山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第9回>

2016-05-24 04:44:04 | くるま旅くらしの話

【今日(5/24)の予定】 

  道の駅:いなかだて →(R102他)←田舎館村役場 →(R102・R7・K・R101他 )→ 五所川原市歴史民俗資料館 →(R101他)→ 道の駅:もりた →(R101)→ 鰺ヶ沢町焼きイカ店 →(K3・R7)→ 道の駅;碇ヶ関(泊)

 

【昨日(5/23)のレポート】   天気:晴れ

<行程>

道の駅:七戸 →(R4・R102)→ 奥入瀬渓流:石ケ戸 → 奥入瀬渓流散策 → 石ケ戸 →(R102)→ 道の駅:いなかだて(泊)

<レポート>

 起床3時半。直ぐにブログを発信しようとしたのだが、これがなかなかつながらない。何度やってもダメ。やむなく車を移動してチャレンジすることにした。それでもなかなかうまく行かなかったが、ようやくつながって、やれやれである。今日は先ず奥入瀬渓流に行って新緑の空気を目一杯吸いながら日頃のストレスをきれいに発散して、心身を浄化するつもりでいる。少しでも早く出発しようと思っていたのだが、少し手間取って焦った。それでも4時半には出発することが出来た。目指すは、奥入瀬渓流の中ほどにある石ケ戸という場所である。ここには休憩所もあり、道脇に駐車スペースもある。何時も奥入瀬渓流を訪ねる時は、近くにある道の駅:おいらせに泊り、朝一番で石ケ戸に行き駐車場所を確保し、それから朝食を済ませて散策を開始するのだが、今回は七戸から出向かうことにしたのである。それで、少し早目の出発を意図したのだった。

 車の流れは順調で、と言っても早朝の4時半なのだからこれは当たり前のことであり、邪魔なのは赤信号だけだった。予想よりもかなり早く着いて、5時半前には石ケ戸の駐車場所のベストポジションを確保することが出来た。その後は、これもいつも恒例となっているのだが、お湯を沸かし、コーヒーを淹れて、モーツアルトを聴きながら朝食を摂ることになる。今回は新しくCDカセラジオを持参しているので、スピーカーの性能は向上している。この緑の森の中では、モーツアルトが一番相応しいと信じている。ミルを回して豆を挽き、相棒がお湯を注いで完了。あとは静かにコーヒーを味わい、更に鮮緑のマイナスイオンを味わうだけ。パンも食べるけど、そんなものよりはこの森の中の雰囲気の方がずっと美味なのである。

    

モーツアルトを聴きながらというけど、その実態はこのように乱雑であり、自慢できるほど美しくはない。

 朝食の後は別行動。総じて相棒はペースが遅いので、とても調子を合わせているのは無理。ということで、自分の方は直ぐに渓流の散策に出発する。6時半である。既に日は上っているのだが、まだここまでは少ししか届いていない。近くにある休憩所を覗いたあと、ここから3kmほど離れた所にある雲井の滝まで往復することにして散策を開始する。直ぐ近くに「石ケ戸」の地名発祥の素となる小さな石の窟があり、それを覗く。伝説によれば昔この窟の中に鬼神のお松という美女盗賊がおり、通行の人たちから金品を巻き上げていたという。確かに人一人が住みつけるほどの広さはあるようだった。

    

石ケ戸の窟。こんな場所に巣食っていて、一体どんな美女だったのか。彼女の身の上話を聞いてみたいものだなと思った。

 そこから先は萌えるような緑の世界を、飛沫の弾ける渓流に沿って上流に向かう。ようやく届き始めた淡い日の光が木々の緑を照らし輝き始めて、何とも言えない心安らぐ世界が広がっている。ゆったりとした流れが少し続いているかと思うと、たちまち岩にぶつかった流れが純白の飛沫を上げているという、渓流独特の景観が続いている。マイナスイオンの溢れる世界を喜び湛えるかのように、名も知らぬ小鳥の囀りが渓流の飛沫の音を凌ぐほどに林間に響き渡っていた。日が上り、気温が上がるにつれて小鳥たちの鳴き声に目覚めたのか、エゾハルゼミの合唱がおちこちから湧きあがり、カジカガエルの哀調を帯びた鳴き声も届き始めた。

 しばらく渓流に沿って造られた散策の道を歩くと、やがて雲井の滝に到着した。雲井の滝は奥入瀬渓流の中では一番規模の大きな落差のある瀧で、凡そ50mほどであろうか。本流とは別の流れの岩場を落ちて、滝の水は本流に注いでいる。カメラに同じ迫力を持って取り込もうとするのだが、滝というのは普通のカメラではどうもうまく撮るのは難しいようだ。更に上方には渓流では一番規模の大きい銚子大滝というのがあるのだけど、今日はそこまで行くのは止めることにした。既に歩き始めてから1時間以上が経過している。引き返すことにした。

      

平らな箇所に来ると流れは穏やかになり、渓谷の優しげな表情を示してくれている。

   

川岸にはブナの大樹が数多くあり、春の喜びを大空に向かって告げていた。

   

段差のある岩場に来ると、穏やかだった流れは豹変し、岩をも砕く白い激流となって流れ下る。

   

雲井の滝。それほど大きな滝ではないけど、二段に落ちて流れる白い水の筋は、いかにも滝らしい風情を醸している。

それから再び1時間以上をかけて新緑に染まりながらの散策を楽しんだ。8時半過ぎに車に戻ったのだが、相棒もどこかに出かけているようで、不在だった。しばらくして相棒が戻り、お茶の時間を過ごした後、今度は二人で休憩所の下流の方へ行って見ることにした。この方向へ行くと、ちょうど今山ツツジが開花の最盛期を迎えている場所があり、撮影のスポットとなっていると聞いた。途中、足元の植物や木々などを観察しながら20分ほど歩いて、その場所に着く。確かにツツジの赤が、緑の水流に映えて、絵になる風景だった。何枚かカメラに収めた。そこから引き返して車に戻った時は10時15分となっていた。既に1万歩以上を歩いており、やや疲れを感じたので、しばらく眠ることにした。

   

豊な水の流れの岩場に自生した山つつじは、今が花の盛りのようで、緑一面の森の中に淡い赤色が映えて、一段と美しい。

 寝床に入って、それから2時間以上惰眠を貪る。特に相棒にとっては、今朝は普通でない早や起きだったので、寝不足の感は拭われない。自分も眠気を覚えていたので、眠ることにした。こんな場所でこんな時間帯に眠りを自在に出来るなんて、何という贅沢なのか。これはくるま旅の者に与えられた最高のプレゼントだな、などと言いながら至福の時間を過ごしたのだった。

 12時過ぎに目覚めて、軽く昼食を摂る。相棒は目覚めてから元に戻るのに時間がかかって、しんどそうだった。ようやく正気に戻った時は13時をかなり過ぎていた。もう緑の世界の散策は止め、次に向かうことにした。今日のこれからは、十和田湖湖畔をしばらく走って、急坂を上り、滝沢峠を越えて黒石方面へ下り、途中温湯(ぬるゆ)温泉の鶴の湯というのに入った後、道の駅:いなかだてに行って泊るだけの行程である。とにかくゆっくりと車の中からも新緑の世界を楽しみながら行くことにして出発する。

 少し走って十和田湖畔に出て、そこから今回は左へのコースで行くことにした。十和田湖観光の中心地を通り抜けて行くコースである。しばらくは緑のトンネルの中を走り、やがて坂道を登り始める。途中何時も春には見かけるキクザキイチゲやニリンソウなどの花が残っていないかと期待したのだが、これはもう全く見当外れの期待だった。滝沢峠の辺りには少しはフキノトウが残っていないかと探したが、これもまた見当違いの探しものだった。いつもはこの峠辺りでフキノトウを摘み、バッケ味噌を作るのを楽しみにしているのだが、今回はあまりにも時期が遅かったようである。その後は黒石方面に向かってひたすら坂を下る。

 間もなくダムが現れ、その脇に道の駅:虹の湖があり、立ち寄ってしばらく休憩する。3時半になっていた。もう入浴してもいい時間だと見計らって、出発する。直ぐに温湯温泉のいつもの駐車場に着いて車を留める。この道を通る時はこの温泉に必ず入ることにしている。石鹼やシャンプーはないけど、たった200円の料金で、源泉かけ流しの本物の温泉に入れるというのはありがたいことである。1時間ほど温泉を楽しみ、今日のゴールの道の駅:いなかだてへ。

田舎館は個性のある村で、弥生時代の米作りの跡が残っており、それに因んでなのか、毎年田んぼアートでは多くのファンを魅了してやまない。昨年は富士山に天女の米の稲穂で描かれた見事な絵が田んぼを飾っていた。今年はどんなものが見られるのか楽しみである。もう何度も来ている道の駅なので、親近感代である。今夜も早目の夕食を済ませ、ほんの少しTVなども楽しみながら夜を迎える。明日の予定は一応書いてはあるけど、実のところはっきりしない。今夜の課題である。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第8回>

