文のようで、これを読み切るには古代仏教の知識や歴史などを身につけなければならず、高齢浅学の自分にはとてもできることではなく、せめて部分的にでも慈悲の何たるかを手探ることができればと思ったのでした。

 私が、この世で一番美しいことばは何だろうという疑問を持った時に、結論として思い至った「慈悲」ということばは、決して仏教の言うところのものではなく、ごくありふれた日常の暮らしの中で用いられていることばという感覚なのです。自分的には「慈悲」という意味を、直截的には「悲しみを労わる」というふうに捉えています。他人の、その人の本当の悲しみが解らなければ、慈悲心の発露というのは不可能だと思います。悲しみを解るというというのはとても難しいことです。上っ面の理解では悲しみは解る筈がありません。それが出来ないままに労わるというのは、単なる同情に過ぎず、世の中には同情は溢れています。

 仏教の世界では、慈悲の語義として、慈と悲を分け、慈は「安楽を与えること、悲は「苦を取り除くこと」としているようです。どちらも相手の心に寄り添い、生きる元気を増幅させることにつながる意味を持っているように思います。この世界では慈も悲も相手を思う働きかけを意味しており、悲というのは単なる悲しみという意味などではなさそうです。

 それでも自分的には慈悲というのは、現実のこの世の中では、やっぱり「悲しみを労わる」という意味で良いのではないかと思っています。

 ところで、今の世で悲しみを労わる行為をしている人がどれほどいるのか、なかなか思い当りません。私自身も出来ているとは到底思えません。でも間違いなくその実践をされている方がいらっしゃいます。それはどなたかといえば、今上天皇陛下ご夫妻です。今の世で、唯一疑いも無く慈悲の行為を続けられておられるのは、このお二人だと思います。様々の公的ご行為におかれても、心底から国民一人一人の生きざまに思いを馳せられて、常に真剣に取り組まれておられているのは、本物の慈悲心をお持ちだからこそに違いありません。特に、昭和の大戦の跡を引きずる世代の人々に対しては、強い思いの表れを感じます。立派なお方であり、尊敬できる存在です。

 その天皇が、この度生前退位の意向を持たれているということがニュースとなっています。よほどのお考えがあってのことと思います。この実現には厄介なルールがあるようなので、この後どのようになるのか解りませんが、院政などを行う由も無く、純粋によりよい仕事を続けるためには、老齢者ではなく、若い世代がそれを担うべきとのお考えなのだと思います。

 この世で一番美しいことば「慈悲」の体現者であられる天皇陛下ご夫妻が、仮に生前引退を為されても、その慈悲心が衰えることは無く、美しいことばのままに、美しい生き方を為されてゆくのだと思います。その慈悲心が後継の方々に確実に引き継がれてゆきますように。そして、皇室の皆様がこの世で一番美しいことばの体現者であられますように、国民の一人として願っています。

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只管、2,000段を目指す

2016-07-05 03:42:02 | 宵宵妄話

 「只管」と書いて「ひたすら」と読みます。最初はこの字の読みと意味が解らなかったのですが、<只>が<それだけ>という意味を持ち、<管>が<貫く>という意味があるのを知ると、只管の意味がよく解るようになり、この字を用いるのに戸惑いが無くなり、むしろ誇りを感じるようになりました。今回の「只管、2,000段を目指す」というタイトルは、現在絶不調の私の状況を打破するための、毎日の取り組みを表わしています。

 5月の初めのブログに、石段の昇降について書きましたが、その後旅に出たため、取り組みが半端になり、旅から戻った6月は、両手足にウエイトを掛けての歩きは続けたものの、石段の昇降は見送り、毎朝平地を10kmほど歩くに止めました。7月になり、いよいよ石段の昇降に再チャレンジを開始しました。今回は少しハードルを上げ、毎朝2,000段の昇降を敢行することにしました。今日で4日目となり、今朝それを果たしてきたところですが、感じていることについて述べたいと思います。

