山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

稀勢の里の優勝を、万感を以て讃える

2017-03-27 02:43:56 | 宵宵妄話

 稀勢の里が優勝した。新横綱になって初めての、一月場所に引き続いての優勝だ。安楽な優勝ではない。13日目に対戦した横綱日馬富士との一戦で喰らった重大な怪我を押しての、二日連続での出場での、本割と決定戦二番に勝利して勝ち取った優勝なのだ。怪我の翌日の対横綱鶴竜戦では、相撲を取るのも困難な状況の中で、それでも痛みなど無視する素振りで土俵に上がったのだが、やはり敢え無く連敗を喫し、この状態では千秋楽はあわや休場かとさえ思われたのだった。しかし、この最終日も平然とした表情で土俵に臨み、本割では対戦した大関照ノ富士を土俵際で突き落として勝利し、決定戦では再び対戦した照ノ富士を右の小手投げで投げ飛ばして、見事優勝を勝ち取り横綱の重責を果たしたのだ。

 久しぶりに見る男の闘魂の姿だった。今の世のちゃらちゃら賑やかに騒いで、己の存在を目立たそうとする人間が溢れている感じがする中で、じっと想像を絶する痛みに耐え、それすらも押さえつけて、勝負の場では心の内にこもるエネルギーを一気に爆発させ、二度も続けて勝利するその姿は、忘れかけていた本物の日本人の大和魂の存在を示してくれたものだった。男というのはこうでなければならないということを見事に表現した姿だった。

 表彰式で国家を歌いながら感極まって流した涙には、彼の万感の思いがこもっていた。闘魂の美とでもいうべきか、美しい涙だった。泣こうなどと思って流す涙ではないのだ。全力を尽くした後の己に対する感極まった涙なのである。それが美しくないなどと言える筈がない。この姿に感動しない日本人がいたとしたら、それは明らかに偽物である。心を震わされた姿だった。見事な男の姿だった。

 この姿を見ながら、16年前の5月場所で、往時の横綱貴乃花が優勝決定戦で横綱武蔵丸を下して勝利した時の姿が重なった。あの時も、貴乃花は絶望的な怪我を押して土俵に上がり、本割では為す術も無く敗れた武蔵丸に、膝の痛みを必至でこらえながら、決定戦では上手投げで巨漢の武蔵丸を投げ飛ばしたのだった。あの時の鬼の形相は多くの日本人の心を震わせ、往時の小泉首相をして「感動した!」との表彰式でのコメントにつながったのである。あの場面の男としての貴乃花と今度の男としての稀勢の里の姿が完全に一致したのである。

 この稀勢の里の優勝は嬉しい。同じ茨城県の県南に住む者として、このところ滅法知名度の低さが有名となっている茨城県を、これほどの日本人の大和魂を秘めている男が生まれ出る県なのだと、力を以て示してくれた人物はいないからである。稀勢の里万歳!茨城県万歳! である。

 このブログでは、かつて二度ほど稀勢の里という人物について記したことがある。相撲道の掲げる心・技・体についてであった。新横綱に昇進した1月場所では、ついに問題だった「心」が出来上がりつつあると確信したのだが、この場所の彼の戦いぶりを見ながら、そして怪我を押しての悲壮ともいうべき闘魂の発露を見て、もう間違いなく横綱としての覚悟が定まり、その本物の第一歩の跡が残されたのだと確信した。

 この上は、何よりもまずしっかり怪我を治し、更なる上を目指して精進して頂きたい。国の至宝となって頂きたい。日本国の、とりわけて我ら老人は、それを願って応援している。稀勢の里、偉大なる優勝おめでとう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

三月は魔の月

2017-03-15 03:40:25 | その他

三月になって早や半分を経過しようとしている。しかし、書く意欲も考える意欲も湧いてこない。身体だけでは済まず、心の中までも花粉に塗れるこの季節は、私にとっては思考停止の時季なのである。毎年同じような愚かな思いを繰り返しているのだけど、どうしようもない。もうしばらくは、ブログ投稿は休止である。申し訳なし。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

マンサクの花

2017-02-28 04:47:54 | 宵宵妄話

 マンサクの花が満開となっています。今年はこの季節、例年と比べて寒さが目立つ日が多いように感じています。その分毎年悩まされる花粉公害が遅れているのは助かるのですが、それでもやはり安定した温かい日が続くのを待ち望んでいます。

 春の到来を真っ先に告げてくれるのは、この頃はロウバイとなっています。守谷に越して来て以来、冬に目立つ花としては12月の終わり頃から咲き始めるロウバイに心を奪われていますが、もうロウバイは終わりを迎えており、今は梅の花が市内のどこにでもあって、その香りを漂わせています。

 早朝の歩きの楽しみは、これらの早春の花たちとの出会いを、一人モノにできることです。そんな中で、今のところ守谷市内ではたった2箇所しかお目にかかれないのがマンサクの花です。福島県辺りへ行けば、栽培などしていなくてもごく自然の野山に咲いているのを見ることが出来るのですが、守谷には野山は無く、民家の庭先などにしかマンサクの木を見ることができません。その分、何だかとても貴重な、春を告げてくれる花のように感じています。

