山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第22回(最終回)>

2017-05-16 04:52:08 | くるま旅くらしの話

 【昨日(5/15のレポート】 天気:曇り   

<行程>

喜連川温泉:もとゆ →(K・R293)→ 道の駅:きつれがわ →(R293・K)→ 道の駅:はが[栃木県芳賀町]→(K・R294)→ 道の駅:しもつま →(R294)→ 自宅

<レポート>

  旅の最終日となる。書くほどのこともなし。いつものように早朝散歩。喜連川のお丸山公園の裾野の道を一周する。約5kmほどか。3月下旬に老友と二人でここを訪れた時は、お丸山公園の崖の補強工事後に植えられた草木たちはまだ眠りの中だったが、今はもうすっかり緑が膨らんで、崖の法面は穏やかな春の色に染まっていた。7時頃に車に戻り、折角なので朝風呂に入る。この風呂のファンも多くて、7時の営業を待ち構えた人たちが10人ほど先着していた。ここの小さな露天風呂は、ほど良い温度で、心と身体を温め癒してくれる。

  9時過ぎに出発して、もう一度喜連川の道の駅に寄ることにした。大改修を終えたばかりのようで、新しくなった販売所やレストランなどは、以前の雰囲気を一変させていた。並んでいる品物の多くは以前の喜連川らしさをどこかへ投げ捨ててしまって、妙に都会風になっているのが少しさびしい気がした。何事もそうだけど、新しくなるというのは古いものを捨て去ることが肝心なことなので、これは当たり前のことなのであろう。しかし、ひねくれ根性のジジイには、元の田舎らしい売店の品目が懐かしく思えて仕方がない。どうして温泉茄子が置いてないのか、野性味のある地元野菜が並んでいないのか、残念に思った。こうなると、ここで野菜類を買うのは止め、やっぱり芳賀の道の駅にしようと思うのである。

  ということで、その後は芳賀の道の駅に立ち寄る。当座に必要な野菜類を買い入れて、最後のコースを辿って家に着いたのは13時半近くだった。孫たちは丁度昼寝を始めたばかりのようで、静かだったのが残念。そのあと、荷物の運搬に大汗をかいた。旅は終わる。

 

【旅を終えての所感】 

 もはや所感などは既に述べつくした感じである。今までにない、とんだ春の旅となった。丁度1カ月東北のエリアの一部を辿ったのだが、その半分は車の故障で横手市での滞在となった。その15日間の内8日間は連休のために修理受付を待つだけの時間であり、その後ようやく受付をして貰って、内容が判明して修理に取り掛かるまでの部品到達の待ち時間が6日間もあり、実際の修理に要した時間は1日と少しだけだった。間が悪いといういい方があるけど、今回はそのレベルがかなり上の方のケースだったのかもしれない。けれども、時間はかかったけど、車をダメにするとか、或いは事故につながるとかいう大事に至らないで済んだのは、不幸中の幸いというべきなのであろう。

 更に幸いだったのは、場所が横手市という秋田県の中核都市だったということがある。どの土地にも歴史が詰まっているのだが、横手市の歴史や文化に触れられたことも大きい収穫だった。このような出来事がなければ、決して見聞する機会がなかったであろう、横手市の素顔の幾つかを知って、それなりに満足している。この半月間は決して無駄ではなかった。これは負け惜しみではなく、率直にそう思っている。このあとも横手市に対する親近感は消えることはないと思う。ここには冬の季節に訪ねることが出来ればいいなと思い始めている。

 さて、肝心の旅の方だが、タイトルに「東北信越の春訪ね旅」と書いたのだが、結果的には東北の一部を巡る旅で終わってしまった。青森や岩手の春ももっとゆっくり訪ねたかったし、南下しての越後・越中や能登の春も訪ねたかったのだが、不意になってしまった。まことに残念である。来年再び出掛けられるかどうかは、この歳になると確信を持てない。ひたすら体力維持に努めて次の春を待つしかないと思っている。(終)

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第21回>

2017-05-15 04:56:29 | くるま旅くらしの話

【今日(5/15の予定】 

  喜連川温泉:もとゆ →(R293・K・R294)→ 道の駅:はが[栃木県芳賀町]→(R294)→ 自宅

 

【昨日(5/14のレポート】  天気:晴れのち曇り  

<行程>

道の駅:喜多の郷 →(R121・県道)→ 道の駅:あいづ湯川会津坂下 →(K・R47)→ 道の駅:猪苗代[福島県猪苗代町]→(R47・K)→磐梯熱海IC →(磐越道・東北道)→ 矢吹IC →(R4・R294)→ 道の駅:東山道伊王野[栃木県那須町]→(R294・R293)→ 道の駅:喜連川[栃木県さくら市]→ 喜連川温泉:もとゆ(泊)

<レポート>

  今日もただ帰途のための移動日となる。こうなると旅の醍醐味も尻つぼみとなるのはいた仕方ない。

 3日連続の雨降りで些か気分も滅入る状態となる。その雨は夜半には止んだようで、天井を叩く雨音もしなくなった。4時半頃起き出して外を見ると、西の空の方に残月が残っているのが見えた。会津地方の今日の天気は、午後から晴れとの予報だったが、朝の空を見ると、こりゃあもっと早く晴れるに違いないと思った。ブログの投稿を済ませてから、歩きに出かける。5時10分前の出発となった。先に寄った時も道の駅につながる自転車道を喜多方の市街地に向かって歩いたのだが、今日は雨上がりで気分も良いので、もっと遠くまで行って見ようと思った。前回は、まだ雪が解けたままの田んぼだったが、ただ今は田植の準備の真っ最中で、代掻きを終えて満々と水を張った田んぼが、やがて雲がとれて顔を出した太陽に照らされて輝いていた。おちこちで蛙たちの鳴き声がやかましくも、心弾むように聞こえてくる。押切川に沿って造られた自転車道の脇には、藤の花が咲き揃い始め、同じ紫の桐の花も咲き始めて、胡桃の花の青く長い房のぶら下がりなどがあちこちに見られて、少しも退屈しない散策だった。どこまでも歩いてゆけば会津若松まで行ってしまうので、5kmほど歩いた地点から、市街地の方へ向かうことにした。1kmほど歩くと、廃線となったJR日中線の軌道跡に植えられたしだれ桜の道に出ることが出来た。このしだれ桜の道は、3kmも続いているとか。 それを2kmほど歩いて、再び自転車道に戻って、道の駅の方に向かう。帰着は7時15分となった。2時間25分の歩きで、万歩計は18千歩近くとなっていた。一昨日と昨日は、雨のために殆ど歩いていなかったので、これで少し挽回することが出来るなと思った。