2016-05-23 04:15:13 | くるま旅くらしの話

【今日(5/23)の予定】 

  道の駅:七戸 →(R4・R102)→ 奥入瀬渓流:石ケ戸 → 奥入瀬渓流散策 → 石ケ戸 →(R102)→ 道の駅:いなかだて(泊)

 

【昨日(5/22)のレポート】   天気:晴れ

<行程>

道の駅:久慈 →(R45)→ 八戸市:八食センター →(R45・R4)→ 道の駅:十和田 →(R4・R102)→ 十和田市現代美術館 →(R102・.R4)→ 道の駅:七戸(泊)

<レポート>

 昨日大幅にコースを変更したので、今日は特別の探訪先は決まっていない。いつもだとここに泊ると山側の方に行って、内陸部の春を訪ねたりするのだけど、今日はこのままR45を八戸まで行くことにして出発する。今朝も快晴で、起きがけは少し寒かったけど、5時前に日が昇ると気温はぐんぐん上昇して、こりゃあ夏日になるのかなと思うほどだった。昨夜第二駐車場に泊ったのは正解で、静かな一夜を過ごすことが出来た。体調も万全である。

朝8時半過ぎ出発して、間もなく幹線のR45に入り、北上を開始する。しばらく走って、洋野町に入り、種市海岸にある海浜公園に寄ったのだが、生憎その時は海霧が発生して視界はかなり悪化し、海との境界線も太陽も見えない状態となってしまった。サーフィンを楽しむ人たちも海から上がって来ていて、晴れを待つ状況だった。久しぶりに海の景色を楽しみたいと寄ったのだが、不意になってしまった。

その後も北上を続け、青森県に入り、階上町にある道の駅;はしかみで小休止する。この道の駅は海の近くにあり、産直店には海産物も多く並べられており、興味関心大だった。しかし鮮魚類を調理する用具は持参しておらず、見たことも無い地元の海の海藻類を使った「あかはたもち」というのを買うことにした。知らないものは、一度は食べておくことが大切だという信念がある。蕪の良いのが安く売られていたので、これも買い入れ、直ぐに漬物を作った。夜には食べられると思う。気づいたらすぐに実行するというのも旅の食べ物の一つの在り方だと思っている。30分ほど休んで、八戸に向かう。

八戸では、前回訪れた時は休みだった八食センターという郊外にある大型のショッピングセンターを訪ねることにしている。ここではおもに魚介類の販売が行われており、魚大好きの自分には、何かいい獲物はないかと期待しているのである。少し道を間違えながら11時少し前に到着。すぐ傍にあるホームセンターで少なくなっていた飲料水を買い入れて補給し、その後に八食センターの中へ。たくさんの鮮魚店が並び、又食事の出来る店も多くあった。かなりの人出で、店内はかなり混みあっていた。食事時には未だ少し早いので、何か直ぐに食べられる調理済みのものを探したのだが、焼き魚も煮魚も無く、がっかりした。これが山陰や北陸だと必ず鯖の串焼きなどがあるのだが、ここではそのような食文化はないようである。諦めて持ち帰りの寿司を買い、車に戻って、道の駅:十和田を目指す。12時頃には着くので、昼食はそこでするつもり。30分ほどで到着。

十和田の道の駅には何度もお世話になっている。特にここには相棒の関心の大きい南部裂き織りの織り機がたくさん置かれた館があり、相棒にとっては必ず寄らねばならぬ場所の一つなのである。これはまあ、尊重しなければならない。昼食の後は大休止とすることにして、14時頃までフリータイムとする。今日はよく晴れて気温も急上昇し、夏日に近い暑さである。もしかしたら夏日になっているのかも。外を歩くのは危険な感じがした。しばらく昼寝をしようとしたら、隣りにマイクロバスが入って来て、エンジンをかけたままなので、とても眠れる状態ではなくなってしまった。しばらく諦めてブログの整理などをして過ごす。その内に静かになったので、収まらない眠気をなだめるために布団の中に。いい気持になって眠ってしまい、予定の14時を30分もオーバーしてしまった。慌てて起き出して相棒を探す。

その後は、相棒の希望で一度十和田市にある市立の現代美術館というのを見て見ようと出発する。美術館を訪ねるのは久しぶりのことで、一体どんな作品が見られるのか大いに期待した。20分ほどで美術館の近くに着いたのだが、駐車場が見当たらない。ようやく探して行って見たらそこは機械駐車場で、SUN号では出入りが困難な状況だった。止めようかと思ったのだが、相棒が訊いてくるというのでそれを待つことにした。結果的に機械駐車場の脇にチエ―ンで仕切られた場所があり、それを外して車を入れても良いということなので、それに従って車を駐車し、美術館に向かう。

現代美術館というのだが、何だか妙チクリンに気取った建物で、入口がどこなのかが判りづらい建物だった。案内板も何もないのである。相棒が出て来た人に訊いてようやく判り、受付にて料金を払って入場する。いきなり外国人のオバサンの巨像が目に飛び込んできた。相棒はこの像のことをTVで見て印象付けられ、ここを訪ねたかったらしい。確かに4mほどもある巨大さなので、一寸眼には驚くけど、よく見ればリアルであるだけで、どこに芸術としての価値があるのかは自分には判らなかった。婦人の立像という小さな解説板が部屋の白壁の隅に付けられていたけど、小さな文字で老人には真に読みにくい大きさだった。案内係の人に訊くと、解説などよりも本物の作品に集中してみて欲しいという配慮だとか。何だか変だなと思った。その後は暗幕の部屋が幾つかあって、いきなり暗い場所に連れ込まれて、怪しげな映像などを見せられて、何か誑かされているなという印象しかなかった。どこがアートなのかさっぱり分からない。アートというのは勿論表現の世界であり、作品はその作者のモチーフを表現しているのだと思うけど、只珍奇な姿や仕掛けを見ただけでは、感動とは無縁なように思った。その他にも常設の幾つかの作品を見て回ったのだが、どれ一つとして感動できるようなものはなかった。これだけ書くと、お前はアートとは無関係な鈍なジジイだと切り捨てられるに違いない。しかし、解らないものは解らないのだから、仕方がない。何だかすっきりしない気持で美術館を後にしたのだった。

その後は、今日の宿を予定している道の駅:七戸へ。自分たちはこの道の駅の昔からのファンである。今は近くに新幹線の十和田七戸駅が出来て、付近の景観も駅の姿もかなり変わってしまったけど、南部馬の産地として昔から名のある場所であり、その土地の持つ本質は変わっていないのだと思う。今日は日曜休日とあってか、いつも以上に賑わっており、当てにしていた安直売り場の青大豆は、たった一袋しか残っていなかった。明日は少し早くここを出発する予定なので、今回はこれで諦めることにした。

何時もの場所にSUN号を留め、今回は近くにある温泉に入るのは止め、そのまま夜を迎えることにした。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第7回>

2016-05-22 05:13:01 | くるま旅くらしの話

【今日(5/22)の予定】 

  道の駅:久慈 →(R45)→ 八戸魚市場 →(R45・R4)→ 道の駅:十和田 →(R4)→ 道の駅:七戸(泊)

 

【昨日(5/21)のレポート】  天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:遠野風の丘 →(R340・R106)→ 道の駅:やまびこ館 →(R106・R45)→ 道の駅:宮古 →(R45他)→ 浄土ケ浜 →(R45・K)→ 久慈市新山根温泉:べっぴんの湯 →(K他)→ 道の駅:久慈(泊)

<レポート>

 二晩泊ってお世話になった道の駅:遠野風の丘に別れを告げ、今日は更に北に向かう予定。当初の計画では早池峰山の北を走るR106を経由して盛岡方面に向かい、R4を辿って一戸町の御所遺跡を見てから近くの道の駅に泊ることにしていたのだが、急に気が変わって、山の中の道を通って反対の宮古市側に出て、R45を海岸線に沿って北上し、久慈市にある道の駅に泊ることにした。特に理由も無いのだが、一つにはやはり東日本大震災の三陸エリアのその後をもう一度見ておきたいということがある。

 9時少し前に道の駅を出発して、市街地にあるスタンドで給油を済ませ、宮古市方面に向かって出発する。R340は山間を走る岩泉町の方に向かう道なのだが、途中でR106と出合ってそれを海側に行けば宮古市に至ることとなる。しばらくは遠野市郊外の山間の田園地帯を走る。水を張った田んぼが鏡のように輝き、そこには近くの低い山々が新緑の春の装いで写っている。昨日のデンデラ野のある山口集落は重文景に指定されているけど、そのさらに奥の方ののどかな田園風景も又それに劣らぬ遠野の昔の農村の姿を思い浮かべさせる景観だった。次第にそのような景色が少なくなって、やがて車は鮮緑の山道の中に入って行った。しばらくは中央線のある良い道だったが、次第に道幅が狭くなって、やがて離合が心配なほどの道となった。新緑のシャワーは嬉しいのだけど、運転の方は気を使う。この道は初めて通る道でもあり、先がどうなっているのかがよく解らない。相当に曲がりくねっている道を上り下って、途中トンネル工事の現場を通りながら、早く完成するのを願ったりした。間もなく人家が見え出しR106に合流する。ここで、直ぐに宮古に行くのではなく、反対側の少し先に道の駅:やまびこ館というのがあり、ここには未だ行ったことが無いので、ちょっと寄って行くことにする。15分ほど走ると、少し大きな平地がありそこに道の駅が造られていた。