 今月も残すところあと一日となりました。満開となったマンサクの花を見ながら、本物の春の到来が待ち遠しい老人の心境です。

      

守谷市の民家の庭先に咲くマンサクの花。今年は災害などがなくて全ての作物が豊作となればいいなと、この花を見るたびに願うのですが、今年こそはそれが実現できますように。   

  

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

イワン・ノット

2017-02-21 05:14:04 | 宵宵妄話

妙なタイトルとなった。ノットというのは結ぶという意味で、イワンというのは、多分どなたなのか人の名前なのだろうから、合わせて言えば「イワンさんの結び方」とでもいうことになるのだろうか。要するに靴紐の結び方なのである。

このところ頭の回転は絶不調で、何をする気にもなれない。気が動かないというのは困ったもので、行動も減退することになる。ブログなども無理して書いている感じがあり、それを知っているかのごとくにアクセス数は急激に減って来ている。ま、このブログは、そもそも旅に出ないと本来の姿に戻らないので、しばらくはじっと我慢するしかない。

そのような中で、毎日確実に果たしている勉めといえば、歩くことだけである。早朝の歩きは歩行鍛錬と位置付けており、現在は負荷をかけることは止めて、スピードに重きを置く歩きに力を入れている。これがほぼ2時間余り、およそ9km前後の距離を稼いでいる。午後の歩きは鍛錬ではなく散策である。気の向くままに好きなコースを1時間ほどの歩きを楽しむ。これらを合わせると万歩計は2万歩を少し超えるレベルとなる。1月は正月の外出があったりして、少し低調な歩きとなったが、2月に入ってから盛り返して、毎日2万歩超。現在は今年に入って50日間の平均歩数が18,273歩となっている。この数は、今月末までにはもう少し上げて1万9千歩台に届くようにしたいと思っている。頭が動かない時は、身体を動かすことが肝要と心得ている。今の内に歩数をうんと稼いでおこうなどという妙な気分となっている。

ところで歩く時は当然ながら靴を履く。歩行鍛錬の時は登山靴を常用。短靴なのだが、がっちり作られているように見えても、年間500万歩以上を歩いていると、3年も持たない。靴の表側の方は何でもないのに、靴底の特に踵の端の方がすり減って穴があいてしまうのである。皮靴と違って補修が効かないので買い替えることになる。ということで、昨年の秋に靴を新調した。ところが、使い始めの登山靴というのは、なかなか足に馴染んでくれない。特に右足の方に問題があり、親指の上部辺りにこぶ状の物が出来てしまう。これは靴に問題があるのではなく、足の方に過去の事故の後遺症があるからなのである。止むを得ないことは解っているので、痛さを我慢しながら足が靴に馴染むまで歩き続けなければならない。今はもう4カ月も経っているので、その問題は解決している。

もう一つ問題がある。それは歩いている途中で必ず靴紐が解けてしまうという出来事なのだ。随分と力を入れてしっかり結んだ筈なのに、1時間も歩くといつの間にか緩んで来て解けてしまう。その都度もう一度締め直すことになる。特に登山靴の紐は太めで硬く作られているので扱いにくい。ぶつくさ言いながら立ちどまり、屈んで靴紐を締め直すことになる。これは歩行鍛錬の際には大きな障害となる。何とかならないものかと思いつつも、その対策を考えるところまでは行きつかず、紐が馴染むまでは仕方がないと諦めていたのだった。

数日前、TVドラマの「相棒」を見ていたら、右京さんが妙なことを言っていた。「‥‥どうも細かいことが気になって仕方がない性分でして、」といういつものセリフを言いながら、玄関先に置かれた靴を指さし、手にとって、「この靴のひもの結び方なのですよ、‥‥」とイワン・ノットの結び方を実演していたのである。何だ、それは?と思いながら見ていたのだが、解けにくい結び方の一つであるという説明に、俄然興味関心が膨らんだ。今まで、この歳になるまでの70年間以上、靴紐の結び方に、いわゆる細(こま)結び以外のやり方があるなどということを、全く知らなかったのである。

それで、早速ネットでそのやり方がどんなものかを調べてみた。今頃は本当に便利である。辞書や百科事典にも載っていないようなことが直ぐに判るのである。親切な図解や実際の画像までが示されていて、それを習得するにも大いに役立つのである。そのイワン・ノットという方法を実際にやって見ると、最初はどうも要領を得なかったのが、しばらく試している内に、どうやら上手くゆくようになった。なるほど、このような結び方があったのかと感心した。

しかし、まあ、紐は結べても実際に歩いてみないと本当かどうかは判らない。それで、その後数日試してみたのだが、確かに解けなかったのである。歩きというのには、ある種のリズミカルな動作が必要で、それにうまく乗った時に気分よく効率よく身体を運ぶことが出来るのだが、途中でそれを狂わすものに出くわすのが障害となる。靴紐が解けるというのは、それらの障害の中でもかなりの上位にあるように思っていたので、この結び方を知ったのは大いなる助けとなった。