  朝食のあと、しばらくゆっくりして、9時過ぎに道の駅:あいづ湯川・会津坂下に向かって出発する。喜多の郷のトイレは古いタイプで、落ち着かないので、新しい道の駅に寄ることにした次第。ここで、葉わさびが売られているのを発見し、早速2束を買い入れ、直ぐにお湯を沸かして熱処理をして、夕食に備える。もう諦めていたものが手に入り、ここへ来て良かった。その後は11時近くまでTVなどを見て過ごす。これには理由があり、来た時にも寄った十文字屋のソ―ズカツ丼とそれに今回はラーメンも味わいたいと考えており、店の開店が11時からなのである。

  11時10分頃に十文字屋に着いたのだが、驚いたことにもう座席の殆どが塞がっており、辛うじてカウンター席に座ることが出来た。どうやら開店前に行列が出来ていたらしい。今日は日曜日なので、家族連れも含めて様々なタイプの人たちが続々と店に入ってきていた。40分ほど待ってラーメンと持ち帰りのソースカツ丼にありつく。これが今回の旅の最後の外食となるに違いない。

  その後は再び車を運転し、途中猪苗代の道の駅に寄ったのだが、特に得るもの無し。磐梯熱海から高速道に入り、磐越道から東北道に入って、矢吹ICで下りて、R4に入り、白河でR294に入ってしばらく走って、道の駅;東山道伊王野にて小休止をする。その後は、今夜の宿を予定のさくら市喜連川へ。新しくなった道の駅をちょっと覗いたあと、お丸公園下の喜連川温泉:もとゆへ。何だか疲れてしまい、折角温泉に来たのに、相棒共々湯に浸ることもなく、いい加減な食事をしてそのまま寝床に入ってしまった。旅の終わりの日なのに、一度に疲れが出てしまったようだ。明日はいよいよ帰宅となる。孫たちは、さて、どれくらい成長しただろうか。新たな楽しみが待っている。

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第20回>

2017-05-14 03:58:53 | くるま旅くらしの話

 【今日(5/14の予定】 

  道の駅:喜多の郷 →(R121・R47・R294他)→ 喜連川温泉(泊)

 

【昨日(5/13のレポート】  天気:雨           

<行程>

道の駅:川のみなと長井 →(R287・県道・R121)→ 道の駅:たざわ[米沢市田沢] →(R121)→ 道の駅:喜多の郷(泊)

<レポート>

  今日は報告する内容が殆ど無い移動日である。昨夜半から降り始めた雨は、朝になっても一向にやむ気配を見せず、しぶとく降り続けていた。夜中に起き出し、二度寝をして起き出したのは7時過ぎだった。昨夜は妙に疲れが出て、一杯やった後大鼾をかいて寝たらしく、相棒は相当に寝不足となってストレスが溜まったようだった。申し訳ない気持ちはあるけど、これは一種の生理現象なので、どうしようもない。熟睡の快感は、犠牲を伴うのだというのを改めて知った感じがする。

  雨なので、どこへ行っても何もすることがないので、ゆっくり出発することにする。長井の道の駅には先月オープニングのセレモニー時に訪れており、あれから約一カ月が経っての再訪だった。まさかこんな短い期間で再訪することはないと思っていたのだが、それだけにこの間の変化については興味があった。さすがにオープン時のバカ騒ぎ的な賑わいはなかったけど、落ち着いた雰囲気の中で道の駅の運営がなされているのを実感した。9時に売店が開店となり、早速入って山菜などを物色する。街中なのに意外と良質な山菜が並んでいるのに驚かされた。ウルイの葉と赤コゴミとそれからブロッコリーに似た何とかいうのを買い入れ、車に戻って直ぐに茹でたりして夕食の肴を作った。赤コゴミというのは初めてお目にかかる山菜だったが、青い普通のコゴミよりもすっと美味そうに見えた。その後は水を汲んだりして、出発は10時過ぎとなった。

  今日の予定は先日ここへ来た時の道を戻って、米沢経由でR121を行って、喜多方の道の駅:喜多の郷までの行程である。急ぐ必要もない。ナビに従って進んで行ったのだが、途中から米沢市街を通るのを避けての山道のガイドとなってしまった。何だか分からないままに多少の不安を抱えての道行きだったが、結果的にはかなり早くやってきた様で、米沢市郊外の道の駅:たざわには11時頃に到着し、このままで行くと12時前に喜多方の道の駅に到着してしまうこととなってしまった。とにかく時間を稼ぐことにして、田沢の道の駅で玉こんにゃくなどを食べながらこの後のことを考えたりした。

  12時少し前に出発して喜多方に向かう。先回ここを通った時には道脇はかなりの積雪があって、冬の様相をしていたのだが、まだ多少の残雪は見えるものの、周辺の山々の樹木たちは、すっかり生き返っていて、新緑に山を染めていた。カタクリやキクザキイチゲなどがあったら連れて帰りたいと思っていたのだが、もう彼女たちはどこかへ消え去ってしまっていて、どこにもその姿を見ることはできなかった。春というのも一瞬の時間なのだということを思い知らされた感じがした。雨の中を走って、日中トンネルを抜けて坂を下り、道の駅:喜多の郷に着いたのは12時15分頃だった。

  取り敢えず昼食にすることにして、自分は野菜たっぷりの(といっても、キャベツだけなのだが)塩ラーメンを作る。相棒は長井の道の駅で買った山菜おこわなどを食していた。このあとどうするかと思案したのだが、ここに泊るのではなく、高速道などを使って那須まで行ってどこかの道の駅にでも泊ろうかと話している内に、相棒がどうにも眠いらしく生半可な反応なのである。こりゃあ、昨夜の大鼾が相当に悪さをしているのだなと反省し、それならばここで昼寝をして貰おうと、直ちに決断する。要するに予定通りここに泊ればよいのである。雨も降り続いており、止む気配もないので、先を急ぐ必要もない。ということで、昼食の後は午睡を楽しむ時間となった。

  15時過ぎに目覚めて、そのまま為すこともなく夜を迎える。昨日はたっぷり温泉を味わったので、今日はもうどうかなと思ったのだが、ここの蔵の湯という温泉もいい湯なので、17時過ぎに300円の料金になったのを待って足を運ぶ。土曜日とあってか、かなり混んでいた。でも、やっぱりいい湯だった。車に戻って一杯やる。今朝買った山菜の赤コゴミは予想以上に美味だった。雨は依然として降り止まず、明日まで降り続けるつもりらしい。明日は今回の旅の最終日となるだろう。そう思いながらたちまち眠りにつく。

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第19回>

2017-05-13 04:31:13 | くるま旅くらしの話

【今日(5/13の予定】 

  道の駅:川のみなと長井 →(R287・R121)→ 道の駅:喜多の郷(泊)

 

