今日は終戦記念日、戦中、戦後の混乱期を生きてきた者として色々な想いが脳裏を駆け巡ります。
私は中国の新京(現、長春)で生まれ、四歳で終戦を迎えました。
商社マンで現地召集だった父はソ連の捕虜となりシベリアに抑留。
母は幼子二人を抱えて、命からがら日本へ引き揚げてきました。
その時のことは、前にもブログで取り上げたことがありますので今日は書きません。
東京生まれで東京育ちの親方は当時、中学生。
空襲で焼夷弾の降り注ぐ中を必死で逃げたそうです。
焼け出され、焼け跡にバラックを建てて家族八人が暮らし、空き地で野菜を作ったという話を終戦記念日が来る度に話します。
今日の夕餉はスイトンを作りました。
厳しいシベリア抑留生活から何とか生き延びて復員した父は、終戦記念日にはスイトンを作ってくれました。
お肉が入っている贅沢なスイトンでした。
シベリアの地で亡くなった戦友を偲び、供養する父の思いがこもったスイトンです。
鹿児島のさつま揚げと小松菜を入れたスイトンです。
父のように美味しく出来ませんでした。
確か、昨年は親方が作ってくれたような?
夕方、息子が一年半ぶりに顔を見せました。
肉じゃがとニラ玉をたくさん作って持たせました。
他に買い置きしてあった食料を色々持たせましたら、親バカだね~と親方に笑われました。
息子とパートナーはワクチンを一回、済ませたそうです。
17歳の高校生の孫はまだですが、都心の高校に通っていますので心配です。
息子も私たちもずっと、マスクをしていました。
一時間ほどで帰っていきました。
大雨警報が出ている中を来てくれたので、私は、早く帰るように言いましたが、親方は話したりないと不満げでした。
次回はいつ会えるか分かりませんし、万が一、私たちに何か起きた時のために、少しばかり大事なことを伝えて置きました。
このような世の中、息子は素直に耳を傾けておりました。