ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

『Mozart!』を観てきました。

2007-12-17 | 観るものにまつわる日々のあれこれ
 
2007年12月15日のマチネ。
12時開演は朝がつらいです…。遠いよ、東京。
疲れ果てて、次の日の大河最終回を観る気力がなくなったらどうしようと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
行って良かった!(大河も観たし。)

やっぱり好きです、『Mozart!』。
観るたびにいいと思う作品。
ナンバーのインパクトでいうと『エリザベート』なのですけれど、観ているときに、面白いと思うのは『Mozart!』のほう。
「天才モーツァルト」を「才能・アマデウス」と「人間・ヴォルフガング」に分けるという出色のアイディアで描く作品です。

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   舞台の画像もあります。
 

「才能・アマデウス」は神童といわれた幼い頃そのままの姿で、成長した「人間・ヴォルフガング」と共に舞台上に存在します。
一言のせりふもなく、天与の才の象徴として白い羽ペンと音楽の源の小箱を携え、ただ美しい音楽を生み出すためだけに。
一方、「人間・ヴォルフガング」は父親との愛情あるがゆえの相克、かつての賞賛が嘘のように世に認められない焦燥感と肥大するばかりの自負に苦しみながらも、自由に生きることを求め続けるのです。

舞台は観るたびに印象が違うことが、その面白さのひとつ。
私は続けて何度も観ることができませんから、初演、再演と長いスパンでの変化ということになります。
再々演となる今回の印象を、次の再演を観るときのためにメモ。(気が早い?気が長い?)

モーツァルトの父レオポルトの市村正親さん、姉ナンネールの高橋由美子さんはいつも同じように安心して観られます。
過去の幸せな日々を共に思いながらも、そこから変わらざるをえない家族の形を歌う父と娘のデュエットはいつもながら切ないです。
「終わりのない音楽がこの世にあるかしら」と歌うナンネールは、それでも昔のように家族がひとつになることへの望みを捨て切ることができません。
ナンネール姉さんはほんとに切ない。
父と弟。過去と現在。あったかもしれない未来と現実。いつでも板ばさみですから。
ナンネールは観るたびに良くなるような気がします。
2幕に入ってからの夫とのシーンはさらに細かいニュアンスが加えられて、父や弟との絆と新しい自分の家族との絆の間で揺れ動いている彼女の葛藤が見えるよう。

ちょっと気になったのは山口祐一郎さん。
お芝居とは別に、歌に関してお茶の子さいさいという楽勝感があったような気がしますが、今回は高音にすこし余裕のなさを感じました。気のせい?
猊下が馬車で移動するときの場面は回を追うごとにパワーアップしているようですが、そこまで必要なのかちょっと疑問。
シカネーダーの吉野さんはもっと歯切れの良い方の印象をもっていましたが、思い違い?

ちょっとさびしかったのは、1幕の初め、神童アマデウス登場のシーン。
アンサンブルがすこし薄い印象でした。最初のインパクトなのに残念。
それと同じ印象なのが、2幕の社交場でのシーン。
こういうところで、ああ、すごいなぁと思いたいのですけれど。
座った席のせいでしょうか。2階席の上手。

ヴォルフガングは今回、中川晃教くん。
一番印象が違って感じたのは、彼です。
初演時の、頭で考えることなしにそのままでヴォルフガングに重なってしまったような奔放な勢いは姿を消しました。
彼なりの理解の上に立って、ヴォルフガングを演じているのが感じられます。
経験を積むというのはこういうことなのでしょうね。
本来であれば「一人前の男が、そうとは認めない父親の影響から逃れようとしてあがく」物語が、日本の舞台では「父親の影響から逃れることで、一人前の男になろうとあがく」物語になっているのは、ひとえにヴォルフガングを演じたふたりの若さによるものだったろうと思います。
この先、それも変わっていくのかもしれません。
楽しみではありますが、初演時の中川君の、身体からあふれ出るのを止められないとでもいうような『僕こそ音楽』も忘れがたいものです。
観といて良かった。
2幕の終わり、最後の音をオクターブ上げて歌うのはやめてしまったのでしょうか。(やめるならつまらないところのフェイクのほうでしょ。)上げてほしいなぁ。できるんだから。
「らりるれろ」は聴きやすくなっていたのでうれしいです。

