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明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

岡本おさみ 歌コトバ ⓽ 蒼い夏 よしだたくろう

2019-08-24 21:17:00 | 岡本おさみ歌コトバ


浜日傘
ゆらゆら
すらりと伸びた長い足
蒼い夏が
駆けてゆく
僕は昼寝を口実に
泳げないのを幸いに
女の子って
やっぱり
いいな…



浜辺の光景
70年代は
まだマリンスポーツは盛んではなく
海辺の遊び方は
スイカ割り、
大きな浮き輪や
ゴムボートっぽい
もので少し深みまで泳ぎながら
浮かんで 海を楽しむ。


泳げないから
ビーチパラソルの下で
女の子をみて楽しむ

それでなに?

やっぱり
って再確認する
岡本おさみさん

何はさて置き、
女の子って…
やっぱり!
いいなぁ
しみじみと
言い切ってます。


単なる女好きだと、
拓郎さんが歌うと
それで完結してしまう
フレーズ。


裸の子 じゃぶじゃぶ
オチンチンさえ可愛くて
蒼い夏がはしゃいでる
君は夏ミカンむきながら
早く子供が欲しいなぁ
わざと言って
ため息 ひとつ



2番の歌詞はなんとも
ドキっした覚えがあった。
オチンチン
というフレーズと

早く子供が欲しい
という
フレーズ。


子作り態勢に入った
この歌の中の男女
女の方が
わざと
言ったセリフ
「早く子供が欲しいなぁ」
愛されてないのか?
女の子を脇見している
男に釘をさすセリフ。

そろそろ落ち着きません?
とでも言われているかのように…


盂蘭盆会 チラチラ
灯籠流し 水あかり
蒼い夏に 祈りあり
いつか滅びるこの海が
肌をジリジリ焦がすので
今夜きっと寝つかれぬでしょう



盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、太陰暦7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事のこと盂蘭盆(うらぼん)、お盆ともいう。また、香港では盂蘭勝会と称す、
日本における日付については、元々旧暦7月15日を中心に行われていたが、改暦にともない新暦(グレゴリオ暦)の日付に合わせて行ったり、一月遅れの新暦8月15日や旧暦の7月15日のまま行っている場合に分かれている。父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事
という夏の行事

お盆のことを盂蘭盆会
という
そのことを単語で知ったり、
灯籠流しとか、
夏の風物詩が
しめやかに3番の歌詞に登場する


そして、

いつまでも
毎年
変わらず訪れる夏の海

その海が
いつかは
滅びるとまで断言している。
一体なんの根拠で?

せめて
永遠に訪れる夏の海とか
言って欲しかった

いつかは滅びるこの海が
海の野郎が
小賢しくも肌をジリジリ焦がすので

今夜眠れないだろ!
って、八つ当たりなのだ
岡本おさみさん

しめやかな
慎ましい気持ちの蒼い夏に
祈りありと
言いながら…

八つ当たりなのだ。


老夫婦ハラハラ
過ごした日々が
朽ちてゆく
蒼い夏に寂しさあり
僕は平凡な愛妻家
もう何も考えまい
愛することの
煩わしさ さえ…


4番の歌詞では
悟りを開いたお釈迦様のように


僕は平凡な愛妻家だと
言う
愛することの煩わしさ
さえも
考えないで、
身を任せる。
自然体でいることを
蒼い夏の中で悟る

なかなか
こんな感じでピーチパラソルの
下で繰り広げられる
男女のやり取り
深い心の機微があり
悟ったり
諦めたら
憤慨したり
喜怒哀楽を飲み込みながら

夏の海辺にいるのだ。


岡本おさみ作品には

アンサーソング的なものが多く
存在する

後年
「白いレースの日傘」という作品が
この「蒼い夏」のアンサーソング的ともとれる
世界観をもつ。


君のレースの日傘
回してみれば
フリルが揺れる
照れ臭いけどなぜか
暖かい
傘の中には
若い君がいる
二人の暮らし あの心にひそむことも
全てを知ってる秋が
穏やかなことも
そうさ
譲りあえれば…

あれから
どうなった?
そんな思いをよそに

相変わらず海は
滅びるどころか
暑さを倍にして、
肌をジリジリに焼いてくる
そんな夏になっていっている

岡本おさみ作品の中で
好きな詩のひとつ。

「蒼い夏」














岡本おさみ 歌コトバ⑧ 夕暮れはラブソング 桜田淳子

2019-08-14 06:42:00 | 岡本おさみ歌コトバ
1980年7月21日リリースされた
この作品。


桜田淳子さんが
岡本おさみ作品を歌うという
冒険?
に踏み切ったのか、

中島みゆきさんの世界を歌ってきた
自信?免疫?を得て

いわば独特の世界をもつ
岡本おさみ作品に挑戦した
桜田淳子さん。

桜田淳子さんもピークは1975年ごろだったと記憶する
あの頃の淳子ちゃんは
とにかく百恵さんを圧倒するほど
露出度やレコードセールスでも上を行っていた。
アイドルは旬が短く
息の長い活躍を模索しようとすれば

