1、人生最期の迎え方
日本人は死をものすごく毛嫌(感情的にわけもなく嫌う事)いします。
”生と死”これほどすべての人に 平等に訪れるものはないのに どうしてこんなにも 嫌うのでしょうか。
私の父はよくこんな事を言っていました。
「平均寿命を全うした死は 目出度いことなんだよ」!!
そんな父も、そして母も マァマァ目出度く 人生を終えました。
しかし、私の妻は残念ながら平均寿命に到達するまで、生き抜くことはできませんでした。
結婚した当時、金婚式まではと思っていたのですが、それでも45年間 夫婦でいられたのですから残念ですが
運命と思っております。
私の妻は57歳の時 体の不調を訴えそれから12年間生き続けました。
5~6年前からは 声を発することも、自らの力で動くことも出来ず そんな状態で施設にお世話になって
おりました。運動機能をつかさどる小脳以外には全く異常がないため 自らのおかれている立場に
限りなく無念を感じ 涙することは たびたびでした。。
性格は温厚で 非常に優しかったのですが、その反面プライドも高かったのでしょう、私や家族以外には
みじめな自分の姿を見せたくないと、かたくなにお見舞いを 拒んでおりました。
他人に会う事すら否定し、胃婁(いろう・胃に穴をあけてチューブで栄養を補給)をしてからは
たった一つの楽しみだったチョコを口に含むことさえ禁じられ いったい何のため過ごした人生の後半だったのでしょう。
一番ここで問題なのは 本人が そんな姿をさらしてでも 生きたかったのか 何を望んでいたのか
それを私が妻が元気なうちに本人から聞いていなかった、僕が把握していなかった、そこのところが悔やまれてなりません。
しかし具合が悪くなり始めた妻に、お前はどんな最期(死に方)を希望する?なんて
聞ける訳が有りませんでした。
今 思えば 胃婁を付ける時点で 僕がもう少しよく考える必要が有ったのかも知れません。
しかし 妻がまだ若いせいも有ったので 深く考える余裕はありませんでした。
本人もそんな苦しいだけの ”生”を希望していない、
それなのに脊髄小脳変性症と言う病に侵された妻は 年間400~500万の医療費を国から戴いて
生かされていたのです。
寝たきりになると たった一人の病人に おおよそ その位の医療費がかかってしまうのです。
妻のお世話になった新座市の病院には、その様な病人がおおよそ100人、
ざっと計算しても 一つの病院だけでも年間4億8千万・・・、
現在の国の医療費が32兆円~、来年度は40兆円を超えると言われております。
医療費に 国の財政が潰されてしまう勢いで 介護老人も増えています。
つい先日のNHKの番組でも放送されました。
「終末医療と介護の在り方 貴方はどんな最期を迎えたいか」、おおよそそんな内容ではなかったかと思います。
「命の主人公はその人、自分自身・最期はその人の自己決定で!!」 そんな内容で締めくくられていたようでした。。
書面で自分の最期を書き置く事の是非に 賛成する人は 70%
しかし、実際に書き残している人は 3%だそうです。
最期を明確に希望したことが 国の経済にも反映していく・・・、、
残された家族の方達が悩まないためにも 無駄なお金を使わない国造りに協力するためにも
自分の最期がどうありたいか記しておく・・・、とっても大事な事と思います。
その必要性を、実際体感したものとして
小さな意見を述べてみました。
ちなみに、私は
① ”外す予定の無いおむつが必要になった時”
② 胃婁が必要となった時
その時を私の最期にして欲しいです。
追伸:僕のブログを見てくださる方は多いのですが 特にこのような内容に対しての 意見が少無いのが日本人の特徴のように思います。
是非、コメントをよろしくお願いいたします。
話は変わりますが、年賀状も平年通り よろしくお願いいたします。
妻が亡くなった悲しみと、新しい年を迎える目出度さは 私の感覚では全く別物ですので
よろしくお願いいたします。
新しい年をたくさんの仲間と祝いたいと思います。
クリックしていただくと撮影意欲がわきます。
人気ブログ参加しております。
日本人は死をものすごく毛嫌(感情的にわけもなく嫌う事)いします。
”生と死”これほどすべての人に 平等に訪れるものはないのに どうしてこんなにも 嫌うのでしょうか。
私の父はよくこんな事を言っていました。
「平均寿命を全うした死は 目出度いことなんだよ」!!
