夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

§276 註解[国家という有機体の要素の観念性]

2018年05月24日 | 法の哲学

 

§276

Zusatz.

Mit dieser Idealität der Momente ist es wie mit dem Leben im organischen Körper: es ist in jedem Punkte, es gibt nur ein Leben in allen Punkten, und es ist kein Widerstand dagegen. Getrennt davon ist jeder Punkt tot. Dies ist auch die Idealität aller einzelnen Stände, Gewalten und Korporationen, so sehr sie auch den Trieb haben, zu bestehen und für sich zu sein. Es ist damit wie mit dem Magen im Organischen, der sich auch für sich setzt, aber zugleich aufgehoben und sakrifiziert wird und in das Ganze übergeht.


註解
[国家という有機体の要素の観念性]

(国家の)要素のこの観念性については有機的な身体における生命のようなものである。生命は有機的な身体のそれぞれの器官に存在しているが、すべての器官にはただ一個の生命があるに過ぎない。それぞれの器官は、生命に対して敵対するものではない。身体から切り離されてしまうと、それぞれの器官は死んでしまう。このことは、すべての個々の身分、権力、企業の観念性についてもまた同じであり、それらはまたそれぞれに自分自身として存在し自立しようとする衝動をもっている。それは有機体における胃のようなものでもある。胃もまた自身のために作られているが、しかし同時に保存され犠牲にされて全体の中に融合してゆく。

 ※

ヘーゲルは国家を有機体としてとらえ、またその生命性を非物質的な、しかし客観的に実在する観念性としてとらえる。家族や身分や階級は国家内の要素der Momenteであり、それらは独立性をもつとともに、また国家に揚棄されてその一器官として全体のために働く。ケルゼンなど他の凡俗の憲法学者たちの国家観は死にもので、何よりも国家のこの観念性と生命性とに理解が及ばない。

 
 
 
 
 
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