社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

田中尚美「統計における『世帯主』の概念」『統計学』第58号,1990年3月

2016-10-09 17:47:43 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
田中尚美「統計における『世帯主』の概念」『統計学』(経済統計学会)第58号,1990年3月

 世帯を調査単位とする統計では,「世帯主」の属性で世帯を分類することが多い。この場合,「世帯主」は「夫」が想定されているが,「妻」が「世帯主」の場合もないわけではない。否,徐々にではあるが,そのような世帯は増加している。

 「世帯主」を「夫」とすると,統計上,奇妙なことが起こる。勤労者世帯を収入主体で区分する場合,世帯分類はかつて「世帯主」「妻」「他の世帯員」と三区分されている。この「世帯主」は「世帯の家計費の主たる収入を得ているもの」とされ,そこには性別の規定はないが,想定される「世帯主」は男性である。この想定を貫くと,例えば妻が「世帯主」であった場合,妻の収入は「世帯主」の欄に計上され,夫のそれは「他の世帯員」の欄に記入される。夫は「妻」でないからである。このような妻が「世帯主」のケースを交えて集計された「世帯主」の欄には,「世帯主」が夫である世帯の収入と「世帯主」が妻である世帯の収入とが混在し,「妻」の欄に「世帯主」が妻である世帯の収入が入らない。まことに妙な,実態把握に支障をきたす統計ができあがってしまう。(1990年代に入ってから,部分的改善措置ではあるが,「世帯主」の対語に「配偶者」をおき,主要統計に限ってそれぞれに男女の別が明示されるようになった。)

 みられるように,統計の集計上の問題として欠陥をもたらすのが,「世帯主」=男性とする措置(社会通念,暗黙の了解)である。しかし,そもそも「世帯主」概念を男性とする社会通念が妥当なのかどうか。「世帯主」はなぜ男性でなければならないのか。そのような通念の根源はどこにあるのか。統計の問題に最大の関心をおきながら,この疑問をほりさげたのが本論文である。

 筆者の調べでは,「世帯主」を「世帯を主宰するもの」とする定義は,大正時代に制定された寄留法に依る。寄留(制度)は,本籍を離れて世帯を構成する際(90日以上住所または居所が異なる場合)に使われた用語である。戸籍のある本籍地で生活が営まれている場合,戸主=「世帯主」であるが,本籍を離れて世帯が構成された場合,「世帯を主宰するもの」は戸主ではなく,「世帯主」となった。これを定めた寄留法は,1914年に制定された。第一次世界大戦後,戦時色が強くなるにつれ,市町村は配給制度実施の必要性から世帯台帳が作成されるようになり,この台帳が住民の把握のための基礎資料となった。

 第二次大戦後,新民法が制定され(1947年),家制度が廃止された。旧戸籍法は新戸籍法に代わり,先の寄留法も現実の家族である世帯を把握する住民登録法にとって代わられた(1951年)。住民登録法はその後,1967年に住民基本台帳法に引き継がれた。このような変遷はあったが,世帯を主宰する「世帯主」という規定は,寄留法から住民基本台帳法まで一貫している。
「世帯主」をただちに男性とするのは,偏見である。性差別の現れの一形態である。そうした批判を避ける目的で考えられたのが,「世帯主」を「主として世帯の生計を維持する者」とし,性差別をしていないかのようなみせかけの表現をとった。実際に,日産自動車訴訟では共働きである女性従業員に対し,会社は彼女を主たる生計維持者でないとし,家族手当を支給しないとした。女性従業員はこれに対して不服の申し立てをし,訴訟となった。(東京地裁:原告敗訴;1989年1月26日)

筆者はさらに海外でのこの問題に関する動向を紹介している。すなわち「世帯主」概念そのものへの批判,あるいは用語の廃止をめぐる論議は,1975年の国際婦人年およびその翌年からの「国連女性の10年」における一連の女性差別撤廃運動を契機に展開された。「国連女性の10年」の最終年にナイロビ会議で採択された『女性の地位向上のためのナイロビ将来戦略』はその295項で,「法律文書や家計調査において,<世帯主>というような用語を廃し,女性の役割を適切に反映するに足る包括的な用語を導入する必要がある」と述べている。

アメリカでは国連の動きに先駆けて,1970年代から統計における「世帯主」(head of household)概念の論議が行われ,商務省センサス局が実施する1980年人口住民センサスで,同局により現在人口調査で,さらに労働統計局実施の1982-83年消費者支出調査でこの用語を廃止した。代わりに使われたのは,householder あるいは reference personである。イギリスではアン・オークレーらが『政府統計における性差別』(1979年)で,1971年センサスにおける「世帯主」概念が不当であると発言した。

それでは,世帯に関する統計で,「世帯主」概念にどのような代替案が可能だろうか。筆者は,勤労者世帯では夫,妻,子供の属性を単独で,あるいは組み合わせて使うのが合理的である,例えば共働き世帯では夫と妻の収入額の二重分類表示が考えられるとしている。本文中で,筆者は伊藤セツ,居城瞬子による改善案を紹介している。その提案は,①現行(当時)区分をそのまま生かし,「世帯主」と「他の世帯員」をそれぞれ夫,妻,他の世帯員別に区分する,②「世帯主」という用語に代えて「家計代表者」とし,その対語を「配偶者」とし,それぞれ夫と妻に細区分する,③核家族世帯については,「世帯主」「妻」の代わりに,「夫」「妻」「子」という区分を採用する,である。

筆者の確信は,「世帯主」概念の廃止が憲法に定められた男女平等を具現し,国際的に展開されている女性差別撤廃条約の運動につながる,という主張に込められている。

現在,「全国消費実態調査」の用語解説では,世帯主は現在も依然として「世帯主とは,名目上の世帯主ではなく,その世帯の家計の主たる収入を得ている人をいう」となっている。ただし,「『妻の収入』とは,用途分類の『世帯主の勤め先収入』のうち『世帯主が女の収入』,『世帯主の配偶者の勤め先収入』のうち『配偶者が女の収入』及び『(再掲)農林漁業収入を除く配偶者の事業・内職収入』のうち『配偶者が女の事業・内職収入』の合計額である」という記述もある。「家計調査」では,実収入の中で性別のデータが得られるのは「勤め先収入,世帯主収入,うち男」及び「勤め先収入,世帯主の配偶者の収入,うち女」である。


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