 道の駅では、何やらイベントというか儀式のようなものが行われていた。椅子が並べられ、紅白の幕らしきものが巡らされていた。相棒は早速素っ飛んで行った。行って見ると駅の構内に新しく建物が建築されそのオープニングセレモニーらしい。見ると「宮古市薬師塗漆工芸館」とあった。薬師塗漆器というのがあるらしい。初めて聞く名である。中にはいて見ることは出来ないのでこれは次の機会に持ち越すことにした。町の名士の方々の話を聞いていても何も分からないので、その後は産直館の方へ行き、何か目ぼしいものはないかと覗き回った。中に美味そうな豆腐を発見。少し高かったけど、ここは水がきれいだし250円の価値は十分あるに違いないと手に入れる。

   

道の駅:やまびこ館の構内に新しく造られた宮古市薬師塗漆工芸館。この日は丁度その開館の日で、記念の式典が開催されていた。

買い物をして外に出ると、先ほどの儀式の会場が俄かに賑やかとなっており、笛や太鼓の音が鳴り出していた。何だろう?と行って見ると、何とこの工芸館の開設を祝って神楽が奉納されるらしい。幕に早池峰山と書かれているので、これはもしかしたら早池峰神楽の一つではないかと思い、大急ぎでカメラを取り出し、相棒に写すのを頼んで、車に行き相棒のカメラなどを取に行く。その後結構長い間神楽の奉納は続いた。早池峰神楽のことは道の駅の案内パンフで知っていたけど、それを見る機会は限られており、無理だろうと思っていたのだが、まさかこのような所でいきなり見せて頂けるとは、望外の幸運だった。しばらく、動画茂とることにして、その風景をモノにした。神楽のことは高千穂の夜神楽を現場で体験して以来、興味関心を持つようになっている。往時の人々がどのような気持ちで、どのような舞いを神様に見て頂こうとしたのか、その人々の生きざまのようなものが、素朴な踊りを通して伝わってくるように思えるのである。ここで演じられている早池峰の神楽は、ひょうきんな振る舞いが多くて、恐らくこれは何かの喜びを表わす舞いに違いないと思った。何しろ予備知識も、演じられている舞いの演目も何も知らないのである。あてずっぽうでも、それほど的外れではなかろうと勝手に思ったりした。

   

早池峰神楽の舞の模様。後ろの幕には大正2年とあるから、もう百年以上もこの幕は大事にされて、伝統の舞とともに受け継がれてきたのであろう。

 思わぬ幸運に嬉しくなりながら道の駅を出発して、次は宮古市の道の駅に向かう。1時間ほど走って到着。ここには2年前にも寄っているのだが、状況はその時と変わらなかった。丁度昼近い時刻になっており、災害復興に係わる工事関係にダンプカーがたくさん駐車していた。昼食休憩ということなのであろう。ご苦労様です。何か直ぐに食べられるものはないかと売店の中を探したけど、寿司などは見当たらず、この道の駅は被災からの復興で新しくなったのは良かったのだけど、以前のような魚市場風の匂いや香りが消え去っており、何だか妙に都会風になって気取っている感じがして残念な気がした。

 昼食は近くの浄土ヶ浜の方に行って摂ることにして向かう。ここに行くのは震災以来初めてである。行って見ると、どうも以前とは様子が違っていて、浜の傍まで行くことはできず、新しく上の方に立派な駐車場が造られていた。先ずは簡単な食事を済ませたのだが、その後歩くと浄土浜までは15分ほどかかるとのこと。かなりの坂道なので、相棒は消極的である。シャトルバスが発着しているというのだけど、30分に一本で折り返しているというので、結構時間がかかってしまいそうである。ということで今回は観に行くのは止めることにした。相棒は、この浜には何やら霊気のようなものを感じるらしいのだが、自分には到底判らないことである。

 ということで、その後はR45をひたすら北上するだけとなった。途中にある道の駅:田老、田野畑、野田などを覗きながら、久慈市に入る。道の駅に行く前に温泉に行くことにして、少し離れた山の中にある新山根温泉:べっぴんの湯という所に向かう。ここは温泉博士に載っている無料入浴が叶う湯なので、そのご厚意に甘えさせて頂くことにした。渓流に沿って15kmほど行くとその温泉宿があった。とてもいい感じで受付をして頂いて、嬉しかった。お湯もサウナも露天もすべすべしていて、女性には喜ばれるのだろうなと思った。我が相棒は、果たしてべっぴんばあさんになれたのかなと思った。相当に難しいテーマだろうなとも思った。いい湯に入れて頂き満足しながら来た道を戻り、道の駅:久慈に着いたのは17時少し前だった。この道の駅にお世話になるのは2度目である。構内の売店には魅力的なものが数多く並べられている。中でもやはり琥珀が一番なのだと思う。だけど、超高価なので自分のようなジジイにはもはや無用のものとなってしまっている。換わりに少し濁っているけど琥珀色に近いイカの煮付けを買って、夕食の采とすることにした。泊りは、今回は上の方にある広くて平らな第2駐車場の方にさせて貰った。急も早めの夕食を済ませ、長い夜を迎える。さて、明日はどうするか。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第6回>

2016-05-21 05:38:34 | くるま旅くらしの話

【今日(5/21)の予定】 

  道の駅:遠野風の丘 →(R340)→(宮古経由)→(R45)→ 道の駅:久慈(泊)

 

【昨日(5/20)のレポート】  天気:晴れ

<行程>

道の駅:遠野風の丘 →(R283・R340・K他)→ 荒川高原牧場 →(K他)→ 早池峰神社(附馬牛地区)→ 江川牧場 →(K・R340・R283)→ 道の駅:遠野風の丘 →(R283・R340他)→ たかむろ水光園 →(R340・R283)→ 道の駅:遠野風の丘 (泊)

<レポート>

 朝2時過ぎに起床。昨日はブログの原稿を書いていなかったため、今朝に持ち越したのだが、なかなかスムースに記事が書けず、書き終えたのは既に日が昇っていた6時近くとなってしまった。4時間近くもかかったことになる。要反省。

 今日もいい天気のようだ。遠野の道の駅は、皆さん働き者で、そうちょうの時過ぎには野菜や苗などを運んでくる農家の軽自動車で賑わっていた。店の開店も8時からと、他所の土地よりも1時間も早い。くるま旅の者には元気を頂けるものとなる。ここは風の丘と名付けられているように、普段から風の通り道となっているようなのだが、昨夜も今朝も風は殆ど無く、敷地の脇に設けられた風車も殆ど動いていない。あまり風の好きでない我々にはありがたい天気が続いていて助かっている。

 今日も一日のんびり過ごす予定で、先ずは重文景(=重要文化的景観)指定の荒川高原牧場に行き、高原の大気を胸一杯吸った後、次は二つある早池峰神社の里宮の内の上附馬牛という地区にある早池峰神社に参拝する予定である。ついでにあわよくば、神社の少し先にある江川牧場へ行ってどぶろくが手に入ればと思ったりしている。あとは特に何も予定はしていない。

 8時半過ぎに道の駅を出発する。附馬牛に行く道の入り口を間違え行き過ぎてしまって引き返したりして、無駄な時間を使ってしまった。元に戻って、途中にある遠野ふるさと村に立ち寄る。ちょっと覗いただけで、中には入らない。直ぐに出発して、途中から右折して荒川沿いの道をどこまでも登ってゆく。道は新緑の燃える樹木たちに包まれており、何とも言えない清新さだ。空気が美味い。30分ほど登り続けて牧場の入口に到着。そのまま走り続けて少し行くと広大な視界が開けて、牧場の本体が現れる。遥か彼方に雪を戴いた早池峰山が見えるのだが、今日はすでに気温が上がっているのか、かすんでいてはっきり見えないのが残念。北海道の山の牧場に勝るとも劣らない広さである。伸び始めた牧草が青々と光り、間もなくやってくる馬や牛たちを待っているのであろう。休憩所も何もない自然のままの牧場なので、途中まで行って引返すことにした。

 ここで疑問が一つ湧いた。前回来た時は桜が咲いていて、道脇にたらの木が点在して、その芽を大量に収穫したのだが、今回はそれらしき牧場脇の場所がどこにも見当たらないのである。それに前回はこれほど広大なスケールの牧場には見えなかったのも不思議である。どうやら前回とは違う道を通って来たらしい。どこで取違えたのかが気になり、引き返して入口近くにある細い道を入って行くことにした。すると、たちまち前回の風景の記憶が戻って来た。どうやら正解は今回の方のようで、前回は牧場の本体を見ていなかったようである。で、タラの芽はどうなっているかと、同じ場所へ行ってみたのだが、もはや芽は消え去って、大きな葉が笑いかけているばかりだった。未だ少しは出遅れた木もあるのではないかと期待したのだが、今年は春の到来がいつもよりも早かったようで、期待は甘すぎたのを実感する。タラの芽の収穫はなしだったけど、牧場の本体を見ることが出来て良かったと満足する。

