社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

杉森滉一「社会統計学の社会科学性-統計・情報・社会-」『統計学』第69・70合併号,1996年3月

2016-10-06 10:32:16 | 2.統計学の対象・方法・課題
杉森滉一「社会統計学の社会科学性-統計・情報・社会-」『統計学』第69・70合併号,1996年3月

 統計学の社会科学性を「反映」「正確性と信頼性」「調査論と利用論」の3つの論点に絞って考察している。筆者のこの考察によって,統計学の社会科学性が幾分,改変されざるをえないと冒頭で述べている。

「反映」。社会科学としての統計学は,蜷川虎三以来,統計が客観的存在としての社会的集団(大量)を反映する数値であるという点から出発した。統計は歴史的社会的性格をもった調査者によって,一方でその性格に対応した特定の実践的目的のもとに,他方でその目的にとって可能な特定の調査の仕方で観察された結果である。したがって,統計には調査者独自の観察の仕方が織り込まれている。これを反映論の立場から解釈すれば,統計には大量を反映しているとともに,調査者をも反映している。統計調査のうちにある調査者を明らかにすることが,統計学批判の課題となる所以である。

注意すべきは,この課題の確認は,統計について大量を反映する面を検討することとは別に,調査者を反映している面も検討すべきということでなく,調査者が統計に反映されることを,あくまでも大量の反映ということにおいて検討することである。統計に反映された,統計に現れた調査者を知ることは,統計が大量を反映すること,あるいは反映しないことの歴史的社会的な必然性を説明するために欠かせない。筆者はここで付言して,大屋祐雪の「主体・実践の視座」と
「客観の視座」とを区別する論議は,統計が調査対象と調査者とを反映するという事情を「視座」の違いに帰したものと解釈できる,と述べている。

 「正確性と信頼性」。正確性と信頼性というカテゴリーは,統計批判の基礎におかれ,統計批判に固有のものと考えられてきた。しかし,よく考えるとこれらの両カテゴリーは,より広い社会観察の結果(実態調査,社会調査,参与観察,ルポルタージュなど)に対しても成立する。蜷川統計学でいう信頼性と正確性のカテゴリーは,社会観察のデータに備わるそれらのカテゴリーが統計に現れた特別の場合と解釈できる。両カテゴリーの成立事情が統計だけに限られないことは,蜷川自身の所説に照らしても明らかである。そこでは,両カテゴリーの成立の要となる大量観察の四要素の成立は,観察の対象が大量であることや観察が大量観察であることと必ずしも論理的につながっていない。データにこれらの両カテゴリーが備わるのは,それが大量観察の結果だからではなく,大量の観察結果だからである。

 事情は以上のようであるにせよ,信頼性と正確性のあり方は,統計と社会観察の結果一般とでは同じでない。社会観察後の結果の信頼性は「観察活動の対象」を規定する原因ごとに幾つもあり,「観察活動の対象」が変化する場合には,信頼性は何段階もある。これに対し,大量観察の四要素は,「観察活動の対象」一般と異なり調査票や調査実施要領を通じて統一され,また観察結果によって修正されることがない。「観察活動の対象」がまとまって固定されている。したがって,統計調査論はもしそれが信頼性と正確性の議論だけに限定されるならば,社会観察の問題群の枠内でのそれにとどまる。この事態を避けるには,統計に固有の諸性質(速報性,コスト,概約性,総体性)をあらためて限定的に析出する必要が出てくる。また,統計調査論は,それと社会調査論との関係について考察することが不可欠である。さらに,統計に固有の性質をもたらす観察活動すなわち統計調査の特質を重視する必要がある。筆者はこうした課題との関係で,第二義統計,用務統計を統計とは異なる種類のデータ(例えば「行政データ」「営業データ」)として区別するのが妥当で,第二義とか業務とかの用語を冠して統計の亜種として扱うのはおかしいと述べている。   

 「調査論と利用論」。社会統計学の多くのテキストは,調査論から始まり利用論へとつながる構成をとる。統計利用論は,調査論を前提としている。しかし,調査主体が統計調査を行うのは,基本的には調査結果の利用が目的にあるからで,その意味では調査の仕方はその結果の利用に規定される。この点からすれば,統計調査が統計利用を前提とするという関係があり,したがって最初に調査論,次いで利用論という関係は絶対的なものではない。統計調査論と利用論との順序が疑わしいということは,それらの内容そのものに再検討の余地があるかもしれないということである。

 筆者はここでとくに後者の統計利用について考察を進める。統計利用を直截に解釈するならば,問題は統計を何に使うかということになり,この「何に」は大別して二通りある。ひとつは認識的な利用であり(蜷川の限界的利用,一般的利用,説明的・叙述的利用),もうひとつは実践的な使用(統計の社会的作用ないし機能)である。この2つの統計利用はともに,それぞれの仕方の統計調査を規定し得る。このように統計の実践的使用が(認識的使用も)統計調査から独立でないとすると,それに対応する統計学の構成は変わらざるをえない。統計の実践的使用という意味での統計利用論は,従来統計調査論と言われてきたものの少なくとも一部を含むべきことになる。また統計調査論と言われてきたものは,統計調査に関するかぎりでの社会の構造を展開しうる契機を持つように拡大される。

 筆者によれば,本稿の議論の基礎にあるのは,統計の情報性である。統計は社会情報のひとつであるという観点から,統計と他の社会情報との区別と同一性が課題とされなければならない。その際,統計学の社会科学性のひとつは,情報関係に関する学の一角に求められるべきもので,統計学は統計の学にとどまれず,情報関係を明らかにする社会科学とならなければならない。

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