【昨日(5/12のレポート】  天気:曇り時々晴れ  

<行程>

旅館静山荘[岩手県西和賀町] →(R107)→ 秋田トヨタ横手 →(R107・R13)→ 道の駅:小町の郷おがち[秋田県雄勝町] →(R13・R347・K)→ そば屋・かねこ →(K・R347・R287)→ 道の駅:あさひまち[山形県朝日町] →(R287)→ 道の駅:川のみなと長井(泊)

<レポート>

  山の湯宿の一夜は快適だった。終夜雨が降り続けていたようだが、そのようなことは殆ど気にならなかった。何しろ湯宿らしい所にご馳走付きで泊るのは、本当に久しぶりのことだったので、ご馳走に興奮して酒を4本も飲んでしまったものだから、その後は直ちに白河夜船の状態で朝を迎えたのだった。しかし、5時頃に起き出して浸った朝風呂は、いつもの立ち寄り湯とは違って、露天風呂も内湯も独り占めでたっぷりとその風情を味わうことが出来た。湯に身を沈めて浸っていると、そこには新緑のモミジやカエデなどの枝葉が湯の水面に映って、何とも言えない気分になった。何ものにも邪魔されない自分だけの時間がそこにあるのを実感したのだった。朝食の時間が来るまで、2度もその湯を楽しんだ。昨日までの2週間が何だったのか、もうすっかり忘れた気分だった。くるま旅も良いけど、偶にはこのような贅沢な旅を楽しむのも良いものだと思った。

  いよいよ今日からは元に戻っての旅の移動開始の再開である。しかし、もはや予定通りの旅をする気持ちはすっかり失せており、この後は急がずに帰途に就くだけにしようと決めている。お世話になった静山荘を9時過ぎに出発して、秋田トヨタ横手の店に戻る。店の担当の方の話では、もう少し作業が残っているということなので、その間イオンの方へ行って、最後の(?)買い物などを済ませる。10時半頃に作業完了の連絡があって、トヨタの店に戻る。ようやく元の動いても大丈夫な車に戻ったSUN号に乗れることになった。実に半月ぶりのことだ。ゴールデンウイークのおかげでの無駄待ちが8日間もあり、これはアンラッキーとしか言いようがない。これからはこの時期の旅を極力避けるようにしようと、なぜか心に誓った。愚かなことと知りながら、そう思った。

  修理費用は当初の見積もりよりもかなり少なくて済んだようで、ありがたかった。しっかりとチエックして対処して頂いた秋田トヨタの担当の皆さんに改めてお礼申し上げたい。それと、15日間もの間、それなりの楽しみを与えてくれた横手という街に対してもお礼を申し上げたい。人生稀有とも言える珍しい体験が出来たことを感謝したいと思っている。

  11時近くになって、いよいよエンジン始動の出発となった。今日からはちんたらと家に向かう旅となる。今日は来た時に泊った道の駅:あさひまちまで行って泊ろうと考えている。この道の駅には葉わさびなどの山菜などがあって、楽しませて貰ったので、今度も何かあるのではないかと思っている。横手からは、しばらくR13を南下することとなった。エンジンの調子やその他車に異常な点は無いかなど、気をつけながらの運転となった。しばらくは試乗の気分だったが、その内にもう大丈夫だと確信するようになって、あとは安全運転に徹するだけである。しばらく走り続けて、雄勝町に入り、道の駅:こまちの郷おがちにて休憩。ここは彼の美女にして才人の小野小町の出身の地だとか。その真偽は別にして、かなり派手な建物とアピール度から見ると、この地の人はそれを疑っていないようだ。ある種の歴史というのは、このようにして創られて行くのかもしれない。ま、それも良いかという所感である。

  そのあともひたすらR13を走り続けて、新庄市街に入り、ここで給油を済ます。その後はまだ無料の東北中央道に入って、終点の尾花沢で下りて、そこからはR347へ。13時を少し過ぎた時刻だった。ここで昼食にもう一度村山市のそば街道にあるかねこそば店に寄って蕎麦を食べたいと考え、場所をよく覚えていなかったので、相棒に電話をして貰う。14時で終わりということだったが、先日キャンピングカーでお邪魔した者だと告げると、待っていて下さるといことで、ナビを頼りに向かう。思ったよりも近くて、15分ほどで着くことが出来た。素朴だけど蕎麦打つ人の思いが込められた蕎麦は美味い。今日は大盛りをオーダーして存分に腹を満たした。ご主人から「車は直りましたか?」と訊かれて、相棒は目を丸くしていた。ブログを見ていて下さったのを知って驚いたようである。でも、ブログのことを話したのが自分だというのに気づいていないのだから、呆れたものではある。しばらくご夫妻と旅のあれこれなどを話しする。この次に東北を訪ねる時も、このそば屋さんを忘れることはないと思いながら、お別れする。

  寒河江を通過し、間もなくR287に入り、最上川が絡むように流れるエリアを幾つもの橋を渡りながら進んで、道の駅:あさひまちに到着する。先日とは辺りの様子が大分変っていた。まだ蕾だったリンゴの花は、間もなく終わりを迎えようとしていた。写真を撮るのだと張り切っていた相棒はガッカリしていたようである。店に並ぶ山菜もやや色あせた感じで、葉わさびもなく、春が終わることを明示しているようだった。夕食用に何かないかと探していた相棒も少しがっかりしているようなので、ここに泊るのを変更して、長井の道の駅まで行くことにした。先回オープニングのセレモニーを楽しませて貰った道の駅である。あれから1カ月近くが経って、もう落ち着いているのだろうと思ったし、又街中の道の駅なので、買いものに困ることはない。

  ということで、道の駅:かわのみなと長井ヘ到着。17時少し前だった。先日の混雑は嘘のように、普段姿の顔をした道の駅がそこにあった。まだ販売所も開いていて、買い物に不足することはなかった。予定よりも少し多く走り、又久しぶりの運転だったので、疲れを覚えた。軽く一杯やって、早々に寝床にもぐりこむ。

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第18回>

2017-05-12 01:01:29 | くるま旅くらしの話

【これから(5/12以降の予定】 

  11日の作業で部品の計測をした結果、適合しているとのことだったので、12日には走ることが可能となった。よって、これ以上の横手市滞在はしなくても良いこととなった。2週間も滞在していると、横手市の良さも、そうでない部分も少しは見えて来て、嬉しいような、寂しいような、妙な気分となっている。とにかく今回の旅は一先ず終わりにすることにして、信越に向かうのは止め、帰途に就くことにする。急がず2~3日かけての道行きとしたい。

 