そんな父も、そして母も マァマァ目出度く 人生を終えました。
しかし、私の妻は残念ながら平均寿命に到達するまで、生き抜くことはできませんでした。
結婚した当時、金婚式まではと思っていたのですが、それでも45年間 夫婦でいられたのですから残念ですが
運命と思っております。
私の妻は57歳の時 体の不調を訴えそれから12年間生き続けました。
5~6年前からは 声を発することも、自らの力で動くことも出来ず そんな状態で施設にお世話になって
おりました。運動機能をつかさどる小脳以外には全く異常がないため 自らのおかれている立場に
限りなく無念を感じ 涙することは たびたびでした。。
性格は温厚で 非常に優しかったのですが、その反面プライドも高かったのでしょう、私や家族以外には
みじめな自分の姿を見せたくないと、かたくなにお見舞いを 拒んでおりました。
他人に会う事すら否定し、胃婁(いろう・胃に穴をあけてチューブで栄養を補給)をしてからは
たった一つの楽しみだったチョコを口に含むことさえ禁じられ いったい何のため過ごした人生の後半だったのでしょう。
一番ここで問題なのは 本人が そんな姿をさらしてでも 生きたかったのか 何を望んでいたのか
それを私が妻が元気なうちに本人から聞いていなかった、僕が把握していなかった、そこのところが悔やまれてなりません。
しかし具合が悪くなり始めた妻に、お前はどんな最期(死に方)を希望する?なんて
聞ける訳が有りませんでした。
今 思えば 胃婁を付ける時点で 僕がもう少しよく考える必要が有ったのかも知れません。
しかし 妻がまだ若いせいも有ったので 深く考える余裕はありませんでした。
本人もそんな苦しいだけの ”生”を希望していない、
それなのに脊髄小脳変性症と言う病に侵された妻は 年間400~500万の医療費を国から戴いて
生かされていたのです。
寝たきりになると たった一人の病人に おおよそ その位の医療費がかかってしまうのです。
妻のお世話になった新座市の病院には、その様な病人がおおよそ100人、
ざっと計算しても 一つの病院だけでも年間4億8千万・・・、
現在の国の医療費が32兆円~、来年度は40兆円を超えると言われております。
医療費に 国の財政が潰されてしまう勢いで 介護老人も増えています。
つい先日のNHKの番組でも放送されました。
「終末医療と介護の在り方 貴方はどんな最期を迎えたいか」、おおよそそんな内容ではなかったかと思います。
「命の主人公はその人、自分自身・最期はその人の自己決定で!!」 そんな内容で締めくくられていたようでした。。
書面で自分の最期を書き置く事の是非に 賛成する人は 70%
しかし、実際に書き残している人は 3%だそうです。
最期を明確に希望したことが 国の経済にも反映していく・・・、、
残された家族の方達が悩まないためにも 無駄なお金を使わない国造りに協力するためにも
自分の最期がどうありたいか記しておく・・・、とっても大事な事と思います。
その必要性を、実際体感したものとして
小さな意見を述べてみました。
ちなみに、私は
① ”外す予定の無いおむつが必要になった時”
② 胃婁が必要となった時
その時を私の最期にして欲しいです。
追伸:僕のブログを見てくださる方は多いのですが 特にこのような内容に対しての 意見が少無いのが日本人の特徴のように思います。
是非、コメントをよろしくお願いいたします。
話は変わりますが、年賀状も平年通り よろしくお願いいたします。
妻が亡くなった悲しみと、新しい年を迎える目出度さは 私の感覚では全く別物ですので
よろしくお願いいたします。
新しい年をたくさんの仲間と祝いたいと思います。
クリックしていただくと撮影意欲がわきます。
人気ブログ参加しております。
明け方ほんのすこし車内で仮眠も寝てるのか夢の中か脳が今の阿蘇山地下のような活発化状態。。。
運転するには体線に合わせた快適なシートも寝付くには不向きのようです。。
車中えび状に曲がった身体を右に左に寝返りうちつなんだか寝付かれないままちょうど時間となりました。。
久しぶり?(年に一度ぢゃないかぃ!)昨夜やっと布団にもぐり込む時思ったこと、なんてしあわせなんだ!!
嬉しいことありがたい事身近にいくらでもあるんだねぇ、はっちゃん。
私自身人として、まだまだ未熟者ですので人の意見や考え方、見方、捉え方どれを取っても日々勉強になります。
そんな中大切な奥様が亡くなられてからも、問わせて頂く。これもまた言葉の無い勉強なのかもしれませんが、そういった環境が私にはすごく羨ましく思います。
このサイト上で話すのは失礼かと思いますが、私自身私生活にて呼吸が出来ない事が多々あり何度も運ばれた経験があります。
それも最近呼吸が出来ず運ばれずとも立ってられない感覚のペースが多くなってきました。
夏舞徒の踊り子として踊れるのも常に不安がありますが、動けるうちは見てもらえる人を感動させるように日々奮闘しております。
感動を届ける演舞を。
人それぞれ見て受ける印象は違うかもしれませんが僕はこの言葉が好きです。
うまくしまってませんが、ぜひ来年度の演舞もご期待下さい。
満州の餃子も食べれず、
日高屋の味噌ラーメンも食べれず、
ビックリドンキィーの300Gのハンバーグも食べれず、
一人で 誰の眼も気にせずに自由に排泄する事も出来ず
行きたいところにも行けず、
それでも貴方は生きて行くパワーが有りますか??