それにしても、紐にはいろいろな結び方があるものなのだと改めて思い知った感がある。たかが靴紐の結び方なのだが、今まで考えてもみなかったやり方なのである。このようなところまで人間の知恵というのは行き渡っていたのかと、改めて己の油断というのか、迂闊さを思い知らされた感じがした。調べてみると、イワン・ノットの他にも、より解けにくい結び方があるようで、今の世の解けない靴紐の結び方のニーズの大きさを知った次第である。相撲以外の殆どのスポーツ競技では、靴を履くのが当たり前であり、競技の最中に紐が解けてしまっては、場合によっては結果に重大な影響を及ぼすこともありうるのであり、その分だけ知恵が磨かれているということなのであろうか。

この老人は単純な者なので、今は紐を結ぶ必要のある他のどの靴もイワン・ノットのやり方に切り替えることにしている。でも更に上級の結び方については、もはやそれほどのニーズは無いので、チャレンジするつもりはない。やたらにやり過ぎるとイワンのばかではない、本物のノットばかになりかねないからである。

退屈な日々を過ごしている。直ぐそこまで憂鬱な黄色っぽい季節がやって来ている。既に目も鼻もその到来を感じ始めている。それでもイワン・ノットにこだわりながら、歩きに出かけなければならない。これはPPKを目指す老人の執念なのである。死計は老計の実践の中にあるのだから。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「また、遊ぼうね。」

2017-02-12 05:40:40 | 宵宵妄話

孫は可愛いい。上の孫は2歳10カ月となり、この4月には幼稚園に入ることが内定している。昨年の秋の始まりのころは、自分語が殆どで、あれこれと話しかけられても、ジジババは戸惑いながらいい加減な応答しか出来なかった。こんな調子では、幼稚園に行っても先生や皆と一緒にやってゆけるのかなという心配が、ジジババの心をかすめたりしていた。けれども、今年に入ってからは、自分語を卒業し始めて、今頃はかなりのスピードで時分以外の人にも通ずることばを獲得し始めている。どうやらそのような心配は杞憂にすぎなかったようだ。

2歳になっても「ママ」などということばをあまり発しなかった孫なのだが、秋の頃からは妙にはっきりと母親のことを「お母ちゃん」などと言い出すようになり、階下からバタバタ走りまわる足音と一緒に盛んに「お母ちゃん、お母ちゃん」と呼ぶ声が聞こえてくるので、ありゃりゃ、茨城弁が身に沁み込み出したのかな、とちょっぴり複雑な気持になったりした。自分も子どもの頃は茨城弁で「母ちゃん」と言っていたのを思い出したのである。しかし、1カ月くらいでお母ちゃんは卒業して、あっという間に「お母さん」と呼ぶようになった。同時に、何でもかんでもお母さんではなく、必要な時にだけ、母親をお母さんと呼ぶようになっているのが判るのである。

子どもがことばを獲得し始めるのは3歳頃からだというから、孫は標準的な成長の中にあるのだなと納得する毎日である。それにしても、日々に新しいことばを発するのを聞いていると、人間の成長の不思議さを思わずにはいられない。昨日まで孫の傍を通り過ぎても、「アっ、ジイジ」という他は、自分の考えらしきことを自分語でモゴモゴと話しかけてくれていた孫が、今日はいきなり「ジイジどこへ行くの?」などというものだから、「あれ?ええっ、今のは孫のセリフなの?」と驚くばかりなのである。

思うに、今、孫の頭の中は、自分語を世の中に通ずることばに切り替える面白さ、楽しさで満ちているのであろう。一つ切り替えるのを覚えると、ジジババがびっくりするので、それが嬉しくて仕方が無いようなのだ。ジジババとの、ことばを通じた本物のコミュニケーションが出来たことに自信を持てるようになると、この切り替え作業は面白くて、もう止まることが無くなるのであろう。勿論、ジジババとの前に、両親とのたゆまざる切り替えの修練が積み上げられていることは言うまでもない。

階下に住む孫たちと毎日逢っているわけでもない。ジジババが孫たちの住む空間を訪れるのは、親に頼まれてちょっとの間孫たちを預かる時くらいで、普段は孫たちがやって来るのを待つだけなのである。孫が可愛いからと言って、孫を独占して猫可愛がりするような真似は決してしない、そういう考えがジジババにはある。孫たちの暮らしはその親と一緒にあるのが一番なのだと思っている。つまり「子どもは、親ファースト」なのである。今流行りの○○ファーストなのである。世の中の多くのジジババが、孫たちと逢えるのは年に1~2度だけという中で、このジジババは逢おうと思えばいつでも逢えるという恵まれた環境の中にあり、それを思い上がって受け止めたりしないようにするのがジジババの心得だと思っている。