【今日までの凡その暮らしざま(5/6~5/11】     天気:6日と11日は雨、それ以外は晴れなれど荒天多し

<滞在・宿泊>

 各日、秋田トヨタの駐車場にお世話になりながら、時々外出する毎日。11日は巣郷温泉の旅館静山荘に泊る

<レポート>

  数えて見れば、28日にトラブルが発生してから早や12日が経ってしまった。4月には未だソメイヨシノの花が残っており、しだれ桜が満開だったのだが、この12日の間にしだれ桜は終わりに近づき、ソメイヨシノの木はもうすっかり葉桜となって鮮緑に染まっている。そして遅咲きの八重桜が今を盛りと咲き誇っている。鳥海山の雪はまだそのままの状態のようだが、近くの山はもう笑いが止まらないくらいに木々が息づいているのが望見できる。時間が経つのは早く、そして大自然の営みは着実だ。

  毎朝、城跡の横手公園まで往復しており、コースを変えて歩きまわっている。家にいる時よりも歩数を稼いでいるのは、長期滞在のおかげであり、12日間の平均歩数は、毎日2万歩を超えており、最高は26千歩にもなってしまった。歩くのは楽しいのだが、歩き過ぎてしまわないようにコントロールするのが難しい。ま、体調が良好という証だと思って、毎日を楽しんでいる。

  横手の街の印象を少し述べて見たい。横手市は人口が10万人を少し超えるほどだったらしいが、これは平成の大合併の際に近隣の7町村を含めた数値であり、現在の人口は9万人を切っているようである。地方都市の人口減少は、東京に近い茨城県でさえも多く見られる現象であり、ましてや東北のこの地では、よりスピードが早やまっているのかもしれない。自分が歩き回っているのは、勿論旧市内周辺なので、横手市らしさが一番残っているのではないかと思っている。

  市内を歩いていて目立つ一つに顕彰碑が多いことがある。公園や角の小さな広場の脇に何やら石碑のようなものがあるので覗いて見ると、市の行政や公共活動に貢献された人物を讃える文語が刻まれているのを多く見ることができる。これは先人の偉業をたたえる人々の素直な気持がそのようなモニュメントを多くつくり上げているのかもしれない、そう思った。城下町といっても厳めしい殿様が治めていた町ではなく、館住まいの領主だったこともあったのか、治安の良い、のどかな町だったような気がする。石坂洋次郎がこの町での暮らしの体験をもとに、あの青春小説を書くことが出来たのも首肯できるような気がするのである。毎日城址の横手公園まで通いながら、少し昔の良き時代のことを想ったりした。

  横手の春は、自分の住む守谷市などとはかなり違うようである。第一に咲いている花が違うのである。いや、花は違わないのだが、咲かせているタイミングが違うのである。たとえば、守谷ではとっくに咲き終えてもうすっかり花の姿を止めていないレンギョウやサンシュユ、ユキヤナギなどが咲き残っていたり、スオウやボケなどの花も今が盛りのように当たり前にそこここに見られるし、そうかと思えば多分守谷でも今頃かと思うライラックなどが庭先に誇らしげに花を咲かせたりしている。早い春と遅い春が一緒になって花を咲かせているのを見るのは楽しい。また、横手川の側道を歩いていると、時々カジカカエルの鳴き声が聞こえてくる。横手川は、どこから流れてくるのかよく判らない(多分和賀山の水系ではないかと思う)けど、清流であり、カジカガエルの鳴き声を聞くと、何だか救われるような気分となるのである。

  市の旧市街から外れた所に新しく造られた国道13号線沿いには、どこの地方都市にも見られる全国規模の様々な種類の大型量販店などが並んでいるのだが、その中でとりわけて目立つのは、広い駐車場を持ったパチンコやスロットの店が幾つもあることである。ざっと数えても6~7店舗はあるようで、それらの駐車可能台数は数千台くらいになるのではないか。横手近郊の人々はこの種の娯楽の愛好者が多いのか、少し首を傾げたくなる。加えて競馬の場外馬券売り場まであり、これはいったい何なのだろうと、博打類に関心の無い自分などには理解できない現象なのだ。ま、横手市は、気どりの無いざっくばらんな庶民の町といった所なのかもしれない。冬さえなれば住んでみたい気持になる、山あり、川ありの町であると思った。

  8日の日は、代車を使わせて貰って、増田町という所にある国指定の重伝建(=重要伝統的建造物群保存地区)を見学してきた。つい最近、吉永小百合出演のJRの旅のPR映像で紹介されている場所である。横手市に重伝建指定エリアがあることなど知らなかったのだが、この映像を見て調べていると、どうやらここ数年の間に新しく重伝建に加わった場所らしい。重伝建の探訪は、自分たちの旅の目的の一つとなっており、全国の凡そ90%ほどは既に訪れているのだが、増田の話を聞いたのはごく最近だった。今回は車の故障に拘わらず訪ねて見ようと考えていた場所だった。

  寝泊まりしている横手市の秋田トヨタからは20分足らずで行ける場所だった。増田が横手市だというのにはどうも違和感がある。平成の大合併は、確かに行政の効率化という点では成果を上げたのかもしれないけど、地方の由緒ある地名などが消滅したり、印象が薄れて行くのには抵抗を覚えるのである。増田町は横手市ではなく、やはり増田町なのだと思った。

  駐車場に車を止めて、重伝建指定地区の700mほどの町並みを歩いて見て回った。この地区の特徴は内蔵ということであるから、外から見たのではその建物がどんなものかを知ることはできない。中に入って、家の中につくられている蔵を見なければならないのである。そのような建物が十数軒ほど残っているようなのだが、それらのすべてを見るのは到底無理なので、自分は一軒だけを入念に見ることにして、蔵の駅という看板が掲げられている建物に入り、中の様子を見せて貰った。増田の町が具体的にどのような産業を中心に経済的な隆盛をモノにしたのかは、勉強不足でよく分からないので、とにかくその構造などから往時の繁栄の有り様を想い巡らした。間口が4間なのに奥行きが22間もあるというその建物は、他の地方の商家町に残る建物に良く似た造りだったが、やはり内蔵の存在だけは他の地区とは違っているなと思った。何故内蔵だったのか、そのことについては資料には書かれていないような気がしたが、それは雪深いこの地の気候などと関係があるのかもしれない。現役の家も何軒かあるようだけど、現代の住まいとしては応用が難しいだろうと思った。

  その後は、いつものように町全体がどのようになっているのかを知るべく、お寺や神社などを訪ね歩いて、幾つかの発見をしたりした。凡そ1時間半くらいの時間をかけての散策だった。一方、相棒の方は全ての商家を丁寧に訪ねたいらしく、予め決めていた商家の一つ一つを訪ねていたようだが、一軒毎に家の方などに訊ねる時間が長いので、3時間ほどかけても3軒ほどしか訪ねられなかったようである。黙って放っておくと無制限に時間を使う人なので、3時間を限度として引き上げることにした。増田の町並みはもう一度訪ねなければならないと思った。

