夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

平成二十八年秋

2016年11月18日 | 日記・紀行

 



2016年11月18日(金)晴れ

もう十一月も中旬が過ぎ、今年もさらに晩秋が深まりつつある。このままでは二〇一六年の秋も何の記憶もなく終わってしまいそうだった。それでよく晴れた今日、普段の行き来に見慣れた景色をデジカメで撮して今年も記録しておくことにした。

川端通りの桜並木の紅葉ももう少し早ければもっと綺麗な盛りを撮れたはずだったけれど、今はもうすでに多くの紅葉も散ってしまっている。賀茂川に一羽の白鷺が舞い降りて来る。川辺ではベンチに座って女性がひとりバイオリンを弾いていた。音は私のいるところまでは聴こえては来ない。

大きな樹木に紅葉が溢れている様を見るときには美しいピアノ協奏曲が聴こえてきそうな気がする。昔、学生時代に鞍馬の奥山で見た全山に楓などの紅葉のあふれる光景の一瞬もいつの日か反復してみたい。

空海や紫式部や西行たちも眺めたに違いない比叡山は今日も秋の空を背景に佇んでいる。

私の課題もまだ果たせてはいない。それは我が国の国家哲学の基礎としてのヘーゲルの自由な哲学の意義の再評価とその論証である。それによって「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての理念(イデー)と永遠性を我が国に回復することである。それはまた明治憲法の制定に力を尽くした井上毅の仕事を引き継ぐことである。

最澄は今も比叡の山に眠っている。彼のライバルだった空海は高野山に下ったけれど。

 

 

 

              

 

 

 

 

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