なれども、孫と逢えるのをいつも心待ちしているのは、やっぱりジジババの本音なのだ。

今日も下の方(階下階段)が何やら騒がしくなったと思ったら、「上へ行く!」などという声と一緒に「ジイジ~」と言いながら孫たちが階段を上がって来た。上の子は手すりを持ちながら、下の子はハイハイをしながら「しっ!しゃ!」などと気合を入れて上がってくる。2階の廊下に到達すると、「ジイジ、バアバ~」といいながら上の子は、近くに置いていた拡大鏡を手に持って、周辺の物を覗き始めた。下の子は、兄のそれの仕事が終わるまでは、古い携帯電話を箱から持ち出し、「モシモシ~」のゼスチャ―を始めたりしている。勿論電話器の向きなど反対であり、そんなことなど全く意に介さない。これらの作業はこの頃の彼らのルーティーンとなっているようで、それが終わると、上の子はメインの関心事であるコーヒーミルの作業に取り掛かる。この器具は少し重くて、自分で取り運ぶのは無理なので、ジイジがテーブルの上へ置いてやると、「コーヒー」と豆を要求する。最初、うっかり10粒ほど持ってきてやったら、「多すぎる」などと言われてしまった。2~3粒でいいのだ。この豆を、ハンドルを回しながら下の引き出しを開け、覗きながら挽くので、テーブルの上も下も粉だらけになってしまう。それを指先でいじりまわして感触を楽しむのが面白いらしい。文句を言いたいバアバも、もはや諦めて見守るだけである。この間、妹の方は兄が放置した拡大鏡を手に持って、横綱歩きをしながら周辺を調べていたのだが、直ぐに飽いて、今度はお菓子の空き缶の類を持ち運びする作業に取り掛かっている。お菓子には興味はないようで、何個かあるディズニーの絵模様の缶の運搬に余念がない。横綱歩きで運び終わると、今度はそれを元に戻す作業に取り掛かる。

孫たちがやってくると、ま、今のところは、ざっとこのような動きの繰り返しであり、ジジババは只管(ひたすら)に彼らの安全確保に神経を集中する。階下には溢れるほどの玩具が散在しているのだが、ジジババの部屋にはそれとは別の、普段は触(さわ)れない物が幾つもあるので、孫たちにはそれが楽しみなのであろう。

しばらく遊んで、やがて飽きてくると、自ずと潮時を覚えているるのか、ドアの方へ歩いてゆき、下へ行くと言い出す。その時のセリフが「ジイジ、バアバ、また遊ぼうね」となる。上の子は、3日ほど前から帰り際には必ずこのセリフを言うようになった。手すりをしっかり持ちながら下りてゆく。もう階段の上下は大丈夫となったようだ。下の子は未だ横綱歩きなので、下りるのはとても危険。ジイジが抱っこして慎重に送り届けることとなる。階下のドアの前で、下の子も「バイ、バイ」の挨拶をしっかりしてくれて、今日の孫嵐は終わりとなる。明日も嵐が再来してくれることを願いながら、ジイジはゆっくり階段を上るのである。「また、遊ぼうね」と何時まで言ってもらえるのかなあ、ずっと言って欲しいなあと思いながら。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

四寒三温の感あり

2017-02-09 05:40:15 | 宵宵妄話

待ち兼ねるほどに春遠し。蝋梅の花の盛りは早や終わりを迎え、梅花は増えつつあるのに、日々西風や北風が強く吹き続けて、土埃りが空を染める毎日。旅への思いは膨らみ、真老はこの冬が終わるのを天に祈るのみ。

 

先日のクイズの答です。

① ハライッパイ(腹一杯)

② ウップンバラシ(鬱憤晴らし)

③ ニッシンゲッポ(日進月歩)

④ パイナップル

⑤ ピンピンコロリ

(相棒は②と④がギブアップでした。しかし「―」が入っていないのは違反ではないかと指摘されました。もうこの話は終わりです。)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

頭の体操の話

2017-02-05 21:09:47 | 宵宵妄話

先月末のある日、知人から突然メールが届きました。何だろうと見てみると、そこには「寒中の戯言へのお誘い」とあり、中にはクイズのような問題が5項目ほど書かれていました。それらは毎日新聞に掲載されていたもので、彼のチャレンジでは少ししか正解を得られなかったとありました。

知人のSさんは、同じ高校出身の同じ学年で、大学も学科も同じなのですが、殆ど面識は無く何となく名前は知っている程度の記憶しかなかったのです。それが、数年ちょっと前に共通の知人を介しての出会いがあり、それ以降親近感が膨らんで、時々会ったりメールでやり取りをする間柄となりました。

Sさんは硬骨漢と言っていい人物だと思います。いわゆる水戸っぽという奴です。それは斯く言う私も同じであり、時代が江戸であったなら、同じ水戸藩の領地に住んでいて、同じ精神構造を培っていたに違いないように感じています。一見は温厚そうに見えても、いったん事が生じて対処しなければならない状況に面したら、断じて己の信念を枉げない頑固さを、どうしょうもないほど抱えているのが水戸っぽなのです。