ネェ~SMさん。
どんな人が、どんなコメントをくださるのか 待っていたのですが、今現在までのコメントは、SMさんとたつおさんのお二人だけでした。
チョット寂しいです。
たつおさん、呼吸が出来なくなる病気をおもちなんですね。最近も余り調子が良くないと書いてありますが
激しい運動には気を付けなくてはなりませんね。
全ての事は健康の上に成り立っております。
どういう病気なのか想像することも出来ませんが
是非、元気な身体と明るい笑顔で、2015年も”感動を届ける演舞”に邁進して下さい。
勘三郎さんが亡くなってから、いつこの人を見ることが出来なくなるかわからない。(おたがいに)と思ってできる限り楽しんでおります。
井上陽水のコンサートでは大笑いしたり自分の人生を振り返ったり。
由布院に行ってきました。朝霧に由布院の街がしずんでいるのに感動し、素敵なホテルに泊まり美味しい物をいただいてきました。
衆生諸遊楽と思っています。楽しむために生まれてきたとおもっています。辛い時悲しい時もありますが、人生は舞台だと思い私の舞台で生き切りたいと願っています。
私も望は翌日ポックリと亡くなることなのですが、そう上手くいくかどうかはわからないので、認知症になったら施設に入りたい。胃瘻はいやだ。そんなことは娘に伝えてあります。もうこの年になったら只今臨終の覚悟はわすれてはならないのだろうとおもっています。
運ってあるのかもしれないですが、それぞれに訪れる運に立ち向かっていかなきゃですね。
奥様がどうしてほしかったのかは知る術もありませんが、家族の愛は感じていられたのだと思います。元気な家族を見ることが最上の喜びだったかもしれません。私も夫や子供達の笑顔を見るためにだけでも生きていたいと思うかもしれません。
調べてみましたが、今一僕には理解がややこし過ぎました。
僕の考えていることは、僕の妻のような最期になってしまうと、国が医療費で先行きが危ぶまれるので
このままではいけないよ!!
ッという事が言いたかったのです。
奥様と同じ病の母を持つ、都内に住む者です。
直接メールができる所があればと思いましたが、見当たらないためこちらの記事のコメントとさせていただきます。
昭和28年生まれの母が5年ほど前に脊髄小脳変性症を発症しました。
今年の2月頃に誤嚥による肺炎を起こし、今は実家近くの病院に入院しております。
母に最後に会ったのは昨年の2月でした。
実家でぎこちないながらも自身でベッドから車いすに移り、トイレや入浴を一人でこなしていましたが、
先日久しぶりに会った母はひどくやせ細り、病院ベッドに横になったままです。
話すことはできず、文字盤を使った会話をしなくてはいけなくなっていました。
こちらの記事を読ませていただいて、
少し奥様の状況と現在の母の状況が似ている気がして、
コンタクトを取りたいと思いました。
もし可能であれば、
奥様の闘病についての話を直接お聞かせいただきたいです。
とっても大変な事と思います。
ご推察申し上げます。
コメントありがとうございます。
このブログを 過去を少し遡って見てくだされば
僕の素性や性格のようなものが
少しは予想できるかと思います。
ブログを始めておおよそ10年になります。
ブログを始めて間もなく妻の容態が思わしくなくなり
施設のお世話になるようになりました。
耐えて耐えて耐え抜いた年月でしたが、妻の身体は 昨年の8/30ついに終わりを告げました。
今思えば あんまり頑張らさせ続けたのかナァ・・・、
と反省しております。
私のブログのどこかでも言っていると思いますが
私には かくさなければならないような
大した個人情報も有りません。
ご希望であれば お話を直接聞いて下さって、大丈夫です。
土曜日、月曜日以外の午後でしたら、 比較的
時間の取れる時が多いです。
最寄りの駅は 東武東上線 みずほ台駅です。
パソコンのアドレスは aris1945@mail.goo.ne.jpです。
☎は 080-1154-7502です。
よろしくお願いいたします。
☎は
(電話番号)はの文字化けしたものです。
正しくは電話番号 080-1154-7502です。
電話に出ることのできない時間帯は 特別ありません。 何かしらの原因で出れなかったときは 折り返し
当方から連絡させていただきます。
ネットで見つけて食い入るようによみました。64歳の母が発症から5年。今は要介護5で、まさに間も無く胃瘻、とゆう段階にきています。今は在宅介護で家政婦やヘルパーをいれて父が面倒をみています。いつまで、どこまで、在宅介護できるのでしょうか。先の見えない不安が常に頭にあります。長生きしちゃうから胃瘻はしないと言っていますが本心とは思えません。幼い孫の成長を励みに前向きに生きて欲しいと願うばかりです。