夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

個別・特殊・普遍の論理⑥  心と身体

2007年04月23日 | 概念論

個別・特殊・普遍の論理⑥  心と身体

概念論の研究

心と身体は、切り離されて存在するのではない。身体なくして心はなく、また、心なくして身体は身体であることができない。そして、身体の成長に応じて心も成長してゆく。個人の心と身体は生涯を通じて変化してゆく。その基本的な区分は、まず子供の段階であり、次に若者から大人へと成長してゆく。

子供においては、その実体的な普遍性はまだ潜在的である。若者に成長するにいたって、主観的な普遍性は主体的に目覚め、現実的で具体的な個別性に鋭く対立するようになる。この時期は普通は反抗期とも呼ばれる。この時期にある若者は両親に反抗したり、現実の社会に反抗して政治運動に身を投じたりする。そして、この年齢を通って大人になる。ヘーゲルはこの大人の段階で、客観的な価値をもった真実の関係に達するといっている。彼の哲学が、若者を高く評価しない老人の哲学といわれる所以である。(第三篇 精神哲学 §396)

子供の内部に存在するまだ潜在的な普遍的な心は、その成長にともなって自己自身を特殊化し、そして、最後には自己を個別性へ、個体性へ規定する。この過程で若者は、身体的には性に目覚めることによって自己と矛盾する欲望の中におかれるが、精神的にも自己の直接的な現実性は、実体的な普遍性と矛盾関係におかれるようになる。自己が自意識に目覚めて、自意識の分裂を自覚する。若者の心は疎外され、自己が自己のあるべき姿に、普遍との矛盾や不一致を自覚するようになる。罪や良心の呵責に目覚め、若者に特有の悩みをかかえるようになる。

動物においてはこの精神的な分裂にはいたらず、たんに身体的な分裂としての性関係において、子孫を単純に再生産するに過ぎず、個体としてはその死によって類の中に埋没する過程を無限に繰り返す。それに対して人間においては、その精神の生において身体からの独立を果たし、独自の精神的な発展を遂げることになる。

 

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