端から少し脱線しますが、世に三ポと呼ばれる、似たような精神構造を持つ人たちがいて、水戸の他には薩摩っぽ、土佐っぽと呼ばれているようです。これらの垢抜けない田舎者の精神が、実は幕末の日本のあり方を大きく変革するパワーの源泉となっています。それがどんなものであったかを簡単に言えば、先ず水戸は幕末を動かす思想・理念の理論的ベースを提唱したこと。それを実際行動に移して、明治時代を開くに至ったのが土佐と薩摩であり、その中で土佐は諸難事の仲介者としての役割を果たし、薩摩は長州と組んで武力進攻のリーダーを務めたということになるのではないか。私はそのように思っています。勿論その他の様々な要素が絡んでいるのは当然のことですが、三ぽについていえば、我が結論はそのようになるのです。

この三ぽに共通しているのは「田舎者」というコンプレックスの裏返しの矜持・プライドではないかと思います。この「田舎者」という意識は、どんな時代にも重要であり、それは主体側に対する抵抗エネルギーとして、強大なパワーを秘めているような気がします。江戸の人間が、田舎者を垢抜けてないなどとからかう話は、掃いて捨てるほど多くありますが、嗤う側の力は乏しく、田舎者のパワーの方が強大なのは、多くの歴史の示す通りです。私は、田舎者であることに、死ぬまでこだわり続けたいと思っています。

<閑話休題>

 Sさんの話からとんだ飛躍をしてしまいました。クイズの話に戻りたいと思います。水戸っぽのSさんが、戯言とは言えこのような問題提起(?)をされるとは想像外でした。彼はエッセイストでもあり、又大へんな読書家なのですが、いつもだと、新作のエッセーが出来上がる度にまとめて送ってくれて、それを読んでコメントを書くのが楽しみなのですが、今回は思いもよらないクイズなのでした。面白い男だなと、改めてSさんへの親近感が膨らみました。

 さてその問題なのですが、次のようなものなのです。

◇下記の文字を並び替えて言葉にしてください。半濁音(パピプペポ)は ○だけしか書かれていません。

例題: ○―コ  答は コピー、又はコーポ、コープ

問題1 シジ○ョン

問題2 ゴシッ○ヘリ

問題3 スットノ○ン

問題4 イステトト○―

問題5 イナ○フ○――

正直言って私はクイズというものがあまり好きではありません。答えがあるものを追求して解を求めるという作業は、どうも苦手なのです。それは例えば数学の数式の解を求めるのと本質は同じことであり、そのような作業は好きになれないのです。何故なのかは自分にもよく解りませんが、多分横着なのだと思います。数学に拠らず正解があるものをわざわざ考えるというのが好きでないのです。クイズというのは、敢えてそのような答のあるものを解くわけなので、そのようなことは、好きな人に任せておけばよい、俺は知らんよ、というのが横着の理由なのです。

 ところが我が相棒と言えば、数独を始め少し難度の高いクイズ形式の問題を考えるのが大好きなようで、退屈を覚えているらしき時には、何やら補助ペーパーに書き込みなどをしながら、一人、何時間でも取り組んでいるというのですから、呆れ返るばかりです。ま、人間面白いことには集中できますので、そんなバカげたことはやるな、などとは決して言ったりはしません。

 それで、送られてきた問題は先ずは相棒に振ることにしました。しかし、丸投げではSさんに対して礼を失することになるので、問題4と問題5だけは、自分が担当することにしました。問題を眺めてみていて、これは要するに○に隠された半濁音(=パ・ピ・プ・ペ・ポ)を含む組み合わせのことばだなということが判ります。

先ず問題4ですが、イ・ス・テ・ト・ト・○・-をしばらく眺めながら、○を除く6文字の中から、何かキーワードが見つからないかを探すことにしました。各文字を頭にしていろいろな組み合わせが出来ますので、それらの思考錯誤を続けました。15分ほどあれこれやっていると、「スイート」ということばが見つかりました。これが見つかれば、あとは簡単です。「ポテト」を見つけるに手間取ることはなく、答えは「スイートポテト」であるのを見つけました。

問題5の方は少し厄介な感じがしました。○が二つとーが二つも入っているのです。これは単純に眺めていただけでは無理だろうと思いました。それで、パソコンの画面を使うことにして、○に該当する「パ・ピ・プ・ペ・ポ」を二つ並べた組み合わせ一覧を作ることにしました。15通りの問題が並びました。しかし、どうもキーワードらしきものを見つけることができません。少し休んで、○以外の三文字を並べてみたら、「ナイフ」というのに気づきました。なあんだ!と思いました。あとはナイフのいろいろを思い浮かべるだけですので、たちまち「ペーパーパーナイフ」が正解であるのを気づいたというわけです。合計で30分くらいかかったと思います。

 相棒の方は、問題1から問題3まで皆同じタイプの問題なので、解を見つけるのは早く、問題2などは2分もかからないで「ヘッピリゴシ」に気づいたようです。己自身のことを言っているのだから、直ぐに気づくはずだと言ったら、叱られました。問題1の解は直ぐに「ポジション」というのに気づくことができましたし、問題3も「ノンストップ」であるのに気づくにそれほど手間はかからなかったようです。