   

荒川高原牧場の景観。もう草がかなり伸び出している。牧場の広さを撮るのは難しい。遠くに早池峰山が見えるのだが、今日は霞んでいてはっきりしないのが残念。

 荒川高原牧場は遠野市に二つある国指定重文景の内の一つで、その昔東北地方では馬の飼育が盛んだったのだが、この地方では「夏山冬里」と言って、馬の飼育法として冬は里の曲がり屋の中に一緒に住まわせて馬を買い、夏になるとこの荒川高原の牧場に連れて来て放牧飼育を行った、その当時の原形をとどめているの景観がこの牧場なのである。里中の馬が集められて放牧されるさまは、壮観だったのではないか。馬に寄り添うそれぞれの人々の思いなども浮かんで来て、やはりここへ来て良かったなと思った。

 次は早池峰山麓の一つ丘を越えた所にある早池峰神社に向かう。この辺りは附馬牛(つきもうし)と呼ばれる地区で、早池峰神社は上附馬牛にある二つある早池峰神社里宮の一つである。勿論本宮は早池峰山頂ということになる。何年か前にこの神社を訪れた時は、拝殿の屋根が朽ちて下がりかけており、古びた風情を通り越して何とも不気味な感じすら感じさせられたのだったが、今回訪れて見ると、屋根は葺き替えられて一新されており、全く違う雰囲気となっていた。全体的には重厚な雰囲気があり、早池峰の山のこの地方における影響力を代表する神社なのだなと改めて思った。

   

早池峰神社の拝殿。屋根はきれいに葺きかえられており、以前来た時とは雰囲気が全く変わってしまっていた。

 丁度昼時となっている時刻なので、ここでご飯を炊いて昼食にすることにした。境内脇の駐車場には杉の大木の木陰があり、涼風も良く通って、快適だ。このような場所でご飯を食べるのは不謹慎なのかもしれないけど、神様に守られて食べているのだと、勝手に解釈して感謝しながらの食事だった。境内には未だ二輪草などが咲き残っており、小さなお花畑を作っていた。その中には小さな小さなフデリンドウなども点在して咲いており、これはよくよく注意してみていないと見つけにくいものである。今回も相棒の手柄だった。杉やイチイなどの大木の下にひっそりと咲く花には、誰だって愛おしさを感ずるものであろう。癒された時間だった。

   

早池峰神社境内の木立の中の陽だまりに見つけたフデリンドウの一株。小さいながらも懸命にその存在を主張しているかのようだ。

 昼食を終え参詣が終わって、直ぐ近くに江川牧場というのがあり、ここでどぶろくの製造が許可されていると以前TVで見たのを覚えており、行って見ることにした。5分もかからぬ内に着いたのだが、どうやら昼時なので牧場の皆さんは休憩中らしく人のいる雰囲気が感ぜられず、お邪魔するのは控えることにした。この辺りは未だ八重桜が咲き残っており、その他の花も今を盛りに紅白様々な彩りで咲き乱れていた。

 Uターンして遠野の市街地の方に向かう。相棒が来る時に寄ったふるさと村で買い物をしたいというので、もう一度寄ることにした。途中の田園風景といえば、この地方の田植えは植え時が遅いのか、今がその真っ盛りらしく、田植の機械が忙しく働いていた。水を張った水田が、早く植えてくれよとせがむ如くに、おちこちに光を放っていた。一時田植えというのは北に行くほど早いものだと思っていたのだが、この頃は全国どこでもあまり変わらなくなっているように思えた。稲の品種改良が大きく進歩して来ているからなのであろう。そのようなことを想いながらの走行だった。

   

道脇のあちこちにこのような田植えの準備姿が見受けられた。米作り農家にとっては、秋の収穫期に並ぶ大忙しの時期である。

 途中で相棒がどうしてももう一度山口集落にあるデンデラ野を見たいというので、そこへ向かうことにする。デンデラ野というのは、棄老慣習の一つで、この地方ではその昔暮らしの貧しき厳しさのために、働く力の弱まった60歳の還暦を迎えると、このデンデラ野と呼ばれる小さな草叢の広場の片隅にある掘立小屋で、共同生活をしながらあの世からお迎えが来るのを待つという、哀しい習わしがあったという、その現実の場所なのである。この辺一体の昔の様子は、彼の柳田国男の遠の物語にも載っており、それらの話の提供・協力者の佐々木喜善氏の住まいも直ぐ近くにある。この辺りも又重文景に指定されており、如何にも数々の民話が生まれそうな山奥の農村の暮らしを想わせる風景が残っている。

 デンデラ野に来るのは二度目である。小さな坂を登ると展望が開けて、そこが老人たちが共同生活をした草叢であり、その隅の方に「あがりの家」と呼ばれる小さな藁ぶきの掘立小屋が建てられていた。往時であれば、もっと貧しい姿だったのかもしれない。中を覗くと、真中に囲炉裏が切ってあり、そこに鉄瓶一つが掛けられる自在鈎があるだけで、恐らく老人たちはその周りで暖を取りながら否藁や藁の筵(むしろ)の中で、毎夜を送ったのであろう。何とも哀しい、残酷な景観だった。

   

デンデラ野の景観。中央彼方に見えるのはあがりの家の掘立小屋。自分など、往時であればこの小屋の長老格となっているに違いない。否、それまで生きていられるはずがない。

 デンデラ野を見た後は、相棒が温泉に入りたいというので、道の駅案内の情報誌に載っている温泉に行ったのだが、料金とは全く釣り合わない施設なので、止めることにして一度道の駅に戻り、そこでよい施設があれば紹介して頂くことにした。道の駅の案内の方はとても親切丁寧で、先ほど近くを通ったたかむろ水光園というのを紹介して頂いた。早速もう一度そこへ向かって出発する。結果的には超ラッキーで何と金曜日は特別料金で半額なのだという。十二分に満足して入浴を終え、再び道の駅に戻る。今夜もここ泊まりである。昨日よりも空いている感じがした。静かな一夜が送れるようである。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第5回>

2016-05-20 06:13:16 | くるま旅くらしの話

【今日(5/20)の予定】 

  道の駅:遠野風の丘 →(R283・R340・K他)→ 荒川高原牧場 →(K他)→ 早池峰神社(附馬牛地区)→(K・R340・R283)→ 道の駅:遠野風の丘(泊)

 

【昨日(5/19)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

道の駅;東和 →(R283他)→ 宮沢賢治記念館 →(R283他)→ 道の駅:遠野風の丘(泊)

<レポート>

 東和の道の駅には、もう何度もお世話になっている。この道の駅の温泉は疲れを良くとってくれる。近くに釜石からの高速道のICもあり、交通アクセスも便利なところだ。くるま旅の人たたちには人気の場所らしく、昨夜はかなりの泊りの車があったようだ。今朝も天気は上々だ。5時半過ぎまでにはブログの投稿を済ませ、付近の散策に出発する。昨日来た道の反対側の方へ行ってみた。今まで気づかなかったのだが、この町にはJRが走っており、土沢という駅があったのである。昔の岩手軽便鉄道の駅の一つだったとか。彼の宮沢賢治も何度かここを訪れており、銀河鉄道の中にもそのイメージが組み込まれていたのかもしれないなと思ったりした。往時とはもうすっかり様子は変わってしまっているのだろうけど、付近の森などの様子を見ながら、往時の人々の暮らしなどを想った。1時間ほどの散策だったが、この地に一層の愛着のようなものを覚えた。

 朝食を済ませた後、出発の準備をする。今日は先ず近くにある日本一の大きさといわれている重文でもある毘沙門天のある熊野神社に参詣し、その後は比較的近くにある宮沢賢治記念館を訪ねる予定にしている。それが終わったら遠野の道の駅に行って、ゆっくりするだけしか考えていない。かなり余裕のある日程である。

 出発の前に、昨夜から近くに泊っている手づくりのトラック改造の旅車があり、相棒が興味を持っていて、とうとう我慢しきれすに何やら話しかけに出掛けたようだった。しばらくすると相棒から声をかけられたので行って見ると、札幌からの方だった。相棒は北海道の方には格別の親近感があり、盛んに話を発展させてしまっていたようだった。話に加わってしばらく歓談する。今回は九州に入って来られたとのことで、4カ月も旅をされていて、そのうち3カ月は鹿児島エリアで過ごされたとか。先の熊本大地震のことを伺ったら、偶々その時は熊本県内の阿蘇に滞在されていたのを移動されて、大災害を被った益城町から30kmほど離れた所に泊っておられたとか。幸い直接の被害を被ることは無かったものの、地震の凄さ、連続する揺れの多さに平衡感覚を損なわれるほどのショックを覚えられたと話されていた。急ぎ安全ルートを探して脱出されたとのことだった。天災地変は予想できるものではなく、いざという時にどう行動するかの大事さを改めて思い知らされた感があった。手づくりの旅車は、以前は学校給食のパンを運ぶためのトラックだったそうで、それをそのまま使って改造しているので、前方から見ると旅車とは気づかず、普通のトラックそのものなのだった。しかし、ドアと窓が取り付けられた居室は様々な工夫が施されているようで、快適そうな様子だった。何しろ建築の専門家の方とのことなので、アイデアを出すのも作るのも自在なのだろうなと思った。無才の者には羨ましい限りである。20分ほどの楽しい時間だった。