歌唱スタイル
作家陣
衣装など
それまでのスタイル変更、変化を
模索していかないといけない。

旬の過ぎたアイドルは歌謡界の
心身代謝の早い流れから
はじき出されるようになるわけで

自らまた、流れをつくらないといけない。

大人の歌を唄い出した
桜田淳子さんも
なんとかギリギリ
中島みゆき作品で
そのスタイル変更をなして、
生きのべてきた形だ。

そんな中で岡本おさみさんの作品
を歌ったという事実

生活の中
暮らしがテーマ
な岡本作品

すぐそこにある
小さな事実
リアリティをすくい上げ
そこに心をかける

歌は聴くひとの
そばにある
そのための歌コトバ


♪なんだかとても
人恋しくて旅を探しに出てきたわ

と歌い出す。

旅人であり詩人の岡本おさみさん

そしてこの歌は夕暮れなのだ

多くの岡本作品は夕暮れ時が多い。

きっと
寂しがりや
人恋しく
そんな岡本おさみさんの心が
どこか投影されてるのだろうと
思う。


♪夕暮れにぎわう人ごみの中に
生きてるひとの中に
話しかけてみたい
触れ合ってみたい
街の旅人たち


夕暮れの中の孤独
とふれあう欲求

そこは他人が無表情で行き交う

慌しい夕暮れのひとコマがある。


♪泣くのはおよし
oh ロンリー ロンリーガール
きっと すぐに楽になるわ
oh ロンリー ロンリーガール
街の旅人たち

泣かないで、すぐ楽になるよ
と諭してる理由は…

悲しみの深さと長さは
傷口と同じで
大した事ではないと
計り知ったように
呟く
この歌の主人公もまた、街の旅人であり
ひとしきり泣いてるのであろう

ロンリーガールに呟いているようで
自分にも言い聞かせてる
この風景は岡本おさみ作品にはよくある。

夜を迎えるまでの夕暮れ時からのあの時間

切り替わる一日のわずかなあの
中途半端な時間
曖昧な時間

夕暮れ時は人を迷わせる
思いが混在する

頭の中を整理する時間なのかもしれない


岡本おさみ作品では

歩道橋の上で
制服
落陽
祭りのあと
晩餐
ルームライト
歌ってよ夕陽の歌を

など夕暮れ
宵闇の頃を連想させる歌が多い


桜田淳子さんが歌番組でこの歌を
歌うスタイルも変わっていた。
いつもならマイクを持って立って歌うスタイルを

椅子に座りマイクスタンドに
マイクを固定させ
弾き語りスタイル
いわゆる
フォーク調での歌唱だった。

なぜかそれがすごく
僕はしっくりしてて、
この歌をじっくり歌う
桜田淳子さんの歌い方が
岡本おさみ作品をリスペクト
しているように感じた。

桜田淳子さんも表現者として
作品に向き合うそんな
年代になっていったということ
なのだろう。

作曲者は
深町純さん
キーボーディストで
初期の井上陽水さんの
アルバムに関わっていたし、
一時期吉田拓郎さんのバックで
単発ではあったが
一緒にライブをしたこともあったり、
高中正義さんとかの
フュージョンのジャンルでの活躍
をされていた方であり、
岡本おさみ
深町純
の組み合わせも興味深い。


岡本おさみ節は
夕暮れがテーマ
実に
わかりやすい。











岡本おさみ 歌コトバ その⓻ 晩餐 よしだたくろうLive'73

2019-08-07 09:22:00 | 岡本おさみ歌コトバ





これは
歌としての詩なのか?
と思わせる
その歌詞は
当時、溜まっていたエネルギーを
溜めに溜めていた
吉田拓郎さんには
まるで
吉田拓郎に乗り移ったかのような
本人が書く以上の本人らしさでの
詩の内容が多かったこともあり、

拓郎さんも当時の状況をそう、語っていたりもした。

「岡もっちゃんの詩はもう、当時自分が書こうとしていた、テーマだったり、言葉だったりを先回りして書いてきた事が多かった」と、


"吉田拓郎に乗り移る"

まさにその通りで当時ぼくらも
この歌は作詞作曲吉田拓郎
なのだろうと
思いきや、
作詞 岡本おさみ
とクレジットされていたり、

どっちが書いた作品なのか
、そしてもしくは
拓郎さん本人をも上回る言葉の回し方でソングライターの領域を凌駕し、吉田拓郎と対等に喧嘩をしていたそんな雰囲気が作品から聞こえてきた。


これならどうだ!
これに曲はつけれるか?

