さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

トイレが怖い・・・

2009年11月13日 13時21分01秒 | Web log
今朝、寝起きにトイレに行った。

いつもスリッパを履いているのだけれど
今朝はぼぉーっとしていたので、裸足だった。

なんか、足の裏が・・・・



タイルに転々と『水』がこぼれたような跡が。



でも、赤い!!!!まさか、血尿?



あ、そういえば、ジョナサン、Icy Pole(ジュースを冷凍庫で固めたやつ)
を持ってトイレに篭ってたっけ。

よかった、ジュースで・・・・・

男の子を持つまで、男の子がこんなにもトイレを汚すって
知らなかった。

ちゃんと最後まで振ってくれないので、しまうときに
ぽたぽたと床にこぼすのです。

1日に何度、床をふくかわかりません。

ベンジャミンは、便座を上げ忘れて、便座におち○ちんを
乗っけてすることがあるので、床にいっきにこぼれおちる
ことがあります。

洪水状態です。そして、誰も報告してくれません。

わたしが行って、初めて事の次第に気付くのです。

ひぇ~~です。

でも幸い、こういうことを予想してか、なんでか、
トイレに排水溝があるのです。

洪水状態になったときは、水を撒いて一気に
洗い流せるので、ちょっと便利です。

子供たちがトイレに行った後は、
十分チェックです。

恐山に結ばれる思い

2009年11月11日 14時31分14秒 | Web log
恐山へのお参りが増える時期、「賽の河原」と称される
岩場の参道の一角に、枝という枝、幹という幹に
ビッシリ、手ぬぐいやタオルが結び付けられた
ところが現れるのです。

<中略>

恐山も夏は暑い。30度くらいにはなるわけです。
すると、あの世へ旅する、あるいはあの世からやってくる
祖先の霊、懐かしい人の霊も暑かろう。
暑ければ汗もかくだろう、というわけで、その汗を拭って
もらおうと、手ぬぐいやタオルを供養する、
というわけなのです。

(恐山あれこれ日記より、抜粋)

無神論者はこういうことをアホ臭いと思うだろうし、
宗教的に立場が違えば、否定的な見解を持つことだろう。

私個人的な感想を言わせてもらえば、ちょっと不気味な
感じがする。なんというか、そうすることで、死者の霊
の存在を現実世界にあるものとして、完全に肯定している
ような気がするから。

ま、本来、恐山というのはそういう場所なのかもしれませんが。

わたしとしては、亡くなった身内、親しい人なら、ぜひとも会いたい、
怖くもなんともない。

でも、何も関係のない他人の霊には全然会いたくない。

そんなもんです。

マイクに聞いたら、そういうものはイギリスには
存在しないと思うと言っていた。
もちろんキリスト教プロテスタントが主流だから、
根本的に死生観が違う。

でも、わたしが知らないところにそういうところが
あるのかもしれません。

とくにカトリックが主流の国とかなら。

カトリックは土着信仰を巧みに取り入れたし、言ってみれば
ハロウィーンだってもともとは、ケルト人のお祭りだったわけで
死者の霊が帰ってくる日とする日本のお盆と同じだし。

話はずれましたが、日本人の死生観というのを考えてみた。

仏壇のある家庭では、毎朝ごはん、お水、お花を供え、
お盆には、沢山のご馳走を備える。

まるで生きている人に対するように、である。

そこでは、死んだものと生きているものとが
形としてしっかりとつながっている。

もちろん、体はないわけだから、言ってみれば
生きているものの死んだものに対する、生きていて
欲しかったという願望がそういう形で現れている
ような気がしないでもない。

でも、願望なのだろうか?

もしかしたら、現実に限りなく近いのではないのだろうか?

亡くなった人に食べ物、生前好きだったもの、恐山では手ぬぐい
を備えることで、この世からいなくなってしまった人との繋がりを
保ち続けることで、関係性を維持、具現化しているかのようだ。

目の前にはいない、でも繋がっていると信じている。

信じている人にとって、それは『現実』なのかもしれない。
そして、供物を通して死者を慰めることによって、自分も慰められ、
それで心理的に救われている部分もあるような気がする。