 9時過ぎに出発して熊野神社に向かう。直ぐに階段の下方にある駐車場に到着。以前に来た時はもっと近くに駐車場があったような気がしたが、上に上がる道が細く狭いので不安を覚え、今日は時間に余裕があるので歩いてゆくことにする。ところがこれがなかなかの急坂続きで、300段ほどはあったろうか。自分は毎朝の鍛錬で2000段を上下しているので大したことはないのだが、相棒の方は殆ど歩いていないので、途中で息が上がってしまい、何度も息次の休憩が必要となった。15分ほどかかってようやく鳥居に到着する。

    

熊野神社入り口の鳥居。すぐ近くに駐車場があるのに、階段道を選ぶとは、老人にあらぬ振る舞いだった。

 熊野神社は、当地では三熊野神社とも呼ばれているらしい。重文の毘沙門天は有名だが、この神社にはもう一つ有名な行事がある。それは子泣き相撲というもので、境内につくられた大きな土俵で2歳未満の子供同士が睨み合って(?)、先に泣き出した方が負けという取り組みなのである。まだその本物を見たことはないけど、TVで見た時は、なかなか面白いものだなと思った。

       

子泣き相撲の行われる相撲場。この屋根の下の土俵上で、何組もの小さな子どもたちの平和な戦いが行われる。相棒は泣いた方が勝ちだと言っていた。

 鳥居をくぐって境内に入ると、その子泣き相撲の土俵があり、奥の方に毘沙門天を収蔵する建て屋が見えた。草取りをしている女性がおられて挨拶すると、どうやらその方が毘沙門天見学の受け付けをされる方らしく、ご案内を頂き、入りいろいろ解説して頂くこととなった。毘沙門天を拝観する前に古い覆い堂の方を訪ねる。ここも昨日の金色堂と同じように覆堂が造られており、現在収蔵されているのは、3回目のお堂らしかった。一番奥の新しい覆堂の中に毘沙門天は収まっていた。拝観料500円也を支払って、二度目の拝観となる。今回は付きっきりでその女性から細かく丁寧な解説をして頂いたので、とても判り易く、毘沙門天だけではなく、その他の仏像のことも理解でき勉強になった。

     

毘沙門天像。4mを超す大きな像は、ケヤキの一木で造られているとか。東北の地の守護神として、現在はここにおられて睨みをきかせている。

その後も境内にある巨大なさざれ石などの話を聞き、この地にはさざれ石が多いのだとも伺った。そう言えばあちこちに見かけるのである。又子泣き相撲のことも。これはかなり人気のある行事であるらしく、大勢の参加者があり、一度に一組の取り組みでは処理できなくて、同時に何組もの勝負をこなすとか。一人の子に両親やジジババなどがついて来ているので、境内は人で溢れて、それはそれは賑やかなのだとも話されていた。我が家の孫は上の子はもう出場資格を失っているので、下の孫娘なら出場して優勝出来るかもしれない、などとジジバカの考えが頭をよぎった。参拝を終わり、次の目的地の宮沢賢治記念館に向かう。

 記念館には20分ほどで到着する。ここも来訪は二度目である。小高い山というのか丘というのか、自然林をそのまま生かした広大な敷地のテーマパークといってよい空間が広がっている。さすが岩手県だなと、前回始めて来た時の印象だった。前回も春の季節だったが、今回は少し遅いタイミングで来ている。ここへ来る何よりの楽しみは、自生しているカキランを見ることなのだ。しかし、今回は時期的にどうなのか自信はない。坂を登った広場にある駐車場に車を留め、先ずは賢治も何度も参拝したであろう胡四王神社に参拝する。ここに参拝するのは、その途中の道脇にもしかしたらカキランが見つかるかもしれないという期待があるからである。300mほどの参道には、早や前回見られたイカリ草の花は終わっているようなので、先ずは無理だろうなと思った。胡四王神社は蘇民祭でも知られており、なかなか由緒ある神社で、小規模ながら本殿も風格のある建物である。ここへ来たくなるもう一つの理由は、神社の脇から見渡せる花巻平野というのか、盆地というのか、壮大な眺めである。かつて賢治が教鞭をとった花巻農学校を初め、遠く和賀山の裾の辺りまでの平野の広がりは、賢治の繊細な作品の裏返しのような奥深い宇宙を想わせるようで、楽しい。今回もその景観を胸に吸い込んで、堪能した。

 記念館の他に、ここにはイーハトーブ館というのもあるのだが、そこへ行かなくても前回の経験もあり賢治のことはそれなりに頭に入っているので、観るのは止めることにした。カキランは見つからなかったけど、胡四王神社の帰り道に相棒が小さなギンランを発見して、これも嬉しい気づきだった。この頃は相棒も植生に目が行くようになっており、時々先を越されてしまうのだが、もうそれでいいと思っている。真老には競争意識は無用である。昼食を摂りに駐車場わきにある山猫という名のレストランに入る。賢治の作品の中に「注文の多い料理店」というのがあるけど、このレストランはそれになぞらえて命名されているのか、店内にはその雰囲気が溢れていた。食べた白金豚のカツ丼は、関西風だったのは意外だった。関東者にはこの選択は失敗だった。でも、いい雰囲気で満腹になり満足する。

 食事の後は、駐車場を出て、坂の下にあるもう一つのテーマ広場の童話館の方へ移動する。ここはメルヘンの世界へと大人も子どもも誘ってくれる空間である。広い芝生とその中に舞台が造られ、山裾には小さな流れと池もあって、バスで訪れた保育園のと思しき子どもたちが広場を駆け回り、小さな流れの中で夢中になって声を上げながら水遊びをしていた。老人は、それらの眺めと声を聞きながら、緑の森の中に設えられた木製のベンチに身を横たえ、近くの拡声器から流れてくる賢治の童話作品の朗読を子守唄として、しばらくまどろみの時間を楽しんだ。相棒は忙しくどこかへ行ってしまったようだ。実に気持がよくて、20分以上も眠ってしまったようだ。童話館に来たら是非チャレンジしてみようという老人の夢が実現して十二分に満足する。そのあと、木立の鮮緑の中をゆっくり散策する。途中で少し大きめのギンランの花を見つけて、嬉しくなった。白く輝く花は透き通った銀なのだと思った。賢治の世界に入ると、透明な銀という存在がごく普通に見つかるような気がする。不思議な人である。

    

童話館の林の中に見出したギンランの一株。目立たない存在だが、賢治先生ならギンランの方から話しかけるに違いない。

 話は変わるけど、やっぱり宮沢賢治という人は天才だと思う。同時代を生きたどんな文豪と呼ばれる偉い人たちよりも、人間的に優れた天才ではないか。自分はそう確信している。文学という世界だけではなく、それ以外の実学においても優れた才能を持つ偉大な人物だったように思う。しかし現実には恵まれた環境には無かった。だから彼の持つ才能、エネルギーはその生きている間にはほんのわずかしか発現されていなかったのだと思う。しかし、後世の今まで、そしてこれからも彼の世に表わした才能の成果は、人間は何かをその素晴らしさ、可能性を、ことばの力を通して伝え続けるに違いない。自分はそう思っている。

 童話館で1時間半ほど過ごした後、遠野に向かって出発する。途中道の駅:みやもりに寄り休憩。ここには直ぐ近くにめがね橋と呼ばれるJR釜石線の陸橋があり、鉄道写真マニアには欠かすことの出来ない撮影ポイントとなっている。このめがね橋の景観は、かつて岩手軽便鉄道の時代に宮沢賢治が銀河鉄道を発想する原点となった場所としても有名になっている。今日はあわよくば列車が通ったらカメラに収めようと寄ったのだったが、時刻表を見ると残念ながらあと1時間以上も待たないと上下ともに列車の通過はないということで断念せざるを得なかった。諦めて移動しようと車の外に出ようとしていたら、何と列車が通り始めているではないか。しかもSLがである。何と言うアンラッキーなタイミングなのであろう。相棒の悔しがること、地団駄を踏むかの如くだった。相棒のカメラはでかいので直ぐに撮影できる代物ではない。自分の方はちびカメでかろうじてそれらしきものを1枚撮っただけだった。トンだハプニングだった。あとで聞くと、時々臨時列車や回送列車が走るそうで、今回はどこかの団体が貸切で使ったそうで、一般の人にはその情報は入らないようだ。やむなし。

    

