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結婚しようよ 【'75つま恋】 吉田拓郎

2021-09-14 14:46:00 | 僕の音楽日記
72年1月21日にCBSソニーからシングル版として発売された

【結婚しょうよ】は50万枚を超える大ヒット。
同年7月1日
旅の宿をシングル盤リリースしている
名盤【元気です】は7月21日にリリース
すでに
この頃
拓郎さんは
ラジオ番組
パックインミュージックの
パーソナリティだった。
深夜放送から
火がつき…
まさしく番組でかけた
アルバム版のアコースティックバージョンの
「旅の宿」が
「結婚しようよ」に続き
ヒットチャートを駆け上がっていった。

前年の71年8月7〜9日にわたって
おこなわれた
中津川フォークジャンボリーでは

騒然として
野外イベントは終わったと
されている
まだ
あの時期は
政治的なものを借りて
歌や、イベントに影響を
与えていた
人たちがいた。

左翼的思想でフォークの名を借りて
影響力を行使し、
暴動がらみで
イベントを中止させたり
アーティストに対して
嫌がらせのヤジを飛ばしたり
そんなカタチの大きな
被害を受けたのが
まさしく
吉田拓郎さんであった。

フォークという名の下
若者の文化
政治、大人との
対立構造
商業主義と一線を画して
若者のスタンスを確立するという
そんな強権的な
一部の
ファンの顔をして
コンサートを邪魔していた輩の
標的だったのが
【結婚しよう】の大ヒットで
狙われた吉田拓郎さんだった。


いわゆる
(帰れ!帰れ!)と言われたり、
ステージに向けて
瓶や、石、が投げられたりもした。

冷やかしの類としては
学園祭でも
紙飛行機や、トイレットペーパーなど拓郎さんのステージに投げられたりしたこともあった。

やっかみと吐口の対象として
標的にされた時期
巷では
結婚しようよが凄い勢いで
世の中に認知されていった。
フォークという
若者のほのぼのとした歌が
歌謡曲を席巻したのだ。

フォークの熱狂的なファンからも
既存の歌謡界の人たちからも
敵対する
やっかみを受け
ある意味孤立無縁状態でありながら
拓郎さんの快進撃は
進み、旅の宿のヒットと
アルバムのセールスを伸ばした。


普通でなら
コンサートでヒットしている歌
【結婚しようよ】は歌いたいものだし、歌われるべきもの
しかしながら
当時のコンサートスケジュールと
セットリストを参考にすると
2〜4月のライブスケジュールでは
結婚しようよは
歌われておらず
5〜6月あたりのライブで
セットリストラストに
結婚しようよが歌われてる。

吉田拓郎リサイタル
5月13〜20日
愛知
福岡
大阪
東京
埼玉
香川

この辺のセトリでは
わからないが
多分歌われてるはずそして
嫌がらせはあったかも

6月は猫と帯同してのリサイタル
6月4日〜17日
徳島
小諸
札幌
室蘭
宇都宮
愛知岡崎
名古屋
福井
猫といのくちよしのりさんとのステージで
ラストに結婚しようよを歌って
終わっている。
その間
テレビでミュージックフェアで
加藤和彦さんと
結婚しようよ、旅の宿、川の流れの如く
など披露。

8月からのライブからは
結婚しようよが
セットリストから消えた
8月は
日比谷野外音楽堂や、北陸金沢の卯辰山相撲場での
野外
などで
嫌がらせを受けていた時期だったと思われる。

それだけ
風当たりの強かった
「結婚しようよ」

わざわざ
コンサートにお金を払って
「帰れ!」や、演奏の邪魔をしにくる一部の輩に
拓郎さんは
ひどく心を傷つけられ、
気持ちが失せていただろうと
それが
アルバム「元気です」のライナーノーツに
書かれていたコトバとなっていくわけであった。

[帰れと言ったほうも
その時点で敵味方 もう、うんざりなのです。]

フォークという自由だった歌が
不自由な囲いの中に閉じ込められ
括られ敵味方と分けられるなら
そんな歌なぞ
歌うことなんてしたくない
とまで考えていたのでしょう。

だから
よしだたくろう
を世に知らしめた
フォークソングが
歌謡曲を席巻した
【結婚しようよ】を
封印するかのように
人前で歌うことを拒み
続けたのは

吉田拓郎さんが味わった
(怖さ)ゆえ
なのかもしれない。

支持されて
喜ばれるべき
歌が非難の対象に
なり、それが引き金で
暴動でもおきるのでは?
とそんな
恐怖がどこかにはらんでいたのだろう。


結局、72年の後半から
73年、74年と
【結婚しよう】は
歌われることすらなかった。

それが解禁されたのが
'75つま恋の
第二ステージ
だった。


「じゃあねぇ〜古ぅい歌を 歌います」とだけ
MCで紹介すると
バンジョーによる
イントロのリズムが刻まれ

曲は始まった

♪僕の髪がぁ 肩までのびてぇ


会場が
割れんばかりの歓喜と歓声の渦に
吉田拓郎さんは

呪縛から解放された
瞬間だったと語った。

これだけでも
つま恋をやった意味があった
とまで
言わしめた
結婚しようよ
のトライアル。

避けて通れなかった歌
落とし前をつけなきゃならなかった歌

あの時から
時代の扉は確かに
ホントのラブ&ピースへと
流れていったのだろうと

若者の手で
ホントの意味で取り返した
若者の歌
結婚しようよ

まだささくれた時代に
早すぎた
この歌は
時代に翻弄されながらも
つま恋の地に
漂流し、
若者の手で
昇華した。

「歌手冥利につきる」
そう言った
吉田拓郎。

1番を歌い終え
緊張の糸が切れ
安堵感から
安心し、一発放屁した。
それを照れ笑いで誤魔化して
間奏へと
つづいた


'75つま恋での
結婚しようよ
この歌にとっても
歌手 吉田拓郎にとっても
報われた
一日だったのだと
思う。








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