拓郎さんも意地?になって
つけてゆく

もう
感性と感性のぶつかり合いの境地


異質な言葉
歌の歌詞には
不向きな歌言葉

メッセージをしのばせ
時には謎かけを
時には優しく

岡本おさみさんは
それでも男の詩をよく書いてきた。


♪僕らは夕食時だった
僕らは夕食時だった

つけっぱなしのTVだったから
つけっぱなしのTVだったから

岡山で戦車が運ばれると
ニュースで言っていたけれど

僕らは食べる時間だったから



何気ない  ゆうげのひと時
TVをつけると
戦車が運ばれるニュースが流れてきた
たったそれだけのこと

そのたったそれだけが
意味をなすものは…
岡山おさみさんと吉田拓郎さんが
シンクロニシティしていたあのころ
1973年前後の年

同じ思い
同じ言葉を探していた
のではないだろうか?
感性が研ぎ澄まされ
なにかのメッセージを発信して
投げかけていた
歌たち。

岡山で戦車が運ばれる
どこからどこへ
いつ頃のこと

以前そんな議論を耳にした事があった。

歌から日時を特定する
ファンならではの楽しみでもあるが
結局わからずじまいだった。

自衛隊の駐屯地からの移動だったのか?

戦車を作っていた工場から
駐屯地への移動だったのか?

詳細は定かではないが
列車に載せられ移動する戦車の映像は目にする。

その光景だったのかなと推測したり。
二番の歌詞は
♪僕らはお茶を飲んでいた
そして、
テレビを見るのは習慣だったと
言い
そいつ(戦車)は突然現れて
プツンと消えてしまったと
僕らは食べる時間だったから
と説明する

三番においては
お茶を飲んでカップを置いた
そいつは
1つのニュースなんだと
僕らは知っていたけれど

と自分で納得させる作業に入っている

僕らは食べる時間だったから


と叫んでます。

もう、意味をなしてないといえば
そうだし、雄叫び大会的な
エネルギーを発散するのに
意味を持たせた言葉は邪魔になる
場合がある
ある意味
ロックなのだ
ロックはそのスピリットで
曲を詩を歌を引っ張っていく
場合が多いと思う。


岡山おさみさんは
吉田拓郎さんのエネルギーを
引き上げ爆発させる
発火点を誘発させる 一役を
かっていたのか?

煽っていたのか?


アルバム「伽草子」から
約5ヶ月後 途中 金沢事件があり
その復帰から
伝説の魔の神田共立講堂Liveがあった。

金沢事件への見えないやり場のない
敵に、(仮想 敵 ?マスコミ)に向かって放たれた強烈なエネルギーは
拓郎さんの創作活動に拍車をかけ
今でも名作、名曲として残る作品があのころ出来上がったといって過言ではないだろう

その一役をかっていた
岡山おさみさん。

何気ない日常に起こる
不幸
を予言し、そこに
怖さを忍ばせる

警鐘をならし、
そこに確実に降りかかる
火の粉を見せようとした
岡山おさみさんの作品の1つ

「晩餐」

凄まじいエネルギーで解き放たれる
Liveでの拓郎さんの歌いかたに
圧倒される。











岡本おさみ 歌コトバ その⑥ 蛍の河 小柳ルミ子

2019-07-21 21:01:00 | 岡本おさみ歌コトバ
その場所が
どこで
誰との事を歌ったのか?
 
「旅の宿」にしろ
「蛍の河」にしろ
趣は同じ流れを汲んでる歌たちである。
 
また、後年拓郎さんに提供した
「歩道橋の上で」という歌詞も
この歌たちの アンサーポエムっぽく
思えるのだ。
 
さて、「蛍の河」なのだが
「旅の宿」の続き的に思えるところが
あるのだが、
 
「旅の宿」は男性目線で
君との宿での距離感と空気感を
歌っていたし、
「蛍の河」は女性目線でお連れの男性を
微笑ましく見ている
そんな光景だ。
 
 
旅の歌
男性編
女性編
という感じか。
 
 
 
岡本おさみ
吉田拓郎
作品の中で
僕は好きな作品で上位に入る。
 
拓郎節を見事に歌い切ってる
小柳ルミ子さんに、脱帽だし、さすが歌手!
といったところだし、
字余りを音符に詰め込んでつくる
拓郎さんらしい曲調で
拓郎さん本人歌唱も素晴らしいけれど
小柳ルミ子さんの歌いっぷりが
素晴らしいんだな。
 
 
意外と小柳ルミ子さん作品では
出てこないマイナーな扱いではあるけれど
アルバム収録曲だけど
拓郎さんが脂の乗っている頃の作品だけあって
なかなか
この歌の陽の目を見ない現状が悔しくて
仕方ない。
拓郎さん自らもセルフカバー
してない曲だし、
ライブでも歌ったことがない歌である。
 
あまり、手応えの無かった曲だったのだろうか?
 