慌てて飛び出して行って、大急ぎで撮ったSLの姿。江になっているようには見えないけど、とにかく写っていて良かった。

 その後は遠野の道の駅:遠野風の丘に向かう。ここも何度もお世話になっている場所だ。一先ず混み具合を確認した後、町中まで買い物に往復する。定着の錨を下ろしたのは15時頃だった。その後は特に何もすることはなく、相棒が道の駅の中をぶらついて買い求めて来た肴の類を、腹の中に早めに収めた方がいいだろうと、超早めの夕食タイムとなし、その後はTVを見るのもやめにして寝床にもぐりこむ。その後、相棒が何をしていたのかは知る由もなし。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第4回>

2016-05-19 05:04:36 | くるま旅くらしの話

【今日(5/19)の予定】 

  道の駅;東和 →(R283他)→ 宮沢賢治記念館 →(R283他)→ 道の駅:遠野風の丘(泊)

 

【昨日(5/18)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

道の駅:厳美渓 → 厳美渓散策 →(R342・K他)→ 中尊寺参詣 →(R4・R283他)→ 道の駅:東和(泊)

<レポート>

 快晴の朝を迎えた。今日からしばらくはこのような天気が続くらしい。ありがたいことではある。このところあまりにも早く寝てしまうためにか、夜中に目覚めて二度寝を余儀なくされるため、浅い眠りの中で碌でもない夢を見てばかりいて、どうも目覚めがすっきりしない。さりとて遅く寝るのも電源の都合等で難しく、とにかく異常な早や寝に馴れるしかない。しかし、快晴の朝を迎えると夜の眠りの悩みは一掃できるのが嬉しい。もし曇りや雨ならば、一日の始まりが鬱陶しくなるに違いない。旅の中では、普段とは違う悩みが生まれるのである。

 今日は当初の予定を少し遅らせた中尊寺参詣をじっくり行うことにしている。その後は移動時間で、今日の泊りは温泉のある花巻市郊外の道の駅:東和を予定している。

朝食の後、すぐ傍にある厳美渓を散策することにする。厳美渓は直ぐ近くを流れる磐井川が川底や川岸の岩石を浸蝕して出来た渓谷美を誇る名所で、彼の伊達政宗公もこよなくこの景観を愛されたとか。川の沿道には彼が植えたという桜並木などがあって、今日でも大勢の観光客が訪れる場所である。道の駅からは歩いて10分ほどでその中心エリアに行くことができる。全部を歩くと少し時間をオーバーしてしまうので、今回は御覧場橋という吊り橋を渡って、もう一つの橋までの散策路を30分ほどかけて歩くにとどめた。渓谷は、今は樹木たちの緑に溢れており、加えて渓流の生み出すマイナスイオンも加わって、何とも言えない爽やかな気分に満たされる時間だった。何枚かの写真を撮りながら、樹木たちと共に至福のひと時を味わう散策だった。

新緑とマイナスイオンに溢れる厳美渓の景観。これは御覧場橋から撮ったもの。

車に戻り、いつものようにゴミやトイレの処理をして、中尊寺に向けて出発したのは9時を少し回った頃だった。中尊寺までは15分足らずである。昨日の毛越寺の前を過ぎて少し行くとR4に入り、それを1kmほど行くと左手に中尊寺の入口の月見坂があり、その脇に駐車場があった。そこに車を留め、早速参詣に向かう。中尊寺にはたくさんの伽藍が残されているのだが、その中で何と言っても世界遺産の中核となっているのは金色堂であろう。これはお寺の本堂などの存在を忘れさすほどに超有名で、ま、日本人なら知らない者はいないというほどである。我々の目的もこの金色堂にあるのだけど、自分的には些かこの建物には抵抗があって、もろ手を挙げて素晴らしいとは賞賛できない。そのような気分で今回も観ることになるのだろなと思いながら、急な月見坂を一歩一歩と足を進める。昨日までの雨で足元が未だぬかるんでおり、歩き難い状況だった。今日はゴールデンウイーク明けの平日であり、観光客は一休みといったところなのか、団体客も少なく、参詣者の大半は我々と同世代の人のようだった。このような急坂をいつまで歩けるのか、もしかしたら今回が最後となるのではないかなどと、真老に身にはあれこれと思いが錯綜する。

とにかく金色堂を見るまでの間にある伽藍の一つ一つをカメラに収めておこうと、時間をかけながらの参詣だった。最後に白山神社の能舞台を見た後、宝物や仏像を収蔵している讃衡蔵を見物し、その後いよいよ金色堂へ。その前に解説のビデオを見ておいて、ぬかりなく黄金や螺鈿細工に彩られた往時の浄土世界の権化とも思われる奥州藤原三代の至宝と謳われる世界を鑑賞する。平安時代においては、本家の藤原一族よりも歴史上にはより大きく名を止める遺産に相応しい、息をのむ世界だった。撮影禁止なので、何だか物足りない感がしたが、これはルールなので致し方ない。その後、移設されて今はガラン堂となっている金色堂覆堂で休む。今はコンクリート製の新しい覆堂の中に金色堂は収まっているけど、それ以前はこの古い建物の中に収まっていたわけである。恒久的保存のためには現在の建物の方が優れているのだとは思うけど、何だかこの古い覆堂の方が金色堂は似合うのではないかと思ったりした。ま、我がままというものであろう。これで参詣の目的は達成。

   

古い覆堂の佇まい。近代に至るまでこの建物が黄金に輝く世界遺産を守り続けて来たのだと思うと、頭が下がる思いがある。守るものは失ってしまったけど、これからはおのれ自身をずーっと守り続けてほしい。

その後はゆるりと坂を下り、途中にある茶店で昼食にそばを食す。杉木立の中の店はそよ風がよく通って、そばの味を層倍にしてくれた。美味だった。満腹の後は再びゆるりと歩を進めて、駐車場に戻る。一息入れて後、近くにある世界遺産センターを覗くことにした。車で2〜3分ほどの距離にあるその建物は、映像や資料等で、藤原三代が栄華に至るまでや、三代のそれぞれの特徴などが解説されており、今迄見て来たものを整理する上で役立った。無料なのもありがたい。時刻は13時頃となっており、これで平泉の世界遺産関係の探訪を終え、あとは今日の泊り予定の花巻市郊外の道の駅:東和を目指すだけ。

R4に入って、ひたすら北上を続ける。奥州市、鐘ヶ崎町、北上市を通過して、花巻市からR283に入って、目的の東和の道の駅に着いたのは15時前だった。日は高く、暑さもかなりのものである。入浴までにはかなり時間があるので、しばらくはカメラのPCへの取り込みやTVなどを見たりして過ごす。16時頃になって相棒が先に温泉に入りに行き、戻ってから交代で今度は自分が。温泉は空いていて、ゆっくりといい湯を楽しむことが出来た。今回の旅のテーマの一つが「ゆっくり・ゆったり」なので、今日はそれにふさわしい過ごし方が出来たのではないかと思った。

すぐ傍にある田んぼでは、蛙たちの合唱が続いていた。相棒は昨夜は良く眠れなかったと、早々に寝床人入り、寝息を立てていた。今日は珍しく22時近くまで起きてブログの下書きなどをして、それを終えて自分も寝床に入る。明日のメインの予定は、直ぐ近くにある宮沢賢治記念館の探訪である。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第3回>

2016-05-18 06:10:15 | くるま旅くらしの話

【今日(5/18)の予定】 

  道の駅:厳美渓 →(R342・K他)→ 中尊寺参詣 →(R4・R283他)→ 道の駅:東和(泊)

 【昨日(5/17)のレポート】 天気:雨

<行程>

長者原SA →(東北道)→ 一関IC →(R342)→ 道の駅:厳美渓)→(R342)→ 毛越寺参詣 →(K・R342)→ 本寺村:骨寺村荘園跡探訪 →(R342)→ 道の駅:厳美渓(泊)

<レポート>

 予報通りの雨となったのは、真夜中の3時頃か。車の中では、天井を叩く雨音で過ぎにそれと気がつく。その後一時止んだのだが、しばらくすると再び雨音がし出し、やがてもはや止まらぬ本降りとなった。昨夜は旅の初日で、自分ではさほど興奮している気分ではないのに、なかなか寝付かれず往生した。350km以上走っているので、疲れて直ぐに眠れると思ったのに、案に相違して眼が冴えてしまい、ああまだ未だ老人にも元気が残っているのを実感したのだった。ものごとは何でも自分の都合のいい方に解釈した方がよい。それでも8時間以上も寝床に横たわっていると、いつの間にか眠りに連れ去られて、目覚めた時には案外すっきりしているのに安心した。

 さて、今日は予定では瀬かい遺産に係わる平泉や一関の名所等をめぐることにしているのだが、この雨ではとても全部をこなすのは無理なので、午後には雨が上がるという予報を信じて、それまでは道の駅:厳美渓で時間を過ごし、その後骨寺村荘園遺跡に移動して、各所を訪ね歩くことにすることにして出発する。平泉の毛越寺と中尊寺は明日に延ばすことにした。かなり余裕のある日程なので、高速道を次の築館ICで下りて、その後は一般道を行くことにした。築館からR4を少し走って給油を済ませ、一関〜R342に入り、道の駅:厳美渓に到着。

