社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

関弥三郎「統計利用者のための統計学と蜷川統計学」『統計学』第42号,1982年3月

2016-10-03 21:12:08 | 1.蜷川統計学
関弥三郎「統計利用者のための統計学と蜷川統計学」『統計学』(経済統計研究会)第42号,1982年3月

 本稿は社会統計の利用者一般という視点から蜷川統計学の得失を,『統計学概論』をとりあげ,論じている。最初に,統計利用の実践には社会科学の知識とともに統計学の知識が必要として,その内容を2点,指摘している。一つは概念規定(定義)を明確にし,調査誤差,標本誤差など制約をわきまえて利用する能力,もう一つは種々の統計的測度の求め方と意義と限界を理解し,誤用,濫用に陥ることなく適切に統計を利用する能力である。

 以上を確認して,蜷川統計学の成果と問題点についての筆者の展開がある。まず蜷川統計学が統計利用者の側からの統計学であることの意義が強調される。蜷川統計学は,一方で大量観察法によって,統計利用者による所与の統計の真実性批判の拠り所となる理論を提供した。他方で,その統計解析法は,統計的法則の誘導という統計利用の一局面のみに関わる理論で,統計利用の全体をカバーするものでない。また統計解析法を大量の集団的研究と規定するために大量の本質に適合しない研究方法となるという問題点があり,任意標本調査法に関しては統計実践にそぐわない面をもっている。以下にその内容をパラフレーズする。

 蜷川統計学の成果は,(1)大量観察法と(2)統計解析法とに分けて論じられている。(1)大量観察法では,蜷川が統計の対象を,事実確定の場合と法則研究との場合とに対応させて,社会的集団(大量)と大量を因子として構成した集団(解析的集団)とに区分し,大量の数量的記述の方法としての大量観察法の理論を展開し,大量観察法の基礎を社会科学の理論においたことが高く評価されている。大量観察法の理論によって,統計利用者が利用可能な統計を批判するポイントが明らかになったのである。この点は,大量観察法を大数法則で基礎づけようとしたドイツの社会統計学にはなしえなったことである。(2)統計解析法では,蜷川がこの概念を同種大量の集団的研究により統計的法則を得る方法としたことが確認される。同種大量の集団は,統計値の集団(解析的統計集団)によって構成される。解析的統計集団には,一般的には大量の集団の性質と構成目的に応じて工夫された解析方法が適用され,社会科学の理論によって解析結果の一般性が明らかにされる。この解析的集団が純解析的集団の性質をもつ場合は,数理統計学の方法が適用できる。重要なのは,この局面において統計法則の研究に数理統計学の適用条件を明確にすることである。しかし,蜷川理論の統計解析法は一般的性質の研究という特別の場合のみを対象とし,統計利用の実際で見られる事実としての同種,異種の集団の間の数量的関係や時間的変化の研究での数理的解析の問題をとりあげない。

 次に蜷川統計学の問題点の指摘が,(1)統計的法則と(2)任意抽出調査について論じられている。蜷川理論によれば,統計的法則は存在たる社会的集団大量についての一般的性質で,この言い方は統計方法を大量の数量的研究方法と規定した帰結である(大量を因子とする集団的研究)。大量を構成する因子の集団的研究は大数観察と規定され,統計解析と別個のものと考えられている。筆者はこれに異議を示し,大量を構成する因子の集団的研究は大数観察を統計解析の一環として考えるべきであるとしている。その理由は社会現象が社会的関係から生ずる全体的事実としての大きさと構成をもち,それを社会的集団現象(大量)の概念でおさえ,その要素の個別観察の方法で数量的にとらえた結果が統計だからである。この場合の集団現象は多様な性質をもった社会現象の集団であり,その大きさと構成は歴史的に変化するので集団の絶対的大きさが認識価値をもつ。この統計が正確であるには悉皆観察がのぞましい。他方で,同種事例を集団的に観察することが必要な場合がある。この場合の集団現象は,社会的関係を限定した高度に同質的な同種事例の集団でなければならず,悉皆観察は必ずしも必要でない。蜷川理論では,この同種事例の集団現象を,自然現象や実験結果の集団現象と同列にみて,統計方法の対象から除外している。

 蜷川は集団的研究方法で,大量についての一般的性質(統計的法則)をとらえようとする。しかし,筆者によれば,集団的研究方法は大量の研究には適当でない。なぜなら,もし大量に集団的研究方法の適用が可能と言うのであれば,その集団は純解析的集団の性質をもたなければならないが,蜷川の大量は歴史的存在であるので,その性質をもたないからである。 しかし,集団的研究方法は,大量の因子である同種事例の研究には妥当性をもつ。詳細な分類によって得られた,多くの標識の規定を受け,高度に同質の単位からなる部分大量の値は社会科学の理論によって一般的原因複合の支配が認められ,かつ単位が十分に大きいときには社会現象の一般的性質とみなすことができる。

任意標本理論は,蜷川理論では大量観察代用法の一つで,任意標本は純解析集団とみなされ人口現象に適用可能とされる。任意抽出は大量の一部を「何等の選択基準なく,単位のどれを採っても同じであるという立場からまったく自由に採る」ことであり,任意抽出を適用し得るのは大量の特定の集団について,単位を全く同一条件のもとに存在すると仮定でき,構成する集団の大きさを自由に増大させうるからである。ここから任意抽出法は人口大量以外の大量には適当でないという結論が出てくる。しかし,この規定は統計実践にそぐわない,と筆者は言う。事実としての値をもとめる大量観察の場合に,純解析的集団を持ち込んではならない。蜷川理論の誤りは,「単位のどれを採っても同じである」という任意抽出の条件を,集団的研究方法の存在の条件の同一と規定したことにある。「集団的研究方法の場合は,存在条件が同じであって偶然的な差違のみを示す単位を集めて標本とするに対して,大量の標本調査の場合は,異なる社会的関係に規定されて偶然的差異とは見なせない単位を,調査対象に選ばれる可能性が等しい条件の下で,偶然的に抽出して標本とするのである」(p.11)。筆者によれば,大量観察法については正しい見解を示した蜷川理論は,その代用法である任意抽出法に関しては理論的誤謬を犯した。

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