夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル「国家論」①

2005年09月29日 | 国家論


ヘーゲルの国家観①

 ヘーゲルは国家というものをどのように考えていたか。哲学概論に次のように論じている。

「家族という自然的な社会は、一般的な国家という社会に拡大される。国家という社会は、自然に基づいて建設された社会であるとともに、また自由意志によって結ばれた結合体でもあり、法に基づくとともに、道徳にも基づくものである。しかし、一般的にいえば、国家という社会は、本質的には個人によって成り立つ社会というよりは、むしろ、それ自身として統一した、個性的な民族精神と見られるものである。(哲学概論 第三課程§194)」

つまり、彼は国家というものを、一つの独立した主体であり、有機的な組織であるとみなしている。(法哲学§269)だから、国家は神と同様に悟性的な思考では捉えきれない。そして、ヘーゲルの根本的な国家観は次の言葉に要約せられる。

「国家とは、精神がみずからを現実の形にした、そして、みずからを世界の有機的組織へと展開した、現実に存在する精神としての神の意思である。」(法哲学§270)

そして、宗教の形式にいつまでも留まって、国家を無視する者は、認識において本質論にのみ留まり、抽象から具体へと進もうとしないときに正しい認識を持っていると信じる者であり、抽象的に善を叫ぶのみで、善が何であるかを具体的に決めようとはしない人々と同じ態度をとる者であると言う。

 

 

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