単行本発行時から評判の高かった作品が文庫化された。
いつのまにか、そんなに時間がたっていたかと思う。
単行本で読まないうちに、文庫化に追いつかれてしまった。
沼地のある森を抜けて
著者:梨木 香歩
発行:新潮社
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あれやこれやと他の本に寄り道のし放題だから当たり前といえば当たり前。
それにきっと好きだろうとわかっている作品は読み終えてしまうのが惜しい気がして後回しにしてしまうし。
でも、単行本の装丁のほうが好みだったりすると、ちょっとさびしい。
沼地のある森を抜けて
著者:梨木 香歩
発行:新潮社
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読みながら、「ああ、これは『裏庭』だ」と思っていた。
そして、『からくりからくさ』だとも。
巻末の、いかにも解説らしい解説にもそうあったので、きっとこれは読んだ人に共通の感想なのだと思う。
梨木香歩という作家の作品は、細かい比喩や文章の解釈に戸惑うことはあっても、根底のテーマは明確で強烈だ。
けれども、感じたそれを上手に言葉にできるかどうかは別問題なので、解説にうんうんとただうなづいてしまったりする。
『裏庭』や『からくりからくさ』に限らず、その他の作品も含めた、その先に生みだされた作品という印象が強い。
『春になったら苺を摘みに』が『村田エフェンディ滞土録』になったように、『ぐるりのこと』が『沼地のある森を抜けて』になった感じ。物語としてとてもとっつきやすいものになっていると思う。
これはとてもタイムリーではなかろうか。
なんといっても、今年の夏は映画『西の魔女が死んだ』が公開されたこともあって、著者の知名度がかなりあがったと思われるし、書店でも今までになく目立つところで本を見かけたと思う。
今までの知名度がそう低かったとは思わない。むしろ実は高いのかもしれない。
でもなんとなく、「知る人ぞ知る作家」という雰囲気がなかったろうか。
みんな知っているのだけれど、それでも「知る人ぞ知る作家」。
そうあってほしいと思っていただけというのが正しいところかもしれないが、これからはもう、みんなが知っている「有名作家」だろう。
原作の『西の魔女が死んだ』も読んでみようと思った人が、書店で新刊コーナーで、この『沼地のある森を抜けて』を目にして、手にとって読むのだ。
著者の作品を読もうと思って本屋さんにわざわざ足を運んだ人ならば、代々家に伝わる家宝のぬか床に生まれたたまごから始まり、思わぬほどの高みへと昇りつめていく物語に惹きこまれるに違いない。
そして、「沼地のある森を抜けて」進んでいく先に続くはずの長い長い時間の中で起こるかもしれないことを思うのだろう。
本当は『西の魔女が死んだ』からならば、東西のおばあちゃん対決で『りかさん』かもしれない。
『りかさん』の主人公はようこ。そのおばあちゃんは麻子さんという。
麻子おばあちゃんも、魔女っぽさでいえばこちらに軍配があがるかと思うほどのツワモノ。
ようこに対してのおばあちゃんの影響力も、まいへの場合と同質だ。けれども、この作品は『からくりからくさ』を読んでからのほうがインパクトが強い。
ここはひとつぜひ『からくりからくさ』で。
…くだくだと埒もないことを書いてしまうのは、要するに作品自体については書けそうもないとあきらめたから。
なんというか、『裏庭』から始まって、全作品ではないにしても段階を追って、著者の作品を読んでくることができたことをただうれしいと思ってしまった。
最初に梨木香歩という作家を教えてくださった、留学すると聞いた後、今はどこにいらっしゃるかわからない「ねこ」さん。
どうもありがとう。
一瞬、気が遠くなりました…。ありがとうございます。
これから読まれる梨木さんの作品も楽しみになさってくださいね。
でも、あの記事を書くのにざっくり100件ぐらいのブログを検索しました。
簡単に感想を書かれているものも多かったのですが、きしさんみたいな書き方はほかになかったですよ。
コメント、トラックバック、そして、記事でもご紹介いただいたとのこと、ありがとうございます。
よくここのような辺境がみつかりましたね。ちょっと驚きました。
私は読んでいない本も多く、これから楽しみにしています。
いままでの本で紹介しながら最後に
…くだくだと埒もないことを書いてしまうのは、要するに作品自体については書けそうもないとあきらめたから。
と書いてるのを読んで、確かに感想を書きづらい作品だなぁ、と私も思いました。
自分のブログでこの記事を簡単に紹介させていただいています。問題があればご連絡ください。