父の墓の前に立つとき、わたしは心の中で父に話しかける。
そこにいないと分かっていても、である。

きっと通じてる、と心の中で強く願っている。
別にお墓の前でなくても、なんというか、気持ちは
通じているんじゃないかと思いたいのである。

墓石とか仏壇というのは、そういう意味で冥界とこの世の
接点としてあるような気がする。文化の中で、何らかの
機能を果たしている「シンボル」なのかな?と思う。

で、日本人(アジア人もかな?)には、生きている、
死んでいるに問わず、人に対する深い思いが
あるようにも感じる。

こういう感覚はぬぐいきろうにもぬぐいきれない、
DNAレベルに刻み込まれているんだろうな。

そういう感覚は、キリスト教(プロテスタント)を
主流とする西欧諸国とは、表面上違うような気がします、

が、イギリスなんぞは、プロテスタントの国とはいえ、
幽霊話が好きだし、チャネラーとかもいるし、
表面的にはクールに装ってても、心のそこには日本人と
似たような感覚があるような気がする。

きっと、亡くなってしまった人と会いたい、話がしたい、
というのは、国を問わず、誰の心にもある、普遍的な
気持ちなんだとも思います。

こうでなければならないことなんて、何一つない

2009年11月11日 11時42分38秒 | Web log
今も多少そうかもしれないけれど、思春期の頃、
なぜか思い込みが激しかった。

「こうじゃなきゃいけない」という思いがとても
強かった。

で、誰が一番つらかったか?

自分だった。

もちろん回りもさぞかし迷惑をこうむったに
違いない。

でもそんな私を暖かく見守ってくれたひとが
必ずどこかにいた。

中学、高校、大学と先生にはとても恵まれたと思う。

高校生のころ、「もしお前が全共闘時代に生まれていたら、
ゲバ棒もって戦ってたかもしれないなぁ~」なんて、言われた
こともある。

そんな時代に生まれてなくて、本当によかったです。

お世話になった先生にはよく話を聞いてもらった。
でも、自分が自分の思いに強いこだわりを持っていたので、
誰かのアドバイスを聞いても、心の底で、それを受け入れることが
できなかった。

別に、面と向かって反発したわけでもないけれど、
自分のこだわりを捨て切れなかった。

冷静に、客観的に別な考えを、一つの考え方として
受け入れ、比較して考えるという状態になかった。

自分にこだわり続けて、自分の道をつっぱしった。

今になって、こうでなければならないことなんて、
何一つないんだということが少しづつだけど分かって
きたような気がする。

心身共に日々成長しているジョナサンを見ていると、
過去の自分をみているような気持ちになる。

思い通りにならないと、泣く、怒る。
ちょっとしたことで落ち込む。
思い込みが強く、周りが見えていなくて
自分が黒だと思うと、全てが黒に見えてしまう。

でもだからこそ、本気で遊びに夢中になったり、
思いっきり笑ったり、できるんだろうなぁとも
思うのだけれど。

ジョナサンがわたしの子供だから、似ているだけで
子供がみんな、そうだとは思わないけれど、でも
そういう傾向は多かれ少なかれ、あるような気がする。

若いってのはいいことなのか?
いいこともあるし、そうでもないこともある。

一途さとか、あることに対する情熱の深さとか、
こだわりとか、それゆえの迷いとか。

しんどいだろうなぁと思う。

でも、その分、喜びとか楽しさとか、大人の倍
感じているような気もする。

ようするに、子供は振幅が激しい。

自分の感情の振幅の激しさに振り回されてきた
わたしにとって、年取って、よかった~と思うこと
しきりです。



そりゃ、たまに憤慨するときもありますけどね。

人間ですから。

でも、今が一番いいかも。

This Is It

2009年11月09日 11時09分04秒 | Web log
マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー映画
This Is It. を日曜日の夜、ひとりで観にいった。

彼が絶頂期の頃は、あまり興味がなかった。

その頃はオフコースだの、サイモン&ガーファンクル
とかを聞いていたので

「マイケル・ジャクソン・・別に」って感じだった。

年をとると、あることに対する強いこだわりが
薄れてくるのだろうか?

