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優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

「私の頭の中の消しゴムアナザーレター」4話

2006-05-17 16:26:15 | おもいつくまま
いよいよ、物語も佳境にさしかかってきました。

前回、雑然とした台所を見て複雑な表情をしていたおじいちゃん。
紗季の病気に気付いたのではないか?ひょっとして亡くなったおばあちゃんが同じ病気だったのでは?と思って見ていましたが、やっぱりそうでしたね。

それにしても「あの病気は人を人でなくしてしまう。」とは、ちょっとひどい。
このドラマがアルツハイマーという病気に対する間違った観念を植え付けることになりはしないかと心配になります。
前回も圭介の元の恋人で先輩医師の女性に「一言で言えば残酷な病気。肉体の死よりも精神的な死が訪れるから。」と言わせていますし。

確かに以前は「人格が崩壊する」とか「感情が枯渇する」とか言われていたようです。
しかし、私が読んだ最近の研究や現場からの様々な報告によれば、次第に身体的な機能が失われて、言葉を話すことができなくなったり、何も分からなくなっているように見えても、それは感情を表現することができなくなっただけで、決して「枯渇」してしまったわけでも「何も分からない」わけでもないそうです。

新しい記憶から失われていくからと、おじいちゃんからも圭介からも別れろと言われ、周一が気の毒でなりません。
周一は紗季の病気のことを承知で、もう自分のことを忘れ始めていることも分かっていて共に生きようと覚悟をしているのに…。
私は画面に向かって「ちょっとそれはないでしょー!!」と叫んでしまいました。
(相当周一に感情移入してますね。笑)

確かに、介護を経験したものとして、あるいは医学的に考えて、紗季と周一の為と思って二人とも言っているのは分かるけれども、紗季の意思を尊重しているとは思えません。

あと残すは2回のみ。
紗季と周一はいったいどういう結論を出すのでしょうか。
ドラマとしてはおもしろくなってきましたが、単なる「悲しく切ないラブストーリー」で終わらせて欲しくないと思うのは私の欲張りでしょうか…。


何度でも 「周一大好き」と それだけを
        書くしかできない 思い出せないから

俺のこと 思い出せない 君の中
        俺がいること 信じているよ

なぜいつも 2年前に 戻るのか
       心の傷が そうさせるのか

笑ってよ いつも笑顔で いて欲しい
        もう傷つけたくない それだけなんだ

「ボケを防ぐ」

2006-05-16 10:21:59 | 読書
須貝佑一著 小学館 2006年4月10日発行

この本はいわゆる【ハウツー】ものなので、おもしろそうな項目を拾い読みしていて、まだ読了していません。

年のせいの「物忘れ」と認知症の「物忘れ」の違いとか、読んでいてなるほどと分かりやすい本です。

一般的にボケない為の生活というのは、生活習慣病にならないようにする生活にほぼ似ているようです。
カロリーをとり過ぎない。
軽い運動を週に3日以上する。
野菜を多く摂る。
肉より魚を食べる。などなど…

ところで、この本でなんといっても一番興味深かったのは「シスター・マリーは希望の星」という項目です。

101歳で亡くなったアメリカの修道女シスター・マリーは、100歳を超えてもしっかりした生活を維持し、そんな高齢であっても知能テストで高得点を維持できるような聡明な人でした。認知症と見られるような症状はまったくありませでした。
ところが、死後解剖してみると脳の重量は870gしかありません。通常は1200gあるはずですから著しい脳萎縮です。…アルツハイマーそのものだったのです。

アルツハイマーなのにその症状がまったく現れない、これはどういうことでしょうか。
どうやら人間の脳というのは、若いころから常に頭を使い続け(右脳も左脳も)、鍛えておけば、アルツハイマーのような脳障害があっても認知症の症状が出ないこともありうるということのようです。

これはケンタッキー大学医学部の予防医学研究グループが行った調査「ナン・スタディ」で明らかになったことで、「ナン・スタディ」とは、『ノートルダム教育修道女会に所属する修道女678名を対象に、加齢とアルツハイマー病について研究するプロジェクトで、現在も続行中です。

その詳しい内容は「100歳の美しい脳」- アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女 - にあります。
(結構分厚くて難しそうな本なので、私はつい敬遠してしまったのですが、良い内容らしいので、今度チャレンジしてみようかな…。笑)

青春の名残

2006-05-15 10:31:05 | 日々の歌
今はもう 着るはずもない レオタード
        まだ捨てられず 衣装ケースに

そを見れば 皆で悩んで 選びしこと
        緊張の時 蘇り来る


ヒサトさんのブログで青春の思い出を題材にした三人コラブロがUPされていました。
そういえば、我が家にも青春時代の名残があったなぁ。
洋服の整理をするたびに悩む”あれ”。

私、高校時代はなんと体操部でした。
元々そういう体型ではないし、全然下手くそでマットの上を転がっているような状態でしたけれど、それなりにがんばって楽しかった。
試合の時はものすごく緊張して、ひどい点数だった。笑

