社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村和範「統計的推論の普及とその社会的背景」『数量的経済分析の基礎理論』日本経済評論社, 2003年

2016-10-06 10:38:16 | 2.統計学の対象・方法・課題
木村和範「統計的推論の普及とその社会的背景」『数量的経済分析の基礎理論(現代経済政策シリーズ11)』日本経済評論社, 2003年

 統計的推論は, 1920年代から30年代にかけ, 医療・農業・工業・統計調査の分野で急速な普及をみた。本稿では, 統計的推論がこの当時の社会的・経済的問題を解決するために利用されるようになった経緯が, 要領よくまとめられている。筆者は, 4つの分野での課題と統計的推論との関係を, すなわち, 医療における免疫製剤や新薬の開発, 農業における食糧難を背景にした農事試験, 工業の分野における大量生産の普及(品質管理), 経済の分野における政策立案のための迅速な準備(標本調査)を, この順序で解説している。以下は, その要約である。

 統計的推論の医学的研究分野での普及の背景にあったのは, 「イギリス人口統計の父」と呼ばれるW.ファー(1807-83)の統計に対する強い関心と牛痘接種法の有効性をめぐる論争である。前者に関連して, 当時, イギリスでは悲惨な労働者階級の状態があり, その根幹にあった劣悪な住環境のもとでの衛生条件の改善が喫緊の政策的課題となっていた。統計とくに人口動態統計は, この政策実現のために必要不可欠な基礎的資料とされた。医師であったファーはこの時期, 人口登録局に迎えられ, 統計整備に多大な貢献をした。

その後, ファーが意図した仕方とは異なったが, M.グリーンウッドはユールと共同で免疫製剤の有効性を仮説検定法によって判定しようと試みた論文を執筆した。痘瘡の予防接種(牛痘接種法)の是非をめぐる論争は, 統計的推論が医学的研究へ普及していく契機となった。この論争につづいて, 細菌学の分野での進歩, さまざまな病原菌の発見があり, 踵を接して免疫学分野での研究が進捗した。免疫剤の薬効判定で, 統計的仮説検定の利用が試され, 次第に恒常化した。ホグベンによれば, 仮説検定法は1930年代以降, とくに新薬の合成, 抗生物質の開発が進むにつれ, その有効性の手早い判定法として多用された。

 統計的推論が積極的に応用された他の分野は, 農業生産(農事試験)と工業生産の分野(統計的品質管理)である。このうちまず, 農事試験の分野における統計的推論の応用について。舞台となったのは, R.A.フィッシャーが研究員として登用された1919年以降のローザムステッド農事試験場である。フィッシャーがこの試験場で行ったのは, 多因子少水準系・少因子多水準系における比較実験の計画(実験計画法)と, 膨大な実験データの解析であった。筆者はここでフィッシャーの実験計画法のやや詳しい説明に入り, フィッシャーの業績であるランダムな配置法(乱塊法とラテン方格法)とF分布よる分散分析法が, 一方では国策としての農事試験場の新興を背景に, 他方では1934年に発足した王立統計協会の活動に支えられ, 1930年代以降のイギリスに普及していく事情を概説している。

 もう一つの工業生産に応用される統計的推論の中心は, 抜き取り検査による管理図技法と統計的仮説検定法である。これらの手法は1930年代に, 一部の企業だけでなく, 一国の産業全体で重要視された。それも統計的品質管理発祥の地であるアメリカではなく, イギリスにおいてである(アメリカでは1940年代以降)。統計的品質管理技法は, 1923年にアメリカ電信電話会社の系列会社である電話交換機メーカーのウェスタン・エレクトリック社で, 電話交換機の検査に確率論が応用されたのが最初である。統計的品質管理に管理図(棄却される製品個数の最小化と検査費用の最小化)がシューハートによって考案された1924年を, 統計的品質管理の最初の年とする説もある。いずれにしても, 資本主義的大量生産の普及なしに, この手法の登場はなかった。これらのアメリカで誕生した統計的品質管理の理論は, その母国で一般化することなく, 1930年代のイギリスで顕著に展開された。これには, ピアソンの寄与が大きかった。シューハートと個人的な交流のあったピアソンは, 1932年12月, 王立統計協会主催の研究会で品質管理と標準化について, 記念碑的報告を行い, これを受ける形で王立統計協会のなかに「工業と農業の分野における統計的方法の理論と応用に関する研究会」が設置された。さらに, ピアソンはネイマンと共同で, 統計的品質管理に適合的な統計的仮説検定論を提示し, また区間推定論が特殊な仮説検定論としてその体裁を整えた。なお, アメリカで統計的品質管理が一般化していくのは, 第二次世界大戦を契機とし, 1940年代以降である。

 筆者は最後に標本調査の事例研究について論じている。標本調査は17世紀以来, 個別的分野で試みられ, 18世紀には人口統計の分野で多用された。アメリカで標本調査が展開されるようになったのは, 19世紀の半ば過ぎである(農業統計, 経済統計, 社会調査の分野で)。これらは「先駆的な段階」の初期の事例であった。本格的な「近代的な標本調査=任意抽出法」が用いられるにいたるには, 1930年代まで待たなければならなかった。1930年に前後しアメリカで, 選挙前の世論調査に任意抽出調査が活用された。また, 雇用・失業調査, 都市居住者家計調査, 消費者購買力調査, 国民健康調査など, 多くの社会調査にこの方法が適用された(1930年代のアメリカで任意抽出調査が一般化していった要因として, 筆者は2つあげている。第一の要因は深刻な失業問題で, その基礎資料として雇用・失業統計の作成が急がれた。第二の要因は調査を実施する人員が十分に確保されたことである)。
任意調査法といえば, イギリスでボーレーが行ったレディング市労働者調査がある(1912年)。この国では引き続き, 1930年代に, 小標本理論の展開を背景として, 任意抽出調査が実施されるようになり, 方法が次第に社会調査に受容されていった。

 最後に, 筆者は任意抽出法の数理的展開がA.N.キエール(ノルウェー中央統計局)の主導した国際統計協会の活動に依拠したことについて, とくに言及している。

 「むすび」では, 1940年代以降の国際的緊張関係のなかでのアメリカ統計学会の動向に関して, とくにアメリカ数理統計学会が「戦争準備委員会」を発足させ, 数理統計の専門家をして国防計画に寄与せしめる分野を列挙し, その方向で研究を進めたことに注意を喚起し, 稿を閉じている。

 本稿は, 筆者によるテキスト『数量的経済分析の基礎理論(現代経済政策シリーズ11)』に収められた付論である。

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