 翌日早速Sさんにメールで報告しました。一応お褒めを頂きましたが、偶にはこのようなことも頭の体操にはなるのかなと思った次第です。それで、思いついたのは問題を作って見るという作業です。半濁音を含む言葉はかなりありますので、問題作りは解くよりは遥かに簡単です。

以下に5問を提示します。興味と暇のある方はチャレンジしてみてください。出題者から見ると簡単ですが、毎日新聞のよりは少し難しいかも?  (ジジイの悪趣味ですネ)

問題1:ライ○ハッイ

問題2:ウンバ○ラッシ

問題3:シニゲッ○ンッ

問題4:ナ○ッル○イ

問題5:リンコ○ンロ○

 

 ※:回答は近々のブログに掲載します

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

77回目の立春を迎える

2017-02-04 06:32:48 | 宵宵妄話

昨日節分が終わって、早くも今日は立春となった。今年の10分の1近くがが過ぎようとしている。まさに光陰矢のごとしである。特に老の世界に入ってからの時間は、加速度的に早やまっているような気がする。若い頃には「あと何回桜が観られるのかな?」などという老人の独り言を、それなりに理解したつもりで同情などしていたのだが、今、この歳になると生きている喜びが、死への恐怖や虚しさと綯い交ざって実感できるのである。

私の小さな書斎には、東京の小平市在住時代に頂戴した、平櫛田中翁(彫刻家で小平市にその記念館がある)の書かれた色紙が、壁の上の方に飾ってある。それには「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」と書かれている。田中(でんちゅう)翁98歳の時の揮毫である。予備校の何とか先生が「今でショ」と話したセリフが有名になる遙か前に書かれたものである。予備校の先生は塾の受講生の若者に向かって話したのだと思うけど、この揮毫のことばは、田中先生が間もなく白寿を迎える時に書かれたものなのだ。田中先生は108歳で天寿を全うされたのだが、このことばには、彫刻の真髄を極めた人の、生き方に対する熱い思いと信念が籠められている。

時々それを眩しく見上げながら、ああ、俺がこれからできるのは、この半分だけだな、と思うようになっている。「わしがやらねばたれがやる」という気概は最早どこかに去ってしまっている。残っているのは、「いまやらねばいつできる」という思いであり、せめて今出来ることを明日に延ばすのは止めようという思いだけだ。もはや先延ばしの許されない世代に入り込んでしまっているのだ。何もせずに先送りしている内に、気がつけばこの世の籍が消えているということになりかねない。

しかしまあ、生きている現実というのは何という愚かさ含みなのであろうか。今やれることを、やるべきことをやると言いながら、実際にやっていることと言えば、「いま、これを食べておかなければ、もう二度と食べられない」とか「今この酒を買わなければ、二度と飲むチャンスはないだろう」とか、真に低レベルの己に好都合の判断と行動ばかりなのである。つまりは田中先生のことばの残りの半分にも届いていないという生きざまなのだ。

77回目の立春を迎えたとき、田中先生にはあと30年の生きる時間が残っていたことになるのだが、恐らく現実の先生は、それ以上の無限とも言える時間が残っているとお考えだったに違いない。残りの時間を数えているような「今」は存在しなかったのではないか。それに比べる我が現実の貧しさを思いながら、この真老も77回目の立春を迎えたのであった。

いつものように早朝の歩行鍛錬の途中、明るくなりだした道の脇に白梅が香りを漂わせているのに気がついた。この季節に相応しい梅花である。どうにか句をこじつけた。

           

                時を今わずかに緩め梅咲けり  馬骨

          真老の白梅に深き思いかな   馬骨

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ブログ開設10周年を迎えて

2017-02-01 02:08:00 | その他

今日(2/1)でブログ開設10周年を迎えました。2007年2月にこのブログを開設した時67歳だった私は、今は77歳の喜寿を迎えることになりました。あっという間の10年間でした。この間のブログの訪問者は約41万人、閲覧数は約140万回となっています。

ブログを開設したきっかけとなっているのは、還暦を少し過ぎた頃に、ある会報誌で村山孚(まこと)という方が「午後の喫茶店」というブログを開設しているという記事を読んだことでした。その頃はホームページやブログなどというものがようやく話題になり始めた頃で、まだフェースブックやツイッタ―などが現れる以前のネット社会でした。そのような時代に、今でいうなら後期高齢者のお一人であった村山孚さんがブログを開設されているという記事を読んで、凄いなあと感動したのです。まだ還暦を迎えたばかりの自分でさえもネット社会のツールには取りつき難く、パソコンを活用してはいても、滅多にホームページやブログなどというものは覗かなかったのです。しかし、村山さんの「午後の喫茶店」を読んで、ああ、このような自分の意見発表の場があるのだと教えられたのです。そして、自分もいつか何かを世の中に問いかける、このような場を作りたいと思ったのでした。70代後半に入っている村山孚さんでさえも自在に活用されているのだから、内容やレベルはともかくとして、自分だってその気になれば出来ないことはないという気持でした。(このような比較は村山先生に対してまことに失礼であることは重々承知です)