雨は一向に止む気配がない。12時近くまで待ったけどこれでは荘園跡の散策は無理かもしれない。昼食の後に取り敢えず雨の中の景色を見に行くことにし、その後で、これ又雨の毛越寺庭園を先に見ることにしようと、予定を変更する。

毛越寺を訪ねるのは、確か三度目だと思うけどここ10年くらいはご無沙汰している感じで印象も朧となりかけている。今日はしっかりとあの平安時代を代表する浄土庭園なるものを鑑賞したいと思っている。道の駅からは10分ほどで直ぐに到着する。着いた頃から雨は止み始め出したようで、傘を持つかどうか迷わされた。拝観料500円也を支払って参詣開始。足元が少し柔らかくて歩き難いのを我慢しながらの参詣となった。広い庭園の周りをゆっくりと一周する。どこが正面なのか良く解らないけど、恐らく南側の方から観た景色が正面の姿となるのであろう。左手の築山の方から右回りに順路に従って歩く。この庭園には豪壮な寺院の建築物が幾つもあったらしいけど、それらのすべては消失したりして、現存する建物も江戸の中期頃に造られたものがあるばかりである。跡地を眺めていても、往時の様子を思い浮かべることはとても無理なようである。それでも池をめぐる景観は、往時としっかりつながっており、往時の人たちが描いたあこがれの浄土というものが、どのような姿をしていたのかは思い描くことが出来るような気がした。池を取り巻くたくさんの樹木たちは、どの樹も新緑に染まって、今の春を存分に喜んでいるかのように見えた。1時間ほどの参詣だったが、今までとは少し違った味わいの時間だった。真老となった自分の心境の変化がもたらすものなのかもしれないなと思った。

    

毛越寺庭園の景観。洲浜と呼ばれる海の景観を模して造られた個所には、海岸から海に突き出た岩石群が並んで造られていた。スケールが大きすぎてチビカメラには収まらない。

 参詣が終わりかけて、最後に入り口近くに描かれていた復元絵を見ていたら、後の方で声がした。新しく訪れた観光客をガイドの人が案内を始めたらしい。復元絵を見ながら、「今はもう建物は何一つ残っていなくて、只この池だけが昔のままに残っているのですよ」というと、観光客の女性が、「あら、成田山に似てるは!」と、すかさずガイドの方が、「そうですね、似ていますね」と相の手を打った。思わず振り返ってしまった。自分にはどこが似ているのか判らなかったが、ま、世の中はこのような理解の仕方で成り立っているのだろうなと思い、何となく楽しくなってしまった。

参詣を終えた頃から青空が見え出し、どうやら予報通りに天の気分は回復に向かったらしい。その後は、骨寺村荘園跡に向かって出発する。途中に達谷屈(たっこくのいわや)というのがあり、磨崖仏が見えたので、ちょっと寄って写真などを撮る。

 骨寺村荘園跡を訪ねるのは3度目である。この荘園は平安時代の奥州藤原氏三代の世には、中尊寺経蔵別当に属する荘園だった所で、今の世には珍しい往時の姿を止める国の重要文化的景観指定の場所なのである。中尊寺や毛越寺時だけが世界遺産に登録されているけど、何故この骨寺村荘園跡がそれに漏れることになるのか、大いなる疑問は最初にここを訪れた時から消えてはいない。歴史遺産であるなら、きらびやかで目立つ物ばかりではなく、それらを蔭で支えて今の時代にまでそれを伝え示している場所を指定しないのは片手落ちというものであろう。決定者の愚かさなのか、はたまた別の思惑があるのか、凡人の自分たちには思うすべもない。自分的にはこれは日本の田舎かの原風景であり、仏像などよりも以上に貴重な景観だと思っており、この辺りを通る時は必ず立ち寄ることを心がけている。

 雨の中の来訪は初めてのことだった。しかし途中から青空が覗き出し、13kmほどを走る間に天気はすっかり回復してしまった。真にラッキーだったのだけど、荘園跡を訪ねる際の基地となっている若神子亭という所が今日は生憎の定休日で、DVD映像などを見ることが出来ない。仕方がないので、現地の中で全体を眺望し易い駒形根神社という所に行くことにした。その直ぐ下に車を止め、早速神社に参拝する。鳥居をくぐって石段を少し登ると、小さな社の建物が、以前のままに鎮座していた。境内からは、杉の枝越しに田植を終わったばかりの水田が、中心を流れる本寺川の両側に広がっていて、射し始めた日の光を浴びて眩しく輝いていた。

     

本寺川左岸の田園風景。この辺りは昔から優れた米穀類の生産地だったようだ。その豊さを感じさせられる景観である。

 参拝を終えてしばらく本寺川の脇道を歩くことにした。道脇にはハルジオンやキンポウゲ、タンポポなどの花が咲き乱れ、花には小さなシジミ蝶が止まって動かなかった。田んぼの中からは春を謳歌する蛙たちの大合唱があちら、こちらか届いてくる。遠くの低い山の裾には幾棟かの家がこんもりと杉などのイグネに囲まれて、まあ、何とのどかな風景なのであろう。これぞ日本国の農村の現風景なのだなと思った。今では、さすがに田んぼを囲む曲線の畔は殆ど無くなり、機械化作業のための水田は規模が大きくなって、往時とはかけ離れた姿とはなっているけど、これは仕方のないことだ。田んぼの畦に生えるハルジオンや西洋タンポポなども千年も昔には決して見られる花ではなかったのだろうけど、これもまた仕方がない。小1時間ほどその田園風景を楽しんだ後、車に戻り帰途に着く。

    

杉などの大木の林でつくられたイグネに囲まれた農家の景観。北と西側にしっかりと栗駒からの寒風を防ぐ手立てが施されている。

 今夜は道の駅:厳美渓にお世話になるつもり。そこに落ち着く前に、買い物に一関のイオンまで行くことにして、泊りの体勢に入ったのは17時頃だった。まだかなり日が高いので、しばらくはラジオなどを聴きながら今日の写真の整理などをする。ここはTVは全くダメで、どういうわけかBSも映らない。こんな時は無理をせずにあっさり諦めるのが肝心、と旅の経験からそう悟っている。

 夕食を済ませ、することも無く今日も早めの就寝となる。明日は午前中に中尊寺などの参詣を済ませ、その後は移動の時間となる。今夜は上手く眠れるか?

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第2回>

2016-05-17 06:46:56 | くるま旅くらしの話

【今日(5/17)の予定】 

  長者原SA →(東北道)→ 一関IC →(R342)→ 道の駅:厳美渓)→(R342)→ 本寺村:骨寺村荘園跡探訪 →(R342・K他)→ 毛越寺庭園探訪 →(K他)→ 中尊寺探訪 →(R4他)→ 道の駅:水沢(泊)

 

【昨日(5/16)のレポート】 天気:曇り

<行程>

自宅 →(R294)→ 道の駅:東山道伊王野 →(R294・R4)→ 二本松IC →(東北道)→ 長者原SA(泊)

<レポート>

 曇天。孫との泣き別れの出発は予想通りだった。少しさびしく、少し嬉しいような妙な気分での旅の出発となった。今日の予定は、移動が中心で、途中福島県の須賀川市にある牡丹園を訪ね、その後は高速道で宮城県の長者原SAまで行き、そこに泊ることにしている。

 まずは出発してしばらくは、茨城県南の田園地帯を走る。隣の常総市は昨年とんでもない洪水禍に見舞われ、大自然のもたらす強大な脅威を思い知らされたのだが、今はその田んぼも殆ど何事も無かったように水を湛えて植えたばかりの苗が風にそよいでいた。しかし、こののどかな風景の裏には、いまだ災害禍からの苦しみを逃れられない人々が大勢いることを忘れてはならないと思った。併せて、今地震の頻発の中で、明日の見通しも立っていない大勢の人々のおられる熊本や大分の人たちのことを思った。この頃の大自然の怒りの大きさは、我々人間どもに対しては特に厳しいものがあるように感じている。

 筑西市を過ぎ、栃木県の真岡市に入る。少し行くと益子焼で有名な益子町を通過する。何台かの観光バスとすれ違ったのは、これから焼き物を見に行くのか、それとも近くにある地酒屋さんの酒蔵見学なのか。春の観光シーズンは今がたけなわなのかなと思いながら通過する。しばらく曲線の多い山間の道を走って、ようやく平地の見える那須烏山市に入る。市街を抜けた後、那珂川が造り出したのであろう平地に、突出して造られている大型のスーパーに寄り、今日の食材等を仕入れる。今夜は豆腐で一杯やって寝るだけの予定でいる。

 その後はしばらく同じような道を走り続けて、那珂川町方大田原市となった黒羽町を通過する。ここは東山道の宿場があり、松尾芭蕉の奥の細道にも載っている場所だ。今頃といえば、鮎の甘露煮などが人々の興味を引くくらいの静かな町のたたずまいである。更に少し走って、道の駅:東山道伊王野に着く。ここで昼食休憩の予定。