 朝4時20分に車で家を出て、10分ほどで石段のある常総市の巣立山公園に着きます。履いてきた登山靴(短靴)の両足首に1kgのウエイトベルトを装着し、両手に各1kgのウエイトを持って歩きを開始します。しかし、直ぐに石段の昇降を開始はせずに、足慣らしに築山の脇にある300mほどのサブグランドの円周路を2回ほど足の状態を確認しながらゆっくりと歩きます。足首も、太ももの付け根も、その他の身体部分も異常の無いのを確かめてから、石段の昇降を開始します。最初は西側の69段を、足元を確認しながら上り、頂上に着いたら今度は反対の東側の石段を下ります。下りたら最初は左旋回で、麓の道をほんの少し歩いて今度は北側の石段を上ります。これは86段あります。頂上に着いたら反対側の南の石段を下り、麓を左旋回して今度は東側の89段の石段を上ります。頂上に着いたら先ほど上った西側の石段を下り、麓を左旋回して今度は南側の石段76段を上ります。頂上に着いたらそのまま反対の北側の石段を下り、麓から左旋回して最初の西側の石段に戻り、2回目の上りを開始します。これを6回繰り返すと、上りの合計段数は1,920段となります。これではまだ2,000段には達していませんので、最後にもう一度東側の石段の89段を上って、これで今日の目標達成です。その後はゆっくり北側の階段を下って麓に降りて、最初にウオーミングアップで歩いたサブグランドを5周ほどして、今日の鍛錬歩行を終わりにします。その後は車で家に戻り、シャワーを浴びて汗を拭うということになります。 

 4日間同じことを繰り返しているのですが、これがなかなかに面白い。石段を上るときは両腕でリズムをとりながら、呼吸に合わせて歩を進めます。時々そのリズムを変えたりしますが、基本は「1・2・3・4、 5・6・7・8」が」一区切りです。このワンセットを何回か繰り返す内に頂上に着きます。人間にはどんな時もある種のリズムの様なものが必要な気がします。集中して何かを行おうとする時は、呼吸とリズムには調和が必要で、それは意識する・しないに拘わらず自然ともたらされるもののようで、いわば心と身体の調和につながっているような気がします。この調和が保たれていると、心も身体もエネルギーの消費効率がベストとなるらしく、あまり疲れを感じなくなります。特にハードなことにチャレンジするときは、この心と身体の調和が大事だなと思います。 絶不調というのは、普段の暮らしの中で、心と身体の調和が乱れに乱れている状態なのかもしれません。石段を上り下りしながら、改めてそのようなことに気づかされました。

 1回目の320段を上り下りして、2回目に入ると汗が出て来ます。出るというのは滲むというレベルではなく、流れるという状態を指します。先ずは両腕の肘の内側からの汗が球の粒となって石段に落ちます。その後は滲んだ汗が眉を乗り越えて下に落ちてゆきます。タオルは持参しますが、滅多に拭うことはせずに、汗が下に落ちるのを楽しみます。「ああ、俺は今生きて汗をかいているのだ」という実感を覚えるのです。暑いと汗が出るのは当たり前ですが、己自身が身体を動かして出てくる汗は、又格別なもので、決して忌避するようなものではなく、何だか生きている証のように思えるのです。そのようなことを想いながらリズムをとって歩き続けていると、2回目、3回目、4回目が終わり5回目に入ります。

既に1,200段を上り下りして、心拍数も多くなって来ており、呼吸も乱れがちとなり出します。ここからが迷いが生じる時なのです。どんな迷いかといえば、<何もそれほど無理してこんなバカなことをしなくても、もう相当に厳しいのだから、今日は5回目を終えたら終わりにしてもいいんじゃないか>、という奴です。人生でいえば、老人世代論の順老(65~75歳)辺りの心境でしょうか。妥協が上手になってくる世代です。楽をすることに馴れてくる、或いは楽をするのは当たり前と思いこむ世代といえるかもしれません。自分は既に真老(75~85歳)世代なので、本来ならばこのようなバカなことはしないはずなのですが、糖尿病とうまく付き合い、PPK(ピン・ピン・コロリ)の死計を実現させるためには、老計の中にこのチャレンジが不可欠と考えていますので、取り敢えず楽に浸る時間はもっと後で良いと考えているのです。