しかし、直ぐにブログを開設するには至らず、やがて自分のくるま旅が本格化するにつれて、くるま旅というものがもたらす人を活性化する力に気づき、それを確信するにつれて、もっともっと世の中の人々にもその素晴らしさを知って頂こうという思いが強くなり出しました。それで先ずくるま旅くらしのガイド書として、「くるま旅くらし心得帖」を書いたのですが、本だけでは不十分で、旅の実際についても紹介する必要があると考えたのです。そのための方法として、ホームページを立ち上げることにしました。しかし、ホームページはどうしても固定記事の占めるスペースがメインとなり、実際の動きに関する記事を発表するには、ブログの方が遥かに優れていると気づきました。そのような経過を辿った上で、ようやくの開設となったのです。

立ちあげた当初は、くるま旅のことにこだわり、何としてもくるま旅に関係することを書かなければならないと思いこんで、取り組んでいました。しかし、くるま旅に係わる理屈的なことについては、それほど多くのことがあるわけではなく、元々誰でも自由に好きなようにくるま旅を楽しめばいいだけの話ですから、直ぐに書くことが無くなりました。

それで、今までの旅の記録を引き出し、その実態をでこぼこ日記という形で発表することにしました。これには、くるま旅が本格化した頃から記録を残すようにしていたのが役立ちました。これは自身の旅の後楽にもつながり、又新たな旅を作るためにも役立ちました。旅の実態を知って頂くことにより、これから旅を始めようとされる方にも多少はお役に立ったのではないかと思います。

その内に「書く」ということへの興味・関心が高まり出し、くるま旅以外のことについても、自分の考えや思いなどを表現してみようと考えるようになりました。カテゴリーを増やして他の領域を設けて発表することにしました。その中では「宵宵妄話」という、普段の暮らしの中で思ったり、気づいたりしたことを書くのが中心となりました。その他にも写真と句的表現とそれにコメント加えた新しい寸情表現とでもいうべきなのか、そのような表現形式を「ホト発句」と勝手に名付けてトライをしたのですが、これは現在休止状態となっています。一時欲張ってあれこれチャレンジしては見たものの、結局は本物だけが生き残るというのは、誰の人生においても同じことなのかもしれません。今はそのような感慨を持ちながらこの後のブログを続けて行こうかと考えています。

10年という長い間飽きもせずに(正直に言えば、時々飽きたりしていたのですが)続けて来られたのは、何といっても読んで下さる方がおられるという、ありがたい刺激があったからなのだと思います。長文ばかりで写真も少なく、几帳面な性格の方以外には読んで頂けないような記事ばかりのブログを、何年も書き連ねているというのは、今の世では余り賢くないというのは良く承知しているつもりです。

でも、刹那的、デジタル的で感覚的刺激を持ってアピールするだけの表現は、私には好きにはなれないのです。主語と述語があり、それに修飾語が挟まり、更にそれらが過去と現在と未来とがつながっているような表現の仕方こそが、どのような変化の時代においても必要なのだという思いがあるのです。

勿論一番大切なのは、表現のあり方などではなく、ブログのテーマです。くるま旅くらしを通して何をアピールしたいのかということです。それは勿論旅の楽しさであり、活き活きと生きる喜びです。楽しさの中には悲しみや苦しみ、悔しさ、怒りなど、喜怒哀楽に関するすべての出来事が入っているのはいうまでもありません。楽しさというのは快楽含みの安楽な世界を享受するだけでは味わえないものです。何もかも全部ひっくるめて生きているのが素晴らしい、ありがたいという実感です。真老世代に入って、そのことを益々実感するようになりました。くるま旅くらしの中にあるそれらの楽しみを少しでも多く引き出して、世に紹介してゆくのが私の使命なのだと思うことにしています。

これからは、ブログで取り上げるテーマも変わってくると思います。加齢と共に体調の変化を実感していますが、それに伴って心の方も変化してゆくに違いありません。力任せに動き回る旅のスタイルから、じっくりと場所と時間を楽しむ旅へと向かうことでしょう。只今あれこれと模索中です。一番関心があるのは、日本という国の原点につながるようなものが残っている場所を訪ねることです。この国に生まれた幸運に感謝し、この国がつくり、生み出して来たものを探してみたいと思っています。それが冥土への旅につく前に為しておきたい最大の願いです。

この後も同じようなトーンでこのブログを続けて行くと思いますが、引き続きお読み頂ければこれ以上の嬉しいことはありません。10年の来し方を振り返りながら、その思いを整理してみました。