 この道の駅には大きな水車があり、それを使って蕎麦粉を挽いているのだが、地元の人たちがその蕎麦粉を手打ちで作る、その名も水車そばという一品は、名物の一つとなっており、今日もそれを楽しみにここにやって来ている人が大勢いた。我々も早速店の中に入り、その水車そばをオーダーする。出来上がるまでのしばらく待つ間は、そば打ちの人の様子や巨大な水車を眺めたりして飽きない。村の水車という唱歌などを思いだしたりするのだが、恐らくこんなに大きな水車のある村はその当時はどこにもなかったのではないか。そのような他愛もないことを想っている内に蕎麦がやって来た。一言。美味なり。

 時刻は13時近くになっていた。ここから今日のメイン訪問先の須賀川牡丹園までは1時間半くらいかかりそうだ。園内を見物するには最低でも1時間以上必要なのを考えると、終わるのは16時近くとなってしまいそうだ。これじゃあ、高速道に乗ってもかなり遅い到着になってしまう。しばらく迷ったのだが、結局今回の須賀川牡丹園の訪問は断念することにし、明日の世界遺産の平泉エリア探訪を優先させることにした。

 となると、あとはひたすら走るだけということになり、伊王野を出てからは白河市からR4に入り、当初の予定の東北道須賀川ICをパスし、しばらくR4を走り続けて、二本松市まで来て、ここのICから東北道に入る。その後はときどきSAやPAに寄りながら目的の長者原SAに着いたのは17時頃だった。途中の高速道からの眺めで目立ったのは、藤の花と桐の花の紫だった。桐の方は数が少なかったが、藤の花は樹木を無視するかのように山を覆っている箇所が幾つかあり、守谷市辺りからは1カ月以上は遅いと思われる東北の春を感じたのだった。薄曇りで光が足りないせいなのか、紫の鮮やかさが少し褪せて見えるのが残念だった。でも、単調な運転作業の世界からは、ありがたく嬉しい景観だった。

 ここに泊ることにしたのは、明日一関ICで下りて骨寺村荘園跡に向かう際に、高速道では一番近いSAだからである。それに一夜を過ごせば通行料が夜間を経過したことになり、30%割引になるというセコイ考えもある。17時はまだ寝るには早過ぎる時間であり、しばらく大相撲のラジオの実況を聴く。稀勢の里が横綱になれない大関を脱却してくれるのを願いながら聴いていたのだが、どうやら今場所からは、悪い気持の虫を退治したようなので、軽く豪栄道をさばいて全勝を守ったので安堵した。TVの方は、地デジのNHKが入らない。相撲が終わって、しばらくBSを見ながら早い夕食を済ます。20時少し前寝床に入り、旅の初日の長い夜を迎える。

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‘16年 東北春短か旅 レポート <第1回>

2016-05-16 05:50:38 | くるま旅くらしの話

【今日(5/16)の予定】 

  自宅 →(R294)→ 道の駅:東山道伊王野 →(R294・R4他)→ 須賀川牡丹園 →(R118・R4)→ 須賀川IC →(東北道)→ 長者原IC(泊)

 

【旅に出る前に】     

昨年の秋に熊野古道跡などを訪ねる旅をして以来、今年になってからは、近場に入るのであろう滝桜の姿を見に出かけただけで、それ以外はせいぜい半径60km圏の中をうろうろするばかりの暮らしが続いた。くるま旅という病が取り付いてしまっているので、半年近くも同じ環境に閉鎖されてしまっていると、どうも落ち着かなくなってくる。こんなことをしている内に我々の人生は終わりを迎えてしまうのではないか。大げさにいえば、そのような気持ちにもなるのである。そのような閉塞状態をほんの少し打破させて頂こうと、東北の春を訪ねる旅を決心した。東北ならば一旦何か事が起きても1日の内には帰宅が可能だからである。ま、そのような内情を抱えている昨今なのである。

今回の旅を考えるに当って、相棒に何かテーマや目的のようなものはないかと訊いたら、ただ、ゆっくりしたいとの回答だった。これは難しいテーマである。特に短期間の旅では、ゆっくりするというのはあまり動き回らないとことを必要条件をして考えなければならないから、訪問先を欲張ってはならないということになる。それで、いろいろ考えた結果、3週間の予定期間の内2週間分だけはしっかり行程計画を決め、残りの1週間は予備日とすることにした。これだと、気にいった場所で長居をすることもでき、ゆっくり感が味わえるのではないか。そう思った。

隣の福島県から出発して、東北各県の海側や山側の春の息吹を存分に吸い込んで来ようと思っている。老がますます身近になった身では、東北の春の味わいは、我々に大いに元気の素を恵んでくれるに違いない。さて、どのような出会いが待っているのか楽しみである。

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短い東北の春旅に出かける予定です

2016-05-14 04:24:21 | くるま旅くらしの話

 このところブログに書くネタも無く、くるま旅をテーマにしているブログなのに旅に出てもおらず、何だか停滞しているなという感じで毎日を過ごしています。残り少ない人生なのだから、今できることを目一杯行って、悔いのないように生きようとは思うものの、どっこい、なかなかそうはさせてくれないのが現実の浮世というものらしいです。

 しかし、このまま停滞の日々を暮らすのにも飽きが来ており、ほんの短い期間ですが、東北の春を訪ねて一回りしてくることにしました。簡単な行程プランを描くに当って、相棒に「何か特別な思いなどないか?」と訊いたら、返事は「ただのんびりしたい」とのことでした。自分から見れば、相棒は毎日のんびり過ごしているように見えるのですが、本人の立場ではどうやらそうではないようです。

 ということで、「のんびり過ごす」のを今回の旅のテーマとして考えて見ましたが、なかなか難しいことで、特に短期間の旅では無理ではないかと思います。とりあえず、次のような行程の中で「のんびり」を発見できればいいなと考えています。

 <2016年 東北春の旅の概略行程>

 *第1日(出発日):5月16日(月)

自宅 → 須賀川牡丹園(福島県須賀川市)→ 東北道:長者原SA(泊)

*第2日:5月17日(火)

長者原SA → 骨寺村荘園跡探訪(重文景)(岩手県一関市) → 毛越寺参詣(世界遺産)(平泉町)→ 中尊寺参詣(世界遺産)(平泉町)→ 道の駅:水沢(奥州市)(泊)

*第3日:5月18日(水)

 道の駅:水沢 → 宮沢賢治記念館観覧(花巻市) → 道の駅:遠野風の丘(遠野市)(泊)

*第4日:5月19日(木)

道の駅:遠野風の丘 → 荒川高原牧場(重文景)(遠野市)→ 早池峰神社(遠野市)→ 道の駅:遠野風の丘(泊)

*第5日:5月20日(金)

 道の駅:遠野風の丘 → 御所野遺跡探訪(岩手県一戸町) → 道の駅:おりつめ(岩手県九戸村)(泊)

*第6日:5月21日(土)

 道の駅:おりつめ →(八戸市・七戸町・十和田市の道の駅などに寄る)→ 道の駅:奥入瀬(青森県十和田市)(泊)

*第7日:5月22日(日)

 道の駅:奥入瀬 → 奥入瀬渓流・石ヶ戸(奥入瀬渓流散策)→ 温湯温泉(青森県黒石市)→ 道の駅:いなかだて(青森県田舎館村)(泊)

*第8日:5月23日(月)

 道の駅:いなかだて → 岩木山神社参拝 →(岩木山麓アップルライン一周)→ 道の駅:鹿角(秋田県鹿角市)(泊)

*第9日:5月24日(火)

 道の駅:鹿角 → 乳頭温泉:黒湯(秋田県仙北市)→ 道の駅:なかせん(秋田県大仙市)(泊)

*第10日:5月25日(水)

 道の駅:なかせん → 角館町:武家屋敷等の散策(重伝建)(秋田県仙北市)→ 道の駅:東由利(秋田県由利本庄市)(泊)

*第11日:5月26日(木)

 道の駅:東由利 → 中島台レクリエーションの森(あがりこ大王に挨拶)→ 道の駅:象潟(秋田県にかほ市)(泊)

*第12日:5月27日(金)

 道の駅:象潟 →(日本海側を通過)→ 道の駅:関川(新潟県関川村)(泊)

*第13日5月28日(土)

 道の駅:関川 →(米沢市街経由)→ 道の駅:喜多の郷(福島県喜多方市)(泊)

*第14日(帰着日):5月29日(日)

 道の駅:喜多の郷 → 自宅   

 ざっとまあ、以上のような行程を考えて見ました。出発と帰着予定日の他は、主な訪問先などを書いていますが、実際はその時の状況で大幅に予定を変更するやもしれず、当てにならない計画表です。行き当りばったりとも行きませんので、一応紹介させて頂きました。

あと二日後の出発ですが、さて、どんな道中となるのか。楽しみです。これで今までの停滞感を拭い去って、「喝!」を入れることが出来ればいいなと思っています。いつものように、旅の間の様子はブログで紹介させて頂こうと思っています。では。 馬骨拝

 

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