山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

視力と眼力

2018-03-02 10:53:02 | つぶやき

 先日税務申告で税務署に行った時のことである。説明を受けるのは自分ではなく家内の方だと思っていたら、そのようなことは知らない担当者の方が、自分に向かって説明を始めて、その内に用紙への記入をする羽目になった。言われたとおりに書けばいいのだからどうってことはないのだが、書こうと思っても書類が良く見えなくて、ものすごく書き難いのである。所有の眼鏡をかけても判然としないのだ。尤もその眼鏡は20年も前に作ったものだから、適切でないのは明らかなのである。この状態には困惑した。直ぐに家内に代わって貰って、担当の方も説明の相手を間違えていたことに気づいたようだった。

 とまあ、そのような経緯があって、こりゃあこのままでは具合が悪いぞと改めて思い知らされた。自分は眼鏡が嫌いで、老眼になっても可能な限り掛けないようにしている。そうは言っても、必要な場合は止むを得ない。強い日差しに対してはサングラスを、又寝る前などに本を読む時には老眼鏡を使用している。しかし、百均で買ったような、かなりいい加減なものを使っているので、目にとってそれでいいのかは解らない。

今回の出来事で、これはもはや覚悟して専門の眼科医に出向いて、現在の目の状態をよく見て貰い、適切な眼鏡などを用意なければならないなと思った。

 で、早速翌日に受診することにした。予約をしないで行ったせいなのか、ものすごく長い待ち時間に少々腹が立って、止めて帰ろうとしていたら、すかさず名前を呼ばれての診察となった。まったく、病院や医院での長時間の待ちは、別の病を引き出しかねないなと思うほどだ。診察の結果は、眼鏡どころではなく、別の対応が必要なものだった。

二つの問題を指摘された。その一は、白内障の兆候があり、これが夕方など暗い場所での視力を低下させている最大の要因とのこと。もう一つは、瞳孔を開いての眼底検査の結果、網膜の奥の方の血管からの出血も見られるので要注意とのことである。特に白内障については、この歳でこのレベルは不思議なくらいで、65歳を過ぎて白内障になっていないのはおかしいというような先生の話しぶりだった。

白内障については、ある程度予想していたことであり、驚くほどのことではない。ではどんなタイミングで手術を受ければいいのかと訊いたら、それは貴方の判断次第だとのこと。要するに今直ぐ手術しても1~2年先に手術しても結果的には大して変わらないので、自分で何時手術をするかを決めればいいということである。何だかいい加減な様な、又理屈に叶った話だなと思った。取り敢えず今年は手術はしないと心に決めた。

 厄介なのは糖尿病との関係である。この病の三大合併症の中に目の網膜の毛細血管のダメージがあることは知っているのだが、今まで通っている糖尿病専門医の所でも定期的に眼底検査を受けており、特に異常はないと聞いている。しかしこの眼科専門医の話では、それは瞳孔を開いての検査ではないので、奥の方まで精査できないレベルなのだという。これは、今回初めて指摘されたことだった。この対策としては、要するに平時を含めての血糖値を下げることしかないとのこと。これからも一層厳しい節制が必要となる。

この二つの結果から、今の自分の目の状況は、眼鏡の話などではないということを理解した。視力そのものを失ってしまったら元も子も無くなるのである。 

ということで、税務署で気づいた視力低下の問題は、とんだ方向へと転化したのである。眼鏡を考える前に、白内障対応と糖尿病の血糖値対策を充実させることが肝要という話となった次第。

ま、ある程度は予想していたこととはいえ、それが当たったと喜んでいる場合ではない。この先、読むことも書くことも自分にとっては生きて行く上での生命線のようなものだから、改めて視力の確保に留意する覚悟をした次第である。その上で、取り敢えずのピントを合わせる用具としての眼鏡のことも考えることにした。

老というのはある意味で哀しく残酷なものである。身体能力の衰えはある程度覚悟できても、それが視力の喪失などということに至ったら、生きがいもやりがいもいっぺんに失ってしまうことになる。改めてことの重大性を思い知らされた次第である。

同時に目については、もう一つの力は何としても、絶対に失ってはならないと思った。それは眼力である。これは老の退化現象とは無関係で無ければならない。どんなに視力が衰え出しても眼力の方は決して衰えさせないことが大事だ。このことにも改めて気づかされた。この後も眼力を高めて、死ぬる時期を予知、予告できるレベルに至るまで持って行かなければならない。そう思ったのだった。


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