昨日節分が終わって、早くも今日は立春となった。今年の10分の1近くが過ぎようとしている。まさに光陰矢のごとしである。特に老の世界に入ってからの時間は、加速度的に早やまっているような気がする。若い頃には「あと何回桜が観られるのかな?」などという老人の独り言を、それなりに理解したつもりで同情などしていたのだが、今、この歳になると生きている喜びが、死への恐怖や虚しさと綯い交ざって実感できるのである。
私の小さな書斎には、東京の小平市在住時代に頂戴した、平櫛田中翁(彫刻家で小平市にその記念館がある)の書かれた色紙が、壁の上の方に飾ってある。それには「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」と書かれている。田中(でんちゅう)翁98歳の時の揮毫である。予備校の何とか先生が「今でショ」と話したセリフが有名になる遙か前に書かれたものである。予備校の先生は塾の受講生の若者に向かって話したのだと思うけど、この揮毫のことばは、田中先生が間もなく白寿を迎える時に書かれたものなのだ。田中先生は108歳で天寿を全うされたのだが、このことばには、彫刻の真髄を極めた人の、生き方に対する熱い思いと信念が籠められている。
時々それを眩しく見上げながら、ああ、俺がこれからできるのは、この半分だけだな、と思うようになっている。「わしがやらねばたれがやる」という気概は最早どこかに去ってしまっている。残っているのは、「いまやらねばいつできる」という思いであり、せめて今出来ることを明日に延ばすのは止めようという思いだけだ。もはや先延ばしの許されない世代に入り込んでしまっているのだ。何もせずに先送りしている内に、気がつけばこの世の籍が消えているということになりかねない。
しかしまあ、生きている現実というのは何という愚かさ含みなのであろうか。今やれることを、やるべきことをやると言いながら、実際にやっていることと言えば、「いま、これを食べておかなければ、もう二度と食べられない」とか「今この酒を買わなければ、二度と飲むチャンスはないだろう」とか、真に低レベルの己に好都合の判断と行動ばかりなのである。つまりは田中先生のことばの残りの半分にも届いていないという生きざまなのだ。
77回目の立春を迎えたとき、田中先生にはあと30年の生きる時間が残っていたことになるのだが、恐らく現実の先生は、それ以上の無限とも言える時間が残っているとお考えだったに違いない。残りの時間を数えているような「今」は存在しなかったのではないか。それに比べる我が現実の貧しさを思いながら、この真老も77回目の立春を迎えたのであった。
いつものように早朝の歩行鍛錬の途中、明るくなりだした道の脇に白梅が香りを漂わせているのに気がついた。この季節に相応しい梅花である。どうにか句をこじつけた。
時を今わずかに緩め梅咲けり 馬骨
真老の白梅に深き思いかな 馬骨