夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

熊本市長の『赤ちゃんポスト』再論

2007年04月09日 | 国家論

熊本市長の『赤ちゃんポスト』再論

このような虚しいテーマに時間を使いたくないが、日本の民主主義や国家としての弱点も不完全性をも証明している面もあり、もう少し論じておこうと思う。

熊本市の幸山政史市長が、慈恵病院の『赤ちゃんポスト』を認可するにあたって、厚生労働省に法解釈や法整備などについて意見を求めたそうであるが、そのときの厚生労働省の意見というのは「反対する合理的な理由が見当たらない」というものだったらしい。

こうした問題で、厚生労働省のとっている姿勢は全くもって、開いた口がふさがらないというべきか。この事案についての厚生労働省の辻次官の示した見解は、①「そういうことは考えづらい」②「法律的には、認めない合理的理由はないという見解は変わっていない。こうした見解はすでに熊本市に伝えており、十分議論して結論を出していただきたい」③「明らかに違法とは言い切れない」
というようなものだったらしい。

国民の生命、健康を守るべき使命を持つ官庁のトップが、この程度の見解しか示せないのだから、日本の国民も哀れなものだ。『赤ちゃんポスト』の本質は、児童虐待であり、保護責任者遺棄ではないか。法律の番人でもある行政官僚がなぜ、この本質を見抜けず、法律違反であり犯罪であると言い切れないのか。そうした行為が犯罪であることを、国家のトップである安倍首相や厚労省の柳沢大臣も、はっきりと国民に向かって言明しなければならない。

現実に起きている乳幼児の保護対策については、『赤ちゃんポスト』のように養育責任の放棄を肯定するような形で行なうべきではなく、厚労省が自らの行政責任として、民生委員の相談窓口の広報や教育の充実、病院に対する指導などを通じて、そのような乳幼児遺棄事件を防いでゆくべきものである。厚労省の辻次官の発言からも、行政責任者としての当事者としての自覚が全く感じられない。なぜ厚労省は熊本市や慈恵病院にそのような指導ができないのか。児童虐待や乳幼児遺棄を防ぐことは、自らの責任問題であり、職業的な義務ではないのか。そのことをこの次官は本当に自覚できているのか。

安倍首相は「匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいか、大変抵抗を感じる」といい、塩崎官房長官は「法的解釈の前に、親が子を捨てる問題が起きないよう考えるのが大事」と話し、高市少子化相も「無責任に子どもを捨てることにつながっては元も子もない」などという異論を出しておきながら、だれ一人指導力を発揮して厚生労働省の『赤ちゃんポスト』の設置容認を中止させようとしない。


これがわが国の「民主主義政治」の現実である。まともな国家としての体をなしていないのである。そこには首相による行政上の指導も意思統一もなく、戦前の軍部が政府の統制も効かずに暴走した頃から、ほとんど進歩も見られなければ、その反省も生かされてない。

カトリック教徒であるらしい慈恵病院の蓮田晶一院長は『赤ちゃんポスト』を設置しても、捨て子は増えていないと反論しているようであるけれど、問題の本質をこの院長は理解していないように思う。それともこの院長には日本の伝統的な倫理意識は壊れてしまっているのか。ヨーロッパがすべて先進であるわけではない。両親の子供に対する養育責任という人間としての本能や倫理という本質を破壊しておきながら、善人気取りに目先の乳幼児の生命の保護を優先したつもりになっている。

近視眼の善意によって、真の倫理と本当の善意を長期に破壊することを、いみじくも「地獄への道は善意で敷き詰められている」というのである。目先の善意を装った甘い誘惑によって日本の伝統的な健全な倫理的な本能を破壊すべきではないだろう。過激なフェミニズムが問題にされるのも、それが狂信的な平等意識を正義の御旗として、男女の区別や親子の秩序を解消し家庭を崩壊させかねないものになっているからである。