この迷いは、オーバーに言えば人生の試練だと考えることにしています。その昔の子どもの頃に、「人と同じことをしていては、人の上に立つことはできないのだよ」と亡き母に言われたのを思い出します。特に人の上に立ちたいとは思いませんが、人(=自分以外の人)以上に、己に自信を持つ生き方はしたいと、この母のことばを受けとめて生きて来たつもりなので、これは試練なのだという場に出くわしたときは、後ろには引かないことに決めているのです。この石段昇降の5回目辺りにやってくる迷いという奴も、試練に違いありません。ここから先はまさに自分との勝負なのです。そのようなことに捉われながら5回目を終えると、今度は急に気持が楽になるのが不思議です。あと一回とほんの少しだと思うと、もはや止めて楽することなど論外の心境がやってくるのです。着実に歩を進めるだけなのです。

かくて2,000段の目標は達成され、全身汗みずくになって鍛錬が終わるのですが、帰宅後の汗を流し終えた爽快感は、これぞまさに極楽、極楽です。

さて、間もなく4時近くとなります。今日は5回目のチャレンジですが、只管の昇降の汗の中にどんな苦楽と迷いが待っているやら。楽しみです。

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古代ハスの眩惑

2016-06-28 06:02:45 | 宵宵妄話

 このところ書くことに関しては絶不調です。どういうことなのか自分でも全く解りません。とにかく書く気が起こらないのです。最近は随分と長い間、「老」というものについてあれこれと思いを巡らし、あまりにそのことに囚われ過ぎたきらいがあり、その反動が来ているのかもしれません。

 このような時は旅に出るのが一番なのですが、その旅も未だ終わったばかりであり、暑い夏が終わるまでは我慢をしなければならないと決めており、なかなか突破口が見出せません。

 そのような中で、ただ今は只管(ひたすら)日に一回は汗をかくことに努めており、毎朝4kgから6kgほどの錘(おもり)を身につけて、8kmから10kmほど歩いているのですが、今日はその途中で嬉しい出会いがありました。3つほどあるコースの一つの守谷城址公園を通る道の、少し脇にある古代ハスの池の花が最盛期を迎えたのです。

   

守谷市にある城址公園の脇の古代ハス池の開化の様子。普段は目立たないので、そこにこのような池があるのを気づかない人が多いのだが、この季節は違うのだ。

 家を出て40分ほど歩き、身にまとう錘の重さに身体が慣れ出したた頃にその池に着くのですが、3日前に来た時は数が少なかったハスの花が、今日は見事に満開近くとなっていました。思わず携帯しているカメラを取り出し、何枚かを取り込みました。まあ、何と美しいことか。息をのむ美しさがあり、桜や梅や他の野草たちとは違った、独特の雰囲気を持った花なのです。ハスの花には、そしてこのハスという名の不思議な植物には特別の感慨があります。

     

開花した古代ハスの花。淡い朝の光を浴びて、その美しさは、人を妖しくも幻想的な世界に誘う。

 特に古代ハス(=大賀ハス)には、他のハスとはまた違った感慨を覚えるのです。30年ほど前になりますか、千葉市の検見川という所に住んでいた時に、近くに東大の運動場があり、その中にそのハスを栽培している池があって、開花の時期にはよく訪ねて、その美しさに我を忘れたものでした。2千年以上も前の弥生時代か、あるいは縄文の終わりのころか、その頃咲いていたハスの実を大賀博士が苦心して開花させたと聞いています。それが今ではこの守谷市にも取り寄せられて、こうして花を咲かせてくれているのです。

 ちょうど今、日本の古代史などに目を向けているところで、縄文や弥生時代の暮らしぶりなどを、資料を通して思い浮かべていたところでもあり、このハスの花に往時の古代の人々の寄せる思いが伝わってきます。2千年以上も前の人たちも、特別な思いでこの花を見ていたのではないか。人間の心の世界は、自然を感ずる感性は、根っこの所ではそれほど変わってはいないと思うのです。古代人はただ素直に美しいものを美しいと感じて感動しながらこの花を見ていたのではないか。それをしみじみと感じたのでした。

 しばらく花を見つめていました。くらくらっと来るような、しかしどこかに温かさの一杯詰まった花でした。泥の世界に身を置いて、浮世に咲かせる花の美しさは、生命の限りを尽くしたものなのかもしれません。それゆえに仏教の世界では最も愛されている花だと聞いています。

   

どの花を何度見ても、見つめていても、その澄んだあでやかな命の輝きの世界は変わらない。

 これで絶不調も少しは和らいでくれるかと、再び汗をかきながら歩きはじめることにしました。

 

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