古新聞

 何年か前の新聞記事 070110

遊民とフリーターの差

2010-03-03 22:01:43 | 評論


'07/07/16の朝刊記事から

遊民とフリーターの差
政府に反旗翻す力どこへ

法政大教授 田 中 優 子  


「フリーター」「ホームレス」「ニート」という言葉がある。
どういうわけか、どれもこれも横文字だ。
縦文字に直すとどうなるか。
フリーターは「遊民」、ホームレスは「無宿」といったところか。
つまり今に限ったことではなく、古来いつの時代にも存在した生き方、暮らし方なのである。

しかしニートにあたる日本語はない。
どんな社会でも、働かないで生きていかれるということはなかったからだ。
家事・雑事をまかされる、自給自足をする、農作業や商売を手伝うなど、現金収入にならなくとも仕事はいくらでもあった。
ちょっとしたことを頼まれて小遣いをもらうという働きかたもあり、家族も周囲もそれをさせた。
むろんそれとは別に、勉学に熱中する者もいた。

だが何もしないで家にいるのは、よほどの財産持ちか、よほどの病人である。
なかなか病気が治らないでぶらぶらしていることを「ぶらぶら病(やまい)」という。
江戸時代ならさしずめニートを、「お大尽」か「ぶらぶら病」に分類したであろう。

遊民はお大尽でも病人でもない。
遊民は働いているのである。
「遊」とは移動するという意味で、遊民とはもともと移動することで生きていた人々をさす。
中世の芸能人や職人や山伏、遊女、僧侶などは移動しながら仕事を見つけ、その収入で生きていた。
そういうことが社会に定着していれば、それは異常なことでも非難されることでもなく、人々の通常の営みなのである。

浪人対策悩み
江戸時代になると、多くが都市に定住した。
都市の治安意識も高くなった。
そこで非定住の遊民はやや「困った問題」になった。
やがて武士たちのあいだで遊民論も盛んになる。
つまり遊民対策に頭を悩ましていたのである。
中でも、もっとも幕府が手をやいたのは浪人である。

貧窮した農村から出てきたり、商売がうまくいかなくなったりで日雇い労働に従事する人々は、土木工事があればそこに吸収される。
そういう考え方は江戸時代にもあった。
また商家でも農家でも武家でも、男女問わず家事手伝いの仕事は求められており、女性なら洗い張りや裁縫の仕事もあった。
「口入」という派遣業者がいて、これらの仕事を斡旋していた。

自由に働きたいなら棒手振といわれる、てんびんをかついで物を売る商売方法もある。
これら派遣や棒手振は決して遊民ではなく、職能を持つプロフェッショナルであり、立派な仕事人である。
そういう働き方をする人たちが、今ほどは低く見られなかったのである。

矛先は幕府に
しかし浪人は、そういう仕事に従事しようとはしなかった。
志を持って浪人になった人々は別だが、多くは仕官したいと思いながらできないでいる人々だからだ。
恨みは積もる。
能力があろうが無かろうが、誇りだけは高い。
命を捨てても名誉や精神的満足感が欲しい。

そういう人たちだから、浪人は集まれば何をするかわからない。
実際、由井正雪の乱は浪人の乱であり、忠臣蔵の討ち入りも浪人の結束によるものだ。
討ち入りはその矛先が幕府にではなく吉良家に向かったが、由井正雪の乱はちょっと違う。

大量に発生しながら再就職もできない浪人たちの貧困救済を求め、騒乱による幕政批判をしようとしたのだ。
その矛先はきっちり幕府に向かっている。
結果的には30人以上が処刑されたが、批判の相手が的確という意味で、私は討ち入りよりこちらのほうがはるかにすごい事件だと思う。

フリーターの中に戦争を望む者たちが出てきたことが、総合雑誌「論座」への寄稿をきっかけに知られるようになった。
彼らの抱えている問題は金銭ではなく、むしろ人としての誇りなのである。
フリーターやニートの一部は、かつての浪人と非常によく似た精神状態にあるのかも知れない。

浪人は物騒な人たちだったが、フリーターはネットカフェの個室に分断されて沈黙している。
浪人は政府への批判分子だったが、フリーターは戦争が起こったら、行ってもいいという。
これほど政府に都合がいいのは、一体どういうわけか?

私は現代を見ていて、だらしなさそうな江戸時代のほうがはるかに、反旗を翻す力のある時代だったと気づいた。



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