めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

答えが分からないことが答え

2016-03-14 18:11:52 | 日記
 

 一日中、雨が降っています。
 春雨というよりは氷雨です。
 静かに一日が暮れていこうとしています。

 谷川俊太郎さんの詩集を開いていました。
 いつも傍に置いてあります。
 今日、私の心が一瞬にしてとらえられた詩は 『 日日 』です。
 
   「二十億光年の孤独」より 谷川俊太郎詩集
 
       日日
 
    ある日僕は思った
    僕に持ち上げられれないものなんてあるだろうか

    次の日僕は思った
    僕に持ち上げられるものなんてあるだろうか

    暮れやすい日日を僕は
    傾斜して歩んでいる

    これらの親しい日日が
    つぎつぎ後へ駈けを去るのを
    いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら

 
 谷川俊太郎さんの詩集を久し振りに紐解いたのは
 昨日、朝日新聞の記事、「折々のことば」を読んだからです。
 谷川俊太郎さんの詩が載っていました。
 何度も何度も読み返しました。
 読み返しながら、黄泉の国へ旅だってしまった娘の事を思いました。


    問いかけたいことはもうなくなっていた
    答えがわかったからではなく 
    答えが分からないことが答えだと知ったから

                    谷川俊太郎


    ひとにはどうしてもコントロールできない
   もの、最後まで腑に落ちないことがある。
   が、それに抗うのではなくて身をあずけるこ
   とで、じわりじわりその意味が立ちのぼって
   くることもある。その1つが大切な人の死で
   あり、ひいては自分の死なのだろう。
   死を迎え言葉を交わせない人との言葉なき
   問答が綴られる。
              詩「見舞い」から

   解説は哲学者の鷲田清一氏です。
  
    朝日新聞の記事(2016.3.13)から写しました





           雨の中のアネモネ

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