ファンとしては
是非とも歌って欲しいアルバムに収録して欲しい
一曲だ。
 
「風になりたい」と合わせて
いい曲としてマークしている「蛍の河」
 
蛍の季節
田舎でないと見れなくなった蛍。
 
そういえば
蛍をちゃんと見た記憶がない
都会暮らしじゃないのに
中途半端に、自然がなくなってる
僕の住まいの環境にして、
蛍を見て楽しむことなんか
記憶にない。
 
 
なんだかそうした日本情緒が漂う歌ってのも
少なくなってきた。
 
パッと光って
は消え
小さな光を放つ蛍のように
 
選挙の時だけ一生懸命の議員さん
長く光り輝くように
国民の代表として
頑張って下さいよ!
 
今日は参議院選挙投票日。
さてさて
日本の輝く未来の光は
見えるのか?
 
 

岡本おさみ 歌コトバ その⓹ 旅の宿 よしだたくろう

2019-07-17 08:07:00 | 岡本おさみ歌コトバ
岡本おさみさん 旅人詩人
みたいな
イメージで
机に向かって
詩を書いているタイプではない。
 
風来坊的で
どちらかというと
現代の太宰治的な香りがしないでもなく
 
強烈なコトバを投げかけると
思いきや
「旅の宿」のように
しっぽりと
日本情緒ある
情景描写的な歌コトバも書かれるし、
 
浴衣の君は
すすきのかんざし
 
って、
なかなか出てこないフレーズ。
目の前にそんなモデルがいないと
ちょっとかけない
歌い出し。
 
歌の滑り出し
歌い出しのワンフレーズから
のキャッチが好インパクト
 
そして、
 
熱燗徳利の首 つまんで…
 
とくる。
 
72年頃の拓郎さんのライブでは
♪熱燗徳利の首を
つまんでのまえに
「を」が入って歌ってました。
 
その後
 
♪熱燗徳利の首 〜つまんで
とレコード通りになる。
 
 
字数がまとまって
もうメロディがついてる感じだったのじゃないかなぁ
 
 
もういっぱい いかがなんて
 
妙に
 
色っぽいね
と言う
そんな詩の中の僕は
あぐらをかいて
君を見ると
頬と耳が赤い
 
風流だと思い俳句でもひねろうかと…
 
部屋の明かりを消してみると
見上げる月は上弦の月
風呂上がりの君の髪のいい匂いがする
そんな中で見上げる月自体をゆっくり
しっかりみるのは
久しぶりなんだと…
 
だんだん
お酒にも君にも
酔わされて
すっかり酔ってしまった僕は
君の膝枕でうとうと
うっとり
 
本当なら君を抱こうと思ったんだけど
 
このままでいいと言う思いで
飲みすぎたせいにして
君を抱く事にもなれないみたいと、
 
酒の勢いで抱く事も出来ただろうに、
それ以上に、
愛おしい時間と、君を見ると
抱くのがもったいない
 
大切にしたいと思ったのか、
酔っ払ってしまって照れ隠し
している優しい男心が
垣間見る。
 
実際岡本おさみさんのコトバの行間には
照れ隠しする男の心がギュっと詰まっている。
 
 
アルバム 「元気です」の大ヒットを受けて
シングルカットされた
「旅の宿」
 
詩の勝利
曲の勝利
編曲の勝利
と思える
「旅の宿」だ。
 
演歌の世界に通ずる
この歌は
のちにやはり演歌系の歌手が
カバーしている。
 
日本人の心とか
持ち上げられたり、
 
そんなもんじゃない
そんなつもりでもない
作品として出した当時の音楽状況は
歌謡界vsフォーク界的な、異質な若者文化の旗手としての
よしだたくろうさん
だった作品。
「結婚しよう」のヒットを受け
たて続けに
岡本おさみ作品でヒットを飛ばしたよしだたくろうさんは
その地位を不動のものにした。
 
よしだたくろうさんにして
自分の詩でもヒットさせ
作詞家の作品からでもヒットさせる
実力者としても
評価され、
それが
ある意味フォークファンからの
「帰れ!」の対象となってしまったのだから
ヒットの功罪ともいうべき
 
ほんとはフォーク界から歌謡界へ殴り込みをかけ
矢面に立っていたのがよしだたくろうさん
だった
と知るのがまだもう少し後だった
という事
その頃は
フォークという呼び名は消え
 
「ニューミュージック」と
なっていた。