社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

広田純「推計学批判と社会統計学」竹内啓編『統計学の未来』東京大学出版会, 1976年

2016-10-05 20:27:41 | 2.統計学の対象・方法・課題
広田純「推計学批判と社会統計学」竹内啓編『統計学の未来』東京大学出版会, 1976年

 本論稿が載っている『統計学の未来』(東京大学出版会)は, 編者の竹内啓とともに, 推計学に関心のある坂本平八, 広田純, 吉村功, 佐和隆光が統計学という学問の理解のために編まれたもので, 5章にわたって, 論稿と討論からなる。広田は第2章で「推計学批判と社会統計学」について論じているが, 参考までに他の章を紹介すると, 「問題提起」(竹内啓), 「日本における推計学の発展とその問題点」(坂本平八),「『推計学』以後の数理統計学」(竹内啓),「推計学と社会のからみあい」(吉村功),「計量経済学の現代的意義」(佐和隆光)となっている。

 この論稿で, 筆者は統計学の問題をめぐって, 推計学を主張する人たちと, 社会統計学の立場にたつ人たちとの間でかわされた論争について, 論点整理を行いながら, 問題の所在を確認している。

 筆者は戦後の推計学の展開を二期にわけて考察している。第一期は, 1948年頃から52・3年までで, 推計学の方法論に対する社会統計学からの批判と, それをめぐる論争が行われた時期である。第二期は, それ以降の, 標本調査そのものの評価をめぐる論争の時期である。

第一期の論争で論陣を張ったのは, 北川敏男, 増山元三郎らである。彼らの主張を3点に要約すると, ①従来の社会統計学は統計調査の基本は全数調査だとしていたが, これは科学的認識の段階としては現象記述的な低い次元の話であって, 科学としての統計学はこうした段階から法則定立という高次の段階へと進まなければならない, ②全数調査の結果もその背後に仮説的無限母集団を考えれば無作為標本とみなすこともできる, 標本調査はそういう観点からとらえるべきものであり, 単に推定の技術, 全数調査の代用品なのではない, ③そのようにとらえられた標本調査は記述目的で実施される全数調査より優れたより科学的な方法である, という内容のものだった。

 こうした主張に対して, 社会統計学の立場にたつ論者は, おおむね次のように反論した。観察資料の背後に想定される仮説的無限母集団が非現実的であること, 法則定立を予定した推計学が科学的認識の理論として高次のものと考えるのは間違いで, 社会統計学にとっては記述こそ基本的であり, しかも記述には理論がそれに先立って存在し, 統計による記述は一定の理論を前提とし, この理論を原理としてなりたっている, 観察される事実を総括する原理も, またその結果を説明する原理もすべて理論によってあたえられる, 統計調査には社会的役割があり, 歴史的・社会的過程であるから, そこで生産された統計が限界をもち, 階級制をもつことは自明で, 社会的認識の材料として制約がある, したがってその批判的利用が重要である, と。この反論には, 社会統計学を擁護する筆者の見解がたぶんにこめられ, 迫力がある。記述と法則との関係, 統計と理論との関係を論じた部分には, とくにそのことが感じられ, 説得的である。

 第二期の論争は, 標本調査が「超母集団」に関する仮説検定の一環とは考えないで, 実在する集団について推定する技術とみなす技術論者の見解に端を発した(津村善郎など)。この見解を契機に, 標本調査を統計調査としてどう位置づけ, どう評価するか, さらに統計調査をどう考えるか, がこの時期の論争の主要な内容であった。
筆者はここでも3つの論点にしぼって, 論争を整理している。第一は全数調査と標本調査との関係で, 技術論者は統計調査の原則は全数調査という考え方を否定し, 調査技術的な観点からどの調査がすぐれているかは調査目的によることであるとした。この見解に対し, 筆者は全数調査が統計調査の原則で, 標本調査はその代用法として位置づけている。
第二は標本誤差の考え方で, 技術論者は標本調査でランダムサンプリングにより誤差をコントロールできると主張した。これに対しては, サンプリングエラーの大きさを標準誤差で計算するということは, 繰り返しの抽出を前提とした理論であり, 個々の抽出誤差の判断に基準を与えるものではない, また標本調査だけに現れるノン・サンプリングエラーを考慮しないわけにはいかないと, 述べている。

第三の論点として掲げられたのは, 典型調査をどう評価するのかという問題である。筆者は統計調査といえばすべてランダムサンプリングでなければならないという主張が通念になっているが, 典型調査の固有の意義をもっと考えるべきである, と主張している。筆者の調査論は, 原則的であり, ゆるぎない。

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