7.老人各世代の特徴と課題
(1)準老世代(65歳まで)【生きているのは当たり前の感覚の時期】
[特徴]
一般的に還暦を過ぎると老の世界に踏み込むと考えられているが、今の時代はサラリーマンの定年は60歳を超える傾向にあり、国民年金の支給もその開始が65歳となった。それゆえ、未だ現役で活躍している人も多く、65歳の頃までは自分を老人と認識している人は少ない。
この世代の特徴的なこととしては、心理的な面では「老」を意識している部分はわずかであり、現実の中では殆どが「老」とは係わりなく生きていると考えており、したがってまだ老人とは言えず、老人に準ずる世代である。
身体的な面に関しては、時に多少の衰えを感ずることがあるものの、そのために自信をなくすというほどではなく、まだまだ体力も大丈夫との認識の中にいる。但し、生活習慣病などの病に係わる人の多い世代でもあり、それらの病などが引き金となって、体力を損傷・減退する人も多くなりはじめる。
[課題]
老に準ずる世代であると共に老に対する準備をする世代でもあり、現役をリタイアした後の老計・死計をしっかり確立することが肝要。
(2)順老世代(65歳~75歳)【生きる難しさに気づく時期】
[特徴]
65歳を過ぎると、多くの人が現役を退いての暮らしに移ってゆくことになる。当初は戸惑いながらも、仕事を抜きにした暮らしの中で、次第に老が身近になってくるのを様々な場面で実感するようになり、やがてそれを思い知らされ、次第に馴れるようになる。
心理面では、古希を迎える辺りまでは、高齢者呼ばわりされることには抵抗があり、なかなか素直に老を認める気にはなれないのだが、75歳に近づくにつれて己の老を認め、それに従わざるを得ないことを実感するようになる。
身体的な面では、身体のいろいろな部分が己の意思どおりには動かなくなって来ているのを実感するようになり、やがて老の身体になってゆくのを認めざるを得なくなり、それに従うことを決意せざるを得なくなる
[課題]
老の準備期間中に立てた「老計」を具体的な目標(指標)を決めるなどして、着実に実践することが求められる。死計は老計の中にあり、この時期の老計の実践が無いと死計は成り立たない。(死計は老計の中にあり)
(3)真老世代(75歳~85歳)【生きながらえる難しさに気づく時期】
[特徴]
75歳辺りになると、日々の暮らしは完全に毎日が休日となり、自ら何らかの目標や計画を持たない限り、その休日の中に埋没してしまうこととなる。時間の流れのままに無為に過ごす環境こそが真の老人の置かれる状況であり、老計の実践が強く問われる世代である。
この世代の精神面の特徴としては、老に馴れて逆らわず、穏やかさが増すけれど、時に生き長らえる難しさに気づいて、抵抗と諦念が錯綜する。
身体的な面では、体力も様々な運動能力も明らかに減退しているのを否応なしに思い知らされる。もはや無理の利かない身体となっていることを自覚しながらの暮らしとなる。
[課題]
老計のきめ細かな見直しと日々の実践の積み上げが求められる。それによって、活き活きと生きる日々がどれくらい実現できているかが、死計に直結することになる。
(4)深老世代(85~95歳)【生かされていることに気づく時期】
[特徴]
85歳を過ぎる頃になると、生きることへの執着も次第に薄れて来て、生きるという意識よりも生かされているという受け止め方が次第に強くなりだす。生かされていることへの感謝の気持ちが少しずつ高まり出す。
身体的には、運動能力の減退は一層進んで、自力で自己を保全することを、より一層心掛ける必要が増す。これを怠ると、次の世代まで進むことが困難となる。
[課題]
生かされているという認識のもとに、感謝の思いを込めた余生を楽しむための具体的目標を幾つか用意することが必要となる。無為無策では生かされているという恵を享受することはできない。
(5)超老世代(95歳~)【生かされているのを楽しむ感覚】
[特徴]
95歳を超えて尚心身の健康が確保されている場合は、もはや「老」などにこだわることはなくなり、生死に捉われることも薄れるようになり、日々が自然体の生き方となる。
[課題]
もはや格別の課題など無く、自然体のままに日々を送るのみである。
8.おわりに(老を5世代に分けて考える意味)
ここでもう一度「老」を5世代に分けて考える意味について強調しておきたいと思います。還暦の60歳を一応の老世代の始まりと考えますと、例えば、超老世代の100歳までには、40年という長い歳月が控えています。これは20歳で就職したと仮定した場合の、還暦に至る40年という歳月にほぼ匹敵する長さとなります。この長い期間をたった2区分の高齢者と後期高齢者などという荒っぽい分け方で考えて対処していいものなのかと思うのです。社会的な視点で見た場合、よりきめの細かな老世代への施策を考えるためにも、2区分以上の世代区分が不可欠であり、それを5世代に分けてしかるべきではないかと思うのです。
国家、或いは自治体の行政は、例えば現在行われている敬老会のような半端なごますり的行事などではなく、5区分された各世代にとってより価値のある施策をきめ細かに行うことが大切だと考えます。例えば現在行われている敬老会などは、老人を祝い慰める内容のものが殆どですが、そのような気休め的なものではなく、各老世代の人たちが、今をよりよく生きるために必要とする情報や方法などを提供、啓蒙するようなものでなければならず、それは例えば、対象者を10年ごとに区切って開催されるようなものでなければならないと思うのです。
また、個人の立場においても、自分自身の生き方を考えるに当って、「とうとう、高齢者の仲間入りしたか」、とか「いよいよ後期高齢者となってしまった」とかの荒っぽい感慨で済ませるのではなく、5区分の流れと位置付けに従って、それぞれの時点で思いを新たにすることが、老世代としての社会的責任である「加齢につれてそれに相応しい健康を確保し、活き活きと生きることにチャレンジしなければならない」の実践に取り組むことが可能となるのです。
このように、老の世代を5区分することには、大きな意味と意義があることを強調して、一先ず終わりにしたいと思います。