  11日はいよいよ修理の作業開始日である。寸法が合っているか否かが最も気になることなのだが、これは作業をして見ないと判らないということ。この日は終日の作業となるため、駐車場泊りができないので、代車を利用してどこか宿を探さなくてはならない。ということで、横手市に隣接する岩手県西和賀町にある巣郷温泉にある静山荘という宿を予約している。10時過ぎからの作業開始なのだが、寸法の適否が判るまでには時間がかかりそうなので、とにかくトヨタの駐車場を出ることにした。

  チェックインは13時にお願いしてあるので、その間、少し横道にそれて新しく羽後町に出来た道の駅:うご端縫いの郷に行くことにした。ここは日本三大盆踊りの一つである西馬音内盆踊りで有名な所である。相棒はそれもあるけど、その盆踊りの衣装などに使われている、特徴のある端縫いというものに関心があるようで、少し気分が高揚して来ていたようだった。まだ盆踊りのシーズンからは遠く、行ってみた道の駅は、山菜などが並んでいて、自分的にはそれほど目を引くものはなかったのだが、相棒は何やらその端縫いの座布団などを手に入れたりして、地元の方を捉まえて情報を仕入れていたようだった。

  その後は予定通り13時に巣郷温泉の静山荘へ。とにかく、今夜はここでゆっくり温泉に浸かって、別の種類の旅を味わいたいと思っている。風呂に入って、一杯やっている内に15時近くになり、やっぱり心配になってトヨタに電話をする。諦めの方が少し大きい気分だったが、話を聞くとどうやら部品の寸法は合っていたということ。但し他の部品も取り換えが必要となった箇所があり、それはどうやら手持ちの部品でカバーできるので、明日には走れるように鋭意取り組んでいるとのこと。ホッとした。14日間も待ったことがようやく一つの終わりを迎えたことに、安堵した。これで明日から帰途に着くことができる。類まれなる、くるま旅の体験だった。いずれ機会をとらえて所感などを書いて見たいと思っている。やれやれ。

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第17回>

2017-05-07 08:33:19 | くるま旅くらしの話

【これから(5/7以降の予定】 

  昨日の診断の結果、シャフトに異常があり、取り替えの必要があるため、部品の到着まで数日間待機することとなりました。しかし、その部品の適合の判断は、部品が到着してからとなるため、もし不適の場合は、その時点で再度部品製作の発注をすることになり、その納期はかなり先になるとのことで、今のところ不明です。取り敢えず、10日に部品が到着するので、適合している場合は、11日から作業に入り12日には完了となる見込みです。部品が適合であることを祈るのみです。

 ということで、今のところ12日までは、トヨタの駐車場の片隅でのくるま暮らしの継続となりました。横手市及び近郊の訪ね歩きは継続予定です。

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第16回>

2017-05-06 05:03:45 | くるま旅くらしの話

【これから(5/6以降の予定】 

  今日10時にトヨタに車を持って行き、その診断の結果、これからの動向が決まることになる。

 

【今日までの凡その暮らしざま(5/2~5/5】 天気:概ね晴れ      

<滞在・宿泊>

 各日、終日イオン横手南駐車場にお世話になる。

<レポート>

  毎朝、城跡に造られた横手公園まで、コースを変えながら往復している。片道3.5kmほどあるので、往復すると7kmくらいは歩いたこととなる。万歩計はこれだけで約1万3千歩となる。この歩きは楽しい。天気の悪い時は気づかなかったのだが、風が吹いた晴れの日の翌日には、真っ白な雪を冠した鳥海山が南西の方向にくっきりと見えて、その神々しい景観は息をのむほどだった。今までの東北の旅では、鳥海山は日本海側の方からしか見たことがなかったのだが、内陸側の横手市からも遠望できることを初めて知った次第である。横手公園の桜はもうすっかり花を落とし、まだ若葉が出始めたばかりの、やや中途半端な状態なのだが、この鳥海山を眺めるのが、今のところ一番の楽しみとなっている。

市街地の彼方には、純白の雪化粧をした鳥海山が、神秘的な佇まいを見せている。この姿を見るたびに元気が回復するようだ。

  横手市といえば、我々の世代ではやはり石坂洋次郎という作家のことを思い出すことになるのかもしれない。石坂洋次郎は、若き頃にこの横手市で12年間当時の中学と女学校の教員を務めた人である。市内には文学記念館も建てられており、市に所縁のあった人物として大切にされているのが判る。彼の作品としては、「青い山脈」や「若い人」などが有名だ。自分もあの頃は相当に熱を上げて本を読んだのを思い出す。映画もかなりの評判だったようだが、若い頃の自分は殆ど映画というものを見たことがなかった。映画などという誰かの作ったイメージに捉われるよりも、本を読みながら自分自身が勝手に描くイメージの世界の方が層倍楽しく面白いと思っていた。だから、青い山脈の歌は知っていても、映画は見たことがないのである。青春時代の様々な出来事を描いたそれらの作品は、恐らくこの横手市での彼の暮らしがベースとなっていたに違いない。そのようなことを想いながら、横手の街中を、特に古い街の方を中心に歩きまわっている。

石坂洋次郎文学記念館。早朝なので中に入ることはできなかった。ここは彼が最初に赴任した女学校(現横手城南高校)の近くにつくられている。

  横手市は、人口が約10万人で、秋田県では秋田市に次ぐ2番目に多い都市だ。江戸時代は秋田佐竹家久保田藩の支藩として、地域の政治経済文化の中心地としての役割を果たしていた。それは現在でも変わらぬ位置づけとなっているようである。これほど長い時間横手市に滞在することは初めてのことなので、街中を歩いていると、様々な発見があって面白い。現在城跡の本丸近くには天守閣を模した建物が造られているけど、元々はこの城には天守閣は無かったということである。本丸跡には秋田神社が建っており、これは戊辰戦争で亡くなられた方たちの霊を弔うために建てられたとか。戦というのはまさに破壊行為であり、人命のみならず、そこにあるあらゆるものを失わせてしまう。愚かにも哀しい人間の本性なのかもしれない。このような碑や祀りを見る度に抱く感慨である。

横手城本丸には秋田神社が勧請されているが、この建物はそのすぐ下に建てられた資料館である。ちょっと見には城郭の櫓のように見えるけど、その昔この城に天守閣はなかったということである。

その他、城跡付近では、旧日新館というのがある。日新館といえば、会津の藩校のことを思い出すので、ここ横手にも同名の藩校のようなものがあったのかと思ったら、そうではなく明治の昔に横手中学に英語教師としてやって来たアメリカ人の住んでいた家ということだった。木造の洋風建築で、秋田県内では明治時代の木造建築物としては、残存ずる唯一の存在だとか。今でも健在でその姿を保っていた。前庭には丁度今花の最盛期を迎えたシラネアオイが薄紫の花を誇らしげに咲かせていたのが印象的だった。

