1974年作の
松本清張原作の「砂の器」
という映画を
当時
リアルタイムで見た
音楽科の女の先生でN川先生が
音楽の授業中に
この映画の感想を語っていた。
それが
僕の脳裏にこびりついて
離れなかった。
もう、ずーーっと
半世紀以上もたっている今でも
それでも
僕はこの映画を今日まで見ることを
しなかった
途中その間
3局で7回もテレビドラマで放送
されたりしたがそれすらも
見ることもしなかった
何故だったのか
1974年は確か僕は
まだ小学校5年生
音楽科の先生が
授業そっちのけで
この映画の感想を
凄い熱量で生徒の僕たちに
語ってくれていた。
確かにピアノ組曲の
「宿命」という音楽
も絡めて
音楽科を担当してる
先生としては
その辺も見所として
含まれることもあり
また、ミステリー作家
松本清張さんのファンでもあれば
この映画は観るに値する
話題作だったと推察される
当時そこまで大人ではなかったし
興味もなかった僕には
先生の語る言葉は
断片的ではあったけど
そのワードが
パズルのピースのように
はめ込むことなく
まだ大切に残されていたようで
こんな事ってあるんだね
なかなか見ようみようとして
見ることのしなかった映画
避けていたわけでもなく
タイミングといえばタイミング
そこに至るまでのプロセス
といったら大袈裟だけど
何か自分の気持ちが
フラットになっていないと
観ることができなかったのか
ここまで時が満ちるまで
見てはいけなかった
映画だったのか
その両方だったのか
先生が語って印象に残っていた
キーワードのようなワードは
「らい病」「差別」「宿命」
この辺の細かい説明はなかったけど
とにかく見た先生も興奮を伝えたい
そのことが幼い僕たちにも伝わって
きていた
らい病とは?
それに伴う差別とは
深く調べたら
考えたりもしなかった
何か触れてはいけない事のように
そのことから避けていたように
思う。
らい病…ハンセン病は
回復できる病であっても
そこに翻弄された人たちは
差別という
人が作り出した闇に取り残され
人生を棒にふってしまった。
そんな社会派の重いテーマも
含んだ映画だったから
なおさらだったのかもしれない。
しかし今みても充分に
説得力を持つ内容
時代は感じるものの
若かりし頃の
丹波哲郎さん
森田健作さん
加藤剛さんなど
キャストも重厚な布陣で
今の時代にない
人の思いやりだったり
優しさだったり
忘れかけている
失われつつある
日本人の大切で
当たり前だったものも
そこにはあった
暗い時代でもあった1974年
時代を移す鏡とも、言われる
映画
「砂の器」は
そんな重苦しい時代を表して
いたようで…
そんな中でも
呑気に生きていた
幼かったあの頃の僕
平和で健康で何不自由なく
生きられていた当たり前を
思うと恥ずかしく
申し訳ないことも重なり
ここまで何月を重ねなければ
観ることのできなかった映画
だったのだろうと…
砂の器とは何のことなのかとずーっと
考えていた
らい病を患いその手で
つくった器のカタチが
砂のようにみえたからなのか?
なんかそんなふうに
音楽科の先生がいっていたような?
砂の器は
砂で作った器は一瞬で
崩れてしまうことで
何を入れようとしても
絶対に満ちることのない
宿命のとこを表している
とも言われています。