さて、新キャストのふたり。
まずはコンスタンツェのhiro。元SPEEDの彼女です。
歌は心配していたほどは悪くなかったですよ。
今までのコンスタンツェもたいしたことなかったですし、ミュージカルとしての歌の上手さでみせようという意図のキャスティングではなかろうと思われますので。
(というより、何を意図したキャスティングかよくわからないのです、コンスタンツェはいつも。)
コンスタンツェの未熟さが等身大で、ヴォルフガングとのバランスも良い感じ。
ただこれは芝居をした上でのことではないというのが大問題です。
得意分野のはずの歌でそうなのですから、せりふの方は惨憺たるものが…。
ヴォルフガングに「子供みたい」と言う場面があるのですが、そのせりふのぞんざいさというか含みのなさは椅子から落ちそうになる気分。

もうひとりは男爵夫人の涼風真世さん。
実は昔から彼女で聴いてみたかったのです。
いままで、久世さん、香寿さん、一路さんの男爵夫人がいましたが、それぞれに違っていて、複数のキャストで観ることの醍醐味を実感できます。
なかでも、音楽の才能の守護者としての久世さんの存在感は忘れがたい。
ただ惜しいことに聴かせどころ、作品中でも白眉の『星から降る金』の高音部がどうしても彼女には厳しいものがあって、聴いているのがつらかったのです。
あまり印象に残らなかったのが一路さん。想像していたより歌も良くなかったですし。
香寿さんも高音が厳しいとはいえ雰囲気は良かったので、今回の公演に期待大だったのですが、日程がどうしても…。
で、涼風さん。
いままでで一番安心して高音部を聴いていられました。
「Mozart!」のブログで公開されていた製作発表時の映像では歌手としてのパフォーマンスという感じで不安が残りましたが、舞台ではきちんと男爵夫人としての綺麗な歌になっていて説得力もありました。「良い魔女」の雰囲気。
姿もすらりとしていて綺麗です。動かないでいるときが特に。
残念なのは、1幕でアマデに音楽の源の小箱が与えられたことを告げるシーンが弱いところ。
あのシーンにインパクトがあると、硬質で透明感のある雰囲気が男爵夫人の非人間的な役割の存在感に転化して、コロレドとの対比がさらにくっきりとしてくると思うのですけれど。
もともと人間じゃない役、得意なはず。

それともうひとり、アマデも初めてみる子役さんでした。
回数を観られないので、少ししか観られないのですよね、何人かいるのに。
今回の田澤有里朱ちゃんは、いままで観たアマデの印象と比べるとけっこう人間的な雰囲気。
オペラグラスを使わないので細かい顔の表情などは見えようはずがないのですが、喜怒哀楽の表現がストレートだったような気がします。
かわいくって、小箱が大きく見えます。
アマデの印象で意外と舞台の雰囲気が変わるのですよね~。
時間とお金があるならアマデの全キャストが観たい。どっちもないので夢のまた夢ですけれど。
かわいいなぁ。
カーテンコールで、市村さんとふたり、緞帳と一緒にしゃがんで、降り切るまで隙間から手を振り続けているのがまたかわいかったです。

カーテンコールといえば、この「Mozart!」では緞帳が降りた後、オーケストラの演奏が終わった頃に、ヴォルフガングとアマデのふたりが出てきてくれます。
2007年12月15日のマチネは中川君の150回めの公演にあたっていたのだそうで、そのご挨拶がありました。
これからもがんばりますはもちろんなのですが、ほかに奥さんが3人だとか、とっちらかってました。4人じゃないのかしら。
この日は客席に初代奥さん役の松たか子嬢がいらしたのだそうです。
全然わかりませんでしたけど。

それともうひとつ。
この日は国際フォーラムで『RENT』の公演もあったのですよ。
意味もなく、会場前を通ってしまいました。
『RENT』も好き…。
映画の『RENT』、DVD買ってしまいました。
Xmasですし、時期ですねぇ。『RENT』。



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2 コメント

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モーツアルト (こうもり)
2007-12-17 14:05:50
いいですね~~
大人になった中川君に興味津々です。
私が観たときには、自由奔放な若者モーツアルトをあられんばかりの声量と動きで表現している感じでしたので、なんとなくこの演目で成長しているような中川君…観てみたいです。
それにコロレド司教様…声量の無い祐一郎様はなんとなくピンときませんね。
私は同じDVDを何回見てもそのつど印象が変わります。(たぶん物覚えが悪いだけかも知れません。)
時間とお金があればほんとに何回でも観たいものです。
モーツアルト観劇記?ありがとうございました。
私も観た様な幸せな気分になれました。
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一緒に (きし)
2007-12-18 00:15:47
観たのはもう一昨年?早いですよねぇ。
観劇記というより覚書のようなものでごめんなさいです
この変化は好みが分かれるところだと思います。こうもりさんは案外好みかも。
猊下は声量がなくなったわけではないのですよ。でもありすぎるほどあった余裕がちょっと…。
こうもりさんは時間がありませんものねぇ。
でも来年は「エリザベート」ですから!
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