2007/04/07

参考資料

揺れる「赤ちゃんポスト」

ニュース①
厚労省「容認」文書を拒否…熊本市、許可判断へ詰め  (07.03.09)
 熊本市の慈恵病院が計画している「赤ちゃんポスト」設置を巡り、厚生労働省の辻哲夫次官は8日の記者会見で、熊本市が求めている文書での「容認」回答について、「そういうことは考えづらい」として応じない考えを示した。

 これを受け、幸山政史市長は「文書を出す出さないの問題でいたずらに時間をかけたくない」と述べ、再度、厚労省の見解を確かめたうえで、文書なしでも設置許可について判断する詰めの協議に入る考えを明らかにした。

 厚労省は先月22日、幸山市長に対し設置を容認する見解を口頭で示していた。

 辻次官は8日の会見で、「法律的には、認めない合理的理由はないという見解は変わっていない。こうした見解はすでに熊本市に伝えており、十分議論して結論を出していただきたい」と述べ、国に“お墨付き”を求める熊本市の姿勢に疑問を呈し、文書なしで協議を進めるよう促した。

 辻次官はこれまで「容認は今回限り」との認識を示しており、文書回答することで「指針」を示す形となって他にもポスト設置の動きが広まることを警戒したものとみられる。

慈恵病院の蓮田晶一院長は9日午後、同病院で会見した。ポスト開設が捨て子を助長するとの批判に対し、「ポストを設ければ、親が後で取り戻すこともできる。(先進地の)ドイツでも(ポスト設置後に捨て子は)増えてはいない」と反論した。

ニュース②
国が設置容認、厚労省「違法と言い切れぬ」  (07.02.23)
 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が昨年12月、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置を同市に申請した問題で、厚生労働省は22日、「明らかに違法とは言い切れない」として設置を認める考えを市側に示した。これを受けて熊本市は、設置を認める方向で最終調整に入る。

 ただ同省は今後、同様の施設を設置する動きが出たとしても、「一律に容認する訳ではない」との方針。新生児が直ちに適切な看護を受けられ、生命や身体が危険にさらされることがない環境かどうかを検証し、児童虐待防止法などに抵触しないかどうかを個別のケースごとに慎重に判断するとしている。

 赤ちゃんポストを巡っては、「失われる命が助かる」と評価する一方、「捨て子を助長しかねない」との批判もあった。また、〈1〉新生児を手放すことが児童虐待防止法の虐待にあたらないか〈2〉病院が刑法の保護責任者遺棄罪のほう助に問われないか――などの法的問題が浮上していた。

 これらの点について熊本市の幸山政史市長が22日、厚労省を訪れ、見解を求めたところ、同省は、「安全な病院内で直ちに適切な看護が受けられるなら、虐待に当たるとは言い切れない」と説明。保護責任者遺棄罪については、「ケースバイケースで判断され、直ちに法に抵触するとは思われない」と述べた。

 ただ同省は、設置を同市が許可する場合には、〈1〉ポストの付近に、児童相談所などに相談するよう親に呼びかける掲示をする〈2〉預かった場合は必ず児童相談所に通告する〈3〉赤ちゃんの健康と安全への配慮を徹底する〈4〉親が考え直した場合には、引き取ることができるような仕組みを考える――の4点を検討するよう要望した。

ニュース③
柳沢厚労相「今後は慎重に」、安倍首相は「抵抗感じる」  (07.02.24)
 熊本市の病院が申請した、親が養育できない新生児を預かる「赤ちゃんポスト」の設置を厚生労働省が容認する見解を示したことについて、柳沢厚生労働相は23日の閣議後の記者会見で、「活動や推移を慎重に見ていく姿勢が必要だ」と述べた。今後、他の申請が出てきた場合は、慎重に判断する考えを示したものだ。

 安倍首相も同日、首相官邸で記者団に、「子どもを産むからには親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」と語った。





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