旧日新館の建物。急坂を登って裁判所の少し先にこの建物があった。アメリカの人は、やはりアメリカ流の住まいでないと暮らしが難しかったのであろう。

また、旧日新館の少し先には本多上野介正純父子の墓が作られていた。本多正純といえば、徳川幕府の草創期に活躍した重臣の一人であり、その父正信のもとに幕府の体制を固めるに関して大いなる貢献をした人物と聞いているが、家康や正信が亡くなり、時代が秀忠になると、次第にうとまれるようになり、ついには失脚して久保田藩預かりの身となり、支藩であるここ横手の地に流され、厳しい監視の中に生涯を終えたということである。でき過ぎる人物が見舞われる不遇というか、哀しい人生の末路のようなものを感じて、人の世の難しさを改めて思わされたのだった。

本多上野介正純父子の墓。息子の方が先に亡くなったとのことであるが、権勢の中核にあった人物の思いは如何ほどのものだったか。人の世の変転の厳しさを思わせるものがあった。

神明社という鎮守社があり、4日と5日に大祭というのがあり、4日には例大祭で舞楽などの奉納が、5日は神輿の出御と還御の祭りが行われることをポスターで知り、とにかく時間を持て余しているので、好機とばかりに4日には例大祭を見に行って来た。停泊地からは約2km、歩いて30分ほどの距離に神明社がある。19時半から舞などが披歴されるというので、その時間に合わせて行ったのだが、何やら事前の儀式が数多くあって、舞の方は30分ほど遅れての開催となった。最初は朝日舞というもので、これは神主風の衣装をまとった男子が一人で神に奉納する舞を奉げるものだった。それが終わった後、今度は4人の巫女風の衣装の女性が扇と鈴とを両手に持っての舞だった。正式の筝や笛、鼓などが厳かに演奏される中での、清楚な装いの舞は、神様も満足されるに違いないと思われる雰囲気を持っていた。最後は舞楽ということだったが、これは男女二人の舞手が豪華絢爛とも言える衣装をまとい、頭にはどう呼べば良いのか判らないけど、烏帽子のような兜のような冠を抱いての優雅な舞だった。建物も境内全体もやや古びて元気を失った感じのする社だったが、これらの舞の中には、古来よりこの社を大切に守ってきた先人たちの思いがしっかり籠められている感じがして、とても充実した時間だった。21時少し前に例大祭は終了し、帰りは駅前からタクシーで異郷の我が家へ戻った。

横手神明社例大祭に奉納された浦安の舞の一場面。これらの舞などについては動画に収めてあるのだが、それは帰ってからじっくり鑑賞することにしている。

 

[ 滞在も9日目に入り、いよいよ今日はこの後どうなるのかが決まるのだが、今の予感としては、あと数日間は、部品などの到着を待つ暮らしを余儀なくされるのではないかと思っている。となると、この先更に、横手市の何を楽しむかを考えなければならない。さて、どうするか。 ]

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第15回>

2017-05-02 11:45:28 | くるま旅くらしの話

【これから(5/3以降の予定】 

  5月5日まではトヨタのディラ―が休みのため、5月6日に車を診て貰う予定で、その結果によって、いつ修理が終わるのかが判らず、それまではこの地にて過ごす以外なし。

 

【今日までの凡その暮らしざま(4/28~5/2】     天気:概ね晴れ、なれど荒天多し

<滞在・宿泊>

 終日イオン横手南駐車場にお世話になる。

<レポート>

  28日は、まさに青天の霹靂(へきれき)の出来事だった。しかし振り返って見ると、相棒の鼻が利いたのが幸いして、とも角にも致命的状況に至らなかったのは幸いだった。また、車をイオン横手南店の広大な駐車場に止めて頂くことができ、且つ直ぐ傍(100mほど)にJAFさんの事務所があったのも真にラッキーだった。それにこの辺りは市の中心部から少し離れた郊外のバイパスの傍で、数多くの店がモール状に連なっており、暮らしに不便なことといえば、水の補給くらいで、その他心配することは少ない。少し歩けば大抵のものは手に入れることが出来るのは幸いだった。その水の補給の方は、JAFさんの好意で事務所のものを使わせて頂いているので、何の心配もない。ありがたいことである。

  ということで、こうなった以上は横手市というのがどんな所なのかを知り尽くしてやろう、などと無謀な冒険・探究心が頭をもたげて来て、この事件を楽しんでやろうと考えを切り替えることにした。しかし、あまりにも時間があり過ぎるので、足を使っての街の探索では、直ぐに飽きてしまうのではないかとの不安も抱えることになった。以前、鳥取市郊外で車が故障して同じような体験をした時は、鳥取市が対象だったので、バスなどを利用して観光を楽しみ、また歩いて幾つもの名所旧跡を訪ねるのに不足はなかったのだが、それに比べると横手市の方は少し対象不足の感は免れない気がするのである。

  

一夜明けての29日は、先ず付近の状況を確認すべく、R13に並ぶ店などを覗きながら早朝の歩きを開始する。今頃は街の中心部よりも郊外の方に広大な駐車場を持った店が数多く進出して来ているので、買物に困ることはない。しかし、肝心の車を使うことが出来ないので、全て自力で歩くしかないのは、皮肉なことである。イオンの巨大な建物は二つあって、お世話になっているのは南店の方なのだが、こちらは衣料などが中心で食料品がないため、もう一つのスーパーセンターの方に買い出しに行くのだけど、往復500mはあるので、とにかく歩きに不足はない状況となっているのは、幸なのか不幸なのか。自分の方は勿論幸と考えているのだけど、相棒の方は果たしてどうなのだろうか。歩きを終えて、車に戻った頃から空の様子が険悪になり、雨が降りだした。これでは外歩きはもうやめようと、この日はおとなしく車暮らしの一日となった。

  

