優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

「和子」アルツハイマー病の妻と生きる

2006-05-10 19:37:31 | 読書
後藤治著 亜璃西社 2002年2月20日発行

和子さんは小樽の特養ホームで生活しています。
御主人の治さんに心臓の病気があり、自宅介護ができないためです。

治さんは毎日ホームに面会に行き、一日の大半をホームで和子さんと共に過ごします。
驚くべきことに、和子さんは「自力排泄ができ、普通食を食べる、歩く要介護5」だということです。
ホームの中で寝たきりでない要介護5は和子さんだけです。

和子さんも一時期車椅子生活になりましたがリハビリで歩けるようになり、治さんが毎日雪のない間は外に散歩に連れ出し、雪の間はホームの中をぐるぐると歩くということを続けているのです。
そして、大好きなクラシック音楽を聴くという生活。
それを続けているうちに、意味は不明ながらも「美味しい」とか「苦い」とか」寒い」などの言葉が戻ってきたと言います。
アルツハイマーで萎縮した脳が治ることはないというのに、まったく人間の脳というのは摩訶不思議です。

本に出てくる和子さんの写真の笑顔は本当に素敵です。
まったく病気とは思えません。
治さんがそれだけ和子さんの心のケアに気を配っているからなのではないでしょうか。

治さんは、介護現場における「ぞんざい言葉」「騒音」「心のケア」に苦言を呈しておられます。
まるで幼児に対するような言葉遣いを年長者に対してしている。
〈どうせ分からないのだから〉という思いがそこには透けて見えるような気がします。

治さんは「幼児がえりするというのは勘違いではないか。」といいます。
ただ、感情を害されることをされたとき、反論することができないので、駄々をこねる幼児のように暴れるのではないか。
「表現はできなくなっても、こころはそのままいきているのではないかと。」

それと、ホームにおける大声とテレビの騒音。
お年よりは耳が遠いからと大声を出すのは意味のないことで、そばで話せば小声でも聞こえるのだと物理の教師らしく治さんは反論します。
また、「おつむがえです!」と若いケースワーカーが大声で職員に号令をかけるのも、介護される側の羞恥心もプライバシーも考えない所業ではないかと憤っておられます。

日本においても、介護の技術、制度の整備だけではなく、介護される側の生活の質、心の在りようという点にもそろそろ目を向けなければいけないのではないでしょうか。