山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

老眼を実感する

2017-10-15 23:20:42 | つぶやき

 目が良いというのにちょっぴり自信があった。目が良いというのは目の格好がいいというのでは無く、勿論視力が良いということである。60代くらいまでは、左右とも1.0~1.2を確保してきた。周囲の同世代では殆どが老眼となって、専用の眼鏡を必要としているのに、どういうわけか自分だけはあまりその必要を感じなかった。遠視が問題となる頃から近視となり出し、それらが上手くバランスしたのか、あまり眼鏡をかける必要がなかったのである。一応50代の終わり頃に老眼向けの眼鏡は作っているのだけど、それを使うことは殆ど無かったのである。ただ、70歳が近づく頃には、夜寝る前には必ず何らかの本を読むので、その際にはさすがに眼鏡は必要となった。あまり明るくすると、隣りの相棒に迷惑をかけるので、減光しなければならないため必要だったのだが、それでも裸眼でも本を読むのが可能だった。

 それが喜寿を迎えるこの頃は、急速に視力が落ちて、先日の糖尿病の定期診断の際の視力検査では、左右とも0.6ほどのレベルとなってしまった。それに毎夜の寝る前の読書の際も老眼鏡は不可欠の用具となっている。ここへ来て初めて老眼とは何かというのを思い知らされている。このままどんどん視力が低下して行くとは思いたく無いけど、くるま旅を88歳迄は続行したいと願っている身には、どこかで歯止めを掛けなければならないと考えている。

 視力を回復するためにどんな方法があるのか。医療の厄介にならずに何とか実現したいと思ったりしたのだが、これは筋力や心肺機能などとは違って、鍛えるというやり方では不可能なようである。サプリメントなどの活用法もあるとは思うけど、あの類は端から信用していないので、とりいれる考えはない。ブルベーリーやアントシアニンを体内に取り込めば目が良くなるなどという話は眉唾物だと思っている。

 ところで老眼というのは一体どういうことなのだろうか。自分なりに考えてみると、これはどうやら目が光を感知し映像をとり入れる力が弱って来ている証の様な気がする。長年使って来ているレンズ(=水晶体)が疲労して曇りだし、光を感知するのが鈍り出したのであろうし、その情報を受け止める神経や脳の機能も衰え出したということなのであろう。老眼というと遠視が進むことかと思っていたけど、どうやらそのような単純な機能低下現象ではなさそうだ。

 ということで、お手上げ状態でいる。取り敢えずは目医者に行ってしっかり検査して貰い、アドバイスに基づいて最適の対策をとるしかあるまい。そう思いつつも、なかなか目医者に行く気になれないのはどういうことなのだろうか。老というのは真に厄介な、得体の知れないものだなと、この頃改めてそれを実感している。

 夜空を見上げたり、遠くを見たりするのが目に良いのだと聞くけれど、見上げる夜空に星は無く、遠くを見ても視界を邪魔する建物ばかりが目立つだけで、これじゃあ老人は救われないなと、一先ずを愚痴を言うだけである。


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