いまだに年賀状やメールのやり取りをするのはその頃の仲間です。
わたしが上京すると、時間のやりくりをして集まってくれることもあります。

だから、もういまさら着ることもないし、たぶん着られない”レオタード”なのですけれど、捨てるに捨てられない。
これからもやっぱり、捨てられないで持ち続けるのでしょう。

「私の頭の中の消しゴム アナザレター」

2006-05-12 09:37:10 | おもいつくまま
パソコンテレビ「Gyao」で6回シリーズの3回まで放映になった。
(かなりネタばれです。これから見ようと思っている人、ごめんなさい。
見ていない人にはまったく分からん内容ですね。すみません。)

私はおおもとのテレビのドラマは見ていないのだが、今回のドラマは、元のドラマ・映画ともまた違った視点、ヒロインと恋人そしてヒロインの元恋人の三角関係を軸として描いている。

ヒロインの紗季は2年前に元恋人の圭介と別れ、心に深い傷を負った。
その1年後、現在の恋人周一と出会うが、記憶をなくしてゆくアルツハイマーに侵されてしまう。

次第に新しい出来事を記憶できなくなってゆく紗季。
周一が“紗季の記憶”となるために、二人は紗季の故郷へと向かうのだが、そこで圭介と再会し、紗季の記憶は傷を負った2年前と現在を彷徨い、周一と圭介を翻弄する…。


ドラマだから仕方がないとしても、そんなに都合よく記憶が飛ぶものなのだろうか。
そこのところは素人にはよく分からないのだが、ともかく、いくら紗季の記憶が2年前に戻っているからといって、そこからやり直して自分が紗季を支えようなんていうのは、圭介の自己満足というか、自分が心変わりしたことへの罪悪感を帳消しにしようとしているように思える。

記憶がなくても(知らない人、初対面の人)でも「この人は安心できる人」という感覚というのはあるように思うのだが、記憶が飛んで圭介とよりを戻そうと必死になっている紗季は、連れ戻そうとする周一に怯える。

本当にこんなふうになるのだったら、恋人として過ごした日々はなんだったんだ?
心には何も残らないのか?と哀しくなる。

「終わらない幸せもあるんだってことを君が教えてくれた…。」という言葉に期待して、最後まで見ようとは思っている。
記憶をなくしたとしても、心は生きていると思いたい。


「どちらさま?」 ほんとに俺を わからない?
            それでも君を 守ってみせる

不幸なら 忘れることは 怖くない
        出会えた幸せ 忘れたくない

もし君が あの日に戻って いるのなら
        もう決して君を 泣かせはしない

君がいて 俺を忘れても 傍にいて
        それだけでいい 逃げないでくれ

見つめあい 笑いあえる この時を
        大切にして これからも共に

できるなら 愛するあなたの 微笑を
         私の最期の 記憶にしたい



「八重子のハミング」

2006-05-11 00:11:13 | 読書
陽 信孝著 小学館 2002年5月20日発行

これまで読んだ4冊の認知症に関する本の中で、正直なところ一番気持ちが重くなる本でした。

著者の陽さんが短歌を趣味として詠まれるという所に惹かれて借りた本でしたが、陽さん自身4度のがん手術を受けており、また、家族だけで介護するということがどれほど大変なことか、一番あからさまに書かれていました。

それと、アルツハイマーになった奥様のことを「赤ちゃん帰りしている」と捕らえ、孫達にもそう教えていることが、納得がいかない点でした。
確かに、そう教えることで、お孫さんたちはおばあちゃんである八重子さんの面倒をみることに非常に協力的で、本当にいじらしいくらいなのですが、かえってそれが八重子さんの「赤ちゃん帰り」を助長しているようにも思えました。
当事者でないものの、勝手な思い込みかもしれませんが・・・

後の3冊に出てくる方はどなたも介護保険など公的手段をできうる限り上手に利用し家族だけで抱え込まないようにされていましたが、陽さんの場合は、一切利用せず御家族だけで介護されています。 

ホームに入ったとたん寝たきりになるということもあるそうですし、利用したくてもできない、もしくは利用せざるをえないこともあります。
どちらがよいとは一概に言えないのかもしれません。

陽さんは教育長という仕事をされていたこともあり、講演を頼まれることがよくあります。
その際は必ず奥さんの八重子さんを伴うそうです。
病気の妻を晒し者にするようなことがよいのかどうか、心が揺れることもあるそうですが、アルツハイマーという病気への理解の助けになればとの思いと、家族だけで隠し通そうとすれば必ず家族が崩壊するとの考えから続けているそうです。

最後に、「もし、わたしの生活に短歌がなかったら、果たして、病院での闘病生活から今日までの11年間を持ちこたえることができただろうかと思うことがある。…」と書いてあります。
折々に詠まれた歌はとても素敵な歌ばかりです。