山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

コッチャコイたちの季節の到来

2014-03-25 01:45:06 | 宵宵妄話

 春の到来を知るのにはいろいろな徴(しるし)があると思いますが、耳からそれを感じるものとしては、守谷市に住んでからはウグイスとコジュケイという鳥たちの鳴き声が一番です。この二つの鳥たちは、冬の間は滅多に鳴き声を聞かせてくれません。ウグイスなどは寒さに声変わりしてしまうのか、似ても似つかない雀にも劣るような枯れた声になってしまいますし、コジュケイも藪の中で何をしているやら、さっぱり判りません。

 先週の終わり頃から、ウグイスとコジュケイの鳴き声を耳にするようになりました。早朝の6時頃には歩きに出発するのですが、つくばエクスプレスの基地の横を通る頃には、付近の林の中からコジュケイの鳴く声が届き、その向こうの方の林の方からはウグイスの鳴き声が聞こえてきます。この鳥たちの声を聞くと、ああ、本物の春が到来したのだな、と思うのです。

 ところで、この鳥たちがどのような声を上げるのか、ご存知でしょうか?勿論ウグイスならば、「ホーホケキョ」は知らない筈はありません。ウグイスの鳴き声は、数ある小鳥たちの中でもカナリアとトップを競うほどの美声のように思います。カナリアの優しいエレガントな鳴き声に対して、ウグイスの鳴き声には凛々しい力強さがあるように思います。カナリアは西洋を代表し、ウグイスは東洋を代表する鳴き声ではないか、などと勝手に思い込んでいます。でも、広い世界には、もっと優雅な美声を持つ小鳥がいるのかも知れません。

 さて、もう一つのコジュケイの方ですが、もしかしたらそのような鳥の名前を聞いたことがないという方も多いのかもしれません。先ず、都会化された場所には絶対といっていいほど棲めない鳥でしょうし、奥深い山や高山などにも住んでいるというのを聞いたことがありません。だから、都会で生まれ育った方には、知らないのは当然ということでありましょう。そこで、少し丁寧にこの鳥を紹介することにします。鳥の名を漢字で書くと、小綬鶏となります。綬というのは、紐(ひも)という意味ですから、小綬鶏を直訳すると、「鶏に似た小さな鳥で紐のように連なって暮らしている」ということになるのかもしれません。実際にその姿や暮らしぶりを見ると、確かに鶏(にわとり)風の容姿をしています。大きさはチャボを一回り小さくした感じでしょうか。林や藪の中に家族らしき団体で暮しているようです。春が深まる頃には、子どもたちを引き連れた親が、道端に出て来て動き回っているのを垣間見ることが出来るのですが、カメラを向ける隙を与えてくれないのが残念です。春になると、子連れのカルガモたちの話題が聞かれますが、コジュケイはあの陸上版だと思えばいいように思います。残念ながら陸上は水の上よりも危険らしく、その微笑ましい姿を見ることが困難です。

 各自治体では、市の鳥・花・木などを定めているようですが、守谷市の場合は、市の鳥がコジュケイ、花がヤマユリ、木は松となっています。コジュケイが市の鳥となっている自治体が他にあるのかわかりませんが、恐らく無いのではないかと思われます。守谷市は都心から40kmほどの距離ですが、市の名称の由来が、その昔ヤマトタケルが蝦夷征伐か何かの途中でこの地に立ち寄った際に、周辺に森が広がっているのを見て、思わず「モリヤ~」と声を発したことによるという様な事が市の紹介のページに書かれていますから、古来樹木の多い緑豊かな土地であったということなのでしょう。その森の中で、家族が一段となって暮して来た鳥の中にコジュケイがいたということになるようです。今は、その森もかなり少なくなってきていて、コジュケイたちも棲む場所を追われつつあるように感じています。このごろは、高速道脇の林の中だとか、小貝川の川淵の藪の中などに棲むのが多いようで、民家の屋敷林などには殆ど棲まなくなってきているようです。

 かなり回り道をしましたが、今日の本題はそのコジュケイの鳴き声の話です。身近に棲む鳥たちの中で、声の大きい鳥といえば、鶏の時をつく声、カラスの騒ぎ声、雉の飛び出す時の一発、ヒヨドリの甲高い声、ムクドリの団体のざわめき、キジバトの眠そうなだみ声等などいろいろありますが、コジュケイはそのどれとも違う、けたたましき奇声です。何やらむずむずとケ、ケ、ケ、ケ、コ、コ、コ、コなどと言っていたと思ったら、突然「コッチャコイ!」と喚(わめ)きだし、それが一度だけではなく、何度も何度も「コッチャコイ!コッチャコイ!」と喚き続けるのです。これはかなりインパクトのある鳴き方で、遠くからでもその存在を知ることができます。

 春になると、森や林の藪の中で、その賑やかな声を聞くことが出来るのですが、鳴いているのは雄の方で、警戒心というよりも恋の季節の戦いの始まりといった塩梅なのかもしれません。とにかくけたたましいので、その声に惹かれるのか、小貝川の堤防を歩いている時などは、川淵の篠藪の中からウグイスが「ホ――コッチャコイ」などと鳴いているのを耳にすることがあります。あまりに強烈な鳴き方なので、ウグイスたちもつい真似してみたくなるのかもしれません。

 それにしても、なぜ「コッチャコイ」などと騒ぎ立てるのか。変な奴らだなと思わずにはいられません。しかも、ウグイスまでがそれを真似るとは!もしかしたら、この鳴き声は、鳥たちだけではなく、人間にも共通の思いを告げる悲痛な鳴き声なのかも。しかしまあ、「コッチャコイ!」というのは、如何に関西流でもちょっと強引で乱暴な声のように思えますが。

今年は春の到来が遅いのかと案じていたのですが、ここ数日来コッチャコイたちの声を耳にするようになって、ああ、もう大丈夫だと思うと一緒に、今度は又また暑い夏が思われて、まあ、老人という奴は、何と嘆きにとらわれやすいものなのかと、自己嫌悪を感じたりしているのであります。


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