 馬骨拝

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

稀勢の里の優勝を祝す

2017-01-23 04:12:48 | 宵宵妄話

長かった。本当に長かった。31場所も大関に居ながら、何度も横綱へのチャンスを作りながら、一度も優勝が出来なかった。その壁を突破することが出来なかった。ファンから見れば期待を裏切り続けた。何度も何度も裏切り続けた。同世代の外国人力士が次々と横綱昇進を実現してゆく中で、まるでそれは日本人を裏切り続けているような感じさえした。それがついに壁を突破したのである。心からおめでとうと言いたい。優勝、そして横綱昇進(これはもう間違いなし)おめでとう。

3年前の一月場所も横綱へのチャンスを作っていた場所だった。大いなる期待をもって見ていたのだが、躓(つまづ)きは初盤から始まり、中盤を過ぎるとシッチャカメッチャカな状態となり、終わって見れば何と7勝8敗という、それまで一度も無かった負け越しという惨憺たる結果となってしまった。この時にどうしてこうなのかについて、「横綱になれない大関」という記事をこのブログに書いた。(2014.1.25) 期待に対する余りにも大きな裏切りに対して、些か怒りを覚える気持での分析だった。礼を失しているのは十分承知の上で、親方になったような気持での投稿だった。

その記事は、相撲道の目指す「心・技・体」についての論旨だった。今の大相撲界では、「心」の鍛錬が不足しているように思ったのである。数年前には博打に係わる事件が大相撲界を揺るがし、親方クラスまでが関わっていたという、真に呆れ返った状況を呈していた。これは道を忘れた「心」の欠如、歪みがもたらす結果に他ならないと思った。この場合の「心」というのは、「道」とは論外の外道の世界であり、稀勢の里に求められている「心」などとは勿論無関係であることは言うまでもない。しかし、本来の相撲道という「道」の中の「心」と似通うものがあるとすれば、それは「甘さ」というものなのかもしれない。心の甘さというのは、本来の道を忘れ、己の都合の良いような満足を享受しようとする働きであろう。外道というのはその極みに位置している。

相撲道の「心・技・体」を思う時、稀勢の里という人の弱点は、これらの三要件が一点集中的に合致しなかった、させられなかったことにある様に思ったのである。この三要件の中で「心」の占める割合は、番付の位置が上がるほど大きくなる。「技」や「体」が不十分のままでは、上位にあって勝つ、勝ち続けることはできないからである。それは自明のことであろう。

日馬富士や鶴龍が稀勢の里と大して変わらない実力なのに、先を越して優勝し横綱になったのは、「心」が一皮、二皮鍛えられて脱皮していたからなのではないか。別の言い方をすると、彼らは「技・体」と「心」を一点集中的に合致させる力を獲得していたということになる。そこには心の甘さなどが入り込む余地はない。日馬富士が良く言う「全身全霊をかけて」というセリフには、その思いが込められていると思う。見事な信念だ。又鶴龍が稀勢の里を心配してのコメントに「稀勢の里関には何かが足りない」とあったのも、その辺りを指摘していたのではないか。その二人が今場所揃って休場となっているのは象徴的な気がする。「心」の限界が見え出したのかもしれない。「技・体」がかなり傷んでいるというのも間違いないと思うけど、もし「心」が傷み出したなら、その先は引退しかない。それが横綱というものの厳しさであり、それは白鵬にだって同じことなのだ。そのことは重々承知のことだと思うけど、稀勢の里には、これから更に「心」を鍛えて力を発揮していって欲しい。「心」の鍛錬は、むしろこれから始まるのだから。

稀勢の里の出身地の牛久市は、私の住む守谷市からはほんの少しの距離しかない。土曜日には時々牛久市郊外にある「ポケットファームどきどきつくば牛久店」という長い名称のJAの野菜や肉などの大型販売所に買い出しに出かけるのだが、そこの店の壁には稀勢の里の大きな写真が掲げられている。地元の人たちの誇りであり、輝く期待なのである。地元の人たちの喜びは、もしかしたら本人以上のものなのかもしれない。善朴な人たちの住む世界がそこには広がっている。

茨城県はその認知度において全国最下位であるとか、或いは女性の肌の綺麗さにおいても最下方であるとかの、愚劣極まりない怪しげな調査がある。ふざけるなと言いたい。そのようなコメントは、別の視点から見れば茨城県人というのは、この上なきお人好しが多いということなのでもあろう。県北の水戸近くで育った私から見ると、県南(牛久や守谷もその中に入る)の人たちは、より以上にのんびりしたお人好しが多いように感じている。私はそれこそがこの地に住む人の最高の優れた特性だと思っている。いいのだ。目立つことなどどうでもいいことなのだ。

稀勢の里は、長い間辛抱を重ねて茨城県人の、特に県南エリアのど根性を知らしめてくれたのだと思う。人が良いから「心」が「技・体」を思うように動かしてくれなかったのだと思う。多くの茨城県人にとって「心」の鍛錬は大きな課題のような気がする。さりとて悪性の混ざった「心」を目指すわけには行かない。稀勢の里には、この後は一点集中の時だけは、お人好しを放棄して、ひたすらに勝負へのこだわりを厳守して欲しいと思う。

積年の鬱憤から解放された、寒さを忘れる爽快な気分で終わった一日だった。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加