翌30日は、天気が回復し朝から晴れのいい天気となった。旅に出てから半月を経過し、洗濯物がかなり溜まって来ているので、これをなんとかしなければならない。ということで、昨日もコインランドリーを探したのだが、ネットで調べてもさっぱり要領を得ず、歩いて探しても近郊の何処にも見当たらないのである。偶々相棒の知人に、知り合いで横手出身の方がいるというのを聞いており、その方と連絡をとって、コインランドリーの紹介を依頼したところ、いろいろとお手配りを頂いて、比較的近くの場所にあるという情報を昨夜頂いていたので、それを確認するために、朝の歩きにそれを確認に出かけることにした。1.5kmほど歩いてその店を発見する。少し遠いけど贅沢を言っている場合では無い。朝食の後、一息入れて今日はコインランドリーまでの遠足日とすることにした。イオンまで行って、キャリアを買って来て、それに洗濯物を入れた大きな袋を3個括りつけ、その他のものは手に持って、しずしずとその車を引っ張って、30分ほどの道行きとなった。まさかこのようなスタイルの遠足に行けるなんて、夢にも思わなかった。だけど70代の老世代では、このような体験はそう滅多に出来ることではなかろうから、ありがたく楽しむことにした。洗濯機が少し古いタイプで、相棒には多少文句もあったらしいけど、ようやく見つけて頂いたコインランドリーなので、天に唾しても仕方がないことである。それにしても、横手市内にはどうしてこれほどコインランドリーが少ないのだろうか。狭い守谷市でさえも、数か所以上のコインランドリーがあるのに、大都市の横手市にはほとんど見当たらないのである。不思議に思った。洗濯が終わるまでの待ち時間には、1.2km先のコンビニまで、お昼の弁当におにぎりとお茶を買い出しに行って来た。遠足の弁当としては普通なのだろうけど、何だか少し物足りない気がした。13時近くに洗濯が完了し、再び来た道をキャリアを引っ張って車に戻る。この日の歩きは、我が万歩計では27千歩を超えていた。

 

  4日目は、ようやく5月となった。昔ならメーデーで休み、ということなのだろうけど、今の自分には毎日が休みの日なので、特段の感慨もない。むしろ、真に勝手ながら、老人にとってはゴールデンウイークなどというのは、迷惑千万な時間にも思えるのである。現に、こうして8日間も車屋さんの営業再開を待ち続けているのも、長期連休のもたらす負の部分のおかげなのだから、である。勿論世の中の多くの人たちが長期の休みを活用して新たな活力を得、元気を回復して次の仕事に向かうことに何の異存もない。ただ、負の部分を忘れてはならないとうことも大切ではないか。老人は短気の人も多いけど、自分などはこうして腹を括った以上は、気分転換の方を重視することにしている。

昨日も行ったのだが、今朝も散策は横手城跡までを往復した。同じ道を行くのではなく、少しずつコースを変えて歩くのである。そうするといろいろなものがより多くみられるのが楽しい。少し脇道にそれたりして、往復2時間ほどの朝の散歩だった。横手城跡は、何年か前に車で一度訪れたことがあり、それ以来の再訪だったが、歩いて崖に造られた道を登るのは初めてだった。櫓を模った建物が建てられているけど、ここは元々天守閣の無い城だったとか。域内の桜はもう殆ど花を終えていて、花見のイベントの名残りを止める提灯などがまだそのままの状態だった。遠く真っ白な雪を被った鳥海山が遥か彼方に、かすかに浮き上がって見えた。素晴らしい眺望である。明日も又来ることにしようと思った。

車に戻った後は、ヒゲがかなり伸びて来たので、それを刈るトリマーを買いに近くのケーズデンンキまで往復した。たっぷり1km以上はある。昼食は横手名物の一つ十文字そば三角屋という店で中華そばを食す。素朴な味は、名物に相応しいなと完食した。その後は午睡。夜少し起き出して、エッセーのテーマなどを整理する。

 

[ 今のところ、ま、ざっとこのような暮らしぶりで、相棒共々至って元気です。体調を崩さぬように、留意しながら、出発できるまで後何日かかるか判らない毎日を、とにかく何かを楽しみながら凌いで行きたいと考えています。とりあえず現況を報告することにしました。  馬骨拝 ]

 

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17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第14回>

2017-04-29 07:44:41 | くるま旅くらしの話

【今日(4/29の予定】 

  車の故障の修理が完了するまで旅は休止。従ってブログも休むことにします。

 

【昨日(4/28のレポート】  天気:荒天(晴れあり、曇りあり、雨あり)  

<行程>

角館臨時駐車場 →(R106・R105・R106)→ 秋田トヨタ角館店 →(R106)→ 道の駅:なかせん →(R106・R13)→ 横手市街(イオン横手店駐車場) (泊) 

<レポート>

  角館の臨時駐車場の一夜が明けて、早朝の散歩を楽しむ。桧内川の堰堤を1時間半ほど往復して桜の天国を楽しんだ。上流の桜の木が無くなる箇所まで行き、引返して下流の桜並木が亡くなるまで歩こうと考えたのだが、あまりにも長く続いているので、途中から断念して引き返すこととなった。それにしてもこの堰堤の桜並木の長さは、全国有数のものだなと思った。北上川河畔の北上展勝地の桜並木も長大だが、ここもそれに引けを取らないと思った。

  車に戻って朝食の後は、しばらく休憩する。相棒は何か知り合いに訊ねたいことがあるらしく、早々に出かけて行った。自分の方は、これからの行程などについて地図などを見ながら頭を悩ます。10時過ぎに相棒が戻って来て、取り敢えずカタクリの花を見ることにして、旧西木村のあるカタクリの郷という所へ行くことにして出発する。ここで、走りだして妙な音が車から発するのが気になり、しばらく行って道脇に車を止めて見てみたのだが、さっぱり判らない。でも異常音が気になるので、車屋さんに見て貰おうと調べたら、幸い角館にトヨペットの店があるのを知り、急遽引き返して見て貰うことにした。

  ピットに車が入るまでに1時間以上を要したが、とにかく点検して貰って、結果としては、スタピライザ―という装置にガタが来ていて、そこから異常音が発しているのだということだった。走行に問題はないという話だった。この後どうするかを考えた結果、このような車の状況では安心して旅をするのは難しいと考え、旅は断念して家に戻ることにしようと決める。

  というわけで、引き返すことにして、山形までは幹線の13号線を走って、山形から高速道で帰ることにしようと向かうことにした。大仙市の郊外からR13に入り、時々異音がするものの、それはスタピライザーからなのだと、気にしないようにして走っていたのだが、横手市内に入る頃から何か焦げくさいお臭いがすると相棒が騒ぎ出し、しばらく走ってイオンの広い駐車場があったので、そこに入って見て見ると、何と、車の後部左車輪のタイヤ脇からオイルが流れ出しているではないか??これは一体何事なのだろうと、驚いた。幸いすぐ近くにJAFの事業所があったので、相棒がそこに走って行って、来て貰うこととなった。

  見立てでは、デフからのオイルが漏れているということで、走行はダメということだった。近くにトヨタの横手店があるので、そこへ修理の状況を聞いて貰ったのだが、現在の予定が手いっぱいで、明日から連休に入り、仕事は6日から営業とのこと。あまりにも待ち時間が長いので、保険屋に連絡して家の方までレッカー車で移動して貰えないかと訊いてみたのだが、付保条件としてはレッカーの曳航は15万円が上限とのこと。又距離は180kmまでということで、それ以上の場合は、自己負担となるということだった。因みにどれくらいの費用となるかを訊いたところ、詳しくは判らないものの自己負担は30万円くらいにはなるような話だった。幾らなんでもそれは厳し過ぎると、見なおすことにした。

  考えた結果、6日までここで暮らすことにして、6日にトヨタに行って診て貰いその結果を待つことに決める。その診立てによっては、更にかなりの日数がかかることになるかもしれないけど、もうこうなったら、腹をくくるしかない。これらの決断に至るまでには、JAFの方に多大なご助力を頂戴した。そう決めた後も、イオンの駐車場管理の責任者の所まで行って滞在の許可を貰うことなどまで、懇切丁寧に助けて頂いたし、又、滞在間の水の補給もJAFの水を使ってOKとの承諾もいただいた。困惑する状況でのこれらの支援は心底ありがたいものだと、感謝の気持ちでいっぱいである。

  ということで、今夜からしばらくは、全くの異郷での暮らしが始まることとなる。暮らすとなれば、基本的に必要なものは、水、電気、ガス、食料、ゴミ処理、などの確保があるが、一番心配なのは、電気である。エンジンはかけられないので、ソーラーに頼るしかない。晴れの天気が続くことを祈るだけである。その他の事項については、近くにたくさんの商業施設があり、困ることは少なくて済みそうである。

  10年以上前にも、旅の途中で車が故障し、同じような目にあったことがある。あの時は鳥取市の郊外だった。車屋さんの駐車場に部品が到着するまで1週間ほど泊るという話が、3日ほどで済んだのだったが、今回は部品の有無も判明しないまま1週間も待ち、その後何日かかるかも不明なのだから、相当に覚悟を決めて当らなければならないと思っている。

 

【 ※ というわけで、とんでもない事態が出来し、しばらくは旅どころではなくなりました。明日からはしばらく投稿を休むことにします。気が向いたら再会することにします。  馬骨拝 】

 

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‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第13回>

2017-04-28 04:51:32 | くるま旅くらしの話

【今日(4/28の予定】 

  角館臨時駐車場 →(R46・K)→ (※今日はカタクリの郷やミズバショウなどを見ながら、乳頭温泉郷の秘湯・黒湯に入る予定。その後は未定)

 

【昨日(4/27のレポート】  天気:晴れ         

<行程>

道の駅:なかせん →(R106・R46)→ 角館臨時駐車場  (泊りも同じ) 走行10km

<レポート>

  雨は夜半遅くにようやく降り止んだようだった。5時過ぎにブログの投稿を終え、外に出てみると、まだ予報の晴れにはなっておらず、ガスっている状況だった。昨日の八乙女温泉の帰りに、付近に満開の桜並木があるのを知り、しばらくそれを辿ってみたら、それはそれはなかなかのものだったので、今朝はそれを歩いて辿って見ることにした。近くを流れる桧内川の橋を渡って少し行くと、そこからが桜並木になっていて、道路の両側に7~800mほどに亘って桜が植えられていた。樹齢はほぼ15年くらいと思われる若木のようだった。ソメイヨシノなので、白っぽい花が連なっていた。最後の一本のところまで行って引き返すことにした。夜明けの霧の中に浮かぶ白い世界は、夢幻の世界のように見えた。40分ほどの花の天国の散策だった。

八乙女公園付近にある桜並木はちょうど満開だった。早朝の霧の中に浮かぶ花の世界は夢幻境のように思えた。

  今日は、少し早目に角館の駐車場に入り、その後は終日そこに車を置いて、町の桜と古い町並みなどを歩き、さ迷って楽しむことにしている。朝食は角館に行ってからにすることにして、6時20分頃に出発する。駐車場到着20分後。さすがにこの時間は来訪の車も少なく、広い駐車場はほんの一部に駐車しているだけだった。思い通りの場所に駐車出来たので安堵する。ここが明日までの暮らしの拠点となるのだ。TVのアンテナなどをセットして暮らしの準備をする。その後、お湯を沸かして朝食はパンとインスタントみそ汁と野菜。何だか妙なメニュである。霧が晴れて空が明るくなってきた。準備完了である。

  今日は相棒とは基本的に別行動である。夜まで十二分に時間があるので、相棒は存分に思いを達することが出来るに違いない。自分の方は、先ずは桧内川堰堤の桜を見た後は、いつものように街中を古いものを見ながらふらりと歩くだけである。武家屋敷の方は人だかりで一杯なので、観桜どころではないと思う。一応は行って見るけど。

  ということで、以下に今日の歩き回った場所などの、自分流の観光案内を写真で紹介して、報告を終わることにしたい。

桧内川堰堤のソメイヨシノの桜並木。桜の花の天国が2kmほど続く景観はまさに壮観だ。

こちらは武家屋敷の桜の様子。すでに満開を過ぎてしまったのは、あまりにも大勢の花見客のエネルギーに煽られたからなのかもしれない。

家屋敷から少し離れた場所にある松本家。武家屋敷は佐竹北家の上級武士の住まいだったが、この松本家は下級武士の住まいだった。自分的にはこの住まいの方が性に合っている感じがする。

西宮家の景観。西宮家は佐竹北家と並ぶ佐竹家武士の一族だった。この家がその本家ということらしい。観光の武家屋敷からは少し離れた場所に位置している。

商家安藤家の西洋レンガの蔵の建物。明治に入ってから造られたらしいけど、東北では一番古い建物として残っているという。安藤醸造は現役でもあり、我が家はここの味噌などを愛用させてもらっている。

角館の守り神神明社。現在でも角館の祭りなどの中核的な存在として役割を果たしている。自分はいつもここに参拝することにしている。

旅の大先輩の菅江真澄はこの地で終焉を迎えたのだった。尊敬する人物の一人である。

最後に、古い街からは離れた所にあるJR角館駅。今日も大勢の観光客がこの駅から吐き出されて武家屋敷の方に向かって歩き始める。

以上で観光案内は終わりです。

このあと、夜桜見物をしました。2枚を追加します。

ライトアップされた角館武家屋敷のしだれ桜。昼間よりも夜の方がはるかに美しい。桜という樹の花の本当の美しさがそこにあったような気がした。

見上げるとそこには桜花の小宇宙があった。それは花の形をした妖精たちの世界だった。一つ一つの姿も美しいが、この集合体の静かな美しさは、一体何に例えればいいのか、言葉を失うほどのものだった。

角館の武家屋敷の夜桜を観るというのは初めての経験だった。何度も来訪しているのに、今まで一体桜の何を見てきたのだろう。そう思うほど圧倒的な感動を覚えた。

 

 

 

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