マイケル・ジャクソンが亡くなり、追悼番組が放映された
のを見て、単純にすごいなと思い、映画を是非みてみたいな
と思ったのでした。

リハーサルを通じて、スタッフとマイケルジャクソンが
一つになって舞台を作り上げる過程を見たのだけれど、
音楽に対する彼の情熱、完璧を求めるスピリット、
50歳になっても衰えないダンステクニック、
体に染み付いたリズム、どれをとってもすごい。

天才だなと思った。

彼を取り囲むスタッフ、ステージディレクター、
バックバンドのメンバー、バックダンサー
のメンバーも才能に溢れていた。

最後はマスコミのターゲットとなり、いろいろ騒がれたけれど、
そして今となっては、真実は何なのか誰にも分からないけれど
そんなことは、どうでもいいんじゃないと思った。

ただ、彼の音楽、パフォーマンスは『驚嘆』としかいいようがない。

若くして亡くなってしまったことを本当に残念に思う。

大人になろうよ

2009年11月07日 13時45分33秒 | Web log
クラス役員のお母さん(Aさん)が憔悴しきった様子だった。
話しかけたら泣き出してしまった。

どうも学年末に行われるクラス担任との食事会のことで
もめているらしい。

もうひとりのクラス役員(Bさん)が別のクラスのお母さん3人を
勝手に招待したらしく、そのことでAさんが、「それはだめだと
思う」と言ったら、Bさんが怒り出して「自分はクリスチャンだとか
言ってるくせに、なんでそんなにいじわるなんだ」と言ったとか。

で、Bさんが「あんたがダメだと言ったんだから、あんたが直接
その3人にダメだと言え、わたしは言いたくない。」と言ったとか。

で、Aさんも「なんでビッチな連中にわたしが言わなきゃならないのよ」
と泣きつつも、憤慨している。

子供じゃあるまいし、と呆れてしまったが、落ち込んでる人を
崖から突き落とすようなこともできず、とりあえず慰めて、
その場を後にした。

どこでも同じようなことは起こるんだろうけれど、
日本だったら面と向かっては言わず、とりあえず表面は
丸く収めて、陰でこそこそ・・・となるのだろう。

こっちじゃ、もうガチンコ勝負なんだね。

大人なんだから、それくらいのこと
もうちょっと冷静に解決できるんでないの?と
思いましたが。

ま、2人の間にそうなる伏線があったのかもしれません。

でも、そんなに怒りあうような事かな?と思うのは
わたしが第3者だからかもしれません。

どこの国であろうと、人間たいして変わりませんね。

<その後>
Aさんから電話があって、どうやらAさんにBさんから
謝罪の電話があり、話し合いの結果、とりあえず
来たい人は拒まずということで隣のクラスのお母さんも
招待することになったそうです。

でもクラス担任とのお別れパーティなのに、なんで隣の
クラス?って思うと思いますが、ジョナサンの通う学校
では同じ学年の隣のクラスと組んで遠足に行ったりなど、
共同の活動が多いのです。

いずれにせよ、うやむやにせず、きちんと謝ったところは
大人ですね。


不確かな情報に振り回されないように

2009年11月06日 22時54分27秒 | Web log
今日、誘われてジョナサンのクラスメートの
お母さんとお食事をした。

とくに親しいというわけでもないのだけれど、
断る理由もないので行くことにした。

その人はいつも困った顔をしている。
で、不安だからか、とにかく人のことがあれこれ
気になるらしい。

情報屋である。いろんなことを知っている。

わたしは、学校で誰がどうしたとか、誰が優秀で、
誰が何が上手でとか、親はどんな人だとか、
親はどんな職業かとか、別にどうでもいいやと
思っている。

全く気にならないといったら嘘なわけだけれど。

もちろん子供に何かあったら心配だけど。

それ以外は特に。

人は人。自分は自分と思うようにしている。
でないと、簡単に自分を見失ってしまう。

で、彼女がいろんなことを教えてくれた。

食事が済んで別れた後「あぁ、聞かなきゃ良かったな」
と思った。

間接的に話を聞くことで、親しくもない人に対する先入観を
埋め込まれてしまったからだ。良いことならともかく
悪いことならなおさらだ。

そうかもしれない、けれどそうでないかもしれない。
そうだとしてもそれは全てではない。

先入観をもってしまったが最後、それを完全に
払拭するのは難しい。

もし、悪い情報であれば、その人に防御線を張りたくなるだろうし、
また子供にも「悪い子」とは付き合ってもらいたくないと、
心の中でちょっと考えてしまう。

そうじゃないかもしれないのに。

情報はある程度自分の身を守ってくれるのかもしれない。

確かかどうかかも分からない情報や憶測が飛び交い、
疑いが先行し、あれが危ない、これが怖い、これが
悪いとパラノイアな世の中を作り出す。

それが全く悪いとは言わないけれど、それがいいとも
思わない。

情報は情報でしかなく、振り回されさえしなければ
いいのだけれど。

それに、人に関わる情報をそうだと思い込むその人も、
思い込まれる相手も気の毒といったら気の毒だし。

へなちょこなわたしは、どうも振り回されそうになるの
だけれど、そうならないように自分に言い聞かせているので
あります。


Thank you, aunty ありがとう、おばさん

2009年11月05日 15時39分35秒 | Web log
ベンジャミンの友達に中国系の男の子がいる。

一緒に子供たちを遊ばせたとき、わたしがもってきた
おやつにその子が興味を示した。
そしてお菓子をあげたら、お母さんが、

「Say "Thank you" to aunty Ayako. あやこおばさんに、
ありがとうといいなさい」

と言った。

叔母でもなんでもないのに、叔母さんと言われて、
なんとなく違和感を覚えたのだけれど、日本でも
自分の母親世代、あるいは中年の女性を称して
『おばさん』という習慣があるし、きっとアジア
全般にみられるものなんだろうと思って、
聞き流した。

日本では『オバサン』という言葉は、否定的な意味合い
が強く・・自虐的に使う以外は、他人にはなるべく
使わないようにしている人も多くなってきているのかなと思う。

古いけど、森高千里の「わたしがオバサンになっても」の
歌がそうだもんね。

でも、よくよく考えてみれば、他人であるのに、親族を指す
「叔母さん」という言葉を使うということは、特別な親近感を
示しているのであって、言われたらうれしいことなのかも、と思った。

で、日本ではどうして否定的な意味合いが強くなってしまったの
だろうと考えた。

おばさん(省略形:おばん)
おじさん(省略形:おじん)
中年おやじ
おやじ狩り

どうみても、嫌な存在という意味合いが濃い。

でも、おばさん、おじさん、おやじ、全てが本来は親族の間で
使われる言葉なのだ。けれども、一般的にはもう若くはない
恥じらいを失くした、みっともない中年という意味で使われる
ことが多いと思う。

その前に固有名詞がついたら、本当の叔父、叔母ということに
なる。

どうしてそうなったのかを考えたのだけれど、私が思うに、
日本は他のアジアに比べると親族のつながりが希薄になって
きたからではないか?と思いました。

あと、若さ礼賛。とにかく、若ければいいという価値観。

人間だれしも年をとっていくのにね。

こちらでは、中国系の人たちはとても親戚づきあいが濃い。

オーストラリアに住んでいても、長男夫婦は義理の両親と同居
しているし、家族が近所に固まって住み、相互援助をしている。
そして家族、そして親族に対する深い絆のようなものを感じて
育つだろうから、おばさん(Aunty)という言葉も、親近感、
尊敬が伴ってくるのかな?と思った。

日本は、先を行っているのか、独自の道を行っているのか
よくわからないけれど、ちょっと違うということです。

言葉にも背景となる文化がそこそこに表れるもんなんですね。

で、イギリスではどうだったんだろうと思ってマイクに
話を聞いてみた。

マイクが小さいとき、近所にエスターという女性が住んでいた。
マイクのお母さんの親友で、お互いによく行き来をしていたらしい。
マイクもよく面倒みてもらっていたそうだ。

で、マイクは彼女のことを Aunty Ester(エスター叔母さん)と
呼んでいた。

今はどうだかしらないけれど、イギリスでも昔は、尊敬と親近感を込めて
近しい人物を Aunty, Uncle と呼んでいたのではないかと思う。
正式には Mrs○○と呼ぶんだろうけれど。よそよそしいもんね。

いやぁ、面白い。


ソーセージロールの作り方

2009年11月04日 19時08分33秒 | Web log
毎週火曜日、ティモシーが遊びにくるのですが、
偏食気味なので、おやつに何を出していいか
迷う。

で、最近、彼はお昼にランチとして売店で
ソーセージロールとチョコレートミルクを
ほぼ毎日購入し、食べているという事実を
知ったので、ソーセージロールを
出すことにした。

ソーセージロールとは、ソーセージの中身を
パイシートに包んで、オーブンで焼いて食べるもので
こちらでは、子供の誕生会とか、イベントにつまみと
して出てくることが多い。

で、スーパーに行って冷凍を買おうとしたら、
なにやら添加物てんこもりなのである。

別にわたしは健康食マニアでもなんでもないの
ですが、でもあれだけ色々入っているのをみたら
どうも抵抗を感じてしまった。

で、ジョナサンは元々市販のソーセージロールが
好きではないのだけれど、手作りしたらどんなもんだろう
と思い、作ってみました。

中身は

牛と豚の合い挽き肉 500g
万能ねぎ みじん切り 5本くらいかな?
卵 1個
マッシュルーム みじんぎり 5個
パン粉 1カップくらい
にんじん すりおろし 1本
にんにく すりおろし 小さじ2
塩・こしょう 少々
乾燥オレガノ 小さじ1
レモン汁 小さじ1
トマトケチャップ 大さじ1
バーベキューソース 大さじ1
ごま 適当

これを一気に混ぜ混ぜします。

で、パイシートに包んで、棒状にして
焼く前に 適当な大きさに切って
220度のオーブンに入れて
25分くらい焼いて、出来上がり。

簡単、簡単

手作りなので、ジョナサンは大喜び。
ティモシーもなんとか食べてくれました。

この分量で、およそ30cm四方のパイシート
3~4枚分のソーセージロールができるかな?

ちょっと肉肉しいけれど、
野菜もいっぱい入っているし、
頑張って作った甲斐がありました。

わたしも、満足。

作り置きしたソーセージロールを、今日も
おやつに出したら、ジョナサンが「やったー」と
喜んでいました。

ジョナサンのお口に召したようで。

反抗期?

2009年11月03日 13時54分56秒 | Web log
最近、ジョナサンが反抗的な態度をとるので、
どうしたらいいか途方にくれるときがあります。

わたしも人間なので、カッとして、反論するのですが、
あとで大人気ないなと反省したり、
どうしてあんな風なんだろうと考えこんだり、
彼を助けるつもりでしたことを否定されて、困惑したり。

要は、思い通りにならないと私のせいにしたい、
私を悪者にしたいようなのです。

「自分のすることは自分が決める、ママじゃない。」
「ママは僕の『体』じゃない」

なんて、6歳児に言われてしまうと、なんというか
落ち込みます。

自我の目覚めというか、自立に向かっているとでも言える
のかもしれませんが、このままではちょっと。

ベンジャミンばかり構っていると見られているのか?
もっと愛情が欲しいんじゃないか?
甘えたいんじゃないか?

とか、色々な可能性を考えるのですけれど
よくわかりません。

わたしなりに頑張っているのですが、伝わっていないようで。

親と子供の気持ちのすれ違いといえば、重松清の『流星ワゴン』
という小説、良かったなぁ。

親子はもちろん、どんな人間関係にも「気持ちのすれ違い」
という切なさが多かれ少なかれ、ついて回るのかもしれません。

まずは、彼の攻撃をとりあえずそっくり受けとめてみることに
しましょうか・・・


アジアの富裕層 その3

2009年11月02日 11時13分20秒 | Web log
ある程度、社会が豊かになると、逆戻りするのだろうか?

きっと以前は、特定の事業主が市場を独占し、富もまた
独占されていたのだろう。しかし経済成長と共に、一般
市民の生活レベルも上がり、企業も増え、富が分散される
ようになり、給与レベルも上がり、昔、羽振りを利かせた人
たちも、以前のような生活を維持できなくなってきた
のかもしれない。

しかし、平均給与レベルが上がると共に、経済が飽和状態になり、
企業は、中国などよりやすい賃金で事業を展開できるほうへ
シフトし、国内の企業が衰退すると共に、失業者がでるように
なり、富裕層と非富裕層がでるようになる、というのが
どうも市場原理のようだ。

ま、それはどうでもいいのだけれど。

で、マレーシア、インドネシアの富裕層は圧倒的に中国系が
多い。

で、富裕層であるがゆえの差別も多いらしく、より良い環境
を求めてオーストラリアへ来たという人もいた。

川沿いにApplecrossという超高級住宅街があって、
初めに訪れたときに、一体誰がこんな立派な豪邸を
建てることができるんですか?とオーストラリア人に
たずねたら、ほとんど中国人よと言っていた。

以前、マイクがアンゴラの油田で働いていたときに、あんな
ところにも中国人が大勢いるというので驚いていた。
チャイニーズがいて、チャイニーズレストランもあり。

飽和状態の市場に新規参入するのは難しい。
それを知って、市場が成熟していない新興国へと
乗り込んでいって、ビジネスチャンスをつかむのだろう。

そのほうが手っ取り早いから。

そのたくましさと貪欲さに脱帽です。
日本人にはないエネルギーだなぁと思う。

今後の中国にある種の脅威を覚えると共に、高度経済成長期
には日本も諸外国にそう思われていたのだろうなぁと
思うのでありました。

でも、国のサイズ、人口、いろんなことを含め、きっと
中国はもっとすごいことになるのではないかなぁと
思うのでした。



署名

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