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ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

北 杜夫【幽霊―或る幼年と青春の物語】

2012-11-03 | 新潮社
 
手元の文庫本の帯には追悼の二文字があります。
これからはこんなふうにして作品を読むことがあるのでしょう、いやになるほどに。

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 幽霊―或る幼年と青春の物語
 著者:北 杜夫
 発行:新潮社
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著者は歌人・斎藤茂吉先生のご次男で、精神科医の斎藤茂太先生はお兄さん。
昨今、エッセイ等で活躍されている斎藤由香さんは著者のお嬢さん。
てっきり、茂太先生のお嬢さんだと思っていました。私にとって北杜夫さんといえば「どくとるマンボウを書いた人」、そこから1ミリたりとも動いていなかったので。
でも、そのどくとるマンボウも記憶がおぼろです。ほんとに読んだのでしょうか。小学校の図書館にあったのは記憶はあるのですけれど。

この作品を書いていた頃の著者は22、3歳だそうです。
ありきたりな感想になってしまいますが、なんとも若く、繊細でみずみずしい感性が美しい文章として定着した作品です。
冒頭の文章が非常に印象的。

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 人はなぜ追憶を語るのだろうか。
 どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はその反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。
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蚕の気持ちは考えたくない…と、出鼻をくじかれながらも読み進めたページには、主人公「ぼく」の記憶が綴られていきます。
まだ小学校へもあがらない幼さの男の子。西洋好みに飾られた母の部屋にときめき、不思議な文様を浮き上がらせる絨毯を飽かず眺め、それと同じ目をもって、散歩道の植物、草叢の小さな昆虫たちを見つめては、蝶の鱗翅のきらめきに心を奪われるような少年です。
短いエピソードを積み重ねながら章は進められ、やがて、気難しかった父と美しかった母と、たったひとりの姉とも死別。「ぼく」は死の影を身近に、香りを甘く感じながら成長していくのです。

乳母やお手伝いさんがいてくれるような裕福な家庭に育ち、途中、長く患うこともあった「ぼく」が身に巣食わせるある意味では優雅な倦怠と空虚、「ぼく」を魅了してやまない自然と昆虫たちの営みの繊細で精緻な美しさが言葉をつくして語られ、それらが「ぼく」に与える幻想を読むとき、まさに純文学を読んでいる気分。
老いてから深遠にして複雑な思いで振り返られるどこか説教くさい若さではなく、常に新しく世界を発見していく昂りのなかにある若さに対して、どうしても感じてしまう気恥ずかしさもその気分の一部でしょうか。

作品の時代背景は太平洋戦争の前後。
「ぼく」は東京から信州へと疎開、その時の流れの中で青年へと移行していきます。
作品にはいかにも物語という筋はなく、いくつもの印象的な記憶をおおよそ経時的につなぐうち、いつしか年月が経って終わるのかと思えましたが、ある音楽をきっかけに「ぼく」は失ったと思っていた幼年期の記憶の断片をよみがえらせるのです。
この時、第一章で鮮明に描かれた幼い日々は、実は「ぼく」が一度は意識の奥底に沈ませた記憶であり、この作品が冒頭の文章そのままに、人が心の神話の「反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめ」た時を描いたものであることがはっきりとあらわれます。
知らずに幾度も触れていた「爪跡」。
理由もわからぬままに惹かれた少年や少女の面差しの源を確かめる「ぼく」。
「ぼく」を惹きつけてやまない神話の中に息づく人を「ぼく」が出会った少女は「ゆうれい」と呼びました。
そして「幽霊」を心に住まわせる人を「気の毒なひと」と。
蚕ならぬ「ぼく」に、幽霊を血に潜むのかもしれない運命として受け入れ、人間のなかで生きていこうと決意させた『<母なる>自然』の美しさを「ぼく」と分けあうようにして作品は終わります。
「ぼく」が「気の毒なひと」なのかどうかは、その本人にしかわからないことでしょう。蚕の気持ちは、たぶん蚕にしかわからないように。


この本を読み終える頃、姐さんから、斎藤由香さんの『猛女と呼ばれた淑女 祖母・斎藤輝子の生き方』をいただきました。
これも何かのご縁?どこかの時点で種が蒔かれていたのだろうとは思いますが、もう忘れました。
どくとるマンボウと仲良しだった狐狸庵先生こと遠藤周作さんの本も手元にあるし、これはさっさと読みなさいってことでしょうねぇ。



[読了:2012-10-28]





 

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