おほけなく うき世の民に おほふかな 我が立つ杣に 墨染めの袖
私には身分不相応かもしれないが、この悲しみと苦しみに満ちた世の中の人々の上に黒染の仏法の袖を覆い被せ、この混沌とした世の平和を願うのだ
前大僧正慈円(1155~1225)
父は関白藤原忠通、母は加賀局(藤原仲光の娘)、九条兼実の弟。11歳で比叡山に入り、14歳で出家。
天台座主を4度務める。良経、定家とともに和歌に新風を開いた。
家集に「拾玉集」、「千載和歌集」にも入集、歴史書「愚管抄」を著した。
当時異端視されていた法然の教義を批判する一方で、法然や弟子の親鸞を庇護したことで知られている。
私には身分不相応かもしれないが、この悲しみと苦しみに満ちた世の中の人々の上に黒染の仏法の袖を覆い被せ、この混沌とした世の平和を願うのだ
前大僧正慈円(1155~1225)
父は関白藤原忠通、母は加賀局(藤原仲光の娘)、九条兼実の弟。11歳で比叡山に入り、14歳で出家。
天台座主を4度務める。良経、定家とともに和歌に新風を開いた。
家集に「拾玉集」、「千載和歌集」にも入集、歴史書「愚管抄」を著した。
当時異端視されていた法然の教義を批判する一方で、法然や弟子の親